旅行道中奇譚

千瑛路音

 戦のたびに戦果を挙げた。他国の名の知れた猛将打ち取り、その首を勲章として持ち帰ったものだ。大剣を翻し、まるで鬼神のような荒武者ぶりであった。傷つくことを恐れず、敵陣へ突っ込んでいく。その都度、敵陣の陣形は乱れ、そのすきを突き一気に攻め落とすのが彼の部隊の定石であった。率いる部隊は勇猛果敢ないずれも猛者ばかりで、なかなか上司の言うことをきくような連中ではなかった。それらの手柄を立てたいという欲求と部隊の統率それらから導き出された戦略でもある。単騎、古風な名乗り上げで堂々と敵陣に近づき、その意気に敵味方のまれるその機を逃さず一気に敵の懐深く突っ込んでいく。焦る敵陣にさらに追い打ちをかけるように味方が突っ込んでいく。もはや乱戦のみの戦であった。ただ、戦というのは勝機をものにした側が必ず勝つ。逆に言えば上策ともいえなくもない。それらの常勝の戦果の中、少し気のゆるみが生じたのだろうか。

ある時、戦でけがをした。不覚にも戦場に落ちていた小さな石を踏み誤ってしまったため、一瞬集中力が途切れたのだ。戦場で集中力を失うのは命取りである。兜を思いきりたたきつけられ、頭に傷を負ってしまった。戦では命を落とすことはなかったが、落ち延びた民家で、けがを癒すこととなった。身の証となるものはすべて近くに隠していたので、正体がばれることはなかった。

時が過ぎ、住民らとも仲良く過ごしていた。十分傷がいえると、それら住民との別れを惜しみながら、自分の国へと帰っていった。

そして、結婚をする。仲人はちりめん問屋の隠居さんであった。住んでいるところが近く、よく茶飲み話をする中であった。紹介された嫁さんは美人で気立てが良かった。何不自由のない暮らしを約束されていたのだ。問題は性格にある。

怒り、どうしようもないはらわたの煮えくり返るような怒りにとらわれる。時には正気を失うこともあった。それでも誰も傷つけず、何とか過ごしていたのだ。

その、性状は周りから必死になって隠した。


久しく、平穏な生活が続く。

道場を開きながら、生活をすることとなった。もう戦場に出ることもなくなっていた。戦場に出ていたころのたくわえの為、金に不自由しなかった。その金を元手に道場を始めたのだ。最初はあまりうまくいかなかったが、少しずつ道場生が増えていった。長く続けていくとだんだん信頼も勝ち取っていって評判も上々である。

そこに通う若者が、めっぽう剣の才能があった。まだ年端もいかぬうちに入門してきた子であった。熱心にけいこをつけるとめきめきと上達をしていく。

しかし、ある時、不幸な事件が起こってしまった。男には欠点があった。相手の気持ちが一変も理解できないのだ。そのため、若者に対し、厳しすぎるほど厳しく、延々と自分の技術を叩き込んでいった。あるとき、言う必要もないことを若者にいい、けいこの最中腕を切られた。若者はすでに剣の腕は自分より上であったのだ。とっさ若者に憎悪の目を向ける。若者は一瞬で意を決し、一刀のもとに男を切り伏せ、遁走した。どうせこのまま、町にいても死罪は免れぬ。山へと身を隠すという決意に至ったのであった。


幾年も山にこもっていると、獣のような生活を強いられる。獣道を走っていると自然と体が鍛えられた。そのため、体の方はめっぽう元気であった。しかし孤独に過ごすと人間だんだん普通ではいられないのだ。

最初は、物事を理屈で考えていた。ここは間違っている。こうするべきだ。なぜなら。。。というふうな。ところが、そういう理屈の通じない連中、熊、猪、もしくは狼など、はたまた食料となるべき、鳥や草木などまで、そんな頭でっかちな逃亡者をせせら笑うがごとく、始終馬鹿にしていた、そのように感じ取ったのだ。

はじめは怒り狂った。これでも、道場での腕前は名が知れ渡るほどで、頭もよい。切れ者だ。そんな自負をしていたのだ。そんな自分の自尊心を、まるで何も価値の無いもののように接してくるのだ。そんな連中ばかりだったからだ。




異形のものと遭遇する。森の中だ。道に迷ったと、真っ暗な木々の中で獣とは違う人型の影を見つけ、ほっとして声を掛けた。ギラっと向けた面が異形のものであった。ハッとしてとっさに身を隠したが、もう遅かった。その異形のものは勢いよく武芸者に近づいてくる。さすがに隠れるのは無理と判断し、即座に相手の出方を待つように刀を構えた。異形のものは刀を見ると、少し躊躇したようだ。その間にじっと観察してみる。

鋼のような赤褐色の肉体。筋骨隆々で、岩も切り裂くような鋭い爪をもっている。人間と決定的に違うのは恐ろしい形相の中に突出している部分が二つある。一つは獣と同じ、牙だ。下あごから延びだしたそれは小鼻近くまで達する。汚らしい黄色をしていて、まるで欲望のまま生きていることを周知しているようだ。そしてもう一つは頭頂部から両端に寄った位置に二本にょきにょきと生えた角であった。らせん状に筋の入ったその角はそれほど大きくはないが、太く鋭く天を刺している。まるで、ねじくれた腹の中のように、天に反駁するように。着物はなく、裸同然だが、肉食獣の毛皮を申し訳ない程度に羽織っていた。今まで上げてきた戦果の勲章をみせびらかしているみたいだった。獣臭がすごかった。それと混ざって何とも言えぬ、とても嗅ぎたくない嫌なにおいがした。なんだか、心を不安にさせるとにかくその気持ちから逃げたくなるようなそんな匂いだった。

値踏みするように若者を見る。そして躊躇している自分に対してふつふつと怒りがわいてきているようだ。うぅっうぅっと腹の底から小さいうなり声がだんだんと大きくなり、しまいには熊のような威嚇を武芸者にする。圧倒的な迫力だ。木々の中でひっそりと身を隠していた小鳥たちが、一斉に逃げ出すように飛び立っていった。身の丈が人間の倍近くある。それが森中に響き渡るように吠えてくる。思わず、剣を取り落としそうになった。が、武芸者もひとかどの兵であった。気を引き締め相手との距離を測るように剣の切っ先を相手との視線の線上に置く。


鬼には勝たねばならぬ。そう思った。ここを切り抜け、自分はさらに武道の高みに上がらねばならぬのだ。剣を握る手から汗が出てきた。キッと鬼をにらみつける。それに、その鬼はどこか切り殺した師匠に似ている。相手に対する御しきれぬ怒り。師匠はその気持ちを必死で隠しているようだったが、自分にはわかった。師匠の目を見ると彼自身の憎しみの感情により、自分もその憎しみにとらわれてしまうのだ。それは常に心を侵食し、それに抵抗する日々が延々と続いた。その結果があの事件であった。そして、まさにその憎しみの塊を鬼は持っていた。しかも全く隠そうともしない。まだ、人の理性が残っている自分にとって恐ろしいことだった。そして、その憎しみの為に発生する怒りは体をも焼き焦がすように熱い。その圧倒的な熱量がひしひしと体に伝わり、暑くもないのに額から汗が噴き出る。絶対にこいつには勝たねばならぬ。必ず勝ってみせる。そう自分に言い聞かせる。それが、唯一自分が人間であることの証明に他ならないと思ったからだ。


平手から上段へとゆっくりと構えを切り替え、異形のものが無造作に若き武芸者に近づいてくるのを紫電のごとく角のついた天頂を打ち据えた、かに見えた。異形のものはわずかに頭を動かすと、ちょうど頭から生えた灰褐色の石のような角に刃を当たった。ガキィと金属音にしては鈍い音がして、火花を散らせ刃が少し欠ける。角には傷一つついていなかった。しかし、若き武芸者はひるまなかった。幼き頃の鍛錬により、心は氷のように静かで、体は鋼のようだ。それは体を動かせば動かすほど実感できた。そして、師匠にすら打ち勝つことができた。それが若き武芸者の堅い自信につながっていたのだ。

最初、若き武芸者は勢いづいて、威勢良かった。見事な剣さばきに異形のものはまったく手が出せなかった。

が、異形のものは素手なのに刀による傷がまったくつかず、逆に刀がおられてしまった。すると、途端に若き武芸者はすべての力が体から抜けていくのを感じる。驚愕、恐れおののき、助けを懇願した。待ってくれと。鬼が近づいてくると、体から震えがきた。幼き頃、あの道場に入門した状況だ。門をくぐると、大人が若者を怒鳴っていた。気は強い方だったのだが、その異常なまでの大人の怒り方に思わず震えがきたときのことだ。思い出すと震えが止まらなくなってしまった。道場で稽古をつけてもらっていた時のことを思い出す。散々打ちひしがれて倒れ伏し、それでもたたかれたので思わず蛙の様に縮こまり、参ったといった。いつの間にかその時と同じように参ったをしていた。

鬼である異形のものは容赦なく頭を踏み潰す。脳髄が飛び散り、あたりに液体がビチャビチャとはねる。頭骨を踏み砕いても意外に音はでないものなのだ。そのまま、肉塊と化した塊をガリゴリと食い散らかした。先刻の感情を思い出しているのだろうか、時折、怒りに満ちた吠え方をすると肉塊の一部を力の限りに踏み潰した。まさにすりつぶされた様に肉塊は踏み潰されていったのだ。

鬼に憐みの感情などない。あるのは憎しみ。憎しみが怒りを爆発させ、破壊的な衝動に駆られ、それが満たされるのを常に渇望するのだ。







ある時、森近くで牛を飼っている農家に事件が起こった。

一頭の牛が無残な死体と化していたのだ。はらわたを食い荒らされているので、山の獣が襲ったのだとうわさされた。しかし、角を頭から引っこ抜いていて、普通の獣の仕業でないのは明白であった。山賊でも近くにいるのだろうか。そんな不安が農家に広がっていった。農夫が牛の後始末に悩んでいると、遠くで獣の声が聞こえたような気がした。急に寒気がし、急いで片づけることにした。しばらく片付けていたが、独りということもありなかなか片付かなかった。この無残な牛の死骸は、何をやったらここまで無残な形にできるのだろうというほどひどい状態であった。そのため、あっちを片付けたと思えばこちら、こちらを片付けたと思えばそちらといった具合に、いっこうに要領を得なかった。フーとため息をつく。

家に入り、一休みした。


ついうとうととして、気が付くと少し日が暮れて空は真っ赤になり、あたりにはゆっくりと闇が訪れていた。あわてて、先ほどの後始末の続きをしようと、板間から土間へ移動用とした瞬間、バリバリバリッと、少し古くなりあちこちが擦り切れたような板が突然裂け、中から大きな手のようなものがせり出してきた。農家の家だったが、やや一階の底が高かった。その一階の下の開いた空間に、冬の間貯蔵するための設備を整えていたのだ。その中に潜んでいたのだろう。おそらく、恐ろしいことに農夫が寝ている間に階下に忍び込み貯蔵されていた、牛の肉などを貪り食っていたのだ。その手は太い毛がたくさん生えており、その一本一本が針金のようだった。そして、指先に生えた爪は汚らしく黒く汚れており、触れるのも汚らわしい雰囲気であった。その爪は鋭く、何物をも切り裂く体をしていた。ぎょっとした農夫だったが、間一髪腕から逃れる。そして土手にしりもちをついた。その間にもバリバリと板間を割り砕き、火を背にしながら地下からのそのそと人のような闇が伸びていった。うぉおおおおっと部屋中に響き渡る声で叫ぶとさらに右拳を振り上げ、板間をたたき割った。ドゴォーンと。割られた板間の板の破片が、農夫の顔にビシビシ当たってきた。両腕で顔を防ぎ、目をかばった。何とか、大怪我を逃れたことを確認すると、脱兎のごとく戸を開け、パッと使え棒をする。そのまま牛舎の横にある倉庫へと走り去り両開きの扉を開け、素早く閉める。そのとたんバコーンといった風に、どうやら家の方の戸が侵入者によって吹き飛ばされたようだ。急いで、閂をさし、雑多な道具の奥へと身を潜めた。思えば、あまりぱっとしない人生だったなと静かになった辺りの様子をうかがった後、ふと我に返った。手や体は小刻みに震えたが、もはや自分はどうすることもできないことを分かってしまっていたため、やけに頭が冷静になってしまっていた。


鬼の一撃により、固く閉ざしていた扉は粉砕し、破片が飛び散った。濛々ととあがるほこり、土煙、などにより、視界が遮られる。

前方にいた牛の腹部へ向け、無造作に腕を振るう。ドボッと爪先から腕がはらわたへ貫通し、そのまま反対側へと突き出す。ヴぉーっと一声鳴くと牛はそのままドゥっと倒れ、そのまま息を引き取った。そして、鬼はそのまま内臓を引き抜き、それを口の中に入れ咀嚼する。くちゃくちゃくちゃっといやらしい音を立て、そのまま嚥下した。追跡物を忘れたように食事に集中しだしたので、そろりと鬼から音を立てずに遠ざかる。鬼から農夫が死角になるまでそろそろと距離をとると、そこから飛ぶように走り去った。どうやら気づかなかったらしい。へぇへぇへぇ。と息の続く限り森を抜け、とにかく人がいる方へと逃げ惑う。どうやら道に迷ったらしい。いつの間にか、周りには木々が生い茂り視界を遮り、雑草の類が膝まで生えていてなかなか前へ進むことができなくなっていった。メキメキメキッザザァーっと何やら太い板を割った後に、大量の木の葉が地面に落ちる音がした。どうやら、大木を押し倒して追いかけてくるらしい。それほど距離は離れていなかった。背中がピリピリとした緊張感が、足をなかなか前へ進むことがかなわないことを示していた。急にざっと視界が開けると、辺りに地面が無くなっていた。わなわなと震えながらゆっくりと端をのぞくとそこは断崖絶壁となっていた。崖まで追い詰められ、もはやこれまでと目をつぶってしまった。暗闇の中、何か巨大な脅威が近づくように音を立てる。ジリッ。その瞬間ビクッと体が反射的に反応し、後ずさりをする。気が付くと、体は宙にあった。ドバシャッ。盛大に水しぶきを上げ、濁流にのみこまれていく。

気が付くと、渡り船の休憩所に寝かされていた。申し訳ない程度の掘立小屋で、野晒同然なので起きたてにブルッと身震いをする。まだまだ寒さが堪える季節である。しかし、周りを見回して人しかいないことを確認すると心底安心する。たすかったぁ。もう、あの怪物に追いかけられることがないのだと思うと、途端にまた気が遠くなった。


そんな中、山狩りをするという触書が城下町に建てられた。我こそはという武芸者を集い、被害にあった村の脅威を取り除こうという趣旨だった。

唯一の生き残りである、あの農夫も参加することになった。唯一鬼の襲撃からの生還者だったからだ。顔を青白くさせていたが、意を決したような目をしていた。


おとりのものが、鬼を罠へと誘導する。人間ならそうそう引っ掛かりはしないが、鬼は猛然とその人間に襲い掛かる。と、鬼の体を無数の矢が突き刺さる。射終わるとまるで針鼠のようなものがそこに立っていた。隊は今度こそ勝利を確信した。皆が勝鬨をあげようとしたその瞬間、ブルッと体を震わせると、突き刺さっていた矢がぼとぼとと地面に落ちた。矢は皮膚一枚に刺さっていただけで致命傷でもなんでもなかったのだ。まるでかすり傷一つついていないような体であった。

後は、乱戦となった。どちらも一進一退の攻防を繰り広げられる。

しかし、隊の必死の防衛のスキを突き、鬼が油断をしている間に、影のように後ろに回ってくるものがいた。農夫だった。崖まで追い込んだのはいいが、隊も多数の犠牲者を出し、だんだんと不利な戦況となっていった。ある者のの決死の斬撃をいなし、勢い余って崖に落ちていった。それを見ていた鬼に対して、今こそ千載一遇のチャンスと、乾坤一擲の捨て身のぶちかましを行った。農夫の一撃によって、鬼はよろろと体勢を崩す。崖に落ちるのかと皆思った。が、体制がよろけたのは一瞬だけであった。まるで大地に根が張っているかの如く、背後に崖が迫っているのにびくともしない。ギラっと農夫をにらみつけた瞬間、どいやさーと大きな塊が鬼の大きな体にぶち当たってきた。通常、攻城戦の際に用いられる丸太であった。それを後方に控えていたものたちが、農夫の一撃で一瞬ひるんだ鬼めがけて力いっぱいぶつけてきたのだった。ドーンとあたりに響き渡る低い音とともにガラガラガラと崖が崩れていく。鬼が足を踏み外したため、端の方から土が崩れていったのだった。皆歓喜に沸く。ガシッと丸太を鷲掴みのする黒い針金のような毛が生えた赤褐色の大きな手であった。途端に、丸太を持っていた数名もろとも崖から落ちていった。崖は深かった。水しぶきの音も聞こえず、ともに落ちていったものたちの救助も困難出った。しかし、ひとまず助かったのであった。

鬼の討伐は失敗となった。隊は壊滅状態であった。


一旦は脅威は去ったもののまた、いつの日か報復に来るに違いない。少なくとも危害を加えようとしていたことは覚えているはずだ。次会ったときは容赦しないであろう。また、町に降りてくるという可能性もある。近々に対応策を練らなければならなかった。とりあえず選抜隊の人選が行われた。

不思議なことに、あの第一の討伐戦から、数日後、続々と同じような夢を見たという若者が集まってきた。総勢五人。何やらひげが真っ白で腰まである老人が、この場所を告げ急ぎ向かうように言ったという。その時、枕元に何やら神々しい武具が置かれていたらしい。『八万大権現』それぞれ銘として刻まれていた。これは真に鬼討伐の為、使わされた使者であろうと皆が確信を持ったのであった。

それら選抜隊とその五人は、鬼対策に奔走した。村々に回り鬼の目撃情報がないか聞込みをする。不審な噂があれば、逐次偵察を試みる。その際、周りの環境まで調べ上げ、本営に戻りそれらをもとに仮に戦略を立てる。それほど徹底していた。そうこうしている間に慣れない間柄であった組織に連携が生まれ、鬼退治という共通の大義に団結力が備わってきた。そして、何より加護がこの集団にはあるという自信が、より選抜隊を強靭なものへと成長させていく。そして。。。


鬼が出たぞぉー


晩鐘が鳴らされた。仮に作られた火の見櫓からぐぁんぐぁんぐぁんとあたりに響き渡る音を立てる。

隊は静かにしかし、素早く行動する。武器を携えると、一斉に持ち場につく。そして、鬼はあらわれた。今まで行っていた訓練の通り、陣形を作り鬼に対し、考えられる最善の戦法を取っていった。しかし、一向に有利な戦況にはならなかった。全く、普通の武器では歯が立たないのだ。すると、集められたものたちの一人、弓矢を授かった若者がすっと前にでる。南無八万大権現っっと静かに唱えるとふっと矢を射る。過たずズッと鬼の右目に突き刺さった。一瞬、空気が凍ったように静けさが訪れる。そして、鬼の苦痛のうめき声が辺りに響き渡った。やった。農夫が周りが呆けているのを尻目に声をあげる。次第に周りに活気がみなぎり歓声が起こった。うぉおおおっ。途端集団全体に何らかの力の波が発生する。効くっ。効いている。その武具に宿った力は鬼を成敗するに至る。皆がそう確信した。そして、鋭い一撃を鬼のわき腹めがけてお見舞いする。ズッとまた八万大権現の銘の入った鋭い槍が腹部に深く突き刺さった。口を大きく開け、恐ろしい眼で睨みつける鬼は槍をその針金のような毛が生えた爪のとがった大きな手で摑まえ、ぶん投げようと試みる。そこへ鋭く斬撃が入った。針金のような毛が生えた大きな手は、手首の部分がスパッと切れて、宙を舞って落ちる。さすがの鬼も片膝をつく。すかさず、大木槌で横っ面をドゴンとぶちかました。そして倒れ伏した鬼の首を大刀を用いてザンバラリとまるで大根を切るように見事に打ち取ったのだ。ゴロリゴロゴロ。その鬼の頭であったものは首を離れることでコロコロ転がりやすくなっていた。皆、とどめをさせたか気が気ではない。そして、一番隊の中で速足のものが、鬼の頭であったものを確認するため走っていく。しかし、さすがに不用意には近づけなかった。慎重を期し、気を配りながら、手持ちの槍で鬼の首辺りをぶっ刺す。手ごたえはなかった。

うぉおぉぉぉぉっ、仕留めておるぞぉっ。

大声で叫びながら、その頭を頭上高く仲間に見せた。


大刀を持った若者が、勝利の声をあげる。


えぃえぃおー、すると皆もそれに倣い声をあげた。

 

えぃえぃおー、えぃえぃおー、えぃえぃおー。


皆、お互いの奮闘をたたえあい、肩をたたきあう。鬼を打ち取ったのだ。


日が暮れたが、鬼をそのままにしておくわけにもいかなかった。報告義務もある。その鬼を処理する作業の内容を上司へと報告する。上司から酒がふるまわれた。打ち取った遺体を、急ぎ処理する段階へと移る。その処理している最中、ふっとこちらに向ける横顔がどこか迫力のある、鬼の面相となる。慌てて、目を拭うともう普通の顔に戻っていた。よほど疲れていたのだろう。そしてまた、平和な日常が帰ってきた。





その時の農夫がうちの親父なんでさぁと、煙草入れから煙草を煙管へ詰め、火鉢に突っ込みそれからおもむろに煙管を口へ咥え、ゆっくりと吸い込むと、少しして紫煙をふぅーっと噴出した。煙は少し空間に揺蕩うとスーッと消え去った。

これから、その親父の墓を参る旅に出るところでぇございやす。と遠い目をしながらその男は語った。ここからは遠い所に親父は眠っていやす。小さいころから、奉公に出されろくに死目も見れずに過ごしていましたが、そろそろ仏さんが成仏するころなので一度挨拶にでも行こうと思ってぇおりやす。それでは失礼いたしやす。

と、懐に煙草入れを片付けると身軽に、旅へと出発した。

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