第7話 初夏、通り雨、舞落ち
火鳥 真衣 38 歳。
6時に起きて、洗濯機回して、7時に朝食の用意して、9時にパートへ向かう。
17時までパートをして、買い物を済ませて家に変える。
19時までには夕飯を用意して、後片付けして、家事を済ませて、お風呂に入って少しテレビを見て就寝。
そんな1日を母さんは過ごしている。
たまの休日はパート先の人とランチに行ったり、1人で映画に行ったりと羽を伸ばしている。
それが僕の母、火鳥 真衣だ。
――――――
夕飯の準備をしている母さんは妖狐に話しかけた。
「氷花ちゃんの好きな厚揚げ買って来たから、後で軽く炙って出すね」
何気ない一言だったが、重要な一言だった。
母さんが帰って来る前に、妖狐は部屋にはいるけれど姿隠しの術で完全に気配を消していた。
さとりの眼で見ないと僕にも見えない状況だった。
でも母さんには普通に見えていた。
「真衣、完全に気配を消しているのにやっぱりわたしが見えてるのね……」
母さんは黙った。
「それに……君、爺様の幻術が効いてないんじゃないの?」
どうやら母さんは天狗の広範囲幻術も効いていないようだ。
妖狐曰く、稀にこういった術の効かない人がいるらしい。
母さんの場合は陰陽術の陰の法に耐性があるため、幻術にはかからず、化け物が姿隠しの術を使っても丸見えになるようだ。
そして危険なことに陽の法の耐性はまったく無いようで、攻撃系の術を受ければ一溜まりもないのだと。
試してはいないけど、さとりの眼は陰の法に当たるので僕も母さんの心を読むことは無理らしい。
「わたし達には正直に話していいんだ、君の息子も今から色々話すことがあるようだしね。もうわかってるだろうけど、わたしは君に危害を加えたりする者じゃないよ」
母さんは腰砕けにあった様に冷蔵庫前にしゃがみ込んだ。
張り詰めた緊張感から解放されたようだった。
「ずっと、どうしていいかわからなくて……。煉が事故で運ばれてから、お化け達が病院うろついてたし、氷花ちゃんは煉を護ってるようだったから安心していたけど、なんで煉のそばにいるのか不安だったの。とにかく誰も刺激しないよう過ごすことに必死で……」
母さんは母さんで大変だったんだ。
何が起こっているのかもわからない状態で、家族の周りに化け物がうろつき始めていたらどうするだろう?
化け物に今の状況を聞いてみる?
いやいや流石にそんな怖いことはできない。
家族に危険がない限り黙って様子をみる?
もしもその状況になれば、母さんのようにそんな選択肢をとってしまうのかも知れない。
安心した母さんはそれから自分幼少期の話をしてくれた。
小さな頃から化け物を お化け と呼んで、普通に見えていたらしい。
たまに遊んでくれる お化け もいたようで、すべてが怖い者ではないと理解しているようだ。
幼い頃、遊び相手に お化け が居たこともあり恐怖心が軽薄だった。
そんな中、中学生の時に人を喰らう化け物と出会ってしまい考えが一変してしまう。
しかし、その大ピンチに助けてくれたのも お化け であり、そのおかげで母さんの今があるらしい。
助けてくれた お化け には、危険から回避するための注意を受けたようで、ずっと母さんはそれを守ってきた。
「見るな、気付くな、近づくな」
何かの標語みたいな注意だが覚えやすい。
覚えやすいけど、化け物相手に中々簡単ではないと思う。
またその お化け はお化けを見なくて済む眼鏡をくれたそうだ。
成長と共にサイズが合わなくなり、さらに眼鏡が似合わない事もあり、見て見ぬふりすることを徹底して今まで過ごして来たようだ。
うん?化け物を見なくて済む眼鏡?
なんか聞き覚えのあるアイテム名だ。
「母さんを助けてくれたお化けって?」
「牛丸っておじいさんだよ。この前病院で久しぶりに見たんだけど……わたしのことまったく覚えてなかったのよ」
なんてこった、親子2代でお世話になっているだなんて。
僕が急に眼鏡をかけていても、母さんは突っ込まないわけだ。
眼鏡を掛けている理由をなんとなくわかっていたのだから。
そして母さんにも店長と同様に、事故からの一部始終を話した。
母さんは流石に驚いていた。
さとりの眼と鳳凰の手に関しては、そんな特別な眼と手を貰ってラッキーね!くらいのリアクションで僕も逆に驚かされた。
ただ、死ぬはずだった僕を助けてくれた天狗に対して、お礼なんかでは足りないほどの感謝だと言ってくれた。
過去の母さんだけでなく自分の命よりも大事な息子の命も救ってくれた恩人に、どのような感謝を伝えればいいのかを悩み始めるくらいだった。
大事な息子を化け物にした奴なんか感謝しなくて良い。
と言ってやった。
それでも こんなに元気に生きていることに感謝しかないとのことだ。
店長のことも、もちろん気付いていた。
ただ本当に優しくて良い店長!といった印象を母さんは持っており、これにも少し驚かされた。
その店長から、僕に対する勤務上のフォローの快諾や、母さんを守るように言われた話を伝えると。
「20代半ばくらいの若い店長さんなのになんて立派なの!あの店長なら煉を安心して預けられるわ」
と大絶賛に変わった。
「お化けっていいひと本当に多いのよ。小学校の低学年の時によく遊んでくれた
「! 真衣、君は咲を知っているの?」
「えぇ、同い年くらいなので良く遊んだのよ。突然会えなくなって寂しかったなぁ。氷花ちゃん知ってるんだ」
「もちろんさ、あの子は特に人間が好きな子だからね。当時、人に深入りしないよう爺様から説教を受けて喧嘩の末姿を消したって聞いてるよ」
「そうなんだ……」
「咲は君の体質知らないから記憶飛ばしの術で記憶を消せたと今も思っているんだろうね」
「そういえば最後の日、咲ちゃん泣いてたの。ごめんねって言って、全部忘れられるから大丈夫だよって」
「今後あったら言っとくよ、真衣が会いたがってるってさ。驚くだろうねぇ、あの子」
母さんと妖狐は微笑んで会話を楽しんでしる。
流浪の河童を見た時、すべてが詰んでしまった気分になった。
でも店長との会話、母さんとの会話でずいぶんと僕は救われた。
事故からの話を受け入れられる人はいないと思っていた。
僕を受け入れてくれるひとなどいない、家族でも無理だと昨日まで思っていた。
でも違った。
理解者がいるって幸せなことだ。
――――――
その日から母さんの表情は見るみる元気になった。
不安や、疑問に思っていたことが解消されたのだろう。
それと妖狐にミサンガのような物を渡されたことも良かった。
その妖力入りのミサンガを巻いているだけで、そこらの化け物レベルでは母さんに近づくこともできない代物らしい。
かなりの妖力を練り込んだ、妖狐自慢の一品のようだ。
なんでもこれを付けている時に近寄ることが可能なのは、この辺りでは天狗の爺様か土蜘蛛の店長くらいなんだとか。
(本当に店長ってそんなに強いのか?)
そういえば妖狐は母さんに咲ちゃんと連絡が取れないことを詫びていた。
人間と仲良くしたい咲ちゃんは口うるさい天狗に愛想をつかして、ずいぶん前に本当に山を出て行って、こともあろうか流浪の化け物デビューをしているようだ。
でも母さんには朗報もある。
中学生時代に人を喰らう化け物から母さんを救ったお化け。
それが実は咲ちゃんだった。
母さんと離れてからも、心配でたまに遠くから見守っていたようだ。
そしてある日危険が迫っていることに気付いて、咲ちゃんが助けに入った。
そこで再会をしたかったはずなのに、これからの母さんの人生に自分は不要と判断し、後のことを天狗に任せた。
なんともしっかりした化け物じゃないか。
個人的にも今一番会いたいひとになった。
明日のバイトの時、店長に咲ちゃんのことを聞いてみよう。
あの店長なら何か知っているかも知れない。
母さんと咲ちゃんの再開。
このイベントは絶対に達成させてあげたい。
――――――
もうすぐ梅雨入りするとテレビが言っている。
今日は折り畳み傘を持つように天気予報士が言った。
突然の通り雨に注意らしい。
退院してから10日ほど経った。
アルバイトは朝から昼過ぎまでの時間を中心に勤務している。
今日は欠員が出たので14時までだった勤務が17時までになったけど、妖狐がどこかに待機しているから大丈夫だ。
店長に咲ちゃんのことを聞こうと思っていたけど、残念なことに店長はOFFだった。
あまり休まない店長だから、ゆっくり休んでもらいたい。
スマホアプリでの連絡も考えたけど、今日はやめて明日にでも聞こう。
今日はアルバイト終わりにフライドチキンを買って帰る。
妖狐が店のフライドチキンに興味ありありのようだ。
「君の店で作ってるチキンてやつ、唐揚げとは違うんだろう?美味しそうな匂いを漂わせてるからねぇ、興味があるんだよね」
普通に食べてみたいと言えない面倒臭い性格の狐の分も含めて、3人分のチキンを買って店を出た。
17時30分、雨が降り始めた。
持っていた傘をさす。
「君、準備がいいねぇ」
「氷花さんもね」
妖狐はどこからともなく和傘を出してさしている。
チキンを買ったことに上機嫌だ。
今すぐに食べたいと言ってきたけど、帰ってからみんなで食べようとお預けにした。
母さんもパートが17時までだと言っていたから、家に着く頃にはちょうど夕飯になるかな。
蒸し暑い初夏の突然の通り雨。
いつもそうだ、良いことや悪いことは通り雨と同じで突然やってくる。
「発情鬼……」
「……はい?」
「まずいよ、走れ!」
妖狐の表情が一変した。
真剣な顔、河童との対峙でも店長との対面でも見なかった本気の顔だ。
「急げ!」
すごい速さで妖狐が走り出した。
僕は訳が分からないまま、後を追うように走った。
「氷花さん!」
呼びかけても振り返りもせず進んでいく。
化け物の襲撃?
いや、眼が疼いていない。
眼鏡の力で感知能力が抑えられているから気付けていないのか?
味わったことのない焦燥感に、怒られることは承知で眼鏡を外したさとりの眼で妖狐を見た。
「……!」
「嘘だろ!」
「…………」
「氷花さん……って!おいっ!」
「……急ぐんだよ!」
「嘘だあぁぁー!!」
頭の中が真っ白になった。
急いでいるのに世界がスローモーションに動いている感覚。
足が希望の動きをしてくれない。
耳は街の音と雨の音を聞き忘れ、狭まった視界は景色を見ることを忘れ、身体は妖狐だけを追いかけた。
事故から信じられないことばかりが身の回りで起こっている。
見たこと聞いたこと、すべてが嘘みたいなことなのに、何1つ嘘がなかった。
知らない間に入り込んだ化け物がいる世界。
想像を超えた世界。
それはこれからどれほどの物を僕に与え、奪っていくのだろう。
間違いであってほしい、嘘であってほしい……。
初夏、通り雨が降る今。
母さんが死んだ。
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