友達の友達はおともだち

八雲 辰毘古

本編

「男女の友情って成立すると思います?」


 これを訊かれた時点で、たいていの男は〝脈ナシ〟を自覚しなければならない。恋愛の教科書には、そう書かれていた。

 だが、べつに彼女は本命ではなかった。背は低いし、髪は短いし、田舎から出てきたばかりという感じの素朴な感じがハッキリ出ていて、魅力よりも幼さが垣間見える。


 荻野おぎの葉子。

 彼女の第一印象は、そんな感じだ。


 対するぼくも、決してぱっと見がきれいなわけではない。

 ユニクロの無難な上下を着て、こざっぱりとしてればいいや、というくらい。


 モテる、なんて論外。モテそう、とかそんな感じすら、まだどこにもないのだった。


「えーっと?」


 ところで、ぼくたちはサークルの新歓コンパにいるのだった。

 文芸創作のサークルに所属してから三週間、週に何度か読書会とか合評会があるのに対して、自由参加形式で来るものだから、ぼくはおろか先輩方も、自分の同期が何人いるのかすらまともに把握していない。


 そんななか、ちんまりといたのが荻野葉子だった。

 飲み会は苦手だ。

 というか、そもそも中学・高校時代からワイワイガヤガヤしてる空間が居心地悪い。クラスの休み時間も、文化祭・体育祭の打ち上げだって隅っこの席で本を読んでる方がよっぽど性に合う。


 それが大学に入ったとたん、飲み食いでしか語り合えない関係性が増えていく。ふしぎで仕方なかった。

 だから、ぼくは相変わらず飲み会の隅っこに席を取って、あこがれの人がはす向かいに座って賑やかにやっているのを、眺めてることしかできなかった。


 那珂川なかがわ志保。

 ぼくが気にしている人の名前だ。


 すらっと高い背丈、長い髪。おしゃれなカットソーに都会的なメイクで、ちょっと本音が見えないミステリアスな感じがする。

 でもとっつきにくいわけじゃない。よく喋り、よく笑い、アウトドアな気質でもある。さいきんの趣味はボルダリングとワンダーフォーゲルというのだから、ぼくなんて及びもつかないほどの行動派だ。


 そんな彼女と初めて会ったのが、文芸サークルの最初に参加した日のことだった。

 たまたま目が合って、あいさつした。お互い大学慣れしてなかったから、思わず会話して、趣味とかおのおの話題を交換した。面白かったので連絡先も交換した。それですっかり気に入ってしまったのだ。


 でも、ぼくが一方的にあこがれてる反面、那珂川さんはぼくを〝友達〟と思ってるみたいで、気兼ねなく話してくれてる代わりに、結構遠慮のないことまで話してくれる。


 例えば? 自分の彼氏の話とか?


 べつに現在進行形で付き合っている人がいるからって〝脈ナシ〟とは言えない。

 ただぼくはなにげなく発せられた「彼氏」という言葉に、すれ違いざまの車のかすり傷のような深傷ふかでを負ったのだった。


 おまけに、そんななかで自分の幼なじみだと言って紹介したのが、荻野葉子だった。


「ホラ。好きな小説のジャンルが近いと思ってさ」


 確かにそうなのだ。那珂川さんが好きなのは耽美たんび小説や濃いラブロマンスで、推しの俳優が出てるならファンタジーでもSFでもなんでも観るというタイプだったが、ぼくは純文学とか現実舞台の、地に足ついたお話の方が好きだった。だから、実写化したいくつかの国内の小説でしか話が合わず、仕方ないから趣味とか身の回りのことしか題材にするものがなかったのだ。

 ところが、荻野さんも純文学とか一般文芸寄りの話が好きらしく、趣味は合った。唯一違うのは、彼女も那珂川さんと同様にラブストーリーが好きで、現代舞台で地に足ついた恋愛ドラマを小説にしたいということだ。


 この話題の流れで、「男女の友情」が議題に上がった。

 それで、今の話に至る。


「荻野さんの意見はどう?」

「うーん」少し考えてから「アリ、だといいなと思ってます」

「面白いね。どうして?」

「だって好きか嫌いしかないって、人付き合いとしてどうかと思いますもん」

「ぶっは、確かに」


 思わず笑ってしまった。


「笹山さんは、どうですか?」


 荻野さんはつねに相手を「さん」付けで呼び、敬語を抜かさない。


「んー。男の側が我慢してたら、アリかな」

「えっ」

「うん。まあ、そゆことですよ」

「まあそう言われればそうですけど」


 苦笑いする。あいにく、ロマンチック・ラブとは程遠い現実観のふたりである。



     ◆



 べつに意識してるつもりではないのだけど、いつしかよく会ってよく喋るのは荻野さんになっていた。

 というのも、サークルの集まりによく行くのと、たまたま話せる話題を持ってることが多いということで──


「あの作家さんの新刊出たよー」


 とか、


「こないだのドラマの最新話、見た?」


 みたいな、ほんとに高校の時のクラスメイトめいた感じの話ばかりだった。

 ついでに互いの創作の悩みとか、参考情報をやりとりするとかいった具合だ。


「男の人ってこういうの嫌いってほんと?」


 とか、


「少女漫画的な描写にツッコミ入れるときってあるの?」


 みたいな、互いの性別が違うことによる、異種間文化交流、的な?

 おまけで言うと、ぼくは下心的に、女の子一般の情報収集先として彼女を〝利用〟していたりもした。


 要は、モテたいのである。


 那珂川さんのことを諦めたつもりはないけれど、それ以上にだれかに好かれるという体験にこの上なく憧れてしまうこの頃。

 将来だれかとお付き合いできたとして、その人を傷つけないためにも、ひとりのオトコとしても、どういう振る舞いが好かれるのかとかを、知っておいた方がいいなとひそかに勉強するようになっていた。


 恥ずかしながら、『モテるためにする○○』みたいな変な本もたくさん買った。

 配信者の恋愛相談とか、恋愛チューバーとか、そういうのもかき集めるように見て、聴いて、読んだ。


 それでわかったこともあれば、個人の意見じゃねーか、と割り切れたものもある。

 不思議なことに、男女(それ以外も含め)問わず、恋愛については一般論としてこうだよ、といえる部分と、そうでない、いわゆる個人の感想ですという部分がある。


 例えば「清潔感をだいじにしろ」というのは一般論。逆に「男を出していけ」というのは個人の意見のお話だった。

 この辺は詳しく書くとキリがないので、あくまでサンプル、ということにして──


 要はそこで得た情報で、いくつかの検証を荻野さん相手にしていたのだ。


 その一。ネイルケアを褒める。


「あ、爪黒く塗ったんだ」

「ありがとう。志保に勧められてやってみたんだけど……」

「意外だったけど、合うと思うよ」

「やったー!」


 その二。LINEはなるべく相手が返信するまでに掛かった時間と同じくらい間隔を空け、同じ分量で返信する。


19:34(既読)

《こないだはありがとうー。帰りに新刊買ったからまた後日感想言い合おうよ》


19:52

《ありがとうございましたー! 行動が早いですw 感想楽しみですー☆》


20:13(既読)

《いやあの作家のファンとして許されざる失態だったので……笑》


20:15

《いやいや! 私も忘れることあるんで……w また今度よろしくお願いします!》


 その三。小さい相談をする。


「さいきんイメチェンしたいんだけど、自分に合う色とかよくわかんないんだよね」

「なるほど……」

「荻野さん、さいきん春色コーデとか上手いじゃん。少しだけコツとか、知らない?」

「うーん、調べてみます」


 ちなみに、コーデのコツ自体は後日きちんとそれなりに教えてもらった。


 まあ、そんなこんなでぼくは女の子と知り合って怪しまれずに距離を詰めるノウハウを練習していたのだった。

 この成果は、荻野さんと関係ないところでなんどか試行錯誤され、成功しそうになっては失敗したり、なんか上手くいくまえに個人的に幻滅して終わったりした。


 それこそ一般的にうまくいくことと、個人的にうまくいくことの二つがある。

 この見極めが難しい。

 そもそも一般的にうまくいくことを繰り返しても、LINEの機能しない連絡先が増えるだけでちっとも深い仲にならない。でも、個人的にうまくいくことを掘り下げようにも、それを見つける方法論は都度手探りしないといけないのだ。


 唯一、荻野さんとは嫌われたり疎遠になったりしていないのが、不思議なくらいなのだった。


 そんなある日──ぼくはたまたま、本屋で推しの作家のサイン本を見つけた。

 サイン本を集める趣味は、実はない。が、その時ふとなにげなく、荻野さんがその作家さんのサイン会を風邪で休んでしまったことを悔しげに語っていたのを思い出した。


 それで、買った。


 翌週のサークルでそれを渡すと、荻野さんの目が思った以上に輝いていた。


「すごいです……こんなの一生の宝物です!」

「そんな大袈裟な」

「ありがとうございます!」


 なんかすごい勢いで握手されて、ブンブン振り回されたのだった。



     ◆



 それからしばらくして、誕生日が来た時、荻野葉子からお礼の手紙をもらうなんて思ってもみなかった。


「サイン本のささやかなお礼ですが……」


 帰宅して読むと、手書きの文字でていねいに、いっぱいに書かれた感謝の言葉と、いつも楽しい会話をしてくれることへの言及があった。なんか気恥ずかしかった。

 もともと誕生日プレゼントに物をもらうなんてこともそうそうないのだ。もらったとしても、頼んでもないおもちゃとかで、扱いに困るものばかりだったから、むしろ有り難くないとすら思ってた。


 のにも、かかわらず。

 この手紙は、ちょっと引き出しに大切に仕舞っておきたい気持ちになってしまった。


 やばい。これはちょっと。

 にやける。

 にやけてしまうのだが。


 いままでの恋愛の失敗経験が、ぼくの軽率な感動に釘を刺している。

 いやいや、これは彼女なりの優しさだろう、と。


 そうなのだ。荻野さんは日頃仲が良い人やお世話になってる人に対してもへんに崩したりせず、礼儀正しくあり続ける癖がある。

 現に幼なじみの那珂川さんもいくつか手紙のやり取りをしたと言っていたし。


 ほかの男性(男友達?)にもそういう優しいメッセージカードを書いてたりするんじゃないか。

 べつにこれがぼくのキモい勘違いでも、構わないんだけど、だからと言って、急に下心満載で接し方を変えるのは良くない。


 それは、彼女が期待した関係性ではないはずなのだ。


 だからぼくは、なるべく接し方を変えないように、努力した。

 普段どおりサークルに来て、普段どおり喋って、創作の話をして、それから。


 それから。


「そういえば今日はコーデきれいだね。春のさわやかな感じがする」

「ありがとうございます。なんか、こう、春だから明るくしたいな、て感じでした」


 なるべく。


「メイク変えた? なんか透明感増したけど」

「はい! 気づいてもらえて嬉しい!」


 普段どおりに。


「なんか、荻野さんと話してると楽しいわ」

「そうですか! わたしもです」


 …………ダメだった。


 なんか、普段どおりにしてるつもりだけど、けっこう踏み込みすぎた会話してる気がしてならない。

 荻野さんは礼儀正しいから、そして相手を悪く言わないから、なんだか言わせてしまってる感じもして、どこか気まずい。


 いろいろ悩んだ末に、那珂川さんにこっそり相談することにした。


 大学二年の夏──期末試験を終えて、サークル活動のついでで、ちょっとだけと依頼して。

 図書館にある学生向けのカフェの中で、ラテを一杯おごって、ぼくはあらためて那珂川さんと向き合った。


 すらっとした背丈で、肩を出した大胆な夏コーデ。リップも鮮やかで、人によってはドキドキしてしまうだろう。

 でも、ぼくはそれどころじゃなかった。


「で、話したいことって?」

「いやあ、荻野さんのことなんだけどさ」

「…………」

「荻野さん、さいきん彼氏できた?」

「いや」

「でもすごくおしゃれになったじゃん」

「うん」

「じゃああれ、自分磨きとかかなあ」

「……はあ」


 ばっかみたい、と那珂川さんがため息。


「えっ、あの、やっぱり」

「やっぱりもうっかりもあるか! ひとの心も知らないで!」

「……?」

「はー、もう。おまえらさあ……」

「なんか、すみません」

「わかってないのに謝らないで。頭痛い」

「はい」


 もう一回、ため息があった。


「まあ、わたしにも責任があるから、最初の一歩を踏み出すところくらいは手伝ってやるけどさ──」


 那珂川さんは、スマートフォンを出した。


「これっきりだからね。これで、〝おともだち〟のままだなんて、やめてよ」


 掛けた。

 コール音が三回、そして。


 ぼくは、確信した。


「あ、もしもし、葉子? あのね、いまそこに透クンがいるんだけど、代わるね……」

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