第3話 ②
ハリス先生と呼ばれた男は無精ひげの生えたあごを撫でながら視線をチラっとテオに向ける。
先生ということは、この若い女の師匠だろうか。そのわりに甲斐甲斐しく肉を焼いているのはどういうことだろう。
疲労のためあれこれ思考を巡らす余裕がないまま、テオはただハリスのことをぼうっと眺めている。
ハリスが赤ワインをフライパンに回しかけた。
ジュワ~~ッ!という派手な音の後に、ボッと赤い炎が上がる。
炎が落ち着くのを待ってナイフを取り出すと、ハリスはフライパンの肉を手際よく一口大にカットしていった。
「リリアナ、食べさせてやってくれ」
ハリスの持つフォークには、サイコロ状のステーキが3つまとめて刺してある。
「はい、あーんして」
フォークを受け取った大食いの若い女――リリアナという名前らしい――は、テオの鼻先にステーキを突き付けた。
ステーキの表面にはほどよく焦げ目がつき、断面はまだ赤みの残るミディアムレアに焼き上がっている。脂の少ない赤身の肉だ。
テオにはこれがなんの肉かすらわからなかったが、とてもいい匂いがする。
肉の匂いに混ざってかすかに鼻をくすぐる芳醇な香りが、フランベによる赤ワインのものであるという知識ももちろん持ち合わせていない。
しかしこれは美味いに違いないと思った。
テオはあふれ出てくる唾をごくりと飲み込む。
それでも口を開けなかったのは、このステーキが明らかに贅沢な食事だったためだ。
テオにとって食事とは生命維持と体の鍛錬を目的として義務的に摂取するものであり、楽しく味わいながら食べるものではない。
美食は堕落の元凶――それは故郷での教えだ。
実際に旅の途中に立ち寄った大きな街で下っ腹の出ただらしない体型の大人たちを目の当たりにした時に、あの教えは間違っていなかったと思ったテオだ。
「ねえ、食べないの?」
リリアナにぐいぐいステーキを押し付けられ、テオはますます口を開けてはならないと確信する。
さてはコイツ、俺をでっぷり太らせてから食う気だな!?
それなのにテオの腹の虫がグゥ~ッという大合唱を始めてしまった。
「ほらあ、お腹鳴ってるじゃない」
リリアナに笑われ、鳴り続けるお腹を押さえようとしたが、テオの左手は持ち上がらずにわずかに横に動いただけだった。
その左手に、コンっと当たる物がある。
この感触ならよく知っている――。
寝かされているテオのすぐ横に、彼の愛用の斧も置いてあったのだ。
「食べたら元気出るわよ」
尚もステーキを押し付けてくるリリアナの真意がわからない。
こんなに無防備に武器を置いているということは、元気になったら逃げてみろということか。
しばし迷ったテオは、誘いに乗る決意をしてステーキにかぶりついた。
咀嚼すればするほどにジューシーな肉汁があふれ、濃厚な肉の旨味が口の中に広がっていく。
鼻から抜ける香辛料のスパイシーな香りに食欲を掻き立てられたテオは、あっという間に3切れを平らげた。
するとまたステーキの刺さったフォークが差し出され、それにも夢中でかぶりついた。
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