ジャンク・パーツ・ショップ(作品集)

馬村 ありん

第1話 魔女旅に出る(小説/青春)

 口に運ぶ手が止まらなかった。細長いガラス瓶をかたどったハードグミはコーラ味。ホームのキオスクで買ったものだ。

 思えばあれから、まともに食事を取っていなかった。キオスクでは店頭の牛タン弁当や三色そぼろ弁当、青森のホタテ弁当に食指が動きもした。

 しかし、弁当は一箱あたり千円以上する。右手に握った一万円札が自分に残された財産のすべてなのだと思い直し、買うのをやめた。

 店舗の片隅に袋入りのグミを見つけた。これなら腹持ちが良さそうだし、飢えをしのぐのにちょうど良さそうだ。僕はこうして買い物を済ませ、新幹線に乗った。新幹線は動き出した。


 車内の自由席はほとんどがら空きだった。平日の昼間というのはこんなに利用客が少ないのだろうか? 先頭車に近い側の向かって右側の窓際席に腰掛けた。

 シートの手すりのところに、USBタイプの充電用コンセントがあったので、これ幸いとバックパックからライトニングケーブルを取り出してスマートフォンをつないだ。黒色の眠れる金属と化していたスマホが息を吹き返した。

 すると、十数件にもおよぶ着信表示が浮かび上がった。きっと全部母親からだ。あいつはどこまでも僕を追いかけようとする。いつまでも僕を支配しようとする。着信履歴を取り消しした。


 今後もかかってくるに違いない。東京についたらまずは今のスマホを解約して、新しいやつと契約をしたいところだ。あいつの目をかいくぐって生きていかなくてはいけないのだ。


 でも、それよりまず先に仕事を見つけることが先だ。先立つものがなければ何も始まらない。去年のおばあちゃんからのお年玉(こればかりは母親に搾取されずに済んだ)の一万円だけでは三日と暮らせないことぐらい高校生になったばっかりの僕でもわかる。


 東京についたらまず、寝るところを確保しなくてはいけない。三月とはいえ、関東の夜はきっと冷えるだろうから野宿というわけにはいかない。漫画喫茶に泊まるとしたらナイトパックが四千円くらいか? だとしたら二日足らずで資金はそこをついてしまう。ご飯も当分お預けだろう。


 なんだか頭がくらくらしてきた。あれこれ考えるのはやめよう。三日も経てば、なにかアイデアも浮かんでくるはずだ。すぐにお金を稼ぐことのできる手段があるはずだ。


 椅子に深く腰を沈め、窓の外に流れる景色をながめた。もう僕は戻ることはない。この景色を見るのは最後になるのだろう。田んぼと雑木林ばかりの風景。市街地を通りかかると見えるのは、チェーン店の見慣れた看板ばかり。僕はすぐに飽きた。


 グミを一粒、二粒と食べているうちに、喉が乾いてきた。グミというおやつは意外にも口内の水分を奪う。

 バックパックから、勾当台公園の飲用水を詰め込んだペットボトルを取り出した。水の鮮度がおちていた。昨日飲んだときは、元気で爽やかな味だったのに。

 水も日毎に鮮度を失っていく。それなら僕たちはどうだ? 日に日にババアになっていく。いまはぴちぴちした肌を保っている僕だって、あと十数年もすればしわだらけになってしまう。


「間違っていないよね」

 僕は自分の手のひらをじっと見る。母親がきれいといった手のひら。母親はそう評価した。

 ――シワひとつなくて、きれい。みずみずしい。ずっと美しいままでいてね。あなたは若くてかわいい以外に取り柄がないから。


 この言葉を思い出すと、いつも気持ちのやり場がなくなって、テレビを見ていたらチャンネルを変えたくなるし、音楽を聞いていたら次の進めたくなる。テレビも音楽もないときは、髪をかきむしってうずくまって叫びたくなる。なにかどうでもいいことを。頭に浮かんでいたどうでもいい単語を。マスメディアのどこかで飛び交う時事用語を。


 ふと自分のいる場所が電車のなかであることを思い出した。あぶないあぶない。叫び出したりなんかしたらダメ。僕は深呼吸した。


 組の袋に手を伸ばした。ひたすら貪ったからパックの袋はお腹と背中がくっつくくらいにしぼんでいた。


 駄菓子のうそくさい香料で犯された口のなか、咀嚼を続ける上あごに鋭い痛みが走った。ポケットティッシュを一枚取り、口の中に溜まっているものを全部吐き出した。噛み砕かれ唾液に塗れた大小さまざなグミのかけら。それから、黄ばんだエナメル質の欠片。歯がかけたのだ。


 嘘でしょ? こんなときに?

 ズキズキ。


 痛みの波が頭の中を駆け巡った。きっと細かなグミの欠片が患部に入り込んでしまったに違いない。神経を圧迫しているのだ。

 僕は洗面所に向かって隣の車両を通った。指定席のこの車両はなぜか自由席よりも大勢のひとが乗っていて、僕の姿をみるなり不思議そうな顔をしていた。痛みに顔を引きつらせた女子高生の姿を見れば、きっとそういう反応をしてしまうに違いない。


 恥ずかしさに顔を赤らめながら、僕は洗面台のある場所へと駆け込んだ。スフィンクスの頭みたいに気品すら漂う蛇口に顔を近づけて水を口に含んだ。

 不自然な姿勢から水の一部が喉を伝って制服のなかへと流れ込んでいった。ひどく気持ちが悪かった。


 水はとても冷たかった。こんな冷たいので口の中をうがいしたりしたら、きっと痛みで死んじゃいそうな気がする。でも、やらなきゃ歯痛は収まらない。背に腹は変えられないというやつで、僕はぶくぶくとうがいを始めた。

 激痛が走った。それでも歯の隙間に入ったグミの破片は取れることがなかった。


 歯医者だ。何よりもまず歯医者だ。新幹線よ、止まってくれ。どこでもいい。歯科病院のある場所で降りるんだ。


 洗面台の上のスマートフォンが振動した。画面に映し出された名前は想像していた通りのものだった。一切の怒りが引いていたことに自分で自分に呆れそうだった。こんな簡単に信念を曲げられる自分に絶望しそうだった。僕はスマートフォンを手に取った。 


終わり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る