【敗れて】

 朝倉城は土佐平野の西北の端にある。


 茂辰の父本山梅慶 ばいけいが土佐が乱世の世になったことを機に、土佐北部の山間部にある経済的に不利な本山郷から、海にも面しており、広い平野がある土佐平野に進出し、その勢力を拡大する時の拠点にしていた城である。


 その規模は元親の居城岡豊城よりも大きい。


 周りの支城を全て落とすのには、一年かからなかった。しかし、それからの一年と少しはこの城の攻囲に費やしていた。


 入念に防備された城というのはそれほど堅い。特に高低差の影響を諸に受ける飛び道具、弓矢や投石器しかない長曾我部軍では殊更に山の上に築かれた城を落とすのは容易ではなかった。


 元親はこの攻囲の期間中、付城 つけじろを築いた。


 場所は朝倉城の東南にある神田 こうだという山にもとからあった小城を改良し、これによって茂辰の動きを抑え込んだ。


 その次に、一条家家臣と親交のある弟親貞を通して、一条方に蓮池城を取り返すよう勧めた。敵の増援が来ないと分かった一条方は、すぐさま海路を利用し兵を動かして、蓮池城を攻め落とした。


 これにより一条家は元親に好意的となった上、朝倉城は西側を一条家に脅かされることとなった。副次的な効果であるが、一条家が好意的になったことにより、その縁戚関係である東の安芸家も長曾我部家に対して動きづらくなるであろう。


 更に、梅慶に城を奪われ、国親の世話になっていた、本山郷近くの森という土地の元領主、森氏に潮江城を与えたりもした。客分に城を与えるのは流石に家臣からの不満も出たが、元親は、若かりし頃岡豊城を追われ森氏と同じような境遇であった亡き先代国親の遺言によるものであるとでっちあげ、自分の意見を押し通した。


 もし、万が一、本山郷での戦いになったら森氏は潮江城の価値以上の活躍をしてくれるだろうと元親は思っている。


 それらの事をしつつ、元親は神田の城で、朝倉城で何らかの動きがあるのを待ち続けた。


 そうして、攻勢に出てから二年が経過していた。


 


 朝倉城と神田城は近い。秋晴れの日であれば、お互いの動きがよくわかる。


「朝倉城に動きあり!」


 櫓にいる見張りの兵士が大きな声を上げた。その報告でにわかに将兵たちが湧きたった。


 この攻囲の期間、茂辰はほとんど城から打って出なかった。稀に動きがあるとしても、本領である本山郷から来る援軍を城に受け入れる時ぐらいであった。本山郷と朝倉城の連絡を断とうと元親は何度も思ったが、その連絡線となる道は山あいにあり、その入り口は朝倉城のすぐそばに有るため手を出せずにいた。


 敵の増援は微々たる数である。増援を加えても本山方よりもこちらの方の兵力が多い。とは言え、目の前で敵の戦力が着々と増えていくのを何もできずに見送るしかない状態は将兵のフラストレーションとなっていた。


 しかし、それも今回の茂辰の出陣によって終わらせることができる。


 そう思った将兵達は意気揚々と出陣の準備を整え始めた。


 元親の待ち続けた朝倉城の動きとは茂辰の出陣ではなかったが、この士気が上がった状態を無理矢理にでも抑え込んだりすれば、今後の戦いに響くと思い、場の雰囲気に流されるようにして出陣を決めた。


 合戦の地は朝倉城の東、潮江川(現代でいう鏡川)沿いの鴨部という土地に設定された。どちらが決めたという訳ではなく、両軍が展開できる足元のしっかりとした平野が両城の近くにはここしかなかった為だった。他は田地か湿地が広がっている。


 その鴨部に展開するのは長曾我部軍三千に対して本山軍二千。


 元親は右翼を潮江川に委託し、東側に軍を展開した。陣形は数の多さを活かして横に広く広がった。大雑把に言えば鶴翼の陣である。


 本山方の陣形はそれに対して縦に厚い。魚鱗の陣とも呼ぶべき形だった。それが西に展開し、東にいる長曾我部軍と相対している。


 両軍が暫く相対していると本山軍の方から一騎、赤味がかった鎧を着た侍が進み出てきた。


「あれ誰だと思う?」


 元親はそばにいた親信に尋ねた。


「あれは恐らく、本山茂辰殿のご子息、貞茂でござろう。表向きは殿の甥にあたりまする」


 周りにこの話を聞く者はいない。少し前の方に一領具足の一員である喜助がいるぐらいであったが、親信は元親を主君として敬った話し方をした。潮江城を無血で手に入れた時から、親信は元親個人に心酔していた。


「あれが……話には聞いていたけどね」


 貞茂であろう侍は元親には内容は届いていないが何やら言上を述べていた。


「恐らくは。なにぶん距離がありますきに、似た造りの鎧を着た侍の可能性があります」


 その侍は元親から三百メートルほどの距離にいる。顔の識別は至難であった。


「確かにそうか……。……鎧と言えば、喜助!その具足はどうした?」 


 元親の興味はその素性のはっきりとしない侍から、自分の前にいる大きな前立てのついた兜を被った喜助へと移った。それ故に、その侍が言上が終わり、大きな弓に矢をつがえたのを見落とした。


「へぇ。これらは前の戦で敵の侍から奪ったものです。あっしみたいなもんが着るには少々立派かもしれませんがねぇ」


 声を掛けられた喜助は嬉しそうに振り返り、敵から奪った鎧を元親に披露した。具足は少し壊れていたが、それでも前のみずぼらしい格好よりかはだいぶ立派になっていた。脛当、腿を守る佩楯、腰を覆う草摺り、胴に籠手に袖。そしてひときわ目を引くのが大きなVの字型の前立てのついた兜。


 突如、その前立ての先端が折れた。


 その次の瞬間に元親の腰にちくりと鋭い痛みが走る。何事かと元親が見ると草摺りに矢が刺さっていた。幸いにも矢は元親の皮膚を少し突き刺す程度にしか草摺 くさずりを貫通しなかった。


「無事でござりまするか!?」


 慌てて親信が元親の無事を確認する。


「大丈夫だよ。少し痛いけどね」


 元親は矢を引き抜いた。先端には紙が結ばれていた。


「あの距離を当てて来るとはあの者もなかなかやりまするな」


「あれは間違いなく本山貞茂だよ」


「なぜお分かりに?」


 元親は親信に矢についていた紙を渡した。親信がそれを開いて見ると、『本山将監貞茂』と書かれていた。


「味な真似を……。あれの祖父梅慶というのは、存命の頃土佐随一の豪傑だと言われておったみたいですが、父と違いその血を存分に受け継いでいるようですな」


 親信がこう話している間に貞茂は二射目を放ってきた。今度は元親を狙わず、近くの騎馬武者を狙ったようで、放たれた矢は一人の胸板を鎧ごと貫き、更にその後ろにいた侍の乗っている馬の頭に突き刺さった。その一人と一頭は遠くの元親にも間違いなく絶命していることが分かった。


「誰かあの者に敵うものはおらんがか!?」


 親信が声を励まし、自軍に問いかけ、腕に覚えのあるものが応えた。


「ならばそれがし――」


 しかし、前に進み出ようとした瞬間に眉間に矢が刺さった。


 どれだけ貞茂の弓の腕前が突出していても所詮は一人、千の戦力差をひっくり返すには千本の矢を射らなければならない。


 元親は貞茂の弓の威力自体よりも、この射撃によって兵達が焦れて勝手に動いてしまうことを案じた。


「所詮は一人!矢筒が空になればそれで終いよ!皆!勝手に動くなよ!」


 この二年ほどの戦国時代暮らしによっても元親もそれなりに戦場に響く大声が出せるようになった。


 しかし、それでも全ての兵達を制御するには至らなかった。


 このままでは一方的に撃たれるだけと、自陣から騎馬武者達が数十騎程駆けだしていった。


 その動きを見て、元親のいる中央から離れた、両翼に配置された部隊が呼応するように前進し始めた。


「違う!戻れ!」


 元親は喚くように指示を出す。が、もはやそれで止まるような状況ではなかった。


 翼を開いた鶴のような陣形。その翼のみが相手に向かって行く。頭である本陣を置いて。


 固く締まった魚鱗を持つ魚はその片翼に狙いを定め、猛然と噛み千切った。


 片翼を失った鶴はもう飛ぶことは出来ない。地べたを這いずり回って獰猛な魚から逃げ回ることしかできなかった。


 総崩れとなった長曾我部軍は誰が指示したわけでもなく自然と岡豊城に向けて逃げる組と神田城に向けて逃げる組に分かれた。元親は神田城に逃げる組に入った。


「逃げるな!取って返せ!」


 元親が逃げる先に、兵士を手当たり次第に鞭で叩きながら檄を飛ばす部将がいた。


 元親が誰かと思ってみればこの戦いに参戦した吉田重俊だった。周りの兵士達は顔に蚯蚓腫れが出来ている。この光景を見て元親はそういう場合ではないのにもかかわらず、重俊が自分の居城から遠いところにいてよかったと安堵した。鞭の届く範囲には入らないようにしながら。


 


「味方を限界まで収容してから城門を閉めよ!弓を持ったものは敵の狙える位置に着け!」


 辛くも入城した元親は周囲に鋭く下知を飛ばす。


 神田城は朝倉城の付城として改良を加えてはいるが、所詮元は小城。山腹に帯曲輪 おびぐるわを幾つか設置し、要所に堀切や竪堀 たてぼりを設けているが、主郭には、頂上をぐるりと囲う土塁と櫓が三基、それに急拵えの門しかない。そして主郭に続く道は一つしかなく、味方も敵もそこに殺到していた。


「ここが死に場所ぞ!者ども死ねや!」


 元親と同じく城に入っていた重俊が檄を飛ばす。それだけでなく自らも土塁の上に立ち弓で敵を射抜いていた。


 本山勢はここで敵の総大将を討てば勝てると、騎乗の者も徒歩 かちとなり城門に、土塁に、取り付いてくる。


 元親も自ら槍を持ち、土塁に取り付いていた敵を突き落とす。


「こんな戦いになるんだったらもっと城を強化するべきだったか……」


 元親は誰に言うでもなくそんなことを呟いた。


 本山勢の勢いは凄まじい。


 城門の方では、用意の良い敵が掛矢 かけやや斧を持ち込みそれらで城門を叩いている。粗末な城門はそれだけできしんで悲鳴を上げたり、木片を飛び散らしたりした。


「門をたたいている奴らを優先的に狙え!」


 元親の指示は他の兵達も同じ考えだったのかすぐに実行された。斧や掛矢が地面に落ちる。しかし、後に続く敵兵がすぐにそれを拾い、また門を叩き始める。


「じり貧か……」


 元親は土塁から降り、城内で休憩し始めた。これから訪れるであろう乱戦に備えてである。城内では同じように味方も休息をとっていた。しかし、重俊はまだ元気が有り余っているらしく兵達を叱咤しながら戦っていた。


「元気な事で……。確か結構な年だったはず……ん?」


 急に静まり返った。


 土塁に立ち様子を伺ってみたが、生きている敵の姿は見えない。


 しばらくすると馬蹄の音が聞こえてきた。


「ご無事ですか!?」


 馬で登城路を駆け上ってきた親信が、ボロボロになった門の前で元親の無事を尋ねた。


 どうやら、岡豊の方に逃げた長曾我部勢が取って返したおかげで、それに挟撃されることを恐れた茂辰が撤退したようだった。




 翌々日、明朝。長曾我部軍と本山軍はまた鴨部で再び相まみえた。


 双方の戦力は長曾我部軍二千八百に対して本山軍はほぼ二千。互いに縦に厚みを持たせた陣形である。


 一昨日の戦の敗因は、中世の戦争において個人の勇が戦場に与える影響の大きさを過少に評価した結果だと元親は反省し、今度は独壇場を与えないよう最初から仕掛けていった。


 戦いの始まりは、互いの先陣が矢合わせから始まり距離が近くなればぶつかり合うこの時代でオーソドックスなものとなった。


 戦場に鬨の声と、鉄と鉄のぶつかり合う音が響く。槍を振るう者。刀を振るう者。組打ち首を掻き切る者。興奮した馬に蹴られる者。片腕を切られるも敵の首を獲る者。皆、己の技術と富と名誉と命を賭けて戦った。


「そろそろ退かせるか……二陣を出せ」


 元親は自軍に疲労の色が見え始めたため、第二陣を繰り出し、先陣を下げようとした。先陣の将も二陣が来るのを見て撤退の体勢を整え引き始める。すると二陣の接敵と先陣の撤退との間に僅かな時間差が生じた。それは誰がみても失敗と断じることのできないような極僅かな隙であったが、本山軍総大将本山茂辰はその隙を見逃さなかった。


 茂辰は自分の付近にいる三百騎を左右に従え、後ろを見せた長曾我部軍先陣の背後を強襲しにきた。引き際を襲われた先陣はあっさり瓦解。茂辰はその勢いのまま二陣も攻撃。逃げ込んでくる味方の兵に邪魔され二陣も大した抵抗も出来ず崩壊した。


 茂辰は先陣と二陣を潰し、尚真っ直ぐに元親のいる本陣へと向かってきていた。


「来るぞ!敵は少数!しかと受け止め囲んで叩け!」


 元親は自身のいる本陣、そして後方に控えている後詰で敵を迎え撃とうとしていた。


 茂辰の率いる数は三百。とはいえそのすべてが騎兵であり、騎乗身分でもあるため重装の精鋭でもある。それらが轡を並べ馬蹄を轟かせながら向かってくる。


 元親はその光景を見ながら恐ろしく思うと同時に、やはり近代的な軍隊の様に騎兵隊を組織し集中運用するべきなんだろうなと呑気に思っていた。


 しかし、元親にそれを実行できる力が、今はない。何より今のこの状況を何とかしなければそれも叶わない。


 頭を素早く振り、元親は目の前の迫りくる現実を真っすぐ見据えた。


 そして一つ策を思いついた。


「馬廻衆!敵の右側面に回り突っ込め!」


 馬廻衆とは大将の周りに控える有望な若侍の集団である。主に大将の護衛と伝令を行いその全てが騎乗身分で構成されている。つまり、即席の騎兵隊となる。


 馬廻衆は元親の命令に忠実に従った。軽快に機動し本陣に突っ込んでくる茂辰隊の側面に回り込むと突撃を敢行した。


 彼らは三十騎ほどしかいなかったが、それでも勢いを削ぐには十分だった。


 勢いを削がれた茂辰の隊の突撃は本陣だけでも受け留め切ることができた。    


「長居は無用!退け!」


 目的を果たすことが不可能だと判断したのか、茂辰は取り囲まれる前に退いた。


「あれで父より劣るって……梅慶ってどれだけすごいんだろう……」 


 この後も合戦は続き、日没になってようやくお互いに退いた。


 本山側の被害は約三百五十。長曾我部側の被害は約五百。


 被害数から見ても目的達成の有無から見ても元親の負けである。


 戦力の六分の一を失った元親は岡豊城に撤退した。


 しかし、元親は落胆しなかった。


 


 それから数か月後の元旦、朝倉城で火の手が上がった。


 この火事が放火によるものであるという噂が朝倉城内で立ち、それがきっかけで皆が皆を疑い合う状態となった。


 このような状態を受け茂辰は


「どんな金城鉄壁でも皆の心に猜疑心があれば守ること かなわず」


 として本山郷に撤退した。


 こうして元親は土佐平野をほぼその手中に収めることができた。これは土佐の国の経済力と米の生産量の大部分を手に入れたことになる。

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