泥棒

惣山沙樹

泥棒

 仕事から帰ってきてマンションの集合ポストを見ると、やけに小洒落た白地に金の縁取りの封筒が入っていた。亮太りょうたからだった。


 ――ああ、そうか。グループラインで茉莉まりちゃんと入籍したって報告してたもんな。


 部屋に入ってソファに座り、カッターで丁寧に封を切った。中にあったのはもちろん結婚式の招待状で、時期は三ヶ月後、八月の上旬だった。

 そして、驚いたのが、僕に友人代表としてスピーチをしてくれ、という内容のカードも一緒に入っていたことである。

 僕はすぐに亮太に電話した。


「あのさ、亮太。結婚式、行くよ。行くけどさ、スピーチってどういうこと?」

「ええ? 前に言わなかった?」

「聞いてない!」

「でも直哉なおやに決めちゃったんだよ。直哉なら、俺と茉莉のなれそめとか知ってるし、適任だろ?」


 僕は言葉に詰まった。亮太とは高校卒業後、進路が分かれたが、その後も連絡を取り合っていた。茉莉ちゃんと付き合っただの、デートしただの、という顛末はあらかた知らされていたのだ。


「じゃ、よろしく頼むよ。テンプレでいいからさ。そんなに気負わなくても、場を繋いでもらえればいい」

「ちょっと……」


 亮太は電話を切ってしまった。僕はスピーチのカードをクシャクシャに握りしめた。


 ――人の気も知らないで、とはこのことだな。


 僕は思い返した。亮太との高校生活を。




 亮太は入学当時から目立つ奴だった。長身。くっきりした目鼻立ち。あどけない笑顔。

 一年生の校外オリエンテーションで一緒の班になったことがきっかけで、僕たちはすぐに下の名前で呼び合う仲になった。二人とも帰宅部ということもあって、一緒に過ごす時間は長かった。

 あれは三年生の夏休み直前。期末テストが終わり、教室で一つの机を挟んで向き合い、亮太とダラダラしていた日だった。


「直哉、ジュース買ってくるけど何かいる?」

「じゃ、コーラ」

「あいよ」


 一人残された僕は、スマホでパズルゲームを始めた。当時はそれに夢中だったのだ。深く考えなくても、指先が勝手に動くまで上達していたので、僕は亮太の彼女のことを考えていた。

 亮太はモテた。めちゃくちゃモテた。容姿もそうだが人当たりがよくコミュ力が高いのだ。女子とは縁のない僕とは大違いだった。

 その時亮太が付き合っていたのは、同じ学年の女の子で、彼女はテスト終わりのこの日から部活再開。その彼女を待つ暇つぶしに、僕は教室に残ってやっていたわけなのである。


「お待たせ!」

「ん、亮太はまたレモンスカッシュ? 好きだな」

「夏はやっぱりこれだよ」


 僕はパズルゲームをすぐにはやめなかった。相手は亮太だ、遠慮することなどなかったのだ。キリのいいところで終わらせて、机の上に置いてあったコーラを飲んだ。

 亮太が言った。


「あーあ、高校生活終わっちまうなぁ」

「そうだなぁ。受験勉強、本気でやらないとまずいし、亮太とこうする時間も取れないかもな」

「うん、だよなぁ、やっぱりそうだよなぁ」


 僕は大学進学を目指していた。一方の亮太は、美容師になる専門学校に行くことになっていた。


「なぁ直哉、暇だしゲームしよう」

「はっ? 何の?」

「目ぇ閉じてじっとしてて。目ぇ開けたり動いたりしたら負けな?」

「はぁ……」


 言われた通りにした。運動部の景気のいいかけ声や蝉の鳴き声が聞こえてきた。ふわり、とレモンの香りがして、次いで唇に柔らかいものがあてられた。


「えっ……!」


 僕は目を開けて身を後ろに引いた。亮太のにやけヅラがすぐそこにあった。


「何、今の、何」

「えー? キス」

「な、なんで」

「直哉が可愛いから。目ぇ開けなかったら舌入れたんだけどな……」

「も、もう、僕、帰る!」


 リュックを掴み、逃げるように教室を出た。校門を出て、駅に着くまで僕は走り続けており、改札を通った頃には息が切れていた。


 ――初めてだったのに。初めてだったのに。初めてだったのに!


 電車の中で僕は扉に寄りかかり、ぐっしょりとかいていた額の汗をぬぐった。

 自分に起きたことが整理できるまで、かなりの日数が必要だった。僕は彼女がいる男友達にキスをされた。その事実を何度も心の中で反すうした。


 ――普通、付き合ってない相手にする? 自分は彼女いるのに? 何? 僕、浮気相手?


 夏休みに入り、塾の夏期講習で亮太と物理的に距離が開いたのは丁度よかったのかもしれない。二学期になるまでに、僕は「あれはなかったことにする」と決めて亮太に接した。奴の態度は変わらなかった。何も。何も。何一つ。

 亮太は夏休みの間に彼女と別れてしまった。どうやら彼女は束縛気質だったようでそれに疲れたらしい。それから亮太は高校では彼女はもう作らず、男同士でつるんでいた。

 僕と亮太は卒業し、ラインで近況を報告するだけの間柄になった。亮太が専門学校で茉莉ちゃんと出会い、告白し、無事に恋人になった、その全てを僕は祝福していた。

 その、はずだった。




「やっぱりさぁ……なかったことにはできないよ……」


 僕はパソコンを前に独り言を言った。検索画面には結婚式スピーチの例文集。「スピーチ」と名前だけはつけたワードファイルは文字数ゼロだった。

 順調に茉莉ちゃんとの交際を続けて入籍までした亮太。好きな人すらできずに社会人になってしまった僕。そりゃあ僕だって恋愛に興味がないわけではない。けれど、何も動けないでいる理由は、ただ一つ。

 僕は立ち上がってベランダに行き、タバコに火をつけた。マルボロはいい。大体どのコンビニにも売っていて僕を慰めてくれる。

 タバコを吸い切る前にある決意を固めた僕は、吸い殻を灰皿に押し付けて、パシンと自分の頬を叩き、一心不乱にパソコンに向かった。

 そして、結婚式当日がきた。気持ちのいい青空が新郎新婦の門出を祝していた。披露宴では美容師仲間の余興があり、僕のスピーチはその後だった。

 名前を呼ばれ、僕はすっと立ち上がり、満面の笑みを浮かべた。


「亮太、茉莉ちゃん。結婚おめでとう……」


 内容はありきたりなものだ。新郎の学生時代の活躍を褒め、新婦との交際について友人として心から応援していたと繋ぐ。これからも支え合う二人であって欲しいと願い、ここからだ。


「ただ、僕には許せないことが一つだけあります。高校時代、亮太は僕にキスをしたんです! 僕の初めてのキスを奪ったんです! この、初キス泥棒! 初めては好きな女の子としたかったのに! 一生根に持ちます! 僕の結婚式の時はスピーチよろしくな、亮太!」


 会場はどっと笑いに包まれた。成功だ。

 二次会の会場で、僕は同級生たちに囲まれた。


「直哉! キスのくだり最高だった!」

「だろ? いつか使えるネタだと思って隠してたんだ」


 僕は酒を飲んだ。浴びるほど飲んだ。キスの一件を大っぴらにしてしまうことで、こわいものは何もなくなった。

 どうやってマンションに帰り着いたのかよく覚えていなかった。翌朝僕はスーツのままベッドに突っ伏していた。のろのろと起き上がってシャワーを浴び、着替えていると、何かが入った紙袋が玄関にあるのが目に入った。

 おぼろげな記憶がよみがえってきた。ビンゴの景品だ。紙袋の中から箱を取り出した。包み紙を取ると、出てきたのはアロマディフューザーというやつだった。

 説明書を読んだ。水を入れてアロマオイルを垂らすと、ミストが噴射されて香りが広がるらしい。さっそくやってみた。


「あっ……あっ……」


 漂ったのは、あの日の香り。僕は手に持っていたアロマオイルの瓶をよく確認した。レモングラスと書いてあった。


「うわぁっ……ああっ……」


 わかっていた。亮太のあのキスは「可愛いから」というだけ。それ以上でもそれ以下でもなかった。

 ネタにすれば全てがスッキリすると思っていた。あの日の僕のことを大勢の人が笑ってくれれば、前を向けると信じてやった。それなのに。

 僕はアロマディフューザーの電源を落とし、ベランダに出てタバコを吸った。奪われたものは戻らない。永遠に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

泥棒 惣山沙樹 @saki-souyama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る