第26話 日陰者の王弟

 カロリーネの実家の男爵家が父から兄に代替わりした後、元々兄夫婦と上手くいっていなかったカロリーネは肩身がますます狭くなった。そんな時に宰相ベネディクト・フォン・ツェーリンゲンからカロリーネに縁談があった。兄夫婦は諸手をあげて喜び、彼女に断る術はなかったが、ヨアヒムの事を考えると胸が締め付けられた。


 でもカロリーネの結婚に後ろ向きな気持ちは、宰相の側近と会った後にがらりと変わった。多忙な宰相は顔合わせに側近を送り込んできて最初はカロリーネも憤慨した。だが条件を聞いたら、ベネディクトとは白い結婚のままヨアヒムと会うのものも子供さえ作らなければ構わない、ガブリエレを連れてきたら公爵令嬢として遇する、予算内であったらツェーリンゲン公爵家の品格を落とさない限り何でも買ってよい――カロリーネにとって都合のいい事尽くめである。


 カロリーネは何か裏があるのかと疑ったが、ヨアヒムとの関係を宰相が利用したいのだと分かった時、この結婚を逆にとことん利用してやると心に決めた。ヨアヒムは白い結婚でも嫌だと大反対したが、兄夫婦の顔色を窺って生活するのにうんざりしていたカロリーネはベネディクトとの結婚を強行した。


 カロリーネの結婚前、ヨアヒムは出入りの商人に扮してカロリーネ達にこっそり会っていたのだが、結婚後は大手を振ってツェーリンゲン公爵家を頻繁に訪ねて来るようになった。ガブリエレは、男爵家でこっそり会っていた出入りの商人の正体が実は王弟殿下と知って驚愕した。


 ヨアヒムはガブリエレを目の中に入れても痛くないほど溺愛した一方、パトリツィアとラファエル姉弟にはほとんど関わらなかった。ヨアヒムが来ている時に偶然出会えばパトリツィアも挨拶をするが、ガブリエレの機嫌が悪くなるからわざわざ挨拶には行かない。でもある日、パトリツィアはヨアヒムにわざと挨拶しに応接室に立ち入った。


「ヨアヒムおじ様、いらっしゃいませ」

「ちょっと、お義姉様! 少し慣れ慣れし過ぎるのではなくって? 貴女にとってヨアヒムおじ様は赤の他人よ。王弟殿下と呼んでちょうだい。ね、おじ様?」

「ああ、うん……ガービー、でもそんな言い方は……」

「おじ様!」

「申し訳ございません。ではごゆっくり」


 パトリツィアは、本当はヨアヒムを『ヨアヒムおじ様』と呼ぶべきではないことは分かっていた。ガブリエレはいくら咎めてもルイトポルトを『ルイお兄様』と呼ぶことを止めない。だから当てつけでそう呼んでみただけだった。


 ヨアヒムがツェーリンゲン公爵家に来ていたある日、いつものようにヨアヒムはガブリエレとカロリーネの3人で話していた。だが家庭教師の時間になり、ガブリエレは名残惜しそうにしつつも母とヨアヒムを残して応接間を出て行った。


 ヨアヒムはガブリエレが出て行ったのを確認すると、大きなため息をついた。


「君が他の男と結婚しているなんて、白い結婚でも我慢できないよ」

「あら、これは結婚と言っても同盟みたいなものなのですよ。ヨアヒムも知ってるでしょう?」

「宰相の力で僕を国王にするため、だっけ? でも僕は国王の器じゃないよ」

「あら、あの男が貴方より国王の器だと思って?」

「確かに兄上は国王の役割を全く果たしてないね。でもルイトポルトは優秀だよ。彼だったら良い国王になるだろうね。それに彼は半分しか血は繋がってないけど、僕の甥でもあるし、君の義娘の未来の夫じゃないか」

「そんなに弱気にならないで! どうして私があのいけ好かない男と結婚したのか分からなくなるでしょう?!」

「宰相閣下は君と結婚したからと言って無条件に僕を次期国王として支持するわけじゃない。僕かルイトポルトか、どちらが良い傀儡になるか、彼は見極めるだろうよ」

「ヨアヒム……貴方、無欲過ぎるわ。そんな貴方が好きになってしまったんだけど……」

「『だけど』? 僕に幻滅した?」

「正直言えば、少し……私にはベネディクトみたいに権力欲が強い男の方が合っているのかもしれないわね」

「そんな事を言わないで。僕がどんなに君を愛しているか知っているだろう?」

「じゃあ、私の歩む道を貴方も一緒に来て。私、本当は怖いの。でももう乗り掛かった船なのよ。下船することはもうできないわ。でも愛する貴方がいれば怖くない。ねえ、お願い」


 愛するカロリーネに縋りつかれ、ヨアヒムは苦悩に満ちた表情でため息をついた。


「……分かったよ……君が望むなら、僕は国王になるよ。そのためなら、本当は嫌だけど宰相閣下とだって同盟を組む。兄上だって甥だって地獄に落とすのもためらわないよ。ああ! でもせっかく会えたんだ、もう、こんな話は止めよう」


 ヨアヒムはそう言ってカロリーネの隣に座り直し、彼女にキスをした。


「ん……ヨアヒム……ここでは駄目よ」

「そうだね、君の部屋に行こう」


 その言葉が聞こえた瞬間、応接室の少し開いた扉の前にいたパトリツィアは、弾けた弾丸のように素早く隣の部屋に入った。ヨアヒムとカロリーネが廊下を通り過ぎた後も、パトリツィアの胸はバクバクと早鐘を打っていた。それは必ずしもヨアヒムと継母の秘密の関係を知ったからではなく、愛するルイトポルトの身の危険の可能性を知ってしまったからだった。


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夏の毎日更新チャレンジ、達成しました!

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。(2024/8/31)


今話(旧24話)の前に24、25話としてヨアヒムとカロリーネの馴れ初めを挿入します。第30話の後、最新話の位置に入っていますが、2日ほどしたら本来の順番に戻します。(2024/9/18)

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