魅了の力を持つ魔女は偽りの溺愛に囚われる

無月兄

第1話 天族の使者

 ヴィレの村は、王国の片田舎でありながら、豊富な資源と農業に適した機構のおかげで、比較的豊かな場所であった。


 中でも、代々そこの村長を務めるローレンス家の羽振りはすこぶる良く、娘であるシャノンは、周辺の村でも噂になるほどの器量良し。

 誰もが羨む家族として、その名は知れ渡っていた。


 だがそんな中、ローレンス家のもう一人の娘であるイズについては、とんと良い噂を聞かない。

 その前に、シャノン以外に娘がいることすら知らない者もいるかもしれない。

 何しろ彼女の扱いは、到底娘などと呼べるものではなかったのだから。








 バシャリと音がして、洗濯したばかりの服に、茶色い染みができる。

 泥水の上に落ちた。いや、急に突き飛ばされ、故意に落とされてしまったのだ。妹である、シャノンの手によって。


「あらごめんなさい。手が滑ってしまったわ。まあ、お姉様なら平気よね。お洗濯するのが好きなんですもの。またやればいいんだわ」


 シャノンはそう言うと、外では決して見せないような、意地の悪い笑みを浮かべる。


 それを見て、姉であるイズはかすかに震えた。


「は、はい。その通りです、シャノン様」


 ここで文句を言うわけにはいかない。不満そうな顔をするわけにもいかない。

 そんなことをしたら、生意気だと言われ何をされるかわからない。そんなことは、長年の経験で嫌というほどわかっていた。


 いったいどうして姉妹でこんなにも違うのか。

 そもそもこの二人、姉妹にしては全く似ていない。

 シャノンの髪はこの地方ではよく見る赤茶色なのに対して、イズのは珍しい銀色だ。


 その答えは簡単。

 イズとシャノン。二人は実の姉妹ではない。


 二人の本当の関係は、従姉妹。

 村長であるシャノンの父親の弟がイズの父なのだが、今から十年ほど前、母と共に野盗に襲われて亡くなった。

 イズの銀色の髪は、母親から受け継いだものだった。


 両親を失った幼いイズは、叔父であるシャノンの父親に引き取られ養女となったのだが、それからが地獄の日々の始まりだった。

 村長はイズを引き取り養女にはしたものの、それは世間体のため。その扱いは、娘どころか使用人にも劣っていた。

 家事を始めあらゆる面倒事を押し付けるばかりか、機嫌が悪いと彼女をその捌け口として怒りをぶつける。村長だけでなく、妻や、娘のシャノンもそれに習った。


 この家で、イズは人としての扱いを受けていなかった。


「あまりモタモタしないでね。それが終わったら、家の掃除があるんだから。この前みたいに汚れてたら承知しないわよ。なにしろ、もうすぐ天族の方がやってくるのだから」


 両手を組み、うっとりとするシャノン。

 この世界には、人間以外に二つの種族がいる。


 ひとつは、背中に白い翼を持ち、空の向こうにある天界で暮らす天族。もうひとつは、頭に曲ったツノを持ち、地の底のにある魔界で暮らす魔族。


 両方の国には世界中に点在するゲートと呼ばれる場所を使って行き来でき、人間の国とは友好条約を結んでいるのだが、実際にお互いの国にやって来て交流することは滅多にない。


 少し前、天族の貴族が人間の国を視察するためこの地方にやって来ることが決まったのだが、それを知らされた時は村中が大騒ぎだった。


「天族の方って、私たち人間よりずっと強い力を持っていて、神々しいくらい美しいお姿をしているのよね。そんな方を間近で見られるなんて、光栄だわ。お父様に頼んで、良い化粧品でも買ってもらおうかしら」


 シャノンのように、天族に憧れ、崇拝する人間は多い。

 最近では毎日のように、来るのはまだかと、楽しそうに語っている。

 彼女の機嫌が、良いとそれだけ当たり散らすことも少なくなるかもしれない。そんな期待をするイズだったが、そう甘くはなかった。


「けどお姉様は、そばに近づかない方がいいかもしれないわね。なんたって、そんな気持ち悪い色の髪をしてるんだもの。私だって毎日不快な思いをしているんだもの。天族の方が見たら、大いに気を悪くされるかもね」

「────っ! も、申し訳ございません」


 シャノンは、日頃から何かにつけてイズの銀色の髪をこんな風にバカにしていた。

 実際のところ、この銀髪は決して醜いものではなく、むしろ美しいと思うものも多いだろう。シャノンが悪く言うのはただの嫉妬なのだが、それを知らないイズは、この髪は本当に醜いのだと思っていた。


 髪だけではない。

 ドン臭い。約立たず。穀潰し。今まで幾度となくそんな言葉を浴びせられたが、イズはその全てを、自分が悪いのだと思った。

 自分がダメなやつだから、こんなにも辛く当たられるのだ。だから、何を言われても仕方ないのだ。

 長い間続いた不遇な扱いは、そこに疑問を抱くこともできなくなるくらい、イズの心を蝕んでいた。

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