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  • 隔たりへの応援コメント

    >水の流れている部分だけならほんの数メートルだ。

    ここは、作者的には「何メートル」くらいを想定しておられますか?
    私は2〜3メートル、よくて5メートルくらいを想像して、後で出てくる渦が出来たり流されたりという現象に違和感がありました。上流の方で急流なら或いはとも思いますが、河原があり100メートル幅ということですし。

    何となくですが、ここは「数十メートル」の方がイメージしやすそうな気がします。もしくは「何メートルくらい」とはっきり指定するか。


    拝読。
    幼い頃の思い出、特に昭和の昔話(自分で言って衝撃を受けてる)だと奇妙なリアリティがあっていいですね。子どもの頃は水というだけで怖いものですし、まして怪談が絡むと怖さも一しおかと。私も子供の頃、琵琶湖の深さに怯えていたことを思い出しました。
    その象徴である川の深みが、大人になったいまでもそこにあるという締めくくりも、ちょっとホラーめいた余韻があって、絶妙だと思います。

    反面、熊の逸話はちょっと長いとも感じました。
    川の怖さについては文句無しですが、そこに絞ると熊の要素は蛇足なので、最低限に留めたほうが、短編としてのまとまりはよくなるかと。言って川の怖さとさして関係ないですからね、熊。

    総括としては、こういう作風、語り口も全然ありだと思います。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます。
    今、ちょっと遠出中でお返事が遅くなりました。すみません。

    >何となくですが、ここは「数十メートル」の方がイメージしやすそうな気がします。もしくは「何メートルくらい」とはっきり指定するか。

    おっしゃる通りでした。googlマップで確認しました。
    河原も含めた川幅は50m強、水の流れている部分は25m強、です。
    書き直しておきます。ありがとうございました。
    今、ちょうど妹のところに来ていて、その時の話をしてみたのですが、お互いの記憶がかなり食い違っていて驚きました。
    しかも妹の方が記憶が確かでした(;^_^A
    まあ、お話の方はあくまでもフィクションなので年齢とか細かい部分が多少違っても大丈夫だとは思うのですが、内容に矛盾が出るのは問題ですよね。川幅の件は、まさにその矛盾で、ご指摘いただいて助かりました。
    ありがとうございました。


    >反面、熊の逸話はちょっと長いとも感じました。

    長いですよねw
    この川、渦の部分も確かに怖いのですが他にも怖い話の付きまとう川なんです。差し障りがあって書けない事もあったりする中で、川そのものと町民との関係性や時代の匂いなんかを熊に託してみたのですが。
    私の熊への思い入れもあってw


    >琵琶湖の深さに怯えていたことを思い出しました

    琵琶湖も怖いですよね。毎年何人かは亡くなりますし。
    やはり自然は圧倒的な怖さも秘めてるって忘れないようにしないとですね。


  • 隔たりへの応援コメント

    昭和は結構スパルタだったというかなんというか。特に小さい頃はまだそこかしこに戦後を感じさせるモノやら人がいたりして。

    それから死がわりと身近でもありました。いや、実際に誰それが、ということではなく伝聞形がほとんどだった気がしますが、……いや都会の悲惨な事件を思うと、むしろいまのほうがより生々しい死が近い可能性もあるのか……🤔

    面白かったですw

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    >まだそこかしこに戦後を感じさせる

     確かに、戦後がいっぱいありました。あの頃はそうは思ってなかったんですけど、今になって思い返せば、あの頃はまだ「戦後」だったんですね。
    当時の犯罪がらみの「死」と最近の犯罪がらみの「死」は何となく性質が違うように感じてしまいます。人間そのものが変わってきているのは間違いないと思うのですが、それも長ーい目で見ると進化?の一過程なんでしょうかねぇ。

  • 隔たりへの応援コメント

    独特の語りの味わいがある回想エッセイです。年端の行かない子供の感覚での語りと(しかしよく覚えていらっしゃる w)、それをフォローする形の大人視点での語りとが、ほどよいテンポで交代しつつ、一つの川の情景を読み手の眼前にまざまざと浮かび上がらせる、そんな筆致ですね。

    >当時の私はその川の深い淀みに『この世とあの世』の隔たりを確かに見ていた。

    なんだか分かります。そういう場所とか場面とか、子供時代は身近なところにいっぱい意識してたような気がします。好奇心と恐怖心がないまぜになったようなイメージが場所そのものに宿ってるような感じで。

    ツキノワグマのエピソードもなかなかに興味深い話でしたけれど、それを前段にして「この世のあの世の隔たり」の印象を重ねていらっしゃるのが、またうまい手だと思いました。書き手によってはどうかするとクマと川の話をばらばらにしてしまって、とりとめない思い出話になってしまったりもするんですが、川という場所を縦軸にして、そこそこ緩い形でクマと溺れた子供の話がつながっています。神妙な顔で「死」への畏れと向き合っている幼い頃のゆかりさんの、その表情が思い浮かぶようです。

    大人の今となっては、「怖いもの」というものも全く別のものになってしまってますし、こういう感覚はほんとに久しぶりに思い出しました。いいもの読ませてもらいました。ありがとうございます。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます。

    >神妙な顔で「死」への畏れと向き合っている幼い頃のゆかりさんの、その表情が思い浮かぶようです

     おっしゃる通り、子供の頃の私はあらゆるモノが怖かったです。夜の暗さも、家に迷い込んで暴れて飛び回るコウモリも、大きな大きな蛾とか。
    「死」もそうでした。だから幽霊も怖くて怖くてw
     今は自分が「死」に近づいているからか、幽霊とかは怖くなくなりましたね。大きな虫は相変わらず怖いですけど。

     
    >大人の今となっては、「怖いもの」というものも全く別のものになってしまってますし

     ほんと、そうですね。この話の頃はまだ「別の怖いもの」は知らなかったけれど、大人になるにつれ、そして大人になってから、「別の怖いもの」に散々翻弄されましたw


    >いいもの読ませてもらいました。ありがとうございます。

     こちらこそです。
     湾多さんの美しい日本語で書いてもらったコメントは何だかもう、それだけで一つの作品のようです。私などにはもったいない気がしてます。