第32話 ⑥

「おまえ……なにそれ」

 テオが呆れている。

 命がけで名声を求めているテオと、婚約者を楽しませたくて金の力でレオナルドのサインを求めるネリス――あまりにも温度差がありすぎる。

 しかしガーデンとは、そういう雑多な思惑が集まる場所だ。

 

 理解不能な様子のテオに対し、リリアナははしゃいだ声をあげた。

「素敵! ネリスはその婚約者さんのことが大好きなのね!」

 リリアナはネリスの婚約者の素性も知っている。

 幼い頃から政略的に婚約している隣国・ドルテロ王国のマリール姫だ。


「くだらねえ」

 テオが吐き捨てるように言って半月形の揚げイモをかじる。

「一人前のウォーリアになることを目指して修行に励んできた俺には、恋だとか婚約者がどうだとか、さっぱりわかんねえな」

 17歳といえば普通はとっくに恋愛感情のわかる年頃のはずだが、脳筋のテオにはピンとこないらしい。

 

「にゃーお」

 膝の上で可愛らしくねだるコハクに視線を落としたネリスが目を細める。

「そうか、おまえはわかってくれるのだな。可愛いヤツだ」


 ハムを一切れつまんでコハクに食べさせているネリスを見て、テオはますます苛立ちをつのらせた。

「わかってるわけねえだろ。猫なで声でねだったらハムをくれるチョロいヤツだと思われてんだよ。おまえ、その婚約者とやらにも猫なで声で『サインもらってきて』とかおねだりされたのか?」


 ネリスが手を止め、紅蓮の目で冷ややかにテオを見据えた。

「マリールのことを侮辱するとは聞き捨てならないな。さてはおまえ、恋をしたことがないんだろう? つまらない憐れな男だな」

「なんだとぉ!」

「恋をしたことのないお子ちゃまには、好きな子を振り向かせたい気持ちなどわからないだろうな」

 ネリスの声には明らかな蔑みが含まれている。

 

「キャリーお坊ちゃまに、お子ちゃまとか言われたくねーし! 勝負だ、コラァ!」

 気色ばんで立ち上がろうとするテオの腕をハリスが掴んで止めた。

「いい加減、つっかかるのはやめろ」

 ラージサイズのきのこピザを頬張っていたリリアナも、ため息をつく。

 

「そうよ、食事中にやめてよね。せっかくの美味しい料理が不味くなるわ」

「…………」

 リリアナの一言で急におとなしくなったテオを、ネリスは興味深げに見つめていた。


「そんなに勝負したいなら釣り対決なんてどう? いま、ワカヤシ釣りシーズンじゃなかったかしら」

「ああ、いいね」

 リリアナの提案にハリスも頷いた。

「やってやろうじゃねーか。言っとくけど俺、釣りは得意だぜ?」

 テオは勝ったも同然とでも言いたげなドヤ顔をする。

 

 モダヤシという名前の魔魚がいる。

 食欲旺盛・繁殖力も旺盛で湖の藻を全て食べ尽くししまうことから「モダヤシ」と名付けられ、その稚魚は「若いモダヤシ」が省略されて「ワカヤシ」と呼ばれている。

 秋に産卵し、孵化した稚魚たちは冬の間、表面が氷に覆われた湖底でプランクトンや微生物を食べて過ごす。そして気温の上がる春・夏でどんどん大きくなるという生態だ。

 成長に気温差が不可欠のため、モダヤシの生息エリアには四季がある。

 街でワカヤシ釣り用の釣り竿や氷に穴を開けるためのアイスドリルが店頭に並び始めると、冒険者たちはワカヤシ釣りシーズンが来たことを知る。

 釣り上げたワカヤシをその場で揚げて食べるのが、たまらなく美味しい。


「マリールさんも誘って一緒に釣りしましょ。レオナルドのサインよりもうんと楽しくて喜んでくれると思うわ」

「そうか、じゃあ誘ってみるとしよう」

 頬をわずかに紅潮させてネリスが頷いた。


 こうしてワカヤシの釣り対決が決定したのだった。

 

 

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