ベテラン婦警 幸田詩琳

夏々湖

ベテラン婦警 幸田詩琳

『以下のもの、海上自衛隊 第一術科学校への出向を命ずる  幸田詩琳こうだしおり巡査』

 知ってた! そろそろなんか来るだろうって知ってた!


 幸田詩琳、自称婦人警官。

 高校卒業と同時に県警察に合格。警察学校卒業と同時に何故か警察庁へと所属が変わり、さらに何故か陸上自衛隊に出向となった。

 以来、自衛隊と警察庁を行ったり来たりしながら十数年。先日ふと気がついたが、警察にいる時間より自衛隊に出向してる時間の方が圧倒的に長い。

「けどまぁ、しがない公務員だもんなぁ」

 ぼやきながら辞令を受け取り、出向準備を整え始める。と言っても引き継ぎ業務なんて、全くない。

 濃緑色オリーブドラブのダッフルバッグ一つに、必要最低限の荷物を詰め込んでいく。

 詩琳だって女の子である……女の子? あれ? もう三十過ぎてるじゃんっ!

 えー、妙齢の女性である。男性の五割増ぐらいで荷物は増えてしまう。化粧品だって迷彩ドーランだけと言うわけにはいかないし、高価なワイヤーブラは無理でもスポブラあたりは持っていかないとならない。

 生理用品一式だって場所を取る。

 あとは愛用のコンバットナイフファルクニーベンピストルU S P - Cを詰め……

「まてまてまてまて、武装はせんでよろしい。と言うか、せんでくれ」


 仕方ない。ピストルU S P - Cは諦めた。ナイフは大型のA1ではなく、中型のS1に入れ替える。ファルクニーベン社はスウェーデンのナイフメーカーである。スウェーデン空軍で制式採用されている以外にも、数年前からはアメリカ海兵隊とアメリカ海軍でも使われている。

 

「まぁ、これ一本あれば習志野駐屯地のお姉さま相手以外ならなんとかできる……気がするしね」

 何をなんとかするんだよ……そんな物騒な婦人警官いねーよっ!


         ♦︎

 

 海上自衛隊、第一術科学校。

 広島県の江田島にある教育機関である。

 詩琳の古巣である第一空挺団には多数のフロッグマンが所属しているが、彼らも皆ここで訓練を受けたそうだ。

『古巣じゃありません』

 いや、だって一番長くいたとこって?

『習志野ですけど、空挺と特戦で半々だからノーカンです』

 そんな理論は聞いたことない。


「わたしの移動はこちらでするようですか?」

「厚木までは局の車で送らせる。厚木からは海自さんの指揮下に入ってくれ」

「了解しました。じゃ、行ってきますね」


 警察庁のある霞ヶ関から海上自衛隊厚木航空基地まで、首都高から東名高速を通り小一時間。この時間は渋滞少なめなので、そんなに大きくは遅れないだろう。

 ハンドル握ってくれた若い局員に投げキッスを送りながらミニバンから降り、荷物を担ぎ上げて正門前に立った。

 正門はアメリカ海軍と海上自衛隊の二つが並び、その間は警衛室によって仕切られている。

 正門向かって右側の、自衛隊側の歩哨に声をかけると、その場で問い合わせをしてくれた。

「すぐに迎えが参ります。しばらくお待ちください」

「ありがとうございます。助かりますわ」

 

 そのまましばらく談笑しているところに、業務車一号がやってきた。自衛隊ナンバーをつけたライトバンだ。どこの基地、どこの駐屯地に行ってもこいつだけは必ずある。

「お待たせいたしました、基地司令部までご案内いたします」

 あらあら、これは司令官のところへご挨拶にいかないとダメなパターンだ。

 詩琳は基本的に警察庁から預かる客人扱いがスタート地点なことが多いため、このパターンが多い。というか、必ずそうなっている。

 ただ『幸田さん』が『詩琳さん』になって『詩琳ちゃん』になるまで、一週間もかからないのが謎過ぎた。

 今日はご挨拶のみで飛び立つから、そんな事は無いはずだが……


「これはこれは初めましてかな。第四航空群司令の高遠です。よろしく、詩琳ちゃん」

 秒速で詩琳ちゃんだった。解せぬ。


「去年まで呉にいてね、一時期、毎日空自のT-3練習機の撃墜報告が……」

「す、すいませんでしたっ!」

 腰を90度折り曲げて、コメツキムシのように平謝りすることになった。


 詩琳は数年前、航空自衛隊防府北基地において、固定翼機の操縦士課程を受講していた。

 この時、教官の指示に従って海上自衛隊の艦艇に向けた攻撃行動を、毎日毎日繰り返し行っていたのだ。

「何故警察官が雷撃訓練するんですか〜。だいたい、魚雷なんて対潜哨戒機にしか積んで無……あ〜れ〜」

 来る日も来る日も急降下、来る日も来る日も匍匐飛行と、散々鍛えられた時のお相手がこの……


「いやいや、幕僚本部からよしなにって言われてたからね。謝る必要はないですよ。それに、うちの連中もキルマーク付けて喜んでたし」

 訓練とはいえ、三十回以上の撃墜判定を受けた詩琳である。

「って、幕僚本部から? うー、うちから無理言ってたのかもしれません……すいませんすいません」

「まぁまぁ、また鍛えてやってくださいな。次は江田島でしょ。岩国経由ですぐ送り届けますから」


 こうして、すぐに駐機場エプロンへと案内された。

 用意されていたのはLC-90型ターボプロップ機である。この機体は双発の多目的機で、少人数の人員移動や少量の貨物輸送に使われることが多い。

「良いなぁ。わたし、固定翼はレシプロ単発しか持ってないんですよね。タービン運転してみたかったなぁ」

 固定翼はレシプロ単発限定だが、回転翼はタービン双発を飛ばせる詩琳であった。

 この時も栃木の山の中で、ひたすら匍匐飛行の訓練をさせられた記憶が沸々と……


「では出発します。二時間弱で到着予定です」

 二機のターボプロップエンジンが唸り始める。

「はい、お願いします」

 LC-90は滑走路の北の端にラインナップし、離陸許可が出るとすぐさま離陸滑走を始めた。

 高度を上げていくと、すぐに相模湾が見えてくる。まっすぐ南下を続け、江ノ島を左手真下に見たところで高度を上げながら右にターンしていく。


 後席に座った詩琳は、窓から下方の景色を眺めながら斜め前に座る隊員に話しかけてみた。

「岩国の新滑走路はどんな感じですか?」

 岩国基地は周辺地域の安全のため、滑走路を沖合に新設する工事を進めている。

「あと二、三年で出来そうですけどね。結構形にはなってますよ」

 埋め立てては土地を寝かし、舗装しては土地を寝かしと、不安定な地盤の埋立工事は難航したらしい。


 右手前方下みぎてぜんぽうしたには富士山があるはずだが、今日は雲の塊しか見えない。

 詩琳は、陸上自衛隊富士学校で死ぬほどシゴかれた日々を思い出し、軽く頭を振った。


 離陸して一時間、懐かしい瀬戸内海が見え始めた。行き交う船と、島々と、流れる潮と護衛艦。

 護衛艦を見ると、反射的に背面に入れて急降下したくなってくる……いやいや、それ普通の婦警じゃないからやんないしっ!


 そんなモヤモヤした感情を持て余している間に、LC-90は高度を下げ始めた。間も無く岩国だ、手前に江田島が見えるはず。詩琳は少し、窓に近づき、頭をぶつけた。


 海軍機っぽく叩きつける様な着陸ではなく、至ってスムーズな着陸を見せてくれた操縦士が、もうヘリコプターが待機していると教えてくれた。

 詩琳はお手洗いの場所だけ確認して、ここまで運んでくれた厚木の自衛官三人に御礼を言う

「ありがとうございました。楽しい空の旅でした」

「いえいえ、こちらこそ詩琳ちゃん運べたとか、隊内で自慢できちゃいますから」

 いや、どんな自慢だよ。あれか。詩琳運んだのに落ちなかったとか、そーゆー方向性の自慢……


 どうも、芸能人乗せて飛んだレベルの自慢らしい。公安の警察官が有名人扱いとか、それってどうなんだろうか。


 三人に別れを告げ、エプロンからとてとてと歩いているところに、ここでも業務車一号が近寄ってきた。

「幸田巡査でいらっしゃいますか?」

「はい、幸田です。お世話になります」

「すぐにヘリまでご案内します。お乗りください」

 ヘリパッドまではすぐだった。見慣れない色使いのOH-6Dが離陸準備している。

「うっわ、OH-6……わたし、この子運転できるんですよ」

「ははは、今日は操縦士が別にいますから、お客さんとして乗ってください」

 車を降り、荷物をかついで頭を下げ、ヘリに前方から近づく。まだローターは回ってないがヘリコプターに近寄る時の鉄則である。

 ドアを開け操縦士にご挨拶。

「警察庁の幸田巡査です。本日はよろしくお願いします」

「第三十一航空群司令の橋本です。よろしく詩琳ちゃん」

 何故っ⁉︎

 なんで基地司令がヘリコプター飛ばそうとしてるのっ⁉︎

 (いやいやいや、おかしいでしょ? 確かここの群司令って海将補でしょ? ヘリどころか、車の運転だって運転手がつくんじゃないの? なんでよそからのお客さんの送迎タクシーみたいなノリでヘリコプター飛ばそうとしてんのよっ!)

「し、司令自ら操縦されるのでしょうか?」

「今年の分の技量維持飛行時間が足りてなくてね。噂の詩琳ちゃんのお話でも聞きながら飛ぼうかと思って」

 いやいやいやいや、どんな噂だよっ!

 って、だいたいわかってるわよっ! 何言われてるかっ!


 一人ノリツッコミを脳内で繰り広げつつ、ヒクヒクとした笑顔で光栄ですわとか何とか言って、荷物をOH-6の後ろに積み込む。

「いやね、T-5で訓練してた奴らから散々聞かされてましてね、詩琳巡査の伝説を」

 どんな伝説だよっ!

「そ、そんな、わたくしなんて大したことしておりませんわ」

 おほほほほ……微妙に似合わない笑い方だが、今は他に手がない。

 そんなこんなで離陸許可がおり、海自色したOH-6が飛び上がった。

 

 岩国から江田島なんて、ほんの二十キロしかない。上がったと思ったらもう降りるような距離だ。

「それじゃ、また岩国に遊びにきてください。いつでも、大歓迎しますから」

「は、はいぃ、その時はよろしくお願いします……」

 この橋本海将補、かなりグイグイ来る人みたいである。詩琳がちょっと押されてる。


「見えてきましたねぇ、ヘリパッドはどこかしら……」

 江田島の学校が見えてきたが、ヘリコプターの離着陸場を示すHマークが見当たらない。

「あはは、場外離着陸申請も出してないんで、適当に降りちゃってください。着陸はさせないんで」

 あはははははと、朗らかに笑う橋本海将補に対して

『空挺かよっ!』

 ってツッコミたくなるが、自衛隊相手だと突っ込むだけ無駄だなぁ? って気がして力が抜ける。

「はぁ、わっかりました」


 そのまま高度を落としたOH-6は、地上1mほどの場所でビタッとホバリングを開始した。

 あまり風はないが、それでも無風ではない。暴れる護衛艦の後部甲板スターンデッキに着艦するのと比べたら、動かない地面の上なんていくらでも止まってられるのかもしれない。

「海将補、上手ですねぇ」

「十五年前まではSH-60Jロクマルで対潜哨戒やってたんですわ」

 はっはっはと笑いながら、それじゃっと首と目で挨拶してくる橋本海将補。ホバリング中のOH-6は手放しとか無理だ。


「送っていただいてありがとうございます。また遊びいきますね」

 ドアを開け、ダッフルバッグを先に落っことす。ドアから身を乗り出し、スキッドに足をかける。

「ではっ!」

 振り返り気味に挨拶をして、飛び降りる。わずか1mの高さであっても、油断せずに五点接地。コロリンと転がって衝撃を逃す……逃し……スーツがぁっ!

 いやもう、身体が勝手に反応するのも良し悪しである。今日は戦闘服着てなかった!


 広いグラウンドの中央付近に降りた詩琳は、海将補に向けて手を振った。

 海将補は頷き返し、コレクティブレバーを引き上げ大空に帰っていく。


 正面に見える古めかしい大きな建物から数人の男性が駆け寄ってくるのが見えた。

 いきなりグラウンドにヘリボーンされたら、そりゃ驚くだろう。

 学校長には話を通してあると言っていたが、下には伝わってなかったのかもしれない。

 まぁ、とりあえず叫んでおく。

「本日からお世話になります! 警察庁より参りました幸田です。よろしくお願いします!」


         ♦︎


「はははは、橋本さんはなぁ、あんな人だから……」

 案内された校長室で着任の挨拶をすませた。学校長の海将補と苦笑いしながら橋本海将補の話をした。

 橋本海将補は防大の一期先輩だそうで、学生時代からあんな感じで変わっていないらしい。

「では、これからしばらくお世話になります。よろしくお願いいたします」


 こうして、江田島での新生活が始まった。

 と言ってもここは自衛隊である。基本は走って走って、走り回……え? 泳ぐ? 泳いで泳いで、泳ぎ回る?


 レンジャーと空挺で鍛えられた詩琳さんを舐めないでください。あそこは泳ぎも叩き込まれ

「まだまだ遅いな。よし、特訓だっ!」


 50m自由形を32秒以内、平泳ぎを40秒以内で泳げと……それって、めっちゃくちゃ速い気がするのは気のせいかしら?

「気のせいだから、泳ぐっ、ファイっ!」


 到着翌日から、ひたすらひたすら泳がされた。これでは婦人警官ではなく、イルカか何かになってしまう。

「教官殿っ! ここはイルカの学校か何かなのでしょうかっ⁉︎」

「船乗りの学校だよ」


 それにしても敷居が高すぎないかなぁ? なんて思う暇もなく、プールに放り込まれる、あ〜れ〜、だばーん!


 それでもそこは詩琳で有る。レンジャー、空挺、特戦と、並の男性ではクリアできない高い目標を全てクリアしてきた化け物なのだ。

 無駄な動きはどこなのか、足りない部分はなんなのか、ひとつひとつ潰していき、二月も経つ頃には……


「だぁっはあっっはぁっはぁっ」

「よし、幸田詩琳巡査、合格っ!」

「ぶはぁっはぁっはぁっはぁっ」


 この自由形32秒、平泳ぎ40秒というのは、二十九歳以下の男性隊員の基準だと聞いて

『ああ、またか』

 としか思えなくなっている詩琳さん、なかなか狂い始めている。


「これで詩琳ちゃんはスタート地点に立てたわけだ、がんばれ」

 これでスタート地点なのかよっ! なんてことを思ってる暇もなく、次の過程へと進んでいった。


 と言っても、座学は先行で行っている。そう、今回詩琳が海上自衛隊に来たのは潜水士の訓練を受けるためである。

 すでに地を這い、空を舞っている詩琳だが、水の中はまだ管轄外となっていた。

 レンジャーも空挺も、陸自の中では最強の水中訓練を行うが、やはり陸上自衛隊の訓練なのだ。

 実際、空挺団には潜水士も所属しているが、彼らも全員ここで訓練を積んでから陸自で任務についている。


 潜水士の任務もいつも危険と隣り合わせだ。エア残量、機材故障、水中ならではのパニック、そして減圧症。

 それぞれの対処法、ならないための知識、機材の点検整備を叩き込まれた上で、ダイビングプールに連れて行かれる。

 

 ここに来た初日に採寸したため、ぴったりサイズの潜水具一式が用意されている。

 と言っても、所詮自衛隊色。おしゃれさとかミリもかんじられない色使いだ。


 装備を自分で付け外しできるようになると、プールで実際のスクーバ訓練が始まる。

 現在、この基地には女性潜水士が所属していないために全ては男性基準で叩き込まれていくが、どうせ詩琳にとってはいつものことだ。

 今までも

『女性自衛官には許されていない訓練だけど、自衛官じゃないからいいよね』

 と、飛行機から蹴り落とされたりしていたのだ。

 ひどい時には

『自衛官がやったら大問題だけど、民間の警察官だから問題ないっしょ』

 と、紛争地帯に送り込まれたりもした。その時に比べたら、直接鉄砲で撃たれないだけ、こちらの方がずっとマシじゃん? とか、思いながら訓練についていく。


 しかし、スクーバの実地訓練は詰め込み訓練をすることは出来ない。一日に潜れる時間、回数、深さは厳密に決められており、これを超えることは固く禁じられている。

 減圧症、又の名を潜水病。

 高い圧力で血液に溶け込んだ窒素が、水面に上がるに従って圧が下がり血液内で気泡となってしまう。

 実際に隊内でも、重篤な障害により公務災害で退役した方もいらっしゃるという。

 その他の事故も少なくはないので、緊張した訓練が続いた。


 緊張した訓練……あ〜れ〜、どぼーん!

「ほい、瀬戸内のこの流れに乗るんだよ。ただ、20より下に引き摺り込まれないようにな」

 割とスパルタだった。

 と言っても大事な大事なお客人……と言うか、隊内に多く棲息する詩琳ちゃんファンにより、見えないところで安全対策はきちんと行われている。

 万が一想定外の水深にまで引き込まれた時には、何名もの潜水士による救出手順がマニュアル化されており、訓練船の後ろをついて回っていた。


 瀬戸内海は潮の満ち引きによって、場所によりとても早い流れが発生する。

 潮の速さが5ノットを超えるような状態だと、人は流れにもまれて流されることしかできない。

 こんな状況でも、確実に生き残り任務を遂行するため……

『いや、婦人警官の任務ってそーゆーのじゃないですよね?』

 生き残るのは大事。

『まず、こんな状況になることがないですよね? 婦人警官って』

 水底に集団登校の小学生が……

『いるかーっ!』


 そんなこんなで九ヶ月、普通の潜水士課程の倍以上の時間をかけて潜水技術を叩き込まれた。

 水深40mまで潜れる海曹士特修科潜水課程を修了し、無事に潜水員徽章を授与され……

『て、だからわたしは婦警なんですってばっ! なんでこんな迷彩服の上のワッペンばっかり増えていくのっ⁉︎』

 

         ♦︎


『以下のもの、陸上自衛隊 水陸両用準備隊への出向を命ずる  幸田詩琳こうだしおり巡査』


 あー、そっちかぁ……

 てっきり、空挺の水中要員のためのスクーバ徽章取得だと思っていたのだが、新しく作られる海兵隊みたいな奴の準備で潜らされていたらしい。

 そんなの自衛隊でやってくれ……とも思うが、自分に貼り付いている徽章の数を見ると、こき使われるのも仕方ないかな? と言う気もした。


 沖縄県、キャンプ瑞慶覧ずけらん。在日アメリカ海兵隊の中枢とも言える大きな米軍基地である。

 詩琳はまず、ここで米海兵隊マリーンによる訓練を受けることになった。

『いや、婦警が海兵隊で訓練とか、言ってておかしいと思いません?』

 だって詩琳ちゃんだし。

『騙されませんよっ!』

 あ、マリーンの人は甘いから、CH-53Dシースタリオンとかサイクリック握らせてもらえるかも。

『行ってきますねっ!』


 しごかれた。それはもうしごき抜かれた。沖縄のジャングルの中を這い回り、深夜の岩礁帯で上陸訓練を行い、自衛隊員より二回り大きい化け物と格闘戦を行う。

 スクーバつけたままヘリから落とされ、基地司令部への侵入訓練も行った。


『この娘を叩き上げてくれ』

 無茶な依頼を日本国政府から請け負った米海兵隊司令部だったが、叩けば叩くほどモリモリと仕上がっていくこの女性自衛官……っぽい女性は、たちまち大人気になった。

 主に、教官たちに。


 どこまで詰め込めるか試してみるが、とにかく食らいついてくる。最後には第5武装偵察中隊フォース・リーコンが出てきて、毎日詩琳を連れ出して行った。


日本の女の子ジャパニーズガールってのは、もっとお淑やかなんじゃないのか?」

「ってか、模擬銃剣ラバーバヨネット一本で小隊全滅判定喰らったって……」

「シオリの出自部隊ってどこなんだよ。特戦群スペシャルフォースでも空挺部隊パラトルーパーでもないって言い張るんだ」

婦人警官ポリスウーマンだって自己紹介されたぞ。誰も信じてなかったが」

「だいたい何歳なんだよ。流石にローティーンじゃないよな? ハイスクールには通ってないのか?」

「いや、お前より年上だぞ」

No wayんなっ⁉︎」


 妙な評価を受けつつも、海兵の戦い方を学んで行った。

 

 日本にはたくさんの島がある。その中にはさまざまな理由で、他国と領土を争っている島や戦略的に重要な島があった。

 そんな島嶼部を防衛するためにこれからの五年間で作り上げることが予算決定した部隊『水陸機動団』。

 今まで自衛隊では『待ち構えて防衛する』ことだけを訓練してきていたが、これからは『奪われた島を再奪還』するための能力も求められることになった。

 アメリカ軍には古くからこの海兵隊と呼ばれる軍がある。

 そう、部隊レベルではないのだ。アメリカは。

 陸海空の連携などではなく、自軍の中で運用できる航空機、艦艇、そして陸上戦力。全てを兼ね備えた独立した軍隊だ。

 その、世界最高の島嶼防衛軍の能力を吸収した詩琳は、名実ともに最強の教官となり水陸機動団へ……

『ええい、まてまてまてまてぃっ! あたしゃ婦警よ? 何で最強とか、防衛とかそんな話が出てくるんですかっ! ちょっと多めに訓練しただけの普通の婦人警官! 良いですか? そこんとこ間違えないようにしてくださいねっ!』


 そんなこんなで半年間。ほとんど休みなく日々の訓練をこなして行く詩琳であった。


         ♦︎


『以下のもの、沖縄県警 石垣市登野城駐在所への駐在を命ずる  幸田詩琳こうだしおり巡査』

 キタ……ついに来た! 交番勤務っ! 憧れて、憧れて、警察官になったその全ての思いが今ここに結実……

「って、なるかぁっ!」


 その日、詩琳は第三海外遠征軍司令部のあるうるま市に呼び出されていた。

 アメリカ海兵隊の国外最大の司令部である。

 ここに、何故か警察庁のお偉いさんがやってきて、詩琳に辞令を渡していく。

「あのー、わたしも色々勉強させられたから知ってますよ。ここ、駐在とか、ないですよね?」

「新設されたぴかぴかの駐在所だ」

「人、住んでないですよね」

「先日から、不法入国が相次いでおるのだ」

「いや、ここに不法入国って、それ一大事じゃないですかっ⁉︎」


 石垣市登野城……いわゆる、尖閣諸島の住所である。


「ここに、隣国の漁民と言い張る一団が上陸し……」

「そんなもん自衛隊と海保で何とかしてください!」

「海保では上陸後には何ともできん……自衛隊で制圧すると、一気に戦争状態になりかねん。ということで警察庁にお鉢が回ってきたのだ」

「だったら、せめてチームで動くとか……」

「それについては、我々が説明しよう」

 ついたての向こうからなんか出てきた。詩琳もよく知っている人間だ。

「なんで平川一佐がいらっしゃるんですかっ!」

 陸上自衛隊中央即応集団特殊作戦群長が、御自ら登場してきた。

「基本的には特戦で状況対処にあたる。ただ、制圧後の処理は戦時捕虜ではなく、不法上陸者の逮捕という形式を取りたいのだ。国と、警察官の安全を確保したい警察庁の葛藤の賜物が、今回の人事と……」

「あたしの安全どこ行ったー!」

 ドンガラガッシャーン! と、ちゃぶ台をひっくり返す勢いで詩琳が突っかかる。

「ああ、詩琳ちゃんの安全はまぁ、大丈夫じゃね? って高度な政治的判断が」

「なわけあるかー!」

 ハァハァ息を切らし、ツッコミ疲れた詩琳が諦めたように詳細を聞き始めた。

「で、いつからですか?」

「一昨日だ」

「もう始まってるのかよっ!」

「侵入されたのは一昨日だが、うちの小隊が展開してからはまだ二十六時間だ。相手の漁民の数はおよそ一個大隊、百八十名と見積もられ……」

「一個大隊とか言ってる時点で漁民関係ないじゃないですかっ!」

 あくまで漁民が上陸しただけにしたいようである。

「で、こちらの戦力は?」

「特戦から二個小隊が斥候スカウトとして出てる」

「あとは?」

「頑張ってくれたまえ」

「できるかぁっ!」

 ドンガラガッシャーン。エアちゃぶ台がいくらあっても足りやしない。

 特戦の小隊は二分隊で構成され、一小隊十六人。二小隊で三十二人。戦力差五倍となると……

「そんなもん試合になんないじゃないですかっ」

「それと、海兵の方々があのあたりで訓練したいと申し出てきているんだが……」

「あっ」

 詩琳は、すぐ脇でニヤニヤしている海兵隊第三海外遠征軍司令の顔を、見直した。

「というわけでだ、出動は即時即応。指揮はマリーンが取るが幸田巡査はフリーハンドだ。ちなみに交番勤務評定になるぞ」

「幸田巡査、直ちに登野城駐在所へ向かい、勤務に着きますっ!」


 こうして、詩琳は交番勤務に就くことになった。


 と言ってもゆっくりしている暇はない。装備品を海兵隊から借り受ける。

「M4はまぁ使い慣れてるからいいんですけど、Mk23とか、こんな重いピストル無理です!」

 海兵隊員が用意してくれた装備に文句をつける。

 普段使いのピストルの、倍近い重さなのだ。か弱い女子が持ち歩くには……

「誰がか弱いんだよ、誰がっ!」

「わたしですよぅ」

「俺、シオリからキル判定五回もくらってるんだぞ……」

「あれはほら、銃剣バヨネットだしっ! 鉄砲じゃないしっ!」

 そういう問題?

 

「で、普段は何使ってんだ? USPコンパクト? ここはFBIじゃねーんだよ。そんなお上品なハンドガンねーよ! ……ん? そういや……ヘイ、ジョージ」

 武器管理者ウエポンマネージャーに声をかける。

「グロック、まだ送り返してなかったよな?」

M007ダブルオーセヴンか。あるよ。すぐ用意する」

 本当にすぐに出てきた。オーストリア製コンパクトピストル、グロック19の米軍仕様である。

「あ、これなら触ったことあります! 警察庁でも持ってるチームがあるんですよ!」

 警察庁特殊部隊S A T。詩琳がいつも持ち歩いているUSPコンパクトも、正式にはSATから貸与されていることになっている。

「じゃ、それとM4貸してください」

「ほいよ、あんま危ないことすんなよ。あんたは海兵隊マリーンのマスコットガールなんだから」

 いつ、そんなもんになった?

 けど、突っ込んでる暇はない。とにかく今は緊急時だ。さぁ、出動準備!

 

 これから『島嶼訓練』に向かう海兵隊のMV22オスプレイに便乗するためにヘリコプターで普天間基地へと向かう。


 MV22オスプレイ。ティルトローター式の垂直離着陸機。まだ普天間に来たばかりの、バリバリの新型機である。

 基地の周辺にはオスプレイ反対派がたくさん集まっているのが見えるが、今はそれに気を取られている時間はない。


 司令部から乗ってきたMH53Dシースタリオンから飛び降りた詩琳は、頭を低くしたまま装備品を抱え、近くに駐機しているMV22オスプレイへと駆け寄っていく。

「シオリ! こっちだ!」

 顔馴染みの海兵大尉に手招きされ、準備された四機のオスプレイの左端へと転がり込んだ。

 実は初オスプレイな詩琳さん、興味津々ではあるものの、すぐに離陸と聞けば見て回るわけにもいかないわけで……

「って、めっちゃ静かですね、これ」

「ああ、今までのCH-46バートルと比べるとな。しかもめちゃくちゃ速いから疲れてる暇すらないぞ」

 

 そんな会話をしている間にもオスプレイはランウェイへと向かって動き出している。慌てて手近のシートに座り、シートベルトを装着した。


「ヒラカワの部隊が魚釣島の南西端海岸を抑えてる。そこにヘリボーンしてオスプレイはすぐに帰す。漁民から地対空ミサイルが飛んでくるかもしれん、その時は祈ってくれ」

 そんな漁民いないからっ! それ、間違いなくどっかの正規軍だからっ!


 普天間基地から魚釣島まではおよそ450km。オスプレイの巡航速度で一時間弱で到着する。

 ヘリコプターの倍ぐらい速い。そりゃこれを相手にする国は嫌がるだろう。


「相手は空軍は出してきてるんですか?」

「今の所戦闘機と輸送機は飛んできてはいない。ただ、早期警戒機K J - 2 0 0はずっと飛んでるから、補足はされてるはずだ」

「こちらのエアカバーは?」

「カデナからはF-15Cイーグル四機飛ばしてくれる。自衛隊の方はわからん」

「地上攻撃機は? ガンシップとかきてくれないのです?」

「空軍のAC-130Hスペクターは日本にはない。A-10サンダーボルトもない。海軍機は、ジョージワシントンが訓練でハワイ沖まで出かけてる」

 

 ジョージワシントンはアメリカの原子力空母であり、攻撃機を数機種積んでいる。普段は横須賀を母港として、極東地域に目を光らせているのだが……

 

「おそらく、空母の空白を狙われたんだろう」

 制空権は取れているが対地攻撃してもらうのは難しそうだ。

「攻撃ヘリは航続距離的に無理ですよね。海上戦力は?」

「漁民が上陸に使ったエアクッション艇は三隻。島の北東海岸に乗り上げてる。これは海保が沖合を抑えてるから動けないと連絡があった」

 あー、漁民設定はもう、最後まで残すんだ……ホバークラフトで上陸する漁民とか聞いたことないけどなー。

 

「エアクッション艇を運んできた揚陸艦は玉昭型。こっちは海保じゃ無理だから護衛艦が来てるはずだ。まだ砲撃戦とかは始まってないらしいが」

 

 敵がヘリボーンを警戒しているなら、どこまで迫られているか次第で撃たれるかどうかが変わってくる。

 降着予定地は島の南西端と言っていた。地図を見ながら地形を読んでいく。

 

「って、ほとんど山じゃないですか! 西からアプローチするとなると、直接狙うには稜線に上がるか北側の緩斜面を占拠するかかな。特戦群からは敵の配置情報は?」

「稜線沿いはスナイパーが抑えてくれてるらしい。北海岸はわからん」

「じゃ、南西から匍匐で行きましょう。彼らのミサイルは赤外線追尾だから、撃たれるまでわかりませんし、撃たれたら落ちます」


 とにかく撃たれるような状況にならないようにする。乗り降りしてる最中に狙われたら、どんな凄腕パイロットだろうが逃げるのは無理だ。

 

 目的地まではあと五分。オスプレイは高度を落とし、海面スレスレを飛び始めた。


         ♦︎


 目の前に、そこそこの高さの山が見えている。最高標高300mを超える山脈が、小さな島を縦断している。

「こりゃ南側の断崖絶壁は本当に移動できないわね。海岸沿い歩けば一発で見つかるし……」

 地図で見た通りの地形を、頭にインプットしながら、飛び降りる準備を始めた。

 

 低空で進入したオスプレイだが、一度高度を確保しなければローターをチルトすることができない。この一瞬を狙われると割と致命症だ。

 しかも四機。タイミングを合わせ、ギリギリの高度で海岸へと向かう。


「なんか、煙モクモクじゃありません?」

「おー、派手にやってんなぁ。煙上がってるのは東側が多いか? 連絡では封じ込めには成功してるって話だが」

 南西からの低空アプローチだと、煙のほとんどは山脈の向こう側になるため、出どころが今ひとつわからない。

 これで地上展開しているのが米軍なら戦術データリンクが歩兵までカバーしているのだが、自衛隊ではまだ空と海しか対応できていない。どこに誰が展開しているのかは、音声通話でやり取りするしかない。


「まぁ、行かないとわからんな。フレアスタンバイ。アプローチする」

 ふっと体が沈み込む感触があり、機体の高度が一瞬上がる。同時に今まで機体を前に引っ張っていたメインローターが上を向き始め減速が始まった。

 狭い岩浜が見え始める。

 

「せっま! あの狭い中に降ろせます?」

 ほんの100mも北側に行ければ、もっと広い浜が広がっているのだ。しかし、そちらは目視されるリスクが跳ね上がるため危険極まりない。

「海兵隊舐めんなって、そーら、スピン!」

 

 普通のヘリコプターなら、定点での180度の回頭は問題なく行える。

 しかし、これをオスプレイで行なうのは至難の業だ。

 

 機長は高めの進入速度のままラダーで機体を滑らせ、姿勢を変えながらヘリコプターモードへと遷移させてゆく。

 ヘリコプターモードへ移ってからも、慣性でテールを振りつつ浜の上に滑り込んだ。

 一歩間違えればコントロールを失って墜落する、とても難しい機動である。


「カーゴドア解放、シオリ、行ってこい!」

「はい、行ってきます。またのちほどっ」


 ドア端部から浜までの高さは2mほど。岩棚が広がっているのでロープをおろす。この高さならファストロープというほどの技術も必要なく、安全に飛び降りられる。

 

 詩琳に続き、一機から二分隊ずつ飛び降りてきた。今の所ミサイルが飛んでくる気配はない。


「詩琳ちゃん、お疲れっ!」

 駆け寄ってきた自衛隊員が声をかけてきた。顔馴染みの特戦隊員だ。

「姐御が殴り込んで混乱させてる間に、エアクッション艇L C A C全部壊したらさ、ほぼ無血で投降者続出なのよ。あと頼むわ」

「はい? えーと、頼むって?」

「逮捕よ逮捕。婦警さんでしょ」

 ドーラン塗って森に溶け込みそうな顔をした特戦隊員がニヤニヤしながら詩琳を焚き付ける。

「だぁ、もう、わかりましたよっ、やりますよっ!」


 詩琳さん、こう見えても英語と北京語がペラペラである。特戦群の姐御……お姉さまに叩き込まれたおかげで、敵……じゃなかった、容疑者の母国語で投降を呼びかけることができる。


「こちらは日本警察です。あなた方を不法入国の疑いで逮捕します。ここで逮捕されれば、戦時捕虜ではなく、本国へ送還されるだけです。戦時捕虜の場合は帰国がいつになるかは、わかりません。今のうちに逮捕されることをお勧めします。こちらは日本警察です」


 抵抗が激しくなった。あちらこちらで銃声が鳴り響き始める。

 嫌なのか? 国に帰るの、嫌なのか? え? 帰ったら党から折檻される?


 さぁ、困った。投降者が減ってしまった……とりあえず、現在確保されている『容疑者』を拘束して『逮捕』していくが、ここにきて逃走しようとするものが出てきた。

 もっとも、逃走を許すような詩琳ではない。今も逃げようとした『容疑者』の腕を絡め取りながら引き倒し、脊骨に膝から飛び乗りながら動きを封じていった。

 もしかしたら障害が残るかもしれないが、友軍の安全には変えられない。ナイフで喉笛掻き切らないだけ温情措置だと思ってくれ。


 空の彼方からジェット機の音が聞こえてきた。米軍のF-15Cイーグル? いや、何か違う。これは……

「騎兵隊! F-2!」

 おそらく築城基地から飛んできた機体であろうF-2戦闘機二機が、遥か高空で左右に分かれターンしていくのが見える。

 と、彼方から降ってくる黒い点……誘導爆弾!


 黒い点が稜線の向こうに消え、三拍おいてから黒煙が上がる。そして、次に爆発音が響いてきた。

「うっわ、空爆激しっ!」

 詩琳が目を細めて爆炎を見やる。

「ありゃあ500lb爆弾かな。自衛隊もやるなぁ」

 海兵隊の小隊長が感心したように言いながら、兵たちに指示を出して山岳部に展開していった。


「じゃ、詩琳ちゃんも準備してください。逮捕したら移送はこっちでやりますんで」

 自衛隊のベーステントへと移動する。密生した低木の間に、カモフラージュネットをかけた指揮テントが設置してある。

 表には木製の看板が……

「えっと? 『登野城駐在所』……舐めとんかぁっ!」

 ドンガラガッシャーン、と、エアちゃぶ台をひっくり返したところに、女性士官がテントから出てきた。

「騒がしいと思ったら詩琳じゃない。良かった、あとは任せたわ。ちょっと遊びに行ってくるわね」

「ひぃっ!」

 詩琳の格闘戦の師匠である。そして、超絶苦手な相手でもある。

 彼女が『遊びに行く』イコール、漁民にとっては悪夢の始まりだ。

 ただ、もうすぐこの仕事が完了する合図であることも間違いないだろう。


 ほら、抵抗する銃声が、みるみる少なくなっていく……

 さぁ、戦意喪失した漁民を逮捕して、負傷者の救護をして……死者も多いだろうなぁ。爆弾落ちてるしなぁ。死者の処理はどうするのか……不審死だと捜査? 捜査の結果、やっぱり事故になるのか、死者なんていなかったんだ……になるのか。


 ここから先は国家同士の闇の部分になっていくだろう。

 やはり『漁民』の母国では面子を優先して、無かったことにする方向で話が進むだろう。


 一人一人、武装解除させた上で手錠がわりの結束バンドで拘束し、迎えの船を待つ。

 ただ、この駐在所の周りは決して広くない。捕虜……じゃなかった、容疑者は次々と海兵隊や特戦群の隊員に連れられ、集まってくる。

 すでにオスプレイから飛び降りた浜はいっぱいになっていた。


「1543時、あなたを不法上陸罪で逮捕します」

 ここでガシャンっと手錠をかけたいところだが、組み合わせた結束バンド……インシュロック……タイラップ……ケーブルタイ……まぁ、そんな呼び名のやつで、ジーッジーッと拘束していくのは、割と間抜けな光景である。

 もう二時間もすれば暗くなってくる。早いところ迎えにきて欲しいものだ。


 F-2戦闘機の爆撃は、敵の……漁民の複数あった指揮テントを直撃したらしい。斥候による座標データが正確だったため、寸分の狂いもなく頭を刈り取られた『漁民』たちは、戦意低下したところをお姉さまに襲われ、大きな被害が出たようだ。

 実際、百八十名と言われた漁民だが、逮捕できたのはわずか四十名。重傷を負い、それどころではないものを含めても生き残りは八十名もいなかった。


 重症者は担架に乗せ、四人がかりで広めの浜に連れ出していく。護衛艦からヘリコプターを呼んでも良いが、少しでも早く病院に収容するためにはオスプレイに来てもらった方が良い。

 軽傷者と無傷の捕虜……容疑者は、海上保安庁の協力で沖縄本島まで送ってもらえることになった。


「さぁ、あとは応援来るまで待って、交代かなぁ……」

「ハハハ、シオリの勤務地はここのコウバンなんだろ」

 隣に立つ海兵隊員が軽口を叩く。

「そんなこと言われても、この件終わったらまたここは無人島に……」

 と言いかけ、振り向いたところで視界の隅に違和感を感じた。


「伏せてっ!」

 隣の米士官を引き倒しながら、自分も姿勢を低く、伏せの姿勢をとる。

 刹那、爆発音が響いた。

 衝撃があたり一体を包み、何も聞こえない、何も見えない状況が発生した。

 詩琳の背後にある指揮テント……登野城駐在所がバラバラに吹き飛んでいる。

 衝撃波と飛び散った破片がヘルメットに当たったことで意識が朦朧としている中、詩琳は生き残るための行動だけは続けていく。

 遮蔽物の影へ潜り込み、認知力が回復するのを待つ。

 二十秒、三十秒……だんだん視界が落ち着いてきた。自分がどっちを向いているのか、どんな姿勢で倒れているのか……五十秒、一分……音が聞こえ始める。怒号と銃声。詩琳も背中に回したM4を前に回してみたが、機関部に何かの破片がめり込んで止まっている。

「あなたが助けてくれたの?」

 手にしたM4カービンに語りかけ、そっと地面に置いた。

 

 頭を振り感傷を振り払って、自己診断を行う。

 首、動く。

 右手、オーケー。

 左手、肩が上がらない。肘から下は動く。

 右脚、オーケー。

 左脚、オーケー。しかし何か生暖かく感じる。

 腰、動く。

 体内の傷は、アドレナリンの放出が治るまではわからない。


 隣には同じように身体の確認をしている米士官がいる。

「Are you O.K.?」

「Yah. No problem!」

 周囲を見回すと、何人もの兵士が倒れていた。


 一人生き残った漁民による、対人榴弾ランチャーの攻撃であった。

 幸い、テントの中は無人だったが、周辺では数名の犠牲者が出てしまった。

 襲撃者には即座に反撃がなされ、射殺された。

 自衛隊員は皆容疑者の移送で動き回っていたため被害はなく、帰還待ちをしていた海兵隊が被害を被った形になった。

 殉職者三名、重症者四名。うち一名は婦人警官である。


 すぐさまオスプレイを呼び寄せ、負傷者と遺体を運ぶことになった。


「ちょっと肩外れてるだけですから、大丈夫ですよぅ」

「いいや、ダメだ! 今すぐ病院連れてくから! うちの医官メディックは優秀だから、縫合した脚は綺麗に治ると思うぞ。安心して肌が出せるようになる」

「肌はほとんど出しませんし、婦警のお仕事残ってますー」

「あー、警察庁からも人はすぐ来る。いいから詩琳ちゃんは帰れ」


 すでに日はとっぷりと暮れた。周囲に明かりの全くないこの島では、見たこともないほど美しい星空を眺めることができる。

 今も空には大きく天の川が流れている。月は出ていないようだ。

 その雄大に広がる星空を見上げた後、しおりは口を開いた。

「はぁ、じゃ、先に戻らせてもらいますね。また治ったらすぐこちらに……」

「いや、また直ぐ異動になると思うよ」


 こうして、詩琳の駐在所勤務はわずか一日で終了した。

 帰りの便では普天間で降ろされるかと思ったら、給油しただけで再び飛び立った。


「どこまで行くんですか?」

 ストレッチャーに寝かされたままの詩琳が、特戦群の医官に聞いた。

「横田基地までお連れします。横田からは空自のヘリに乗っていただくことになってます」


 横田基地。東京の西の外れにある米空軍と航空自衛隊が同居している航空基地である。

 詩琳の乗るオスプレイは、ローターを斜めにした転換モードでSTOL短距離着陸すると、そのまま近くに駐機されているヘリコプターのそばまで行って止まった。

 ストレッチャーに乗せられた詩琳はオスプレイから降ろされる時にふと思い出し、叫んだ。


「ああっ! わたしまだCH-53シースタリオン運転させてもらってないっ!」

 それかよっ! ってか、流石の海兵でも機種転換やってない奴に運転させたりしねーよっ!

「え? わたし、局長に騙されましたっ⁉︎」

 気づけよっ! 普通わかるわっ!


         ♦︎


 結局、この事件は丸々と闇に葬られた。

 報道では、漁船に乗った活動家が尖閣に上陸、そして不法上陸罪で逮捕されたとだけ流され、画像の公開もされなかった。

 船舶に関しても、洋上で不法操業する漁船を拿捕、強制送還と矮小化して発表された。

 また、東シナ海での訓練中に、事故によりアメリカ兵三名が殉職したことも併せて発表された。


 横田に突然オスプレイが飛来したことに対し、一部オスプレイ反対活動家からの抗議行動が広がった。


「はぁ、オスプレイって、便利な飛行機ですねぇ」

 

 自衛隊中央病院の病室で、起こしたベッドに寄りかかった詩琳が言った。

 まだ輸液のチューブがつながっていたりするが、顔色は悪くない。

 左鎖骨骨折、左肩脱臼、左内腿に数十センチの裂傷、その他裂傷多数、全身打撲。命に別状はないが満身創痍ではある。内臓、神経系に問題がなかったのが幸いだった。


「ありゃチート輸送機だよな。特戦群う  ちにも欲しいんだが……まぁそのうち木更津に来るだろ」


 入れ替わり立ち替わりお見舞いが来る。今日は特戦群の平川一佐がりんごを抱えてやってきていた。

 と言っても剥いてくれるわけではない。仕方がないので詩琳が自前のナイフで剥いていく。

 剥いた端から平川一佐が食べていき……

「って、なんでわたしが剥いてるんですかっ!」

「おお、うまいぞこれ」

「いやいやいやいや、なんかおかしくないです?」

「気にしないで詩琳ちゃんも食え食え」

「食べる前に無くなっちゃうんですってばっ!」


 午後からは警察庁からも何人も来た。


「本当に無事でよかった。お疲れ様、詩琳ちゃん」

「なんとか生き残りましたけど、婦警って大変な仕事なんですねぇ」

「でもさ、また交番勤務の評定増えたし、昇進も間近かもしれんぞ」


 『四年間の交番勤務』

 これをクリアするために頑張っている幸田巡査なのだ。まだ一年も稼げていないが……


「今回の事件で一日分カウントできたからな。またよろしく頼むわ」


「って、あれだけ苦労して一日だけですかっ!」

 詩琳の魂の叫びが、自衛隊中央病院に響き渡った。


 ベテラン婦警、幸田詩琳。


 彼女の明日はどっちだ!

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ベテラン婦警 幸田詩琳 夏々湖 @kasumiracle

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