第2話 八岐大蛇 2

目が合った瞬間、衝撃が走った。雷に打たれたかのように体が痺れて動けない。それから徐々に、全身の細胞が泡立つような興奮が押し寄せてきた。こんな感覚を覚えるのは生まれて初めてのことだった。


相手も驚いたように目を見開いてこちらを見ている。一瞬二人の間だけ時が止まったように感じた。


「……あの、武田君? 自己紹介を……」


担任の声に、転校生ははっと我に返ったようだった。さっと視線を外すと軽く咳払いをして、次に目を上げたときは明らかに武尊の視線を避けていた。


「……武田大和たけだやまとです。よろしくお願いします」


パチパチパチ! と拍手が沸き起こった。特に女子生徒からの支持が厚い拍手だった。


「席はさっきも言った通り、大山君の前なんだけど、ええと、空いてる席が多すぎてどこだか分からないよね。大山君、手を上げてくれる? 大山君?」


「大山君」


隣の席の女子生徒に小突かれて、武尊もはっと我に返った。


「あ、はい! 俺です」


大和はちらっと武尊を見ると、必要以上に視線を置かずに素早く席に着いてすぐに背中を向けた。大和はそれで良かったが、武尊の方はそうはいかなかった。


(どういうことだ? 一体俺の中で何が起こってるんだ? こいつは一体何者なんだ?)


担任が教壇で何か話しているようだったが、全く耳に入ってこない。ただ目の前の人物が気になってしょうがなかった。柔らかそうな髪の毛の間から見える白い頸がものすごく気になった。


(これ……一体何ていう感情なんだ?)


休憩時間になると、予想通り女子生徒が大和の席に群がってアリ一匹入り込む隙間すら無くなってしまった。武尊はというと、終業のチャイムが鳴った瞬間に勢いよく立ち上がり、清次を引っ掴んで人気のない屋上に向かう階段まで引っ張って行った。


「なあ、さっき言ってた、吉沢に対する感情ってどんな感じなんだ?」


小一時間しか経っていないはずなのに疲れ果てた様子の親友を見て、清次は非常に驚いた。


「武尊? あの、大丈夫? 一体何が……」


「いいから教えてくれよ。お前吉沢が好きなんだろ?」


「えぇ?」


あまりにも直球過ぎる問いに清次は狼狽した。


「そんな、違うよ。可愛いとは言ったけど、別に好きとかでは……」


「そうなの? じゃあお前、誰かを好きになった事は?」


「そりゃあるけど……」


「それってどんな感じ? なんかこう、全身が痺れる感じとか、泡立つ感じだとか」


「たとえが抽象的すぎて分かんないよ」


清次は腕組みをして考え込んだ。


「中学の時付き合ってた子がいたんだけど、顔がすごく好みで、一緒に登下校したり、デートできたらなあって憧れてた。告白が成功したときは凄く嬉しくて、天にも昇る心地だったよ」


「顔が好み……」


武尊はブンブンと勢いよく頭を振った。


(そんなはずはない。綺麗だけど、別に好みって訳ではないはず。そもそも男だし……)


「武尊、急にどうしたの? もしかしてやっぱり吉沢さんのこと気になり出した?」


「いや、違う」


「じゃあ……」


(一緒に登下校したり、デートしたりしたいわけでも……)


「吉沢さんじゃなくて他の子? その子と何したいの?」


彼と何がしたいのか。考えるより先に反射的に言葉が出た。


「一つになりたい」


本能の叫びだった。言葉が口から出てしまった後で自分が何を言っているのかに気づいて、武尊の頬がかっと赤く染まった。


(何言ってんだ、俺。今日初めて会ったばかりで口もきいたことないのに。でもこの感情を、じゃあ一体どう表現したらいいんだ?)


面白がって茶化していた清次だったが、流石に武尊の様子が異常なのに気がついて一歩後退りした。


「え……武尊、大丈夫?」


「……大丈夫じゃないよ」


武尊は項垂れて両手で頭を抱え込んだ。


「おかしくなりそうだ」



その日一日中、武尊は授業に全く集中できなかった。黒板を見ようと努力しても、どうしても前に座る背中に視線が吸い寄せられてしまう。半径一メートル以内にその存在を感じるだけで、身体の中心がじわじわと疼いた。その疼きに動揺して冷や汗がどっと吹き出し、交感神経がパニックを起こして、座っているだけなのに武尊はヘトヘトになってしまった。


(どうしてこんな事に……)


プリントをまわそうと振り返った大和がぎょっとして声をかけてきた。


「お前、大丈夫か?」


「え?」


彼との初めての会話だった。次の瞬間、生暖かい感触が顔を流れ落ちて、稲田先生が金切り声を上げた。


「大山君!」


「え?」


机に血溜まりができていた。鼻血だった。



保健委員に引きずられるように保健室へ連れて行かれ、ベッドに横になると武尊は少し落ち着いて頭が冷えてきた。彼から距離を取ったせいか体の熱は冷めてきたが、今度は言いようのない切なさが込み上げてきた。


(俺、マジでやばいんじゃないか? このままだとあいつから少し離れただけで寂しくて死んでしまうんじゃ……)


「大山君、大丈夫? 今日はずっと調子が悪そうだけど」


保健委員の女子生徒が心配そうに声をかけてきたので、武尊は軽く手を振って答えた。


「大丈夫だよ。ちょっと疲れただけ」


「そうなの?」


保健委員はちょっと周りを気にする素振りを見せてから、声を低めてひそひそと囁いた。


「女子たちがみんな心配してるよ。大山君も辰巳さんの呪いにかかったんじゃないかって」


「辰巳の呪い?」


辰巳花たつみはなは彼らのクラスメイトで、一番最初に学校に来なくなった生徒だった。

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