第3話


 都立藤ノ宮高校は都内で屈指の歴史がある公立校。それだけに進学実績もそこそこあるが、超進学校というわけではない。校則も厳しすぎず、派手すぎなければ髪を染めても問題ないのも大きな特徴だ。

 多感な時期である中学生にとって、藤高生ふじこうせいは非常に大人びて見えた。その絶妙な立ち位置から志望する中学生も多い。そして夢を叶えた彼らが入学して1カ月が経とうとしていた。


 ただ上級生にはほとんど関係のない話である。めぐみと話した翌日。昼休みを迎えた蛍は珍しく購買に足を伸ばしていた。行列に並んでいると、買い物を終えた青年から声を掛けられる。


「よー蛍。珍しいな」

「今日母さん寝坊してさ。弁当作る時間なかったんだわ」

「なるほどな。それで」


 蛍に話しかけたのはクラスメイトの北耕祐きたこうすけだった。

 二人はクラスの中でも比較的仲が良かった。文芸部の蛍とは対照的に、北は現役のサッカー部。スラッと伸びた背に日焼けした肌は、特に後輩の女子にはまぶしく映るらしい。

 北は話したいことがあったせいか、蛍の隣に並んでみせた。彼の後ろで待っている生徒に対しては「話したらどけますので」と一言告げる。そういう気遣いが出来るモラルは持ち合わせていた。


「今日一緒に昼飯食おうぜ」


 北の提案に蛍は苦笑いで返す。一緒のクラスなのだから、そこまで難しい話ではない。だが、北がそう提案するのにもある程度の理由があった。


「悪い。今日も部室で食べるからさ」

「はぁ……分かってたよ。昼休みでも本を読みたいもんかね」

「教室だったら集中できないし」

「俺とかが邪魔するからだろ?」

「別にそうは言ってないぞ」

「ったく、否定しないんだな」


 軽口の応酬に二人は笑う。普段から会話する間柄であるが、クラスメイトしかいない自身の教室で話すのとは違う高揚感があった。

 そんな北であるが、蛍が文芸部に所属していることをいまだに諦めきれないでいた。1年生から同じクラスだったこともあり、蛍がサッカー部だったことを知っている。上手か下手かは別問題で、日々の部活で仲の良い人間は多いに越したことはない。ただ、蛍に対して勧誘はしなかった。したところで、聞く耳を持ってくれなかったから。


「5限目体育だからな。遅れんなよ」

「おう。じゃあな」

「うーい」


 蛍は要件誘いを終えた北の後ろ姿を見送った。彼の前から消えるまでにも女子数人から話しかけられている様子を見ても、彼はかなりモテる部類に入る。

 栗野に聞いたことを今度はアイツにも聞いてみるか――。なんて考えていると、蛍の目の前に並べられたパンが広がった。

 購買には弁当も売っていたが、ラノベを読みながらであれば圧倒的にパンの方が効率的だった。蛍は適当に選んで会計を済ませる。


 購買に並んだせいで、普段より時間をロスしてしまっている。それだけ読書タイムが短くなることを意味する。本音を言えば、歩きながら食べて部室ではいきなり読書スタートでも良かった。

 蛍にとっては、それだけラノベに触れる時間はかけがえのないものであった。


(……ん?)


 そんな思考とは裏腹に、彼の視線は一人の女子生徒に向けられた。やがて部室に向かっていた足は止まり、彼女に方向転換する。


「どうした栗野」

「船島君」


 声を掛けられためぐみは、少し驚いた表情をして蛍の顔を見上げた。身長は150センチほどしかないが、妹のまおみが言うようにスタイルは良かった。

 蛍が声を掛けたのには理由があった。その答えは彼女の不安気な表情にある。


「なんかあった? そんなキョロキョロして」

「実は財布の中身空っぽで」

「え、盗まれたとか?」


 蛍の純粋な心配に対して、めぐみは苦笑いする。そこまで気遣うほどのことでもないのに、と。


「ううん違う。家でお金を入れ忘れたの。昨日で空っぽになったの忘れててさ」

「あちゃー。来るまでに気づかなかったのか?」

「普段は財布を使う方が珍しいから。定期があればなんとかなってるし」


 彼女は昨日の会合で財布の中身がほとんど抜け落ちていた。無駄遣いを避けるために普段からあまり金を入れないようにしていた弊害がここで出てしまったのだ。すると、蛍は気を遣いながら口元を緩めた。


「そういうところ、意外と無頓着むとんちゃくなんだな」


 彼からすれば、別に茶化しているつもりはなかった。ただいつも部室で黙々と小説を読んでいる彼女しか知らなかったから、初めて違う一面を知ることができて変な感じだった。

 一方のめぐみは、そうやって笑う彼の表情に胸が高鳴った。呆れながらも、彼は彼女の心を満たされていく。めぐみの心の中では、彼という名の桜吹雪が舞っている。


「じゃあどうするんだ? 昼飯買えなかったろ?」


 彼が問いかけると、めぐみは冷静に返答する。


「仕方ないかな」

「でも腹減るだろ?」

「ま、昨日食べ過ぎたし」


 その言葉に嘘はない。妹のまおみとファストフードを食べ、帰宅してからも間食のお菓子に手を伸ばした。終わりを見せない食欲が自分でも恐ろしいぐらいに。

 ただ、今が満腹であるという話ではない。どちらかと言えば結構限界が近いほどの空腹である。このまま行けば授業中にお腹が鳴る未来しか見えなかった。

 めぐみは考えた。ここで蛍が話しかけてくれたのは一つの縁だ。素直にお金を貸してくれ、と言えば確実に貸してくれる。そんな場面はこれまで一度もなかったが、彼女は彼がそういう優しい人間だと


(でもそれは嫌! だって……食い意地張ってるみたいだし)


 そう、彼女は思春期真っ只中の女子高生である。人に、ましてや自身が好意を寄せる人間にそんなことを言う勇気はなかった。

 普段は毒舌であるが、それはあくまでも部活中の話。それに彼の好きなことを根本から否定するわけでもないから、蛍としても全く嫌味を感じなかった。


「ならこれやるよ。腹減るだろ」

「えっ、いやいいよそんな悪いし」

「昼飯抜きは辛いって。良いから良いから」


 蛍は先ほど買ったばかりのパンレジ袋を差し出す。ただめぐみは一向に受け取ろうとせず、数秒間の押し問答が続く。しびれを切らせた蛍は、彼女の腕を優しく掴んで、レジ袋をその小さな手に握らせた。


「ちょ、ちょっと……!」

「マジで気にすんなって」

「船島君はどうするの?」

「本読みたいし、別に平気だからさ」

「食べない気!? 私より船島君の方が食べた方が良いって!」


 めぐみは必死に返そうとするが、蛍は全く聞く耳を持たない。

 彼女的にも「また買い直すから」と言ってくれた方がまだ良い。ただ食べ物を恵んでもらっておきながら、それを直接伝えるのは筋違いである。分かっているからこそ、めぐみは対応に困った。

 そんな必死な彼女とは対照的に、蛍はどこかポカンとした表情を見せた。めぐみがそれに気づくと、彼は微笑んだ。


「栗野って優しいところあるんだな」

「……え?」

「いやほら、いつも俺には毒舌だし。気にかけてくれてありがとうな」


 めぐみが呆気あっけにとられていると、その隙を見て蛍は走り出した。結局差し出したパンは、彼女の手元にある。香ばしい匂いが充満する中で、彼女だけは彼のする制汗剤の香りを追っていた。

 しかし、彼女はなぜか素直に喜ぶことができなかった。その理由は至って単純で、蛍の言葉が頭にこびりついている。


 ――いやほら、いつも俺には毒舌だし


 そう、そうだ。別に自覚がなかったわけでない。でもそれは小学生の男子が女子に意地悪をしてしまうのと同じ原理である。無論、めぐみは認めないが。

 だが直接ハッキリと告げられると中々響くものがある。


「私って誤解されてる……?」


 めぐみは一人で悲しくなった。

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