第4話 呪いの風と薬草園

 広道の頭は当初、話の理解が追いつかなかった。

 凛が眠りについて3日経った頃には広道が受け持った全ての患者は安定し、だからこそ広道は何かあれば呼べとだけ伊予に伝え、凛の部屋に籠もるようになった。けれども伊予の話では、その5日目から院内に昏睡の患者が出始めた。

「昏睡?」

「ええ。凛さんと同じように眠り、しかも衰弱もしない患者です」

 7日目に至り、院内で朝目覚めたのは伊予だけだったという。そんな馬鹿なと思い院内を見回れば、たしかに伊予の言う通り、全ての人間が眠りこけていた。そして奇妙なことがあった。看護婦もみな倒れているため広道が怪我の治療にあたったところ、患者の傷が塞がり何故かほぼ完治していたのだ。


「ありえない。傷自体は縫い合わせはしたが、何故これほど綺麗にふさがっている?」

「わかりません。実道兄さんが最後まで解明にあたりましたが、今朝起きてきませんでした」

 伊予は広道に、几帳面な文字で記載された実道の診療録を渡す。意識を失うことは格別、体の代謝は向上し、病などは内科の病気においても回復していることがその内容から読み取れる。

 病は癒える。けれども意識を失う。

 その不可解な作用が一体どのような意味を持つのか、広道は頭を捻った。一つだけ、思い浮かぶことがある。けれどもその前に確かめねばならないことがあった。

「欠損が回復した患者はいるか」

「欠損? ……いえ」

「最初に倒れたのは凛だな」

 伊予は頷いた。凛が眠り、しばらくして眠る者が増え始めた。伊予もそれに思い当たった。

 広道と伊予は実道の記録から昏睡の傾向を探った。

 そこから浮かび上がったのは、おそらく凛の次に眠りについたのは広道と伊予の対応した事故の患者ということだ。

 当初は院内の内科の患者が最初に昏倒したものと思われていたが、外科の患者は重症故に、眠り続けていてもおかしくはない。むしろ眠って体を休めるのがよい。それに伊予は看護婦であって医者ではない。だから様態が安定していれば、それ以上は医者に任せる。そして広道が確認した所、外科の患者は異様な速度で回復していた。

「広道兄さん、これは……」

「検証が先だ」

 次に広道は伊予とともに、実道の記した内科の診療録をさらう。実道らしく、実に事細かにその推移を記載している。広道はそれを重症と思う順に並べた。そしてその順番は、1割ほどの例外を除き、眠りについた順番とほぼ一致していた。そして早く眠りについたものほど、回復著しい。


 伊予と広道がそのような調査を行っているころ、クピトは頭を抱えていた。

 クピトは分類としては神やモノノケと呼ばれる人ならざるものの端くれだ。だからその異常が明確に見えていた。そしてその結果に慄き、ようやく自分がなにをやったか認識した。

 異常の発端はやはりクピトの矢である。

 クピトの能力は、射たれた者が最初に見た者を愛する矢を射ることである。そしてクピトはその矢を目的、つまり広道に当てようとしていたが、失敗した。しかも2回も。そして広道の代わりに射抜かれたものが問題だ。まさかこんな結果になるとは露とも思っていなかったのだ。

 クピトには見えていた。目の前の薬草園の惨状を。

 そこは凛が育てていた密林のような区画。そこに生える様々に特殊で、そして強い力を持った草木が一つに絡み合い、神威が高らかに吹き上がり、新たな神とも言える存在を生み出そうとしていたのだ。

 確かにそれはもともとクピトの矢の生み出した効果である。けれどもクピトには既にどうしようもなかった。クピトには愛しわせることはできても、その反対、例えば別れさせることはできないからだ。結局その1週間、クピトはなんとか木々の成長を止めようとし、ぷちぷちと抜いたりもしていたが、後から後から生い茂る勢いにとても追いつかず、無理だった。

 だからとうとう1週間目にしてクピトは常城神社に逃げ帰り、少彦名に解決を願い出ることにしたのだ。


 それと入れ替えに広道と伊予は薬草園に足を踏み入れた。

「何がどうなっているんだ」

 二人は呆然と見上げた。一週間前は確かに密林のように草木が生い茂っていたが、今はそれが寄り集まり、直径が2メートルはあろうかという巨大な木と化していた。そして満開に花が生い茂っていた。

「兄さん、これが今回の原因だというの?」

「おそらくな。凛はここで異常を感じ、その直後に昏倒した」

「そうすればあの木を切り倒せばみんなは目を覚ますの?」

「待て、広道。それは許さん」

 振り向けば実道が立っていた。

「実道兄さん! 起きたの!?」

「伊予、心配する必要はない。どうせ実道は自分で試しただけだ」

 この兄弟は奇妙に仲が良い。だから互いの考えそうなことくらいわかるのだ。そして互いに相手を尊敬し、尊重しているものだから、普段は言い争いになることもない。

「ああそうだね。実験のために軽い下剤を飲んだだけだ。伊予、心配はいらないよ」

「下剤……?」

 伊予は兄の無事に安心し、そして唐突に出た下剤という言葉に混乱する。

「伊予、医局には薬など大量にある。実道が飲むのなど容易だろう」

「兄さん、それにしたって、どうしてそんな」

「実道。これは医療ではない。呪術の類だ」

 広道は強い口調で声を放つ。

 呪術という言葉は外科医である広道が口にするのに相応しくないように思われる。けれども広道は病に対しては真摯だ。真に患者の回復のみを希求している。その解決の方法を医学的常識で安易に切り捨てるようなことはない。

「医療の歴史はもとより呪術に端を発するんだよ、広道」

「ここは医院だ。検証がなされていない。そのものの何が治療という機序をもたらすのか、副作用はあるのか。そのような検証を経てこそが医療であり、我々が医者を名乗る以上、そうする義務がある」

 その答えを実道は鼻で笑う。

「笑止だ。病は治ればよい。その効果が病を治すのならば、眠り続けるという病すら最後には治すはずだ。それを俺は俺で実証した」

「馬鹿な」

「そもそもだな。例えばお前が用いる麻酔さえ、何故体が痺れるのかの理由などわからないはずだ。なのに使っている、それは『効果があるから』だ」

 広道はさらに強く実道を睨みつける。

「麻酔は多くの症例でその効果と危険性が検証されている。だがこの事象、『効果』の保証はどこにある。確かに現在、患者は回復している。そしてお前は目が冷めた。けれどもそれがこの事象の効果かどうかはわからないし、そもそも他の人間は未だ目覚めていない。どのような副作用があるかもわからん」

 実道は目を細め、広角をわずかに上げる。すると途端に実通の顔から仁医の仮面がするりと剥がれて昏い喜悦が僅かに浮かぶ。

「広道。これは圧倒的な回復効果をほこりうるのだ。しかも病の種別は問わん。解明すれば、いわゆる万能の薬というものができあがるのかもしれん」

「実道、お前のやっていることはこの医院の患者を利用した一か八かの人体実験だ。現在一時的に回復の効果を得ているだけかもしれぬ。だが今後は? 皆目検討もつかないだろう。そんなことに凛や俺の患者を巻き込めるか」

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