第7話


 なに? なんなの? 私に昼ご飯を譲ったのは、こういうことなの? なに? 私への当てつけ? 優しさに見せかけただけ? 家庭科室でなにするわけ? 彼女に手料理でも振る舞ってもらうつもり? そのために昼食を抜いただけ? はぁ?――。

 家庭科室への道中、矢継ぎ早に紡がれる彼女の思考。怒りなのか、悲しみなのか、あきれなのか、色々な味が混ざり合った感情だった。それでも涙は出てこない。やっぱり怒りの色が強いのだろう。


(ほんと……もうムカつく……!)


 めぐみは無意識に握りこぶしを作っていた。第一、二人は付き合っているわけでも何でもない。ここで蛍を殴ろうものなら、めぐみはただの加害者になってしまうだけ。ただ、そこまで理解が出来ないほどに頭に血が上っていた。

 家庭科室は校舎の1階にある。1年生の教室が集中していることもあり、1階の廊下を歩くことは意外と少ない。普段のめぐみなら少し気を遣うところであるが、今は来るモノを弾き飛ばすほどにその豊満な胸を張っている。

 目的の家庭科室が見えると、廊下に数人の男子生徒が中の様子を覗いていた。めぐみは北と一緒に居た女子生徒の発言を思い出す。


(やっぱり後輩なのかな。まあ別に何でも良いけど)


 入学して間もない後輩を手なずける彼のに感心しながら、めぐみは家庭科室に近づく。自身では気づかない負のオーラのせいか、廊下で中の様子を覗いていた男子の1人がめぐみの存在に気がついた。

 その彼に見られているとも知らず、めぐみは家庭科室のドアを思い切り開けようとする。


「ちょ、ちょっと何してるんすか……!」

「……なんですか?」


 少年が必死に呼び止めると、露骨に不機嫌なめぐみが視線を向ける。

 その瞬間に少年は心底後悔したが、今の状況を考えると放置するわけにもいかない。ひとまず中から見えないように、としゃがむよう指示を出した。

 そこで冷静になったのはめぐみで、おそらく後輩であろう少年に凄んでしまった自分が少し情けなくなった。小さくため息をついて、彼の言うとおりしゃがみこむ。その際に上履きの色を見て、後輩1年生だと確信した。


「君たちずっとここにいたの?」


 なるべく凄まないように、なるべく冷静に――。めぐみは自身に言い聞かせながら、中に居る二人に聞こえない声で問いかける。

 後輩たちは最初こそ戸惑っていたが、栗野めぐみが持つ人当たりの良さに安心したように顔を見合わせた。


「はい、まあ」


 そのうちの一人が返事をすると、めぐみは続ける。


「ちょっと教えてくれない? 何があったのか」

「……何がって言うのは?」

「ここに来てからの様子とか。来る前のことも知ってたら教えて?」


 冷静に考えれば、ここでそんなことを聞くめぐみも可笑しい。だが1年生である彼らは、いま目の前で起きている出来事にショックを隠し切れていない。すなわち、置かれた状況は互いに似ていたのである。無論、本人たちは気づいていないが。


「来る前のことはよく分かんないっすけど、いきなり俺らの教室の前を黒澤先輩が先輩と並んで歩いてて」


 自身をドアの前で呼び止めた少年が説明する。ありきたりだったが、彼女は優しく「うん。それで?」と続きを促す。


「俺ら黒澤先輩のファンなんで、気になってけたら何か料理始めて」

「何で料理なの……?」

「多分、先輩が料理部だからじゃないですか?」

「料理部? そうなんだ」


 めぐみはそう言われるまで、料理部の存在自体を知らなかった。仮にあったとして、あの黒澤芙実が部員である意味はなんなのだろう。何を考えているのだろう。

 黒澤芙実には、彼らのようなファンが一定数存在する。そのスタイルの良さと美貌、加えて学年一位の秀才である。人気が出ない方が不思議であることは周知の事実。胸の大きさでは勝ってるけど――。なんて、めぐみは心の中で毒づく。

 毒づきたくなる何かが、彼女にはあった。これもめぐみの直感でしかないが、芙実は誰とでも仲良く出来るまさに聖人。その裏の顔を、彼女は想像してしまう。

 多分、彼女とは根本的に合わない。だから――。芙実とめぐみは一度も話したことがない。同じクラスになったことがないからだが、仮にそうだとしても仲良くしている姿がイメージ出来なかった。


「黒澤先輩が唯一苦手なのが料理らしいです。職員室で先生と話してるの聞いたから間違いないです」

「……盗み聞きじゃなくて?」

「そ、そんなことしませんよ!」


 声の高い少年が慌てて否定する。ただよく響いたせいか、残り3人から「静かにしろ」と集中砲火を食らう羽目になった。めぐみは可哀想に思えて、同時に申し訳なく思った。

 だが彼の言うことが本当であるなら、確かに理にかなっている。勉強も運動も出来る彼女であれば、苦手なことを徹底的に消す完璧主義者である可能性は否めない。むしろそうである確率の方が高い。


 少しだけ窓から顔を出すと、エプロン姿の芙実と、大人しくラノベを読み進めている蛍の姿があった。瞬間、すっかり落ち着いていた感情が噴火寸前の火山のように湧き上がってくる。

 ラノベを読むなら部室で読め、何のための文芸部だよ、人に料理を作ってもらいながら、自分は悠々ゆうゆうと読書ですか、そういう人間なんだな、君ってヤツは、そうですかそうですか――。


「ば、バレますって……!」


 少年の指摘で頭を引っ込めたが、思考は一向に落ち着こうとしなかった。

 めぐみは素直にイラついた。彼が部室でラノベを読んでいないことでもなく、彼女がエプロン姿で料理を作っていることでもない。

 あの二人の雰囲気を見ていると、胸がざわついたのだ。二人だけの世界。決して誰も足を踏み入れることが出来ない日常。それを見せつけられているようで、めぐみはこの感情をどう処理すれば良いか分からず、再び握り拳を作るしかなかった。


「あの人、黒澤先輩の彼氏なんすかね?」

迂闊うかつにそういうこと言わない方が良いよ」

「あ、す、すみません……」


 めぐみは口を滑らせた少年に襲いかからなかった自分を褒めた。その握り拳で殴打することは簡単だっただけに、自分にはまだ理性が残っていたのだとほんの少しだけ安堵あんどした。

 ――ただ、それもつかだった。目の前の少年たちの表情が一気に曇っていき、その視線はしゃがんでいるはずの自身には送られない。


「こらー後輩たち! 覗きは良くないぞー!」


 めぐみは背中越しでも分かった。可愛らしい声で、漫画のようにお玉を掲げて彼女の姿を。そういうことをする人だと、何度目か分からない直感がそう言う。

 少年たちはめぐみのことなんか放って、走って逃げて行った。とは言っても雰囲気は陽気そのもので、バレたこと自体を楽しんでいるようだった。対照的に、めぐみはしゃがんだまま動かなかった。振り返ることもしなかった。


「むむ?」


 めぐみからして、それはそれはあざとい声だった。自身を後輩だと勘違いしているような、下に見ているような声。先ほど噴火し損ねた感情が爆発するように立ち上がり、振り返る。


「――どうも。黒澤さん」

「栗野さん? どうしてここに?」

「船島君が部活に来なかったから。呼びに来たの」

「あぁそうなんだ。でもごめんね。今日は私の用事に協力してもらってるの」

「用事? 料理を食べさせることが?」

「そうだよ。それに本は今も読んでるし、今日は諦めて?」


 彼の知らないところでゴングが鳴った。

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