第1話 黒髪の依頼者
ハロルド本人が行方不明だろうが、ハロルド探偵事務所は今日も元気に開業中である。しかし開業中ではあるが、今日もなんにも仕事がない。
それもそのはずで、現在の事務所のメンバーといえば、探偵助手のあたしを除くと黒猫が一匹いるだけなのである。つまり探偵の仕事をできる者がいない。
猫の名はステリアという。
開業していても営業停止しているのと変わらない。しかし勝手に廃業するわけにもいかない。あたしは事務所の家賃を払うため、週のほとんどを探偵業とは無縁のアルバイトをして過ごしている。また事務所の住居スペースで寝泊まりをして、自宅として借りていた賃貸アパートは引き払ってしまった。
仕事をしているのだから本来は給料を貰えるはずなのに、逆にお金を支払っているわけである。生きるってなんだろう……と思わなくもない。
あたしが探偵の仕事をすれば良いのだけど、そうそう簡単にできるものでもない。これまで探偵助手としてやってきた仕事といえば、ハロルドが不在のときにお客さんの応対をしたり、経理関係の書類を作ったり(帳簿なんて分からないのに!)、掃除をしたり、猫を探したり、その
また、助手歴七年といっても、そのうちの大部分は学生の身分だったのである。つまり働いている期間の割に、働いている時間は多くない。
こんな状況なので、お客さんが来ても困ってしまう。そして心配してみたところで実際に客など来るはずはない。あたしはリビング兼応接間のソファーに座って、
あたしが探偵助手になって以来、事務所に置くお茶だけは良いものを揃えてある。現在、探偵事務所の開業時間は、実質的にはあたしの
そんなあたしのことを、テーブルの上で寝転んでいる
「ん?」
突然、そのステリアが起き上がる。彼女はテーブルから降りると、玄関に向かって歩き出す。
外に行きたいのかな。そう思った矢先──来客を知らせる呼び鈴が鳴った。どうやらステリアは人の気配に気付いて歩き出したようである。呼び鈴よりも先に察するとは、さすがは所長代理。
あたしは慌てて立ち上がり、乱れた着衣を整えると、ステリアを追って玄関に向かって歩く。
誰だろう? まあ、誰でも良いか。
あたしなんかに仕事を頼むような奇特な人はいないだろう──猫探し以外には。
***
来客は二名だった。
一人は
男はくすんだ銀髪で、筋肉質ながら細くしなびやかな体をしており、顔立ちも整っている。女の方は黒髪で、どことなく小動物のような印象。今は顔を晒しているが、レインコートみたいな
あたしはなるべくグレードの低い紅茶を
「お待たせいたしました。ハロルド探偵事務所、探偵助手のナコ・ミスキャストです」
「ふん、久しぶりだな、ナコ。なんか老けたか?」
まるであたしのことを知っているかのような口ぶりで、若い男が言う。
「ミスキャストです。あなたにファーストネームで呼ばれる筋合いはないですよ、騎士様」
「なにを言っているんだ。君はボクの唯一無二の大親友じゃないか……って、露骨に嫌そうな顔をするな、傷つくだろ。それにボクはまだ騎士じゃないぞ。これも君なら知っていることだと思うが」
「大親友なら、二言目で『老けた?』とか言わないで欲しいところですけど。で、どうしたんですか? こんなところまでお散歩?」
あたしも彼のことを知っているような口ぶりで(実際、知っているのだけど)応じる。紅茶を安上がりに済まそうと思ったのも、彼のことを知っているが
「ここは探偵事務所だろ。だったらここに来る理由なんて一つしかないと思うが」
「探偵事務所ですが探偵はいませんし、探偵らしい仕事はできません。あなたの先輩であり、あなたと同様に──王立騎士学校の主席卒業生であるハロルドは不在ですから」
「ボクはまだ卒業していないから主席でも卒業生でもない。なんか
「デリカシー! しかもくれるんじゃなくて売りつけるのか! はぁ、久しぶりに会ったというのに、セーラ君は相変わらずですね。で、そちらの女性は?」
あたしが若い男──ペイロード・セーラに訊きながら彼の隣に座る女性に目を
「その、初めまして、ミスキャスト様。わたくし、メルトと申します」
「ナコでいいですよ。
「え? あ、はい。それではナコ様と呼ばせていただきます。その、わたくし、セーラ様にご紹介いただきまして、
「ってことは、あなたが依頼者ってこと?」
「まあ、その──はい。ハロルド様がご不在なのは承知の上ですが、他に頼める人がいなくて。その、セーラ様は、ナコ様ならきっと解決してくれるって」
あたしはペイロードを睨んだ。しかし性格の悪い彼は、性格通りに悪っぽい笑みを返してくるだけ。
──こいつ、まさか事務所の事情を知った上で、嫌がらせのために来たのか?
「その、もちろん報酬はお支払いいたしますし」
「あ、うん。それはまあ、それとして……そもそもあたしなんかが力になれるご依頼なんですか? あたしは探偵としては見習いレベルの仕事もできませんし……どんな仕事なのでしょう?」
「────」
彼女は言いかけて、途中で
強く、願いを込めるように。
「勇者を──ユーヴェル様を殺した犯人を探して欲しいんです」
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