第2話 夢じゃない
宙に浮いている状態から急に地面に叩き落とされたような衝撃で目が覚めた。
全身に感覚がある。
身体全体がものすごく痛い。
景色がぼやけて見えるがここは病院の中だとわかる。
おそらく集中治療室と呼ばれるところだ。
事故は夢ではなかったんだ。
人を呼ぼうとしたが、酸素マスクが付いているせいで声が出せない。
「うぅっ……うぅ」
誰もいない。
気付いて欲しい。
その時。
「ようやくお目覚めになられたようで……」
真横から女性の声が聞こえた。
僕は顔の左半分が包帯でグルグルに巻かれて、首も固定されている。
そのためかなり見え辛いが、着物を着た黒髪の女性が枕元に立っていることがわかった。
肌の色が白く、妖艶な雰囲気を出している。
「牛丸の爺様の命により、君の護衛につく
なんてことだ、あの会話も夢じゃなかった。
選定すると言っていた護衛がこのひとなのか。
「先日話をしてから既に3日が経ったが、お主としては一瞬のことであっただろうな」
氷花という妖狐の後ろから、あの天狗の声が聞こえた。
「健勝で何よりだ、火鳥 煉。早速だが今後はこの氷花が護衛を務める。妖狐と呼ばれる種族だ。妖狐は人間をよく知り、目と鼻、耳も良くきく。何より妖術にも長けているのでな、護衛には打って付けであろう」
聞きたいことはたくさんあるのに、今の僕に自由はない。
「事故からの3日間で2体の化け物が接触をしてきたようだが、すべて氷花が始末した」
天狗は物騒なことをサラッと言った。
「傷はあと7日ほどで完治するであろう」
いやいや、さすがにこの状態の怪我があと7日で完治というのはにわかに信じられない。
「救うためとはいえ、ひとでありながら人でなくしたことを心苦しく思っておる。しばらくは氷花もいる、何かあれば氷花を頼るのだ。良いな」
僕は詳細を知り理解するにも、まずは完治してからだと考えている。
「ひとでありながら人でなくなった……」
これは、僕は化け物になったということなのだろう。
なぜだかこんな馬鹿げた話なのに、頭や身体に理解がスッと染み込んでくる。
「人間様が突然こっち側のひとになってしまうなんて本当に珍しいからねぇ。化け物どもはみんな興味深々さ」
妖狐が僕の顔を覗き込みながら言った。
「爺様は帰りな、あとはわたしが観ておくからさ」
その言葉を聞くと天狗は少し目を伏せて消えていった。
「人間や動物でも未知の者に対して恐怖心を持つだろ?恐怖の対象を理解しようとするのは知恵のある奴さ。そうでない奴は恐怖の対象を消そうとする。これから君はそんな奴らと対峙していかなきゃならないんだ。とりあえず完治するまではゆっくりすることだね。完治してから自分の置かれている状況が嫌ってほどわかるだろうし、話はそこからさ」
妖狐は顔を覗き込みながら、不安をさらに上塗りするかの様に淡々と話をした。
間違いなく性格に難がありそうな狐だが、近くで見ると切れ目でかなりの美人だった。
僕はこんな状況の中、色っぽい妖狐に少し照れた。
こんな状況なのに案外元気だな……僕は。
と思った。
――――――
「れんー!あぁ煉くんー!よかったあぁ!」
母さんが取り乱すくらい喜んでいる姿を初めて見た。
天狗と妖狐との対面が終わった後、母さんとはすぐに会うことができた。
毎日ずっとそばにいてくれていたのだろう。
目と顔の腫れからずっと泣いていたことがわかる。
僕も声は出せないけれど涙がでた。
「心配しなくても大丈夫、7日後には完全復活だから!」
と伝えたい。
こんなに喜ぶ母さんを見ると、生きていて本当に良かったと思う。
先の不安はあるけれども、今は天狗の牛丸さんに感謝している。
それから2日ほどが経った。
僕は集中治療室から一般病棟の個室に移された。
母さんは付きっ切りで、看病してくれている。
そのころには僕は自由に話すことができたので、事故のことや天狗と妖狐の話もしたかったのだけど、妖狐が普通に病院内や僕の部屋を出入りしていた。
いらぬことを言わないように監視もしているのだろうか?
ただ母さんや、病院関係者には妖狐は見えていないようだけど……。
「母さん、来週中には退院できるんじゃないかな?」
「いくらなんでもそれは難しいよ。運ばれてきた時は生きている事が軌跡って言われたのよ」
「でも、もうそろそろ起き上がれて歩けそうな気がするんだ」
「それでも入院期間を半年はみておくように言われるのよ」
本来なら死んでいるような怪我だった。
入院生活が半年でも軌跡みたいなものなんだ。
母さんはタオルや着替えを取り換えに一度家へ帰ると言って出ていった。
それを見計らったように、しばらくすると妖狐が部屋に入ってきた。
「あと、4日、5日すれば全快するっていえばいいじゃないか」
「そんなの誰も信じませんよ。それより普通にウロウロしていて大丈夫なんですか?」
「姿隠しの術を使っているから見えやしないよ」
そんな術があるのか、便利そうだな。
「ここのところ化け物どもも落ち着いているよ。あれから接触者は現れていない」
「そうですか」
「君の意識が戻ったことと、わたしの存在が知られたのでみんな警戒をしてるんだろうさ」
未だに見知らぬ化け物が接触をしてきているとか実感がわかない。
このまま何事も起きず退院できることを心から願ってる。
――――――
あっという間に7日間が過ぎた。
身体は、病院も驚くほどの回復スピードを見せている。
僕自身の熱望もあって、今日は全身の包帯やギブスを外す日だ。
担当医と看護師さん、そして母さん立ち会いの下、全身に纏わり付いていた物がゆっくりと外される。
そしてその場にいた全員が絶句した。
そりゃそうだ、全身に傷痕がひとつもない。僕本人も驚きだ。
潰れた左目や、ちぎれた右腕はどのタイミングで天狗は修復してくれたんだろうか?
救急車へ搬送される時には目と手は付けてくれていないと、入院中に目が復元して手が生えたことになる。
それこそ大騒ぎだ。
流石に化け物であっても、事故現場のたくさんの人の中で目撃者無しに大掛かりなことができる訳ない。
現在右腕は普通に動いている上、左目も多少霞んでいるものの問題なく見えている。
どのタイミングで治してくれたのか見当もつかない。
「火鳥さんすごいね、傷どこに行ったの?運ばれて来た時の状況を知ってるから言えるけど、こんなに綺麗に傷が治るなんて考えられないよ」
と担当医が話始めた。
すると同時に。
「こいつ、あの怪我の傷痕が無いってなに?砕けていた骨も元に戻ってるし。マジで人間かコイツ?バケモノじゃないの?怖っ!」
と担当医の声が聞こえた。
「先生、今なんて?」
驚いた僕が聞き返そうとした時。
「本当に元気になって良かったね。お母さんの想いの力が届いたんですよ」
今度は看護師さんが声をかけてきた。
するとまた同時に。
「ここまで回復されて本当に良かった。お母さんの嬉しそうな姿見るだけでこっちも泣けてくる」
と看護師さんの声が聞こえた。
「さとりの眼の力で心の声を読んだのかい?」
「氷花さん⁉︎」
僕の護衛に憑いている妖狐が部屋に入って来た。
普通の人間に妖狐は見えない。
妖狐は僕の右肩に顔を乗せる様にして耳元で囁いた。
「ひとの心の中を盗み見るなんて陰湿な男だねぇ君は、この眼鏡を掛けていた方がいいんじゃないの」
そっと、なんの変哲もない眼鏡を渡された。
「この眼鏡を掛けてれば無駄に心を読んだりしなくて済むらしいよ。爺様からの快気祝いさ」
そうか、さっきの声は担当医と看護師の心の声だったのか。
確かに人の心の声が聞こえ続ける生活は辛そうだ。
この眼鏡はありがたくいただいておこう。
それにしても、看護師さんは素晴らしい人なのに、この担当医は酷いものだ。
「火鳥さんの傷や骨折の完治は確認しています。それと本日、退院希望とも聞いています。でも正直言って退院は早過ぎると思っています。念の為もう1週間は入院された方が良いと思うんです」
担当医はそれらしい事を言っているが、本心ではこの状況をどう思っているやら。
「先生、僕は今日で退院したいです。本当に身体はもう大丈夫なんです」
身体は元気で、病院生活も飽きて来た僕は退院させて欲しいと懇願した。
「う〜ん、昨日の検査結果ではなんの異常も無かったから退院許可できないことないんだけど……本当に大丈夫?」
「大丈夫です!」
「……それじゃ何か異常あればすぐに連絡くれるって約束できるなら……退院しても良いかな……」
「ありがとうございます!」
退院したら確認したい事がたくさんあるのですごく嬉しい。
「それじゃお母さんに退院手続きに関してご説明しますので、一度受付まで来ていただけますか?」
「あっ、はい」
みんなが病室から出て行こうとした。
その時。
「先生」
「うん?」
「僕はバケモノじゃなくてちゃんとした人間です」
少し驚かせるつもりでついつい言ってしまった。
母さんと看護師もキョトンとした顔をしたが、担当医だけは表情が強張った。
「そっそんなこと、わかってるよ、どうしたの?」
思ったより担当医は動揺したので、その反応に僕まで動揺してしまい……。
「……なんでもないです。冗談です……」
と苦笑いで返して変な感じになった。
慣れないことはするもんじゃないな、と反省する僕の隣で妖狐はクスッと笑った。
何はともあれ今日で晴れて退院だ。
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