第3話 兼業主婦探偵シーラ

「気分はどうだい?」

「……ええ、ごめんなさいね。迷惑をかけて」


 シーラはソファから起き上がる。

 衝撃的な内容を知った彼女は気分を悪くし、しばらくソファの上で休んでいた。

 レオポールから水入りのグラスを渡され、ぐっと飲み干す。横になり水分を摂ったら、少しだけ頭が回るようになった。


「……夫は、相手の男に飽きることはあるのかしら」


 男遊びは一時の気の迷いで、このまま見て見ぬふりをすれば、また以前のような平凡で幸せな生活に戻れるのではないか……。

 シーラのつぶやきに、レオポールは難しい顔をして首を横に振った。


「シーラさん、厳しいことを言うようだけど、それは難しい。男に……ネコの立場に目覚めてしまったやつはもう戻れない。たとえジェイムスと別れたとしても、旦那さんは他のタチを探すだろう」


 レオポールの探偵事務所には、毎日のように浮気調査依頼が舞い込んでくる。その中には夫が男に走ってしまったという案件もあった。

 シーラは今まで、依頼人の相談内容に胸を痛めながらも、自分には無縁のことだと思っていた。

 あの真面目な夫が不倫をするなんて、考えもしなかったのだ。


「……私、これからどうしたらいいのかしら」

「シーラさん、いつも浮気調査の依頼人が来たら何と言っている?」

「えっ……?」


 この探偵事務所にもう五年も勤めているシーラは、さまざまな業務を担っている。

 レオポールが複数の案件を同時に回している時は、シーラが依頼人対応をすることだってある。

 特に浮気調査は対応のパターンがすでに確立されている。探偵ではないシーラでも、ある程度依頼人にアドバイスができた。


「ええっと、まずは『離婚不受理申出書』を役所に出すように言うわ」


 探偵事務所に浮気調査を頼む人間は、伴侶やその浮気相手からの慰謝料や、今後の生活費・子どもの養育費などを望んでいる。

 だが、浮気調査をしていることが伴侶にバレてしまうと、勝手に役所に離婚届けを出されてしまうことがある。

 離婚が成立した後では、いくら不貞による慰謝料を望んでも請求ができない。裁判を行えば迷惑料なら請求できるが、慰謝料に比べれば金額はしれている。

 だから、勝手に離婚届けを提出されないよう、『離婚不受理申出書』を真っ先に出す必要があるのだ。


「ご名答。まずシーラさんがすべきことは、『離婚不受理申出書』を役所に出すことだ。シーラさんの旦那さんは役所勤めでも、たしか都市開発部の所属だっけ?」

「ええ、『離婚不受理申出書』を出しても、たぶん夫にバレることはないわ」


 具体的に最初にすべきことが分かると、不思議と絶望的な気分が和らいだ。


「シーラさん、どうだろう。今回の旦那さんの一件を自分の探偵の仕事として捉えてみるのは?」

「探偵の仕事?」

「そう。これからシーラさんは旦那さんのことをいっぱい調べなきゃいけない。自分の今後のため、息子のため、戦おうなんて思うときっと辛くて心が持たない。だから……今日から君は名探偵、シーラだ」


 レオポールの言葉に、シーラはぱちぱちと瞬きする。


「名探偵、シーラ?」

「そう。これはシーラさん、あなたが最初に受け持つ案件だ。旦那さんのことを調べていて辛くなったら、『これは探偵としての自分の仕事なんだ』って思うんだ」

「探偵としての、自分の……仕事」


 夫の浮気調査を、自分の仕事だと思うと驚くほど気が楽になった。今の今まで重たく感じていた肩も胸も胃も、全身がすぅっと軽くなる。


「……分かったわ」


 シーラは大きく頷いた。

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