一時中断:現実世界へ

第42話 見知らぬ天井と、見慣れた自分

 ハッとして目を開くと知らない天井が目に入った。

 どこかで嗅いだような独特の匂いが鼻を掠める。


 ボクはベッドの中で眠っていた。ずきんと強烈に腹部が痛んで顔を顰めた。

 不可解に思ってシーツと寝間着を捲ると、怪我を治療された跡があった。


 なんだか体に妙な違和感を覚える。


 むくりと起き上がって辺りを見渡す。病院の個室のようだ。


 部屋には誰もいなかった。

 長時間の睡眠から目覚めた時みたいに頭がぼうっとして働かない。


 ここはどこだ。

 ボクはどこにいる。


「おい、マモリ。状況を教えてくれ」


 ボクの呼びかけには何の反応もなかった。

 あいつ、いつもなら要らない時にも出て来る癖に。


 それより、何だこの声。

 普段より低い。

 だけどボクはこの声を4ヶ月程前までは毎日聞いていた。


 痛む腹部を庇いながらベッドから降りた。

 鏡が欲しい。


 部屋に洗面所が備え付けられていた。

 大きな鏡もある。

 そこに写っていたのは、


「ボクだ……!」


 散髪に行くのが億劫で伸びがちな前髪。

 陰気そうな雰囲気の男子高校生が鏡の前にいた。

 見慣れた姿だ。

 強いて言うなら顔に疲れが見える。


 ドアがノックされた。


「入りますよ」


 女性の声が聞こえた後、スライド式の扉が開かれた。


 現れたのは、清潔感のあるピンク色の衣服を身に纏ったパンツスタイルの女性だった。


内藤ないとうさん!」


 女性はボクを見て大そう驚いていた。


「目が覚めたんですね。先生を呼んできますね!」


 女性は持って来た新しい寝間着をボクに手渡すと、慌ただしく部屋を出て行った。


 その後白衣を着た男と複数の男女が現れ、ボクは様々な検査をさせられた。

 彼らからこれまでの経緯の説明も受けた。


 ここは病院だった。


 あの日、陽彩ひいろちゃんを義理の兄から救うために戦った後、腹部を刺されたボクは救急搬送されたらしい。

 一週間ボクは眠り続けていたそうだ。

 目覚めた時に記憶が混濁していたのも無理のない話だった。


「内藤さん。ご家族の方、仕事終わりに来てくれるそうですよ」


 ボクが目覚めて最初に顔を見た看護助手の女性が優しくそう言った。


「……そうですか」


 緊急連絡先を聞かれたので仕方なく叔父さんの電話番号を告げた。

 あの人の顔を見るのも1年ぶりくらいか。ちょっと気まずいな。


 そんなことより陽彩ちゃんは無事なのか?


「あの、川合井さんってどうしてますか?」


 看護助手の女性が要領を得ない表情をしたので、「ボクが刺された時に側にいた女性です」と、説明をした。


「その方なら無事ですよ。プライバシーがあるので詳しくは言えませんが」


 女性の口ぶりから察するに、ボクと同じ病院に運ばれた可能性がある。

 会うことは難しそうだが生きているようで安心した。


 安心したら喉がカラカラだったことに気がついた。


 たっぷりと水を飲み、食事の時間に病院食を口にした。

 普段なら味が薄くて耐えられないところだが、一週間ぶりの食事のせいかひどく美味しかった。



 ボクは清潔な病院のベッドの上で、点滴を施されながら天上を仰いだ。

 今や意識も記憶もハッキリしている。


 ヤミのマギアの世界に入って色々したことも全部思い出した。


 こうしているとあの日々は全部夢だったんじゃないかと思える。

 あのゲームをプレイし過ぎて夢に出て来ただけ。


「現実的に考えればそうだよな」


 ゲームの世界に転移するなんておかしな話じゃないか。

 ライトノベルだったらありがちな設定かもしれなかったが。


「陽彩ちゃん、どうしてるのかな」


 夢の中で彼女は「兄を殺した」と言っていた。

 実際にはどうなっているんだろう。


 ドアをノックする音が響いた。


宗護しゅうご


 大人の男の声がボクの名前を呼ぶ。

 叔父さんだ。


「入っても大丈夫か」


「どうぞ」と呼びかけると、静かにドアがスライドした。

 わずかな緊張感を覚える。


「先生の話では後遺症は無さそうとのことだが……調子はどうだ」

「大丈夫です。わざわざ来て貰ってすみません」

「思ったより元気みたいだな」


 叔父さんはベッドの側にある椅子に腰かけた。

 母さんの弟だけあって、近くで見ると目元が似ているな。一年ぶりに見た顔を評価する。


「意識を取り戻してすぐにこんな話をして悪いが……」


 重々しい口調で叔父さんは口を開いた。


「警察から電話があった。被害届が出されたそうだ。お前が住居に侵入し、刃物を持ち出した……と。本当か?」


 ボクは黙っていた。


「お前が回復次第、事情聴取をしたいとも言われている」

「そう、ですか」


 被害届を出したのが陽彩ちゃんならこのままお縄につこう。

 だが彼女の兄だったら、全力で戦うまでだ。


「場合によっては家庭裁判所の調査が入る。鑑別所に行く可能性もある。弁護士は用意するが……」

「手間をかけさせてすみません」

「久しぶりに顔を見たと思ったら……」


 叔父さんは床に視線を落とした。

 顔は年より老けて見える。母さんの兄と言っても信じられるような。

 ボクら親子のせいで苦労しているせいだろうか。


「また、明日来る。必要なものがあれば連絡しなさい」


 そう言う叔父さんに、ボクはあることを思いついてメモ用紙とペンをねだった。

 叔父さんは病院に併設されているコンビニまでわざわざ行き、ノートとペンを買ってくれた。


 ボクにノートとペンを手渡した後で叔父さんは帰って行った。

 緊張が解けて一気に疲れた。



 現状はおよそ理解した。


 ゲームの世界と違って、現実で武器を持ちだしたら当然こうなるわけだ。

 後悔は一切ない。

 気がかりはただ一つ。陽彩ちゃんのことだけだ。


 ぬるくなったペットボトルの水をひと口飲んだ後で、病室の小さなテーブルを使ってノートに手紙を書いた。


 宛先は陽彩ちゃんだ。


 手紙の内容は「無事か心配している」など簡単に書いた。

 ヤミのマギアに転移したことについては触れなかった。

「よかったら会って話したいです」という一文を最後に添えた。


 次に看護助手の女性が現れた時、手紙を陽彩ちゃんに届けてくれるよう頼んだ。


「本当はよくないんですけど……」と言いつつ、渋々引き受けてくれた。



 次の日の朝。

 顔見知りの女性看護助手がボクの様子を見に来た時、こっそりと手紙を渡してくれた。

 メモ用紙を丁寧に折って封筒にしている。


「昨日の手紙のお返事だそうです」


 逸る気持ちを押さえつけ、看護助手が出て行くまで手紙には手をつけないでおいた。

 彼女が出て言った瞬間、ボクは素早く封筒を開いた。


 手紙にはこう書かれていた。



『内藤君へ 川合井陽彩です。


 お手紙ありがとうございます。

 心配していたので安心しました。


 貴方があの時助けてくれた事、とても嬉しかったです。


 私もこの病院に入院しています。


 三階に談話室があるので、そこで今日会えませんか。

 十四時頃に行きます。内藤君の都合がよければ来て下さい。


 私もお話したいことがたくさんあります。

 意識を失っている間に見ていた不思議な夢の話とか。


 夢の中で、私はヤミのマギアというゲームの主人公に、内藤君は主人公のサポートキャラクターになっていました。

 おかしなことを言っていると思うかもしれないけど、私にはただの夢とは思えないんです。


 詳しくは直接話します』



 陽彩ちゃんが無事だったことに涙ぐみそうになった。


 今日の十四時にどんな予定があったとしても君を優先しよう。


 ボクはなかなか進まない時計を何度も見ながら、陽彩ちゃんが談話室に向かう時間を待った。

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