1-3

 親鳥たちが両腕と翼を同時に広げて盾となる。相手より少しでも大きく見せる威嚇だ。しかし、それは通用しない。親鳥たちはあっけなく首をかき斬られた。アレガは悪夢を見るように眺めている。飛散する血は、ジャングルでは見慣れているはずだ。ジャガーやピューマが跋扈する森で生き抜いてきた。月に二人が奴らの餌食になることもある。だが、それと同じだと思えない。無抵抗な村の半鳥人は次々斬り伏せられていく。女性の首の切断面から見える赤黒い頸動脈は血を噴出し、落とされた頭部が転がって虚空を見つめる。胴体が頭部の後を追って倒れる。


 親の身体に押し倒され、這いつくばる子供もいる。次は自分の番かもしれないと感じたアレガは母のスカートにしがみつく。


 カラスの半鳥人が降りて来た。


 覆い被さる母の後ろに佇む、黒い鳥の女性。白装束が眩しい。一振りの太刀が、炎天の下でぬらぬらと輝く鮮血を振り払う。


 アレガは這い上がってくる震えを堪える。目を背けることができない。


 襲撃者はカラスの半鳥人の女だった。すり足で揃えられる黒い両足。乱れた着物の裾。白地に彼岸花をあしらった柄。帯ではなく紫の紐で腰を縛っている。着物は遠方の地で好まれているという伝承があるが、本物を見たことがあるのは村長である父イグぐらいだろう。


 腰まである濡羽色ぬればいろの髪が舞う。鎖骨まで見えるほど肩を露出させた着物の気崩し方が艶っぽい。幼いアレガでさえ目のやり場に困るほどの妖艶な女性だった。カラス独特の紫の光沢を放つ至極色しごくいろの翼から、羽根が飛散する。


 カラスの半鳥人は大の男ほどに大きく、身長百八十セントリ(百八十センチ)は超える。年は二十ぐらいだろうが、顔の彫りが深く、憎しみを湛えた眉間の皺で、アレガには具体的な年齢が推察できない。前髪の間から零れるような瞳が覗いている。これまでの生を恨んできたかのごとく、漆黒の眼がアレガの頭上のとある一点を見据えている。


 アレガは戦いて母親が自分を押さえている手に指を伸ばして縋りついた。母は微動だにしない。アレガにはそれがそら恐ろしかった。


 カラスは一歩近づいて来た。太刀を両手で握り、顔の右側で構えている。


「冥土の民だ!」と遅れてやって来た村の男たちの雄叫びは威勢がいいとも怯えの声が混じっているともとれた。


 冥土の民とはカラスのことだろうが、アレガには嫌悪の理由は分からない。この村にはカラスの半鳥人はいなかったから、そういう呼び名があることすら知らなかった。ダチョウの半鳥人が西の遠方の国から引っ越してきたように、カラスも異国からやってきたのだろうか。


 カラスに立ち向かう男たちを追って、一人の甲高い鳴き声が丘を駆け降りてくる。透き通る声で、ワシの威嚇する鳴き声だとアレガは分かって戦慄する。


 父イグを先頭に男衆がやってきた。事態を瞬時に把握し、槍や斧、木刀といった得物を手にしている。


 母親とアレガ、カラスの間に勢いよく降下するイグ。頭を振り、一本の木の槍を構えて躍り出た。


「不浄な生き物が私の村を襲うのか。このまま去れば見逃してやろう」


 暗褐色の翼を広げて威嚇する。アレガには、まだ理解できない戦闘の牽制方法だ。事実、女カラスは半歩下がったものの、大して驚きの表情も見せず、一層眼光を鋭くする。威嚇など原始的なと言わんばかりの侮蔑が籠った念すら感じられた。


 イグの眼光に射られても、女カラスは答えない。腕力では若者にも劣らない父を前にして、動じないなんてどんな強者なのか。アレガの中でさっきまでの恐怖が、好奇心に変わりはじめた。


 父の戦いが見られる喜びと、同時にただならぬ事態が起きていることで感覚が麻痺している。


「ぼくにも何かできることない?」


「馬鹿者、私が来た意味を考えろ。半人前のお前を助けるのはついでだ」


 アレガは父に怒鳴られて萎縮する。村長である父が戦いに赴くことは、村総出で戦うことを意味する。だけど、あまりにも無下に扱われた気がした。


 女カラスの手にした太刀が太陽の光を受けて煌めいた。取り囲んだ男たちも、何が起きたのか分からなかっただろう。走る閃光。それが太陽光を反射する太刀だと気づいたときには、風の音に次いで、男たちの首が順に飛んだ。どぼり、どぼり、どぼり。噴き出る血と重たい頭部が転がる音。膝をつく足、倒れる首なし胴。投げ出された手足が地面に当たって跳ねた。心もとない木刀などの武器が取りこぼされる。


 女カラスは腕を斜めに振り下ろしただけだった。力を感じさせない滑らかな太刀筋。はらりと髪をなびかせ、唇は固く結んだままだ。父とアレガと母を一直線で繋ぐ視線。父の顔色をアレガは伺い知ることはできないが、蒼白になっているに違いない。何かに怯えたことのない父の筋骨隆々とした上腕が震えている。


「要件を言え。虐殺が目的か!」


 父が女カラスに槍で斬りかかる。アレガには理性を欠いた一撃に思えた。だが、的確に女カラスの首元を狙っていた。カラスは背中を反らしてかわす。


「何も言わぬのなら、死に急げ!」


 父親の変貌に、アレガは母の腕を取る。母はに抱き上げられた。母は助走をつけ足を浮かせて飛び上がる。


「ぐわあああああああああああああ」


 父の断末魔が母の身体を伝い、アレガを震わせた。母の腕の中、身を乗り出し振り返る。羽音の中で、女カラスに鷲づかみにされて投げ捨てられた父の後頭部の血の撒き散らす音を聞いた。最期までアレガには父の顔は見えなかった。怒り、憎しみ、それとも恐怖? どんな表情で死んで行ったのか分からなかった。女カラスは一撃で父の首を刎ねたのだ。


 相貌は鋭く、口は閉ざしたまま。目が合う。途端、姿が消えた。耳元を風が過る。見えないぐらい速い。


 母の悲鳴が短く切り取られる。上昇していたアレガの身体が前方に傾き、重力に従い落下する。アレガがあっと叫んだときには、顔から地面に墜落していた。タチスズメノヒエの草の葉が口に入った。痛いとか、口の中が苦いとか感じたアレガだが、すぐに背を生温い液体が濡らしていることに気づく。


 恐る恐る見上げると母の小麦色の頬に赤い血の涙が張りついている。顎を伝ってアレガの前髪の上に落ちてくる。


「母さん?」


 アレガは言葉尻を濁した。母の腹と自分の背の間、身体の間に血濡れた太刀があった。アレガは自身の背に触れた切っ先に息を呑んだ。


 母の消え入る笑みを見た。


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