第12話 子供たちの力~マインドセットの壁を打ち破る

 お年寄りの避難。

 これは、来るべき南海トラフ大地震の発生時に憂慮される事のひとつである。


 東日本大震災の時と比べ、予想される震源域が陸地に近いため、津波が発生すると前例よりも圧倒的に早い時間で到達することが予想されている。


 奇しくも、その事の教訓となる災害が今年の始めに起こってしまったことは記憶に新しい。

 能登半島地震では、地震発生から最短一分程度で津波が到達した所さえある。最早、逃れられるような速度ではない。

 南海トラフ大地震によって発生するとされている津波も、シミュレーションの内容によっては最短二分程度で到達するという予測がある。


 そして、これを聞いたお年寄りの多くは、こう思ってしまったらしい。

「あ、じゃあ無理だ。避難は諦めよう」

 と。


 どうか、どうか諦めないで欲しい。

 例に出たのはあくまでも最短の場合である。

 

 東日本大震災では、犠牲者の7割が高齢者だったという自治体もある。そんな避難を断念した人までも救おうと多くの地元消防団員が最後まで救助に当たり犠牲になった。彼らは、例え本人が諦めていようと救助を諦めることは決して無いのである。


 どうか、諦めずに避難して欲しい。


 そして、近隣の人は状況を把握しておいて欲しい。あの家にはお年寄りがいる、あの家の避難はうちがサポートする、という心がけが命を救う原動力になるのである。


 多くの地域では少なくとも5分から10分程度の猶予はあるのだ。弱った足でも10分あれば最寄の避難場所までは行けるはず。そして、それを見越して当該地域では細かな避難場所となり得るポイントを策定しているのである。


 南海トラフ大地震の場合、これまでの一般的な避難対策ではとても網羅しきれないため、かなり柔軟な避難方法も提示されている。

 その一つが、『直近の安全な民家への一時避難』である。(正式な名称は調べられませんでした。どなたかご存じのかたいらっしゃいましたらご教授ください)

 これは文字通り、自分の家より安全で高い場所にある民家に一時避難させてもらう、というものである。鉄筋コンクリート造りの建物なら、ある程度耐えられるという見解も出ている。盲信はできないであろうが、津波の到達予想時間を越えて移動することは却って危険であるため、手近な高層建築物へ避難するということも必要である。

 民家への避難はこれの拡大適応で、お年寄りなど長距離の避難が困難な場合、高台にある頑丈な一般民家へ一時の避難場所として匿ってもらうための前もっての呼び掛けを行っているのである。該当する住宅の家主は、近隣のお年寄りの名前と顔を把握しており、有事の際には○名程度避難してくる人がいる、という想定を持っておくのである。


 だが、それでも全員を避難させるのは容易ではない。


 現実問題以上に横たわるのが、避難行動を実行に移すまでのマインドセット(心がけ)の部分である。


 今まで大丈夫だったから、今度も大丈夫だろう。


 これに陥ってしまう人間は、想像以上に多い。

 洪水災害が起こる度にインタビューで語られている「今まで生きてきて初めてです」という言葉。

 災害が起こると何故かテレビはこの言葉を拾って流したがるが、これこそが前述の「大丈夫だろう」にやられた人間の言葉である。そして、これを聞いた人間も同様に、この「楽観バイアス」に呑まれていくのである。

 自分は大丈夫だろう、と。


 これは、経験を積んだ大人であるほど陥りやすい心理である。また良くないことに、世間体というか、ぶっちゃけ「かっこつけ野郎」ほど避難行動に移らない人間が多い。慌てて避難するのが格好悪いとでも思っているのだろうか。デン、と構えて落ち着いているのが格好いいというは前時代的な考えだ。このような人間が上の立場だったりすると組織全員が逃げ遅れることになる。


 防災で大事なのは、「例え空振りであっても全力で避難する事」。

 それも何度でも、である。


 この心理の壁を越えるのは、案外難しいらしい。

 悪いことに、避難の妨げになるような人間の言動は、意外なほど説得力があり魅力に溢れている。そして、それに惑わされて避難行動は遅れていくのである。

 私のように空気の読めない人間の方が、却って避難には有利なのである。


 だが、この心理の壁を突破した実例がある。

 これは、東日本大震災の被災地で実際にあった事であるのだが……。


 多くの大人たちが「昔もここまでは津波が来なかった」と言って避難を渋るのを他所よそに、小学生や中学生の子供たちが率先して近隣に声をかけながら集団で高台に避難して見せたのである。

 それを見た多くの大人たちは、戸惑いながらもその避難の列に加わり、結果的に津波を免れたという実例があったのだ。


 多くの経験と知識は、時に成功体験という名の枷になることがある。

 大人の方が『楽観バイアス』にやられやすいのだ。


 そのため、南海トラフ大地震避難に当たっては、特に中高生の生徒たちが主導となってお年寄りに避難の呼び掛けを行っているという実例もある。

 子供たちに言われて、改めて避難に対する意識と意欲を持ち得たお年寄りも多いと聞く。


 諦めないで欲しい。

 あなたの避難は、未来ある者たちを救う事にもなるのだと、そう思って欲しい。


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