熊本地震からの逃亡。(1)

猫島警部

熊本地震からの逃亡。(1)

『猫島警部はとりあえず無事ですが…猫たち…』

2016年4月14日午後9時48分にTwitterにツイートした短い言葉。


2016年4月14日・16日に一連の熊本地震が起きたことはご存知だと思う。震源の益城町の入り口まで徒歩で行ける距離の我が家。当然とてつもない揺れを経験した。


14日。自分は益城町にいた。病気の通院治療のためだ。後にその病院は大規模半壊し更に敷地内に断層が見つかって移転を余儀なくされた。地震の丁度5時間前に診察を受けていた事になる。そして、その後wikipediaにも掲載されている熊本市健軍商店街の倒壊したスーパー「サンリブ」で用を足す為にトイレに入っていた。地震の3時間前だ。運が悪ければ倒壊した建物の下敷きになっていたかもしれない。ただ運が良かったとしか言いようが無い。


21時26分。入浴が終わって2階にある自室のパソコンの電源をいれた後、階段を降りていたら、とてつもない揺れが襲った。


『ドドドドドド!』


一瞬何が起こったか分からなかった。だが自然に両手を壁につき大声で「落ち着け!落ち着け!落ち着け!」と叫んだ事を憶えている。


揺れは長かったように感じた。実際はそんなに長くないのだが…1分は続いていたという感覚だ。


まずは一階の寝室で就寝していた父母に「大丈夫か!?」と叫び扉を開けようとしたが全く開かない。もしかして型が歪んでしまったのか…実際は倒れたタンスが扉を塞いでいた事が原因だったのだが。


あらゆるものが散乱した。机から落下したパソコンは電源が入っていたのでデータ類が全部とんだと思った(実際には全く無傷だったのが不思議だ)。台所の食器は散乱して足の踏み場もなかった。あーあ、どーすんだこれ、めんどくさいなぁ、という第一印象だ。


ただ、この時はハイになっていたのか、定かではないが家族中、やけに"笑顔"が多かった。なんか凄い経験をしたね、でも命も家も助かった、ワハハ。


後で聞いたが人間の心理として本当にピンチの時には「笑う」らしい。


ただこの地震の後、益城町方面へ市内から続々と消防・救急車が一晩中サイレンを鳴らして走っていた。


が、いくらモノが散乱したとはいえ家族全員、無傷。停電も断水もなかったので、そこまで深刻に受けとめていなかった。テレビでは熊本城が埃を立てる映像が繰り返し流れていた。なにかそれを見た時、他人事のようで全く実感がわかない。まるで海外ニュースを見ている心境だった。


とりあえず深刻に考えず、余震も続いていた事から後片付けは明日にしようという事になり、それぞれ眠り着いた。日付が変わった頃、大きな余震があったそうだが記憶がない。この余震で家の前にある畑の持ち主のおじいちゃんの家が全壊した。その映像がしょっちゅうテレビで使用されていた。


次の日、晩飯の買い物に出かけたが長蛇の列と「おひとりさま1品でお願いしまーす」の声が響く。その日(15日)の夕食は「すきやき」。父親は


「これはじゃあ"すきやけ(自棄)"だ、ハハハ。」


とつまらない冗談を言って場を凍り付かせていた。まあ「すきやき」って調理がほとんどいらないから懸命な判断だと思うが。


もうこれで地震は終わったんだ、たいして被害があった訳じゃなかったので、そう思っていた。


2階の自室はものが散乱していたのと「万が一」強い余震が起こった場合にそなえて1階の仏間で寝る事にした。その「万が一」が起こってしまったのだが…。


精神的にも肉体的にも疲労が蓄積していたので22時頃には眠りについた。明日は後片付けしなきゃ、と思いながら。おやすみなさい…。


なにか夢を見ていたが、なんの夢を見ていたかは思い出せない。


ヘンな振動で目が覚めた。最初は夢かと思った。4月16日1時25分(らしい)。


家が大きな何かによってかき回されていた。直後、天井近くにあった祖母の遺影が自分の右頬をかすめた。ちょっとズレてたら額を割っていただろう。そしてようやく「また地震が起きた」ことを認識した。直後、常夜灯が突然切れた。なにもかもが闇に飲み込まれた。家がもの凄い音を立てて軋んでいた。


ヤバい、直感的にそう思った。死ぬんじゃないか。


ただ、揺れの大きさ自体は14日の前震と変わらない…というかどちらも揺れが大きすぎて比較のしようがなかった。震度7。(記録上は熊本市は震度6強)仏間から外へ飛びだそうとしたが、立ち上がる事すらできなかった。揺れに身をまかせる。大海に浮かぶ木の葉のようだった。


これが本震だった。


…夢の続きのような現実。声も出ない。ただひたすら布団にしがみついて耐えた。夢の続き。そう、それは悪夢だった。


だがこれは現実だ、悪夢から覚める。部屋中に散らばったあらゆるもの。傍らには祖母の遺影。天井を見上げると満面の笑顔を浮かべた祖父の遺影。じいさん、運が強かったもんな。軍人で捕虜になったけどなぜか出征前より太って還ってきたという祖父。そしてこの悪夢を見ずに三年前に亡くなった。やっぱり運が強いな、おじいさんは。なぜかそんな事を思った。


が、すぐ我に返る。隣の部屋で寝ていた両親に声をかける。もしかしたら死んでるかもしれないな、正直にそう思った。だがタンスなど、前震で倒れたものを片付けなかったのが幸いしたのか


「そっちも生きてるかー!」


と、むこうも声をかけてきた。家族全員無傷。祖母の遺影にはヒビが入っていた。


家のところどころにヒビや亀裂が入っていたがまだ、立っていた。何か所か窓ガラスが割れたりはしていたし、屋根瓦もほとんど散乱していたが、何とか家としても頑張って生き延びていた。ああ、良かったなぁ、我が家。


だが、さすがに家の中にとどまるのは危険なのは明白だったので全員、そのままの格好で家の前の畑に出た。その畑(先述した家が全壊したおじいさんの)にはご近所さんが自然に集まってきていた。4月中旬の夜、まだ寒かった。毛布を被ってらっしゃる方もいた。全員、茫然自失。先述した『本当にピンチの時には「笑う」』をもはや通り越している。泣いている方もいた。


余震が続く。だがさっきの揺れを経験してしまったから、もう慣れてしまっていた。すると突然、空に小さな動く灯りが。飛行機だ。なぜこんな時間に飛行機が?とその時は思った。後に聞くと偵察用の戦闘機で前震の時も飛来していたらしい。


畑に避難していた自分たち。1時間か2時間くらいへたり込んでいただろうか。この間の記憶はあいまいだ、何も考えず、考えられず唯々ボーっとしていたような気がする。突然、電気が復旧し、灯りが次々と闇を照らしていく。だんだん冷静になり喉に渇きを覚えた。近くの稼働している自販機で飲み物を買う。が、ほとんど売り切れ表示。だからコカ・コーラしかなかった。あれだけ苦い味のコーラは後にも先にも無いだろう。


(2)へ続く

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