【出会って】

「風向きが急に……ね。え?咎め?無いよ。自然の事だからしょうがないし。これからよろしくね」


 元親は退出していく大黒何某らを見送りながら、現状を整理し、これからどうするかを考え始めた。


 まず、長曾我部家遠縁の大黒何某らと通じ、朝倉城内で火事を起こさせそのどさくさに紛れて茂辰を討たせるという作戦は、突然変わった風向きによって失敗に終わった。それによって間接的にではあるが、茂辰に朝倉城を捨てさせ、土佐平野のほぼすべてを手に入れることができた。


 しかし、それは、本山軍を彼らの本拠地、土佐国第一の要害である本山郷に引き籠らせる事になったのである。


「神田城にいる時に寝返ってくれれば……」


 過ぎたことを悔やんでも仕方ないとはいえ、元親は裏切りを決行する日を決めておかなかった自分に腹が立った。自軍が近くにいる時に火の手が上がれば、その混乱に乗じて城を攻撃、もしくは逃げる茂辰を追撃することも出来たのに、と。そして、むかつきが収まると、杜撰な作戦にもかかわらずこれで本山家との戦いも終わると自信満々に思っていた自分が恥ずかしくなってきた。


「殿。一条様より使いの方が――」


「通して!」


 感情の高まりが無意識に声の大きさに表れ、元親は意図せず取次の者を驚かしてしまった。


「……はっ」


 数舜の間驚いて我を忘れた取次の者に目にもくれず、元親はこれからどうするかについて思案に耽った。


 元親が話に聞くに本山郷へつながる道は主に二つあり、そのどちらも非常に険しい。たとえ千の兵で攻めたとしても、百の敵兵に防がれるであろう。茂辰なら要所要所にきっと兵を配置する。故に、力攻めでは無理だと判断した元親は念のために用意しておいた策を使うことにした。


「森氏に活躍してもらうか……」


 潮江城にいる森氏が昔治めていた森領は、本山郷の入り口に近く、もしその旧領を取り返すことが出来たら長曾我部軍の橋頭保になるであろう。


 そう思った元親は控えにいる者達に森氏をここに呼び寄せるように命じた。


 とはいえ、山岳戦になる事は必至。相手が常に握るであろう高所の有利をどうにか崩さなければ、この戦が終わるのに何年かかるか分からない。


 どう崩すか考えているうちに、一条氏からの使者が廊下を渡ってこちらに来ているのを元親は感じた。


 慌てて下座に降り、平服し使者を迎え入れる態勢を整える。その直後、公家風の使者はゆったりと入室してきた。


使者はその一条氏の代理である為、その本人と同格に扱わなければならない。そう、元親は非有斎より習っていた。


 元親と一条氏の棟梁一条兼定かねさだでは家格に天と地程の差がある。その上、先代国親が受けた多大なる恩もあった。そのため、一条氏とは、名目上は部下ではないが主従の様な関係性が先代の頃より築かれていた。


 代理にもかかわらず、というよりも、代理であるが故に、使者は主の権威を殊更笠に着るようにして存大な態度で言上を述べた。


「蓮池の一件、良き奉公であった。我が主、兼定公はこのことにえらく感謝されており、その気持ちのほんの一部ではあるが、形としてこれを貴殿に与えるようにと……」


 そう言い、使者の従者が元親の前に漆の塗られた木箱を置かせた。


 そして、蓋が開けられて中の物が元親の目に写る。


「これは……」


 元親は目を見張った。


「岡豊の様な田舎では初めて目にするであろう?これは南蛮由来の――」


 元親の耳に使者の言葉が入らなくなった。なぜなら、これがあれば、これさえ量産できれば高所の有利を崩せるどころか、土佐どころか四国、ひょっとすれば天下すら獲れると元親は思い、その生産体制の構築に頭を悩ませ始めたからである。


 箱の中身の筒先が鈍く光る。これが数百、数千と並んで火を噴く時を元親は待ち遠しく感じた。


 


 使者が帰り、森氏への指示も終わり、時刻はもう夕暮れ時となっていた。


「まさか、一条氏のもとに火縄銃があるとはなぁ……」


 城内の縁側に座り、元親はひとり呟いた。赤く染まった夕日が眩しい。


 地理的には元親のもとに有る港、浦戸よりも一条氏のいる中村の方が九州、それに種子島に近い。よくよく考えてみれば自然な事であった。


「これを作れる職人は城下にいるかな?いないなら何処からか連れてこなきゃ」


 元親は火縄銃を夕日に向かって構えた。そして、引き金を引くと、ばねの力を利用して、火ばさみが火蓋に鋭く押し付けられる。


 今回頂戴したのはこの一丁だけ、贈りものとして扱われているということはまだまだ貴重な物なのだろう。まだ鉄砲が希少性を保っているうちに、自軍に大量に配備して、戦術的優位性を確保しておきたいと元親は思った。


 量産体制が整うのは、可能な限り素早く事を進めても当分先であろう。ならば少しでも他から手に入れておかなければならない。幸いなことに一条氏との関係性は良好であり、浦戸湾をこの手に収めてから徐々に発展させてきた水軍もある。


「御用商人に頼んで種子島に向かってもらうか……」


 そう、結論づけた元親だったが、


「どんなに羽ばたいても所詮はちょうちょ。蝙蝠の代わりになれはせぬよ」


 という少女の声を聞いた。


 元親が辺りを見回してもそれらしき姿は見えない。その様子を面白がっているのかクスクスと笑う声が聞こえる。


 さては茂みの裏かと、元親は縁側から降り、城内の狭い庭園を探し始めた。


 柿や栗、松などの籠城の備えとして植えられた木や、矢竹。食べられるからという理由や綺麗だからという理由でその繁栄を許されている草本類。いい香りがする花を咲かせる低木。


 その低木の裏側に、声の主らしき少女が一人、しゃがんでいた。


「何処から来たの?」


 元親は少女に尋ねた。しかし、少女はただクスクスと笑うだけであった。


 おかっぱ頭に真っ白い肌。真っ赤に染められた着物。少女のその三つの要素は現代から来た元親に市松人形を連想させた。ただ、少女の丈に合ってなくだぶついている着物と、目鼻立ちのはっきりとした顔は人形のそれとは全く違っていた。


「お名前は?」


 元親は、今度は名前を少女に尋ねた。着物の上等さから彼女を有力豪族の娘だろうと推測し名前を尋ねた。もしそうであれば名前ぐらいは聞いたことがあるかもしれないからである。


 少女は、今度は素直に答えてくれた。


「……かずら


「葛かぁ……。お父さんの名前はわかるかい?」


 尋ねてみたものの聞いた事の無い名前だったため、元親が父親の名前を尋ねるとまた葛はクスクスと笑い始め、庭園を軽やかに歩き始めた。


 葛が歩くたびに丈の長い着物は地面に引き摺られていく。


「ちょ、ちょっと待って」


 元親はその着物の裾の後に続いた。


 着物は木や茂みの間を縫うようにして這いずる。そして、密集した矢竹の裏側を回り全体が見えなくなった。


 少し遅れて元親がその矢竹の裏側に回ってみても、そこには着物も、それを着た少女もいなかった。

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