総理大臣になっちゃった

木穴加工

総理大臣になっちゃった

 警察は早朝にくると聞いたことがあったが、実際朝の7時に制服の男が玄関チャイムを鳴らしたとき、僕の心臓はもうちょっとで喉から飛び出すところだった。


「ちょっと、あんた一体何したのよ」

 妻は押し殺した声で僕の方を睨みつけてくる。

「いや、心当たりないけど」

「ほんとに?」

 もちろん軽犯罪の類も含めればまったくもってシロの人間はこの世にはいないだろう。しかし朝一にガタイの良い警察官が6人も派遣されるほどの悪さをした覚えもない。そもそも彼らが用があるのは君の方かもしれないじゃないか、と僕は思ったが口には出さなかった。


 ピンポーン


 チャイムは容赦なく鳴らされる続ける。


「どうするのよ?」

「どうするって、出るしかないだろ」

「わたしまだお化粧もしてないのよ」

「そんなこと言ってる場合かよ」

「ちょっと…!?」


 妻を無視して僕は大股で玄関へ向かった。

 

 何かの誤解だろう。

 逮捕されたとしてもその時はその時だ、とっくに死刑は廃止されているから死にはしないさ。覚悟を決めて玄関の扉を開け、もてる最大の笑顔を作った。

「どんなご用で?」


 しかし、事態は僕の想定よりもはるかに悪かった。


「総理大臣!?」

 僕は素っ頓狂な声を上げた。

「総理大臣!?」

 後ろの方で妻の裏声とともにがしゃん、と何かの重量物が床に落ちる音がした。カランカランと鳴りやまない所を見るとフライパンだろう、彼女一体何をするつもりだったんだ。


「そうです」

 先頭の警察官は落ち着き払った様子でそういった。

「いや正確には、総理大臣候補者、ですね」


「いやあああああ」

 あけ放たれた玄関から妻の金切り声が近所にこだました。



「1億分の1か」

 用意されたミニバスの窓に寄りかかりながら僕はため息をついた。

「子供、老人、疾病のある方は候補から除かれるので、実際には5000万分の1くらいですよ」

 隣に座った若い警察官が、よくわからない慰め方をしてくれた。


 政治に関する全ての決定がAIによってなされるようになってから50年以上たったこの時代、総理大臣になるというのは基本的には罰ゲームに近い。実質的な権限はなく、責任だけを負わされ、プライベートは無視される、そんなポストに就きたがる人はいなかった。


 そこで、国民の中から抽選で総理大臣が選ばれることになった。

 もとい、「総理大臣候補者」だ。

 民主主義国家の建前として、候補者に対しては国民による信任投票が行われるが、得票率は一度も98%を割ったことがなかった。それも当然で、現候補が落選すれば再抽選が行われてしまうからだ。


 僕は処刑場に送られる死刑囚のような気持ちでミニバスに揺さぶられ、約1時間後に官邸に到着した。


 官邸の前には一人のさえない中年男性が立っていた。


「現総理の上田氏ですよ」

 きょとんとした僕の様子を見て、若い警察官がそっと耳打ちした。

「あぁ!」

 そういえば国民投票の時に顔を見たのを思い出した。


「上田総理!」

 僕のあいさつに対して男は「こっちへ来い」という仕草でだけ返し、一人でさっさと建物の中へ入って行ってしまった。


「忙しいから手短に話す」

 上田総理は廊下を足早に歩きながらそう切り出した。

「忙しい?」

 そんなわけがなかった。総理大臣はこの国で一番暇な仕事のはずだ。


 廊下の突き当り、黒色の大きな扉を開けると、上田総理は僕に中に入るように言った。

 赤い絨毯が敷かれた部屋の中には10人は座れそうなソファーとデスク、大きな黒いモニターが3枚と、冷蔵庫くらいの黒い箱が数個並べてあった。


「これは見たことがあります」

 僕は興奮しながら言った。

「マザーAIですね?」

「そうだ」

「こんにちは、マザー」

 しかし彼女からの返事はなかった。


「うちの執事AIとは使い方が違うようですね」

 僕は苦笑した。


「はぁ…」

 上田総理は大きなため息をついた。

「こいつはなぁ、とっくに壊れてるんだ」


「えぇ!?」

 僕は朝に続き二度目の素っ頓狂な声を出した。

「じゃあ誰がこの国を動かしてるんです」

「誰だって? 私だよ!」

 上田総理はいまにも泣き出しそうな顔でそう言った。

「各省庁のAIは無事だ、だから実務の方は何とかなっているがね」


「なんでこのことを黙ってるんですか? しかるべき対処を…」

「言える訳ないだろうが。この国の政治は世界最高のAIが最適に取り仕切っている、日本社会はその前提の上で成り立っているんだ。実は何期も前からド素人がテキトーにやっていましたなんて言ってみろ、国は大混乱、経済は崩壊、私はギロチンか縛り首だ!」


「まぁ、その気苦労も今日で終わりだがな!」

 上田総理の表情が突然明るくなった。

「今夜には投票が行われる、明日からこの国をよろしく頼むよ、猫目総理!」

 そういうと彼はスキップしながら執務室から出て行った。


「ちょっと待ってくださいよ!」

 僕は慌てて男の後を追いかけた。

「僕はプログラマーですよ!国の運営なんてできるわけがない!」


 男は振り返って吠えた。

「私は八百屋だ!」





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