キネマレヴリ

守屋丹桂

序章 静謐な悪夢

 薄暗く、分厚い雲に包まれるとある町。

 娘と手を繋ぐ女性が、かつての栄光を引きずる大通りを歩く。彼女にとって悪夢のようなあの晩夏を振り返りながら、本当は思い出したくもないあの建物へ向かう。買い物からの帰り道、女性はかつて担任だった先生の命日に花を供えに来たのだった。

 娘を一度も連れて行ったことがない、かつての町のシンボル〈キネマレヴリ〉。女性は、判断力もつき、重要なことを教えるには丁度良い年齢になった娘に、この町の呪いを伝えようとしていた。女性の纏う空気がいつもと違ったのか、娘がおずおずと聞いてくる。

「ママ、どうしたの? 具合悪い?」

 その言葉にハッとして、女性は娘と手を繋いでいない方の手を爪が食い込むほど握りしめていることに気づいた。

「大丈夫よ。ただ、昔のことを思い出しただけ」

「昔のこと?」

 娘が話に興味を示したとき、親子は目的地に到着した。

 大通りに立ち並ぶ建物の中でもひときわ大きな建物〈キネマレヴリ〉は、悲劇の晩夏から腐敗が止まった不気味な映画館。頭ではわかっていても、心はその妖しい雰囲気にてられて惹かれていく。しかし、何十年もこの町で生きて青春時代を呪いに支配されていた女性にはまだ踏みとどまれる理性があった。

 早く、花を置いて立ち去らないと。女性は〈キネマレヴリ〉の前に花を置くと、娘に帰ろう、と言った。しかし、

「ママ、ここきれいね。とってもきれい。ねえ、中に入れるのかな?」

「入っちゃ駄目‼ ちょっと。こっちを見て‼」

 女性は娘を必死に揺すった。しばらくして娘の目に光が戻り、女性は安心する。娘の目に〈キネマレヴリ〉は映っていなかった。〈キネマレヴリ〉が発する白昼夢が見えていた。妖しい雰囲気の正体。それは、かつての同級生がかけた呪い。密かに噂となり、現実となり、確実に町の住民を苦しめる静謐な悪夢。

「ここに入った人はね、絶対に帰ってこないの。私はあなたにそれを教えるために、そんな目に遭ってほしくないからここに連れてきたの。わかった?」

 その言葉に、まだ焦点の定まりきらない目で娘が素直に頷く。女性は空を見ると、娘の手を取り家路を急いだ。

 空にはさらに黒く、分厚くなった雲。もうすぐ雨が降ることを知らせる雲が親子を見送った。

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