黄金の勇者アルフィーナ

紙山彩古

第01話 シルヴァン族の砦

 冷たい朝の森のなかを、純白の馬に乗った軽武装の騎手が駆け抜けていく。

 雲をつむいだような黄金の髪が、はたじるしのようにたなびいている。

 兜というより冠に近い銀色のバイザーが、まだうら若き乙女と思しき騎手の素顔を隠していた。


 シルヴァインの森は、精霊の血を引く古き民シルヴァン族が護る禁制の地である。何者であろうと、足を踏み入れることは許されない。

 はるかな木々の高みには、巨大な鳥の巣のような見張り小屋がいくつもつくられ、リスや猿よりも身軽なシルヴァン族の見張りたちが、梢の上を伝い歩いている。


 だが、どのシルヴァン族の見張りも、黄金の髪の騎手を見咎めることはなく、腰の笛を手にとって、遠くの仲間に合図を送った。

 動物の声、鳥の声、風の響きに似せた音色が、騎手の到来を次々と知らせていき、やがて森の奥のシルヴァン族の砦にまで伝わっていった。


「勇者様!」

「アルフィーナ姫様!」


 騎手が砦に到着したときには、すでに堀を渡る跳ね橋は下ろされようとしていた。

 城壁の物見塔についた見張りの戦士たちが、口々に騎手の名を叫んで歓迎の意を示す。


「よかった、みんなは無事なようだな!」


 アルフィーナはバイザーをはねあげて、十七歳のあどけない素顔をあらわにした。碧く澄んだ大きな瞳が、ひとりひとりを確かめるように見つめ、大きくうなずく。

 跳ね橋が完全に渡されると、砦内から五十がらみのたくましい男が駆けよってきて、アルフィーナに深々と礼をした。


「ロン!」

 アルフィーナは軽やかに馬から飛び降りた。

「いったい、ここで何があったんだ」

 表情をするどく引き締めて、ロンに手綱をあずける。

「私にはただ、オーガンの身に異変が起こったとしか分からない。それにこの剣が、このあたりに魔族の力が色濃く残っていると教えてくれるだけ。とてつもなく強力な魔族の力が……」


 アルフィーナは剣の柄をそっと撫でた。

 黒と銀の双色そうしょくで飾られた不思議な剣だ。全体としてはほっそりとして華奢なつくりなのに、これ以上ないほど簡略化されたかたちで、決して折れない力強さを感じさせる。


「そのとおりです、アルフィーナ様。五日前の夜、魔族のやからがこのシルヴァイン砦を襲撃してきたのです。オーガン様は銀の精霊弓せいれいきゅうを取り、先頭に立って奴に立ち向かいました。そして……」

 ロンは言葉を震わせた。 アルフィーナは青ざめた。


「ロン、オーガンは? 私の護り手は無事なのか……?」

「お命は無事です、ただ……」

「ただ、何だ?」

「それはご自分の目でお確かめください。私の口からはこれ以上はとても……」

 ロンは口元を押さえて顔をそむけた。アルフィーナはそれ以上聞かなかった。


「オーガン!」


 魂で結ばれた護り手の名前を叫ぶと、アルフィーナは全速力で砦内に突入した。


 井戸から水を汲みあげるもの、馬の飼い葉を運ぶもの、パンのための粉の袋を倉庫から運びだすもの、青菜やハーブをざるに入れて抱えているもの。

 誰もが日常の朝の仕事をしている。

 喪に服しているようすもない。シルヴァン族の人びとに異変はなかったのを知り、アルフィーナは走りながら安堵した。


 ふるい石造りの砦は、よく見るとあちこちの壁や石垣、屋根などが破壊されていたが、すでに修理が進んでいるようだ。

 とくに派手に壊されていたのは、族長とその一族が住まう砦の奥の館だ。

 一族が集会を行う広場の石畳があちこち打ち砕かれ、下の土がむき出しになって掘り返した穴のようになっている。

 建物正面の鉄門にも、巨大なかなづちで殴りつけたようなくぼみがいくつもついていた。


 駆けつけた勢いで鉄門にぶちあたる前に、門衛の戦士がすばやく通用門を開き、こちらへどうぞと示してくれた。

 アルフィーナは即座に向きを変え、転がるように駆けこんだ。


「オーガン!」

 階段のある広間に走りこむ。高所にならんだいくつもの明かりとりから、朝の光が白くさしこんでいた。


 二階にあがる大階段に、人の気配がある。さやさやと衣擦れの音がして、気配の正体は明るい踊場に姿をあらわした。


「まあ、アルフィーナ!」


 背の高いシルヴァン族の貴婦人が、アルフィーナの姿を認めて声を弾ませ、上品に両手を合わせた。


「知らなかったわ。いつこちらにいらしたの? しばらくこちらに滞在できるのかしら?」


 貴婦人は、ドレスの長いすそをかるく持ちあげると、階段を静かにおりてきた。

 

 碧い髪に緑の瞳の、類まれな美女の顔をしている。

 ほっそりと高い鼻、薄く整ったなめらかな唇。

 鋭く美しい緑の瞳は、長いまつげに縁取られて、濃厚な色香を秘めている。

 本来ならその瞳は、魔力を秘めた宝石のように輝き、強烈な矜持をあらわしているのだが。


 つまり目の前の貴婦人の顔は、ギミアの力で結ばれた勇者アルフィーナの護り手、オーガン・シルフのものだった。涼やかな響きのある声音も、しなやかに引き締まった体つきも、すべて彼のものだった。


 レースもリボンもすっかり色褪せた時代おくれの若い娘のボロ衣装をまとい、ごてごてと結いあげた髪を、大量の銀と水晶で飾りたて、拷問器具のようなかかとの高い小さな靴を無理やり履いているほかは。


「嬉しいわ。いろいろお話しましょうね」

 仮面のような仏頂面が、上品で柔らかな笑みをたたえ、申し分のない貴婦人の仕草と話しかたをしているほかは。


「お、オーガン!? いったい全体、お前に何があったんだ!」 


 アルフィーナの叫びが、天井の高みに激突し、何重にも響きわたった。

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