【お題・創作】恋愛の葛藤シーン(異世界和風) 貴方ならどう描く?
kou
第1話
障子越しに差し込む月光が、部屋を冷ややかな銀色に染め上げ、静謐な夜の空気が漂っている。障子に映る影は、風に揺れる竹の葉のシルエットを淡く描き出し、幽玄な雰囲気を醸し出していた。
狭い部屋には行灯が一つだけ置かれ、淡い光で室内を照らし出している。
その中に一人の女が居た。
白色の上衣に深い紺色の袴を履いていた。
腰まで届く長い髪を首の後ろで束ねている。白く透き通るような肌は、月光に照らされて柔らかな光を放ち、まるで陶器のような滑らかさを持って輝いていた。切れ長の瞳には強い意志を感じさせる輝きがあり、鼻筋の通った美しい顔立ちをしている。
しかし、その表情にはどこか憂いの色が見え隠れしていた。
女は抜き身の刀を手に、刃文に映る自分の顔をジッと見つめている。手鏡のように磨き上げられた刀身に映った顔は、女の美貌と相まって神秘的な雰囲気を漂わせていたが、表情は
名前を
その時、不意に部屋の外から物音が聞こえてきた。
板張りの廊下を誰かが歩く音だ。それは徐々に大きくなり、やがて部屋の前で止まった。直後、襖が静かに開く。
すると、刀と脇差を帯びた深い藍色の着流し姿の青年が立っていた。
黒く艶やかな髪は、彼の若さと健康を象っているかのようだ。深い黒の瞳は戦いの中で培った経験と、未来への確固たる意志が宿っている。その精悍な顔つきは、まさに若者特有の瑞々しさに満ちており、慕われ焦れられる壮年へと成長していく過程を感じさせた。
青年は叶絵の姿を認めるが、その表情は暗く影が差していた。
「
叶絵は視線を刀身から、青年――裏龍に向けたまま呟いた。
「まだ起きていたのか。少し休んだ方がいい」
裏龍は襖を閉めると、部屋の中に入った。
腰の刀を鞘ごと抜き、自分の右脇に置く。これは敵意を一切持っていないことを表す所作だ。
裏龍は刀を手にした叶絵の傍らに座る。
叶絵は刀を鞘に納めた。
二人は共に流派こそ違えど、剣の道を究め続ける者同士だった。
互いに尊敬の念を抱いている。
だが、二人の流派は彼らが生まれる前から激しく反目していた。
彼らの祖父達はかつて同じ《心鏡流》の道場で修行を積み、競い合った仲であった。
裏龍の祖父である
そんな折、ある日突然事件は起こった。
玄次郎が野盗を斬り捨てたのだ。
野盗の被害は以前から出ていた。町に火を付け、混乱に乗じて盗みや殺しを行う凶悪集団に役人による討伐隊が結成されるものの、捕らえることができずにいた。
そんな中、玄次郎は一人で10人からなる野盗を斬ったのだ。それがきっかけとなり、玄次郎の名は一気に広まった。
しかし、この行動には重大な問題があった。《心鏡流》の教義では、剣は防御と自衛のために使うものであり、殺傷は極力避けるべきとされていた。
玄次郎の剣は剣術とはかけ離れた、処刑や拷問とも取れるようなものだったのだ。
ある者は目玉を斬られ光を求めて彷徨う生き地獄に落とし、ある者は内蔵を傷つけることなく腹を斬りハラワタをはみ出たせて発狂させ、また別の者は四肢を切り落とし達磨のような姿で放置されていたという。
そのような噂が流れれば《心鏡流》の門下生も増えるわけもなく、弟子達の中には逃げ出す者もいた。
そして、残された者達からは当然非難の声が上がることとなる。
玄次郎の行動は流派の教義に反しているとして、彼を破門することにした。
破門された玄次郎は、新たに《裂刃流》を立ち上げ、独自の教義とともに
一方、叶絵の父である正之は《心鏡流》を継承し、師匠の教えを守りながら流派を発展させた。
後に《心鏡流》の継承候補者でもあった玄次郎がなぜ、あれ程までの殺戮劇を行った理由が関係者に知られることになる。それは野盗によって玄次郎の恋人が凌辱され殺されたことが原因だったのだ。最愛の女性を失ったことで正気を失い、怒りと悲しみに身を任せての行動だったのだ。
この事件をきっかけに、二つの流派の間には深い溝が生まれ、対立が続くこととなった。
一方からは流派を穢した殺戮者であり、一方からは愛する者を失った悲しみを理解できない流派と。
《裂刃流》は殺人刀を追い求め、肉食獣が血肉をむさぼり喰うが如き苛烈な剣は、対戦者を震え上がらせ、圧倒的な力と恐怖によって無法者を退け地域に平和と安定をもたらした。
一方で《心鏡流》は相手を殺さないように工夫を重ね、悠然たる技量をもって相手を制し、相手の心を斬って戦意を喪失させて勝利を得る活人剣の実践的な心と技を追求し続け、その理念は広く人々に受け入れられていった。
どちらの流派もそれぞれ優れた部分があり、それを認め合ってはいたが、決して交わることのない道を辿ってきた。
特に叶絵の祖父は、玄次郎のことを嫌悪しており、会う度に罵り合いを繰り返していたほどだ。
叶絵と裏流の二人は生まれた時から、互いの理念を憎み合う親の姿に、相手の流派を憎む生き方を受けるものの、いつしかその感情は愛情へと変化していったのだった。
憎悪と愛情は似て非なるものだが、相手を常に考え心を満たすという意味では似通っているのかもしれない。寝ても覚めても相手のことを考え、どうすれば自身の正しさを相手に認めてもらえるのかを考える日々が続き、ある時は口論を行い、ある時は勝負をするといった具合に切磋琢磨する関係となったのだ。
二人はいつしか流派の思想を超えて、恋仲に発展した。
縁組を進めることで長きに亘った確執を解決しようとしたのだ。
だが、そんな矢先に二つの流派の宗家は黒装束の集団に襲われたのである。
二人は何とか難を逃れたが、両家の関係者のほとんどが殺されていた。
「ねえ。私達、これから、どうしたらいいの?」
叶絵の声は震えていた。彼女はすでに多くのものを失い、自分達の未来が見えなくなっていた。裏龍の手が自然と叶絵の手に重なり、その温かさが彼女の心を少しだけ落ち着かせる。
「叶絵、俺達には、もはや後戻りできる道はない。今まで築いてきた流派の教えや家族の意志を背負ってきたが、その重みがどれほどのものだったか。それがようやく分かった気がする」
裏龍の声もまた、重い感情に包まれていた。二人はそれぞれ、流派の敵であり続けることを強いられてきたが、互いの心を通わせるたびに、その教えがどれほどの意味を持つのかを考えるようになっていた。
「でも……」
叶絵は少し息を詰まらせ続ける。
「私達が愛し合うことで、両家の関係が変わるかもしれないって、信じたかったの。だけど、今は……」
彼女の言葉は途切れ、涙が頬を伝った。裏龍はその涙を拭うと、彼女をそっと抱き寄せた。彼の腕の中で、叶絵はただ静かに涙を流すことしかできなかった。
「俺達が愛し合うことで、確かに変わるはずだった。だが、現実はそう簡単にはいかない。そう考えると、この時期に両家が襲撃され俺達の命が狙われた理由もおのずと分かってきた」
行灯の火が揺らめき、裏龍の言葉が冷たく静かに響いた。叶絵は信じられない思いで彼を見つめ、彼の言葉の意味を理解しようと必死に頭を働かせた。
だが、答えが見つかる前に、彼女の心には激しい動揺が広がっていった。
「まさか。流派の中の保守派が、今回のことを……」
叶絵の声は震えていた。
自分達の関係が原因で流派内部抗争を引き起こし、家族が命を落としたのかもしれないという考えが、彼女の心を重く押し潰していた。
裏龍は彼女の言葉に頷き、苦悩に満ちた表情を浮かべた。
「おそらく、俺達の関係が知られてしまったんだ。俺の思いとしては数年をかけて流派の交流を得て、二人の関係を告げるつもりだった。だが、保守派は自身の流派を守るために手段を選ばなかった。俺達の存在そのものが、彼らにとって脅威だったんだ」
叶絵は信じられないという顔をし、涙が止まらなくなった。彼女は裏龍に近づき、その胸元を掴むと問いかけた。
「どうしてこんなことに……。私達が愛し合っているだけで、どうしてこんなに多くの人が犠牲にならなければならないの?」
裏龍は叶絵の手を優しく握りしめながら苦悩する。
「叶絵、俺達が選んだ道は、決して許されるものじゃなかったんだ」
彼の言葉を聞き、叶絵の心は混乱と悲しみに満たされた。彼女は自分の心の中で愛と憎しみが交錯するのを感じていた。
裏龍を愛している。
だが、その愛が原因で多くの人が犠牲になったのだとすれば、どうすれば良いのか分からなかった。
「裏龍、私達は、どうすればいいの?」
叶絵は震える声で尋ね、続ける。
「このまま二人で生きていくことは、誰かを傷つけ続けることになるの? そんな未来を望んでいるわけじゃない。でも、あなたを失うことなんて考えられない」
裏龍は沈黙し、深い思索に沈んだように見えた。彼の顔には苦悩が浮かんでいたが、やがてその表情が硬く引き締まった。
そして、彼は静かに答えた。
「叶絵、俺達には選択の余地がない。今のままでは、俺達の存在が流派の間で更なる憎しみを生むだけだ。だから……」
彼は言葉を切ると刀を手にし、障子を開けて庭をへと下りた。
夜の庭園に、満開の桜が静かに咲き誇っていた。
月明かりが柔らかく降り注ぎ、薄い桜の花びらが青白く輝いている。風がそっと吹き抜けると、枝から離れた花びらが舞い上がり、宙を漂う。
花びらは数を増し、やがて無数の白い蝶のように庭園全体を覆い尽くしていく。
裏龍は、その中で叶絵を振り返る。
叶絵は裏龍の動きと表情を見て、驚愕の表情を浮かべた。
「裏龍……。何を」
裏龍は叶絵を真っ直ぐに見据えた。
「叶絵。俺達は、戦わなければならない。宗家のどちらかが死なない限り、この戦いは終わらないだろう」
その言葉に、叶絵の顔から血の気が引いた。裏龍の言葉は彼女にとって、死刑宣告にも等しいものだったからだ。
同時に彼の真剣な表情から、彼が何か重要な決意を固めていることを感じ取った。
「裏龍……」
叶絵は歩みを進め、桜舞う庭に降り立つと震える手で自分の刀に手をかけた。
「あなたがそう決めたのなら、私も覚悟を決めるしかない。私達が直接、流派の因縁を断ち切ることで、次の世代に平和を残すことができるのなら」
二人はゆっくりと刀を抜き、互いに対峙した。
間合いは、一間(約1.8m)しかなかった。
二人が取った間合いは、正眼に構え一歩踏み込むだけで、切先が相手の眉間に届く距離だ。間合いの読み合いもなく、互いが互いの間合いに踏み込んだ状態だった。
それは一撃で勝負を決するということに他ならない。
月明かりが鋭く反射し、刃は冷たく光り輝いていた。
彼らはそれぞれ、流派の教えに背くことを決意し、愛する者を守るために戦う覚悟を持った。
「裏龍、私はあなたを憎んでいるわけじゃない。むしろ、愛しているからこそ、あなたとこうして向き合わなければならないの」
裏龍は頷き、刀を右手に下げていた。
「叶絵、俺も同じだ。俺達が愛し合うことで、今までのすべてを壊してしまった。でも、これが最後の試練だ。俺達がここで戦い、すべての憎しみを断ち切るんだ。そして、生き残った方が未来を繋ごう」
叶絵は涙を頬に伝わせた。
夜桜が静かに舞い散る中、叶絵と裏龍は刀を握りしめ、互いの目を見つめ合った。
互いに八相に構える。
二人の間に漂うのは、長い因縁と複雑な感情が織りなす静かな緊張。すべてを乗り越えた先に待つものを知りつつも、彼らはその瞬間を避けることができなかった。
一陣の風が二人の間をすり抜け、桜の花びらがふわりと舞い上がる。
その瞬間、二人の身体が反射的に動いた。音もなく刀が閃き、闇夜に一瞬の閃光が走る。刃と刃が交差し、花びらがまるで血の涙のように散り、月明かりがその光景を映し出す。
そして再び、静寂が庭を包み込んだ。二人は向かい合ったまま動かず、まるで時間そのものが止まってしまったかのようだった。
夜桜が風に舞い、彼らの姿を覆い隠すように、柔らかく降り注ぐ。
月の光は淡く、二人の影は揺らめく。
彼らの運命は、見る者の心に委ねられるかのように終わりを迎えた。
月明かりに照らされた花びらは、一枚一枚が繊細な輝きを放ち、冷たい空気の中で柔らかな風に乗り、ゆっくりと宙を漂う。
舞い散る花びらは、まるで雪が降り積もるように、地面へと落ちては儚く消えていく。
その様は、あたかも春の別れを告げる雪景色のようでもあった。
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