【囲まれて】

 夜須城は長曾我部家の宿将吉田重俊が守る城である。そこから山を一つ、東へ越えると安芸方の城、馬ノ上城があった。


 安芸家の棟梁、安芸国虎は勢力を広げ続ける隣の長曾我部の事を苦々しく思っている。そう感じている元親は、本山家を攻めている今の状態で、安芸家を刺激しないよう重俊によく言い含めてあった。


 しかし――


「馬ノ上城を乗っ取ったぁ!?」


 元親が結婚してから数か月後の秋、本山郷攻撃の増援として岡豊城に呼び寄せた重俊から、二人きりで会うなりそう言われた。元親は自分の耳を疑った。


「まあ、仔細を聞いてくれ」


 驚く元親とは対照的に重俊は事の詳細を悠然と語り始めた。


 


 夜須城。 そこまで大きくない屋敷に重俊の声が響く。


「何!?領内が襲われている!?」


「はっ。どうやら馬ノ上の者が来ているようです」 


 重俊の息子、重康がそう言った。


「民を守らずして何が武士か!直ぐに繰り出すぞ!」


 重俊は直ちに家中の者を集め、領内を荒らす者達を捕らえに行った。


 馬ノ上の者達は軽い気持ちで来ていたのか、重俊の手勢を見るなり浮足立ち、大した戦闘もなくあっさりと全員を捕らえる事が出来た。


「全て手討ちになさいますか?」


 重康はのその提案を重俊はありだと思った。というよりも、そうしたいと思っている。 しかし、安芸家を刺激しないように元親からよく言われていため、狼藉を働いた者達を縛ったまま安芸へと送ることにした。


 安芸とは近い。罪人たちを送り届けた使者はその日のうちに帰ってきた。重俊は城で使者から報告を受けた。


「そうか……。あやつらは咎めを受けなんだか」


「はい。それと国虎殿は、長曾我部家の家臣の者が自分に直接使者を送ったことに、ひどくご立腹の様でした」


「それは送った甲斐があったというもの。苦労であった、下がれ」


 通常であるならば自分と同程度の身分の者に使者を送り、そこから取り次いでもらうのが普通である。しかし、重俊はわざと国虎宛てに使者を送った。軍略などではなく嫌がらせの為である。


「父上、このままでよろしいのですか?」


 近くで控えていた重康は、この処遇に納得がいっていないようで険しい顔をしながら進み出てきた。


「うむ……」




「そうして、重康に少数の屈強の者を率いさせ夜襲させるとあっさり落ちた」


「それで取ったんだ……」


「すまんと思うてはいるが、後悔はしておらん」


 武士の本分を果たしただけといわんばかりに重俊は胸を張った。


「……そう」


 やってしまった事を責めても何も始まらない。これからどうするかを元親は頭をひねりながら考えた。いくつか手を考え、やはり一条家経由で謝罪を送り、城を返して無かったことにするのが一番と思ったが、国虎の性格上それでも許しそうにない。絶対に城を取り返しに来るであろう。


「……というか、そんな状況なのにこっちに来て大丈夫なの?前もって知らせてくれたら考慮したのに」


 重俊は本山攻略の増援として二百ほどの兵を連れてきている。安芸家との緊張が極限まで高まっている今、国境付近にある居城を守る為、少しでも兵力が必要なはずだった。


「なに。重康は親のわしが言うのもアレだが、なかなかの男でな。それに……あれの嫁も居るから、まあ大丈夫だろう」


 そう言い、重俊は明日早く発つからと辞した。


「嫁が居るから大丈夫って……どんな嫁なんだろう……?」


 元親は来襲の可能性のある安芸勢に備えるため、岡豊近隣に残った兵力を直ぐに動員出来るよう、使いを送り事前に準備させるようにした。これで招集をかければ皆直ぐに岡豊城に駆けつけるであろう。


「それと一条家に送る使者と謝罪用の贈り物も用意しなくちゃ……」


 しかし、今日はもう遅い。それらの事は明日の自分に任せることにして元親は休むことにした。

 

 翌朝、元親は夜須城からの急使が来たということで起こされた。報告を受ける為、元親は着替えもそこそこに急いで急使と会った。


「それで?」


「申し上げます!昨夜、重康が妻沙智が守る夜須城に安芸勢が来襲!――」


「――ほら来た!誰か!陣貝を!……それで敵の数は?」


 控えの者に動員の合図の陣貝を吹くよう指示しながら、元親は敵戦力を尋ねた。


「重康が妻沙智の手勢より敵の数は多勢でした!」


「でした?」


「しかし!重康が妻沙智の見事な指揮により!撃退に至りましてござりまする!」


「――誰か陣貝を吹くのを止めてきて!」


 その直ぐ後、僅かに鳴った陣貝の音を元親は聞いた。


「……経緯を」


「はっ」




 三日月が心もとなく地上を照らす夜。沙智は城の一室に女子供を集めて、物語などを聞かせていた。夫重康は先日奪取した馬ノ上城の守りを固めており、今、沙智がいる夜須城には僅かな兵と雑事を行う下男や下女しかいない。


「次は孫氏の虚実編ね――何事ですか?」


 物語をしている沙智の元に、一人の下女が慌てて来た。


「ち、近くに敵が……」


 その言葉を聞き、沙智は表に出て様子を見やった。儚げな月明かりの中、遠くの方で大勢の人間らしき人影がこちらに向かっているのが見える。


「ど、どうなさいます……」


 下女は震えながら沙智に尋ねた。この時代の人間であれば城が落ちた時の惨状を皆知っている。


「心配しないで。こうなることは分かっていました。直ぐに城内の者を集めて。静かにね」


 沙智は下女を落ち着かせながら指示した。下女は心配するなと言われたからか幾分か震えが収まっていた。


 城内の者は直ぐに集まった。戦える兵は僅かに五十人程、その他、下男、下女、老人を合わせても百人にも満たなかった。


「まず、城にある旗を全て木や柵に括り付け、それから全員武具を身に着けて壁のそばに見張りの様に立ちなさい。篝火は増やさず寧ろ減らして。それと篝火のそばにはちゃんとした兵のみが立つこと。いい?わかった?」


 一同は明快に下された指示に異議も上げず黙ってうなずいた。


「分かったのなら急いで始めなさい」


 それを合図に全員が駆けだした。慌ただしく足音が遠ざかっていく中、沙智は子供たちのいる一室に戻り、『ここから決して出ないように』と言った。普段は言う事をあまり聞かないいたずら小僧たちも、今がただならぬ様子だと察したようで大人しくそれを聞き入れてくれた。


 その後、沙智は夫の部屋へと行き、そこの具足櫃から替えの具足を取り出し、一人で着始めた。替えとはいえ、何回かは戦場で着られている。一つ部位を着ける度、夫の匂いに包まれていく事に沙智は仄暗い興奮を覚えた。


 鎧の着装を終え、沙智が表に出ると先ほど下した指示は完了していた。鎧を着た下女や下男たちが壁の方に並び、木や柵に括り付けられた旗がはためいていた。この光量の乏しい月明かりの中、城の外から見上げれば大勢の兵が城に籠っているように見えるだろう。


「こちらでできることは全てやりました。後は向こう次第ですね」


 外の様子を見るために沙智自身も壁際に立った。


 蠢く人影はすぐそばまで来ていた。しかし、そこから動こうとはしなかった。何か話しているのか、ひそひそと喋っているのは聞こえて来る。しかし、内容までは分からない。


 沙智は背中に冷たいものが流れるのを感じた。もしこの偽計が見破られればそれで終わる。


どれほどの時間、睨み合っていたのか沙智には分からない。長くも感じられたし、短くも感じられた。緊張感漂う睨み合いは、安芸勢が退いていったことにより、ようやく終わった。


 沙智はほっと薄い胸をなでおろした。


 そして使いに出すものを二人呼んだ。一人は馬ノ上にいる夫に送った。あちらから知らせが来てないという事は、敵は迂回してこちらに来ているのだろう。ならば知らせなければならない。


 もう一人は岡豊へ送った。この使いの者には、この功績が夫ではなく妻の自分によるものだという事を特に強調するように言っておいた。


「たった一度ぐらい……勝ち名乗りを上げさせてくれますよね?重康様」


 城内の者を労い、子供たちを家に帰し、名残惜しく思いつつも具足を脱ぎ、沙智は夫の部屋で寝た。




 急使から事の顛末を聞き、元親は感心した。そして沙智に直接褒美を与えることを約束して急使を帰した。


「にしてもこれで向こうが引き下がるとは思えないな……」


 そう思った元親は本山攻略の軍から少数を領内の防衛のために引き抜くことにした。ただでさえ険しい地形により攻略が滞っているのにもかかわらず、全力を傾けられないことに元親は歯がゆさを感じた。


 そんな元親の元に取り次の者が来た。


「申し上げます。頼和殿がお目通りを願っております」


 元親は直ぐ通すように言った。


 元親に会いに来た人物は池頼和と言い、国親の娘の夫、つまり表向きは元親の義兄弟に当たり、浦戸湾全体を手中に収めてから新設された長曾我部水軍の中心的人物でもある。


 水軍と言っても新設されたばかりであり、その規模は小さく、商船の護衛ぐらいしかできない。今回頼和が会いに来たのも、種子島へと向かわせた商船の護衛任務の結果の報告であろう。


 少ししてから頼和が来た。一日中船の上にいるため肌は浅黒く焼けており、一見すると侍というよりも海賊のように見える。彼は一抱え程ある箱を抱えていた。


「今回の船旅の結果でございます!」


 船乗り特有の大きな声で頼和はそう言い、箱のふたを開けた。


 中には鉄砲が三丁だけ入っていた。


「……これだけ?結構大金を渡していたんだけど?」


「はい!元々貴重な上に!強力な武器だという事で先方が渋る中!御用商人の大黒屋が粘りに粘って手に入れた物です!」


「……そうなんだ。今度大黒屋にお礼を言っとかないとね」


 元親は自身を恥じた。そして、この時代の鉄砲のおおよその価値を理解した。元親の思っていた数倍の値段だった。この額では買い付けによって数を揃えるのは到底できそうにもない。


「そういえば、鉄砲鍛冶の引き抜きは出来た?」


「鉄砲鍛冶師の方は向こうの領主の厳命により無理でしたが!何度か手伝いをさせてもらい!作り方を大体知っているという刀鍛冶を二人連れてきました!」


 頼和が言うには春田と金地というらしい。


「……贅沢は言えないか……。鉄砲を作るのに必要な物なら何でも言うように彼らに伝えて」


 ともあれこれで生産の可能性は出来た。後は彼らに製造方法を確立させ、それを領内の鍛冶師に伝番させればようやく量産体制に移れる。


「それでしたら!彼らが構造を詳しく見るために一丁ずつ鉄砲を所望しておりました!」


 現在長曾我部家には今買い付けてきた三丁と前に一条家から送られた一丁の合計四丁しかない。しかし、必要な物を言うように言ったのはさっきの元親自身である。


「……うん……与えよう……」


 こうして長曾我部家の保有する鉄砲の数は当初から倍増え、二丁となった。


 元親は大黒屋に頼み、種子島に限らず各地から鉄砲を買い付けるように頼んだ。




 それから月日が経ち、冬。元親のいる岡豊城は敵に取り囲まれた。 


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