勇者に倒された魔王が、勇者に転生して魔王を倒す物語

Seabird(シエドリ)

勇魔勇魔(ゆまゆま)

「これで終わりだぁ!」


 薄暗い城内の一室。

 部屋と呼ぶにはあまりにも広い空間の中央で、私は魔王に剣を突き刺す。

 聖剣が胸に刺さった魔族の王は、ふらふらと後退し、玉座ぎょくざに腰掛けた。

 長い戦いだったな。それもやっと終わるのか……

 勇者として生きてから18年。人間であることから、旅には苦労が付き物だった。


「よくぞここまで……どうだ? 世界の半分を……」

「ちょっと待ったー!」

「ど、どうした?」

「セリフがつまらない! もっと自分出していこうよ!」

「何を言っているのだ……」

「はぁ。もういいよ。俺が温めておいたセリフを教えるから、やり直そう」


 そう言った私(俺)の手には、先ほどまで魔王の胸にあった聖剣が握られている。


「くくく。何を言っているのが分からぬが、抜かったな勇者よ!」


 魔王が傷を治し、こちらに向かってくる。

 昔の俺なら、こんな反応するだろうな……

 と付けたからには俺もいるわけだが、なぜ俺が今、女勇者の見た目で自分を倒そうとしているのかを語るには、時をさかのぼる必要がある。


……


「これで終わりだ」


 勇者が俺の心臓に聖剣を突き刺す。

 俺はふらつきながらも、魔王の玉座まで移動することが出来た。

 不死身なはずなのに傷が塞がらない。

 あと少しで……あと少しで野望が果たされたというのに。


「よくぞここまで……どうだ? 世界の半分を……」

「いらない。早く消えてくれ」


 目の前の女勇者は、まるで無機物を見るかのような目を俺に向ける。

 彼女の魂の色は灰。

 俺は人間が嫌いではない。彼らの感情は世界にとって必要なものだ。

 だからこそ、この女勇者には同情さえする。感性がとぼしい我ら魔族より、魂がくもっているのだ。

 胸の部分から体が消滅していく。

 一か八かやるしかないか。


あわれな勇者よ。また会おうぞ」


 きっちりと捨て台詞ぜりふを吐き、俺の体は完全に消え去った。



 どれくらいの時間が経ったか分からない。意識が戻り始める。

 土壇場どたんばだったが、魔法は成功したみたいだ。

 俺は消えゆく肉体から魂を切り離し、時空間魔法で過去の自分に飛ばした。

 勇者よ、次は対策を取らせてもらうぞ。


「あうあう、んまんま……」


 復活の狼煙のろしに声をあげようとしても、思ってるように発声がされない。

 『元気な女の子ね』と声が聞こえる。女の子?

 俺は魔王だ。そもそも魔族である俺に性別など無いのかもしれないが。

 視界がだんだんとはっきりしてくる。

 目の前には聖職者、俺のみ嫌う職服を着た人間どもがいる。

 反射的に起き上がろうとしても、体が言うことを聞かない。

 自分の状態を確かめるため魔法を使う。第三者の目サードパーティ、範囲内で自分の好きな視点を見れる優れものだ。


「あら、もう魔法を使ったのね。流石は勇者様だわ」


 俺は見下げるような視点で自分を見ている。

 赤ん坊だ。人間の赤ちゃんが中心に見える。

 試しに手を開いたり閉じたりする。

 ──俺だった。

 それでも、伊達だてに数百年魔王をしていない。思考のリソースを適切に分配して現在の状況を把握する。

 だめだ、この体、すぐに眠くなる……


「元気な子ね。それに比べて妹の方は……」


 聖職者の声を聞きながら、俺の意識は再度闇の中に落ちていくのだった。


 起きては思考し、何かを飲まされ、眠くなって寝る。

 毎日がこの繰り返しだ。

 生産性の欠片かけらもない。ただ時間が過ぎていくことに、焦りを感じていた。

 どれくらいの時間が経ったのか、魔族である俺に人間の時間感覚など分からない。

 声道せいどうが整い、声を出せるようになった頃には、自分が置かれた状況ぐらいは把握はあくできるようになっていた。


「ふむふむ。つまり俺は、忌まわしき勇者の姉として転生したのか」


 ベットと机と椅子しかない、殺風景さっぷうけいな教会内の子供部屋。

 小さなランプが照らす薄暗い室内で、俺はぐるぐると歩きながら考え事をしていた。

 時折ときおり、壁に掛けられた鏡に、純白になびく肩まで伸びた髪と特徴的な緋色ひいろの瞳が映る。

 この体に生まれ落ちてから2年が経った。後から分かったことだが、齢二歳の幼子が言葉をすらすらと話すのは可笑しい。

 俺が勇者だから、大抵のことが『流石勇者様』の一言で終わらせられる。

 そして、問題がそこだ。

 ──俺は”勇者”では無い──

 幸運なことに、生後俺たちの面倒を見ていた聖職者含めその他の人間共は、魂の質を見れるほどの鑑識眼かんしきがんを持ち合わせていなかった。

 この事実に気づいた俺はすぐに対策を取った。自身の魂の情報を高度な魔術で上書きしたのだ。微々たる魔力で行うには手間が掛かったが、おかげで今、俺は正式に勇者ということになっている。


「自分を倒した者に成り代わるってのはしゃくさわるがな」


 そう言って、ベットの上で横になっているもう一人の幼子を見る。

 目の前には、漆黒の髪に俺と同じ緋色の瞳、俺の憎き敵であるエクテ・サストレがすやすやと寝ている。

 俺は妹であり正式な勇者であるエクテの魂にも上書きを行った。今や魔力が多いだけの一般人だ。

 こいつを今倒してしまえば、というよこしまな考えが浮かんでしまうが、俺の内にある平和主義がそれを許さない。

 それに変に目立つのは良くない。今の俺では上位聖職者にすら勝てないのだ。

 悶々とした葛藤かっとうが部屋を回る歩調を早める。

 そんな俺の心の荒みを感じ取ったのか否か、エクテが体を起こしてしまった。

 

「おねえさま、おはやいあさですね」

「起こしてしまったのね。よしよし、エクテはもっと寝てていいのよ」


 かさず俺はベットに腰掛け、エクテの頭を撫でながら優しく声をかける。


「おねえさまばかり、きびしいことさせられて、ごめんなさい」

「いいのよエクテ。貴女は自由に生きてちょうだい。勇者の責務は私が背負うのだから」


 優しく妹に微笑ほほえみかける姉。双子であり、年齢に違いが無いにもかかわらず、異常なほど面倒見が良い様子から、俺が勇者であることを疑う者はいなくなっていた。

 エクテは少し抵抗したものの、襲い来る睡魔には勝てず、また寝息を立ててしまう。

 俺の計画通りに物事が進んでいる。

 思わず口角が上がってしまった。

 ああ、なんて悪い”おねえさま”なのだろうか。

 

「エクテはそのままでいいの。何も考えなくていいのよ……」


 しばらくして『フォルフォス、時間だ』と無機質な声がドアの外から聞こえた。

 フォルフォス──俺の新しい名だ。

 俺様に名を付け、尚且つ無礼な態度で呼びつけやがる。

 反射的に魔法を放ちそうになる自分を、毎度抑えられていることに我ながら称賛したい。

 俺を呼びつけた奴らは”先生”と呼ばれる上位聖職者だ。俺に勇者としての教育をしている。

 物心ついた俺は毎日毎日、朝から晩まで座学から戦闘術に至るまでを機械のように教え込まれている。そこに個人の意向など関係ない。只々ただただ出来るようになるまで、同じことを繰り返しやるだけだ。


「今向かいます」


 俺はすでに準備を終えている。今日も魂が曇った先生とやらに、無駄な知識を教わるとしよう。

 バレないように、ゆっくりと、自然に成長するのだ。

 全ては”最強の勇者”を生み出さないために。


「そう、あなたのためにね」


 エクテの額に軽く口付けする。

 以前読まされた絵本に書いてあった親愛の表現だそうだ。

 俺は口調も仕草も人間を演じなければならない。


 

 あれからずっと同じ日々の繰り返しだった。幼年期の記憶は殆どない。

 俺は優等生を演じ続けた。魔王である俺にあの程度の鍛錬、苦でもない。

 問題の妹は5歳になった今でも俺の近くにいる。いや、俺が頼んで一緒に生活できるようにしている。

 勇者では無いエクテがここにいる必要は無い。赤ん坊を教会で預かることはあるらしいが、この年齢では孤児院にでも入れられるのが普通だ。

 聖職者共は俺たちの両親について教えるそぶりすら見せなかったが、俺は前世で勇者については、細かい所まで調べていた。

 父親も母親も普通の人間だ。両親は俺たちが生まれる前に、魔物との戦闘に巻き込まれて亡くなっている。戦闘後に母親の胎内から奇跡的に助け出されたのが、エクテという訳だ。


「この体、使わせてもらうぜ」


 俺は教会の広場で木陰こかげに座り、黄昏たそがれている。

 情報では助けることが出来たのは一人だけだったはずだ。俺の魂が乗り移ったことでこの体は生き延びることができた、というわけだろう。

 年齢を重ねるとともに、頭もはっきりとしていく。人間としての情が出てきたのかもしれない。


「お姉さまは、たまに変なことを言います」


 俺の膝の上に頭を乗せて昼寝をしていたエクテが目を開く。


「何を言っているの? 私はいつも普通よ」

「その言葉がもう普通じゃないですよー」


 俺を倒した勇者とは思えない笑顔で、エクテは楽しそうに話す。

 教会の良いように育てられた結果があれだったのか……

 俺は優しくエクテの頭を撫でる。

 すると妹は体を起こし、俺の手を取って真剣な眼差まなざしを向けてきた。


「お姉さま。私にも出来ることがあったら何でも言ってください。お姉さまばかり……」

「良いのよ、エクテ」


 本当に何もしなくていい。頼むから”人間”のままでいてくれ。

 エクテには普通の生活をさせている。寝食は共にしているが、最近は近所の学校に行って他の子どもとも遊んでいるらしい。

 無理言って姉妹で生活させてもらっていることに、妹を思う姉だと周りは感心するが、俺の目的は妹をことだ。常に思っていると言えばそうなのだが。

 俺はエクテの力が知られることが無いように、数々の手回しをした。教会内の魔法耐性が低い者から徐々に認識の方向性を操り、彼女は普通の子供だと思い込ませた。  

 それでも、成長と共に秘められた潜在能力が明るみになっていく。だからこのように、時間があるときは常にそばにいて、あなたは何もしなくていい、あなたが普通に生活することが私の幸せだから、と語りかけている。それは”私(俺)のため”に普通で居なければならないという暗示をかけるためだ。

 こいつにも精神魔法が効いていたら、ここまで面倒では無かった。さすが本物は違うか……


「あなたは普通に生きて」


 いや、本当に、頼むから。

 特定の魔法を完全に無効する。修行も何もしていない妹が、ふとした拍子に見せる最強の片鱗へんりんが俺の額に一粒の汗を浮かばせる。


「私もお姉さまを助けるために強くなるの! 魔王だって私が……」

「それはダメ!」

「え……」

「あ、いや~、そんな危ないことを可愛い妹にさせられないよ~」


 何とか誤魔化そうと、あたふたとしてしまう。心なしか言葉使いまでちぐはぐになってしまった。

 最近、エクテは俺に隠れて強くなろうとしてないか?

 俺の中に残っている勇者への恐怖が沸々ふつふつと湧いてくる。

 こうなれば最終手段、泣き落としだ。


「エクテ、あなたになにかあったら、私は……」


 芝居がかった仕草で、大粒の涙を流しながら妹を抱きしめる。

 ちょっとやりすぎたかもしれない。

 恐る恐るエクテの反応を待つ。


「大丈夫。お姉さまには心配を絶対にかけないから」

「じゃあ、私の言うことを聞いてくれるわよね?」

「うん!」


 言質げんち取ったからな!

 力強い言葉で宣言し俺を抱きしめるエクテに、また口角が上がってしまう。

 いかんいかん。俺の悪い癖だ。

 俺がどす黒い魔の心を覗かせているとは露知らず、ちょうど雲の隙間から差した陽光が姉妹を白く照らし出す。その神秘的な風景は、さぞ絵になっただろう。


「お姉さま絶対心配かけないよ」


 小声でエクテが何かを言った。

 分かってくれたなら良いのだ。分かってくれたなら。



 時は過ぎ、齢14。俺は何故か人間が通う学園というものを体験している。

 ここは貴族が多く通う王都の名門校だそうだ。今更学校で学ぶことなど無いのだが、教会の意向だ。

 俺が勇者であることは一般的には公表されていない。それでも、ここには将来王国の中枢ちゅうすうを担う者たちが集まっている。

 どこから仕入れた情報か、俺の正体はすぐに明るみになった。歓迎されると思ったが、人間の社会では身分がすべてなのだろう。平民で、しかも孤児であった俺は悪意を向けられることになる。所詮しょせんねたそねみ、感情の一つに過ぎない。

 俺にとってはどうでもよかった。人間である以上、害は無い。俺の思考は離れて生活することになったエクテのことでいっぱいだ。


「妹さんの心配ですか~?」


 人気の少ない書庫の一角で栗毛の女、たしかカスタと言ったか、が気の抜けた声で話しかけてくる。俺と仲良くするといじめられるのに、何度言ってもそばにいる強情な奴だ。


「カスタ、私について来ても良いことないわよ」

「良いじゃないですか~、勇者様」


 こいつは商人の娘。

 せまい世界の貴族にびを売るより、いずれ全民衆が話題にする勇者に取り入った方が金になる。一理あるが、それを本人に言うか?

 まあ、俺はこいつのことが嫌いじゃない。有能な人材はいつでも歓迎だ。将来、魔王軍に入れてやろう。


「知らないわよ、まったく……そうよエクテのことが心配で仕方がないの」


 妹が心配だ。

 強くなっていないか心配だ。

 勇者だとバレてないか心配だ。

 俺を裏切ってないか心配だ。

 そう、エクテに倒される自分が心配なのだ。

 14年間、ずっと一緒にいた。毎日頭を撫でて、優しい言葉を語りかけた。いつの日からか、俺を手伝うとは言わなくなり、花が大好きな普通の女の子になっていた。

 それでも俺は夢を見る。最強の勇者エクテが俺の玉座に座っている姿を。


「お花屋さん、頑張ってるみたいですよ」

「そうか!? ちゃんと元気にやっているのか?」

「大丈夫ですって~」


 カスタは親は王国全土で商いをしている。エクテが働いている花屋に商品を卸しているのもカスタの親だ。

 偶然がすぎるとは思ったが、定期的に様子を聞くようにしていた。

 エクテは元々住んでいた教会のある街で暮らしている。それは王国の端、人の目を盗んで見に行くことなど出来ない。俺は教会の駒、ただでさえ監視されているのだ。


「本当に妹さんが好きなんですね?」

「普通に姉妹だからよ。妹の心配をしない姉なんていないわ」

「ふふふ。口調が変わっちゃうくらい?」


 カスタがいたずらっ子のように俺の顔を覗き込む。

 そんなの当たり前だろう。


「エクテは私の命だから……」


 ぼそっと声が出てしまう。

 こっちは生き死にを賭けてるのだ。

 俺はカスタと適当に会話を続けながら、書物を何冊か手に取り椅子に腰かける。

 ここにいる時間とて無駄にはできない。学園で過ごす2年間の内、後1年以上残っている。将来の野望のため、人間のことを学ばねば。


「暇ですね~」

「暇なら、あなたも勉強したら?」

「確かに!」

「確かにってなによ。あなたこの前の試験、ぎりぎりだったじゃないの!」


 人間の友人同士での会話はこんなものだろう。だいぶ慣れてきたな。

 演じることを忘れて自然に行えてる自分がいたのだが、気づかなかったことにしよう。魔王である俺に仲良しごっこは似合わない。

 それにしても確かに最近は暇だ。以前なら俺に対する嫌がらせに、人間の愚かな部分を楽しむことが出来たというのに。


「それにしても、あの、誰でしたっけ? いつも私のあらぬ悪評を広めていた方、最近見かけないわね」

「あ、あの人ですね。私も名前忘れちゃいました。興味無いので」


 君もいじめられてたじゃないか。強靭きょうじんな心を持ってることで。


「ただ、噂では確か退学したらしいですよ」

「どういうこと?」

「何やら、父親の不正がどうとか。貴族では無くなったみたいですね~」


 俺に嫌がらせをしてくる者は、一人また一人と消えていく。

 いつも話半分で聞いている。正直どうでも良い話題だ。

 俺はエクテのことしか考えていない。

 休日はおろか、長期の休暇では騎士団と共に実地訓練を行うため、妹に会えない。魔物もろとも騎士団を吹き飛ばしてしまおう、と何度も思ってしまった。

 それでも私は勇者。最も聖なる存在で、王国を守る盾となる。自分にそう言い聞かせ、送る手紙には精一杯の愛を綴り、カスタの情報で少し安心する。


 教会が俺たち姉妹を離したいためか、妹の言葉を聞くことは2年間無かった。


 俺の活動拠点である王都の教会本部。

 くだらない学園生活も終わり、ついに勇者としてのお披露目だ。


「勇者様でも緊張なさるのですね」


 俺の見た目を整えていた聖職者が言う。

 今日は盛大なパレードが行われるというが……俺は今から久しぶりに会う妹に対して、緊張していた。

 大丈夫だとは思う。学友の言っていたことを信じればだが。

 ドアがノックされる。

 気配で分かった。俺と対なる魂の性質を持つ者、エクテだ。

 聖職者がドアへと近づく。

 俺は手を緊張の汗で濡らし、直立している。国王に会った時よりも硬い姿勢だ。

 ドアが開く。

 次の瞬間、エクテが俺を抱きしめていた。

 俺が反応できない速さだと……


「お姉さま~! 会いたかったです~!」

「え、エクテ。大きくなったわね」


 聖職者が気を利かせてか外に出る。

 部屋には姉妹二人。

 エクテの身長は俺を優に超え、女性としては高い部類に入っていた。

 あれだけ髪を切って結って可愛くしてあげてたのに、今は長い黒髪は腰近くまで伸ばしっきりだ。

 ハサミで前髪だけを切ったような自然な姿でも、何故か美しさを覚えてしまう。

 そう、昔見た厄災やくさいそのものが目の前にいた。


「お姉さま? 何で震えているのですか?」


 エクテが俺の肩を掴み、顔を覗き込んでくる。


「あ、あなたと会えたことが嬉しくてうれしくて……」


 俺の目尻から落ちた水滴が頬をつたう。

 怖い……

 人間になって心まで弱くなったのか、俺は目の前にいる確実なに恐怖していた。


「私も嬉しいです! ゴミ共、いや教会の方々が、お姉さまはお忙しいと言うので、本当にごめんなさい」


 エクテが頭を下げる。

 その健気な仕草に、俺のトラウマを落ち着かせることができた。

 俺の正体に気づいている訳では無さそうだ。


「私こそごめんなさいね。いけないっ、せっかくの時間を。二人の時間は?」

「仲良く楽しくです!」


 エクテが顔を上げる。

 妹が負い目を感じ無いように、昔決めたルールだ。

 良かった。覚えてくれていたみたいだ。

 また、俺の代わりに、などと思っていないようだな。

 丸机の上にお菓子を出し、軽くお茶の準備をする。

 妹が手伝う様子を見て、俺は昔の何気ない日々を思い出すことが出来た。

 背もたれも無い簡易的な椅子に座り、さぐりを入れてみる。


「お花屋さんはどう? 楽しくやれてるかしら?」

「はい! 毎日寝る間もないほど忙しいですけど、お姉さまを思えばのことですので」


 花屋ってそんなに忙しいのか?

 俺の認識とはズレているのだが、本人が満足しているなら良いか。

 たぶん、花の種類とか、いろいろ覚えることがあるのだろう。

 エクテの表情と俺のためという言葉に、俺は妹の語る話が、一般とはズレていることに気づかなくなっていたかもしれない。


「お姉さまは何をそんなに怯えているのですか?」

「そんなことないわ! 妹との久しぶりの会話を楽しんでいるのよ!」


 手に持ったカップが揺れていた。

 自らの体が行う無意識の行動に、俺はさらに焦る。


「今日のお披露目のことですね……」

「そ、そうよ……」


 誤魔化すために反射的に返してしまう。

 これでは、また心配させてしまうでは無いか……


「でも大丈夫! これは、その……武者震いってやつよ!」


 出来るだけの笑顔を浮かべ、胸を張る。

 自分でも顔が引きつっていることは分かっていた。

 エクテがこちらをじっと見つめる。

 そんなに見ないでくれ。気絶しそうだ。


「大丈夫です。この世界はお姉さまきっと良くなります」


 エクテの笑顔を見て、俺は少し安心した。

 その後は、あまりの緊張に思考が働かずにいた。

 妹が会話の途中で爪を噛んで何かをぶつぶつと言っていたが、それはいつものこと。まだその癖を治して無かったのか、仕方のない奴だ。

 たまに、ゴミ、害悪、滅ぼす、と言った怖い単語が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。花屋の仕事が忙しくてストレスでも溜まっているのか?

 好きなお花の話や、俺が学園生活で経験した普通の話をする。

 今のところは俺の想定通り、エクテは普通に人間社会で溶け込めているようだ。

 しばらくして、ドアの外から『勇者様、時間です』と声が聞こえた。

 妹が小さく舌打ちをした。

 そんな顔、今まで見せなかったよね?

 再び胸の奥からせり上がってくる恐怖に、この場を離れたいと思ってしまうのは仕方がないことだ。


「ごめんなさいね。次会えるのは、いつになるか分からないけど……」


 最後のダメ押しだ。

 席を立ち、座っている妹の後ろから優しく抱きしめる。


「私は、あなたのことを思っているわ。あなたが普通に幸せであれば、それだけで良いの」


 お前以外の人間など、我が覇道はどうにとっては雑草にすぎん。

 魔王としての威厳を取り戻すべく、最後は気丈に振舞う。


「お姉さま……」


 エクテが何かを言う前に、俺は部屋を出る。というより、逃げた。

 妹は普通であった。俺は普通であれ、と念押しした。今回の目的は終わりだ。

 部屋から出た後、感知できるかできないか、それぐらいの一瞬、周辺が邪気じゃきに包まれる。

 最上位の魔族から感じるような、そんな気配は俺から出たものだろう。

 自分の為に家族まで騙すとは、なんて悪い奴なんだろうか。

 魔王であったことを再確認出来て、俺はクククと一人笑っていた。

 邪気の出所を探ることはせずに……


 そして、俺の勇者としてのデビューとなったわけだが。

 王城の一室。玉座の間。

 偉そうに座る国王の前に、俺と、そして俺の仲間たちがいる。

 俺の右後ろにいる青年は、ユウェネス。王国騎士団で一番腕が立つ男だ。今まで何回も共に戦っている。一流貴族の出だというのに、気さくで一般騎士にも好かれる憎めない奴だ。いずれ魔王軍に入れてやろう。

 左後ろにいる少女(嘘)は、プエッラ。代々高度な魔術師を輩出してきた一族の長男だ。魔族である俺が引く程にやばい一族だ。正直あまり関わりたくない。

 そして後ろにいる聖職者が問題だ。聖女クレリクス、聖属性全振りで、前世ではエクテの次に俺の天敵となった女だ。

 教会が関与してくることは分かっていたが、最高戦力を惜しげもなく投入するとは、すこし立ち回りを間違えてしまったかもしれない。

 というのもエクテが勇者だった前世では、パーティーではなくソロで活動していた。あの世界で、彼女にとって仲間は足手まといでしか無かったからだ。

 ただ、俺は普通を意識しすぎたあまり、勇者としての王道成長物語を歩んでしまった。

 下手に実力を見せることなく、騎士団や教会、王国までもをまし込んだ演技力がここでは悪手になった。

 俺の中での勇者像を演じる内に、勇者様を守れ、と魔王討伐隊に志願する者が後を絶たなくなっていたのだ。

 魔王に対する憎悪が前世の時より増えている。俺、頑張れ。

 もう一人の自分に対してエールを送っている内に、国王の長ったらしい話もそろそろ終わりそうだ。

 俺様にひざまずかせたことを覚えていろよ。


「勇者フォルフォスよ。貴様に聖剣を授ける。必ずや魔王を打倒し、世界に平和をもたらすのだ」


 俺は国王の前に進み、頭を下げる。

 この時をずっと待っていた。

 不死身である魔王を倒せる唯一の武器。これさえ手中に収められれば、俺の悩みの半分は消える。

 両手で聖剣を受け取る。

 直後、俺は見知らぬ場所にいた。

 地平線の先まで白が広がる空間、目の前に一人の女性が立っている。


「最悪。あなた魔族、しかもこの魂は魔王でしょ?」


 白いローブを着た金髪の女性は、まさに神話の時代の女神の姿だ。


「貴様は、神族か?」

「だから?」

「とっくに滅びたと思っていたからな、少し驚いただけだ」

「はあ……魔王を倒すために授けた武器を魔王が所持するなんて笑えるわ。仕方が無いし、自壊じかいしますか……」

「ちょっと待った! 話を聞いてくれ!」


 女神が自分の首に手を当てたのを急いで止める。

 彼女が何者かなど、今はどうでもいい。ここで聖剣を壊されたら俺は終わる。

 俺は今までの経緯と今後の計画を話す。

 俺の焦りように気圧されたのか、若干引き気味で話を聞いてくれた。


「ふうん。それなら良いけど。確かに今まで同じことの繰り返しだったし……良いわ、乗ってあげる」


 女神は新しい玩具を見つけた子供のように楽しそうだ。

 良かった。本当に良かった。命が繋がった。

 気が付いたら、俺は泣いていた。魔族の長であるのに情けない。


「あなた、勇者の方が向いているわよ」


 女神の捨て台詞に、なんだと、と食ってかかろうとしたが、俺の視界は元居た玉座の間を映し出す。

 盛大な拍手と何度も聞いたセリフ『流石は勇者様』に迎えられた。

 国王も満足げに頷き、宣言する。


「ここに”真の勇者”が誕生した。王国の未来も約束されたものだ」


 真の勇者? なんだそれ?

 周りの貴族や大臣が歓声を上げる。

 『これで我々の未来も安泰ですな』『魔王討伐の後には、帝国に攻め込んでみては?』などしょうもない話も聞こえた。

 困惑している俺の後ろからクレリクスが声をかけてくる。


「勇者様、流石です。女神さまとの対話を済ませたのですね」


 対話というより、みじめな姿を見せただけだが……


「説明してくださるかしら?」

「勇者様が女神の寵愛ちょうあいを受けた初めての人間になったのですよ」


 そう言うクレリクスの目線の先、俺の持っている聖剣は金色に輝いていた。

 元の銀色では無いそれからは、俺にとっては吐き気をもよおすほどの聖の力を感じる。

 ……ということは、エクテは聖剣が持つ本来の力を引き出さずに俺を倒したのか。

 これが妹に渡ったら、そう考えるとサッと血の気が引いてしまった。


 その後は馬車に乗り、王都で民衆にお披露目された。

 何も知らない人間が純粋な心で応援してくれるのを見て、俺も少し嬉しくなってしまった。

 何度も言うが、俺は人間が嫌いでは無い。彼らの持つ、このような美しい感情は世界にとって必要だ。

 そして魔族にとっても必要なものだ。

 王城から大通りを進む。道中にこやかに手を振りながら、俺は未来のことを考えていた。

 それにしてもエステの奴、見に来れなかったのか。

 気配すら感じなかった妹の所在に対して少し不安になってしまった。

 花屋ってそんなに忙しいのか……

 俺の感情をよそに、パレードが無事に終わる。

 次は郊外の屋敷で王国や友好国の貴族を集めたパーティに参加させられた。

 豪華絢爛ごうかけんらんな会場で流れ作業のように人間と話す。

 つまらない、本当につまらない。

 辺境の村では、今この瞬間にも魔物が暴れているのだ。

 この無駄に高価な調度品を一つでも減らせば、村を守るための結界でも張れるというのに。

 ちなみに人間には誤解されているが、魔族は魔物を操ることなどできない。あれは感情の持てなかった生物のなりそこないだ。

 一通り挨拶が済み、周りでは外交や商売の話が聞こえだす。

 壁際で紅茶を飲みながら、自分の利益しか考えない人間の愚かさに辟易へきえきしていると、一人の若い男性貴族が近づいてきた。


「勇者ちゃんよー。平民の出だと聞いていたが可愛いじゃねーの。どうだ? 魔王を討伐したら俺の嫁にしてやってもいいぞ」


 偉そうな態度だ。確か隣国の第三王子だっけか?

 大きな溜め息をつきそうになりながら、業務用の笑顔を顔に張り付ける。

 無駄なトラブルはごめんだ。


「お言葉感謝いたしますわ。しかし、一国の王子と平民では身分が違いすぎます。私では無く、立場にあったお方をお探しになられた方が……」

「そんなの分かってる! 顔は良いから遊んでやろうとしただけだ。下民のくせに生意気な奴め!」


 面倒臭い……

 丁寧に断ったつもりが激高し、俺の左肩を掴む。

 精神操作系の魔法で良いか。プエッラは近くにいないし。あいつの前で魔法の発動を隠すのは無理だからな。

 何重にも隠密おんみつを重ね、魔法を発動させようとした。


「失礼。我が国の勇者様に手を出さないでいただきたい」


 ユウェネスが間に入り、男性貴族の手を払う。


「貴様、俺を誰だと思っている!」

「こういうものだ」


 ユウェネスが胸元から紋章もんしょうの付いた飾りを取り出す。

 あれって確か……

 その紋章の効果は絶大で、あんなに傲慢ごうまんな態度を取っていた男性貴族が頭を下げてどこかへと消えていった。


「君のお披露目はもう済んだんだ。教会まで送るよ」


 俺は優しくエスコートされ、会場の外へと出る。あまりに自然なその姿のおかげか、主役の退場を誰にも気づかれることは無かった。

 会場となっていた王家の所有する屋敷には、無駄に広い庭園がある。

 俺は気になっていたことを尋ねるため、夜風に当たりたいという適当な理由を付けて散歩していた。

 途中で珍しい花を見つけ、腰をかがめる。

 今日の月夜に相応しい純白の花。エステの好きな花だ。


「君にぴったりの花だね」


 隣に一緒になって屈んでいるユウェネスに話しかけられた。

 やっぱりそうか。エステは花を選ぶ才能があるんだな。うんうん。花屋としてやっていけそうだ。

 妹が普通に生活していけそうで安心した。花屋を勧めた俺は間違っていなかったみたいだ。

 表情もゆるみ、自然な笑顔が出てしまう。


「どうしたの? 他にも珍しい花があったのかしら?」


 ユウェネスが反対の方向を向いたのが気になった。


「いや、その、君の美しさに……って、違う! 違くは無いけど! そう、僕は言いたいことがあるんだ! 君は昔からそうだ。自分の魅力に無自覚すぎる」

「私に魅力を覚えてくれているの?」

「それは、当たり前だろ……」


 俺様の魔王としてのってやつか。見た目が違っていても、あふれちゃうんだろうな~。

 それを分かっているとは、やはりユウェネス、魔王軍の才ありだ。

 失いかけていた”魔王”を思い出し、少し嬉しくなる。

 そして、もじもじしている彼が可愛く見えてきて、額に口づけをする。つい妹のように触れ合ってしまった。


「ありがと」


 俺の口から出た素直な感謝の言葉は、夜風に流され霧散むさんする。

 ちらりと見えたユウェネスの顔は、時が外れた夕焼けの色をしていた。


「と、私も聞きたいことがあるのよ。あなた何者なの? あの紋章は皇位継承権のある者にしか与えられないはずよね?」


 ユウェネスは固まっている。

 おーい、と肩をつついてみるが、反応は無い。新手あらての攻撃か?

 突飛とっぴな出来事すぎて、魔法の類を勘ぐってしまったが、彼は再起動に成功したみたいだ。


「言いたいことがたくさんあるけど……」


 ユウェネスは小さく咳ばらいをし、片膝をつく。

 覚悟が決まった良い顔だ。


「私の名は、ユウェネス・マニュス・レグヌム。レグヌム王国の皇太子だ。それでも一人の騎士として、君の為に生き、君の為に死のう」


 俺は右手の甲に軽い口づけをされる。

 これは忠誠の証のはずだ。ということは魔王軍入り確定と考えていいな。


「これからも、よろしくお願いしますね」

「ああ。平和な世界で君と一緒に」


 話も終わり、馬車に乗って王都の教会本部へと戻る。

 道中、ユウェネスに『驚かなかったのか?』と聞かれたが、俺の認めた男だ、そのくらいでないと困ると返した。

 彼はまた顔を赤くしてうつむいてしまった。

 馬車酔いか? 疲労でも溜まっていたのだろう。今日はゆっくり休むと良い。

 皇太子を仲間に入れられたのは上出来だ。ゆくゆくはこいつが王国を統治する。そうすれば俺の野望の達成がグッと近くなるはずだ。

 残念だな人間よ。運は俺の味方をしているようだ。



 それからは勇者一行として、辺境の村で魔物を狩りつつ北の果てを目指した。

 別に魔王城へ直行しても良かったのだが、俺の中にある勇者像が困っている人を見捨てられない。

 半年以上たって、やっとの思いで人間の住む地域を抜けられた。

 ここは魔の領域、通称魔界。空中に漂う濃い魔力が空を赤黒く染める。

 やっと帰ってきた。


「落ち着いていますね」


 野営をしている森の中、聖女クレリクスが俺に話しかける。

 地元に帰った安心感が表情にも出ていたのだろうか。


「そう? これくらい普通よ」


 俺にとっての普通は本来こっちだ。

 焚火たきびに薪をくべる。野宿にも慣れたものだが、魔王城が恋しいな……


「いつ魔族が襲ってくるのか分からないというのに、流石です」

「クレリクスはどうなの? ここは聖の属性が強いあなたにとって辛いのではないかしら? 少し休んでも良いのよ」


 できればあまり近づかないでほしい。あふれ出ている聖のオーラで俺が不安になってしまう。美味しい地元の空気を吸わせてくれ。


「いえ、私は大丈夫です。お気になさらず」


 そう言って俺の横に座る。近い。何で?

 腕と腕が触れ合いそうな距離で、しばらくの間沈黙が続いた。

 こいつは業務的な会話しかしてこなかったはずだ。

 教会の手の者ということもあり、俺は警戒していた。

 何もできずに固まっていると、クレリクスが俺の肩に頭を乗せて語りだす。


「正直に言いますと不安です。生まれつき聖属性が強かった私は、人生のほとんどを教会の内部ですごしていました」


 彼女が自分のことを話すのは初めてだ。


「それでも、勇者様の近くにいると心が和らぐのです。とても温かい……」


 いつもクールな顔のクレリクスが目を蕩けさせている。

 いや、あなたが寄りかかっているのは魔の象徴なんです。いわば不安の種そのものなんです。

 俺はこの場を逃れようと必死に思考を巡らせる。

 腰に携えた聖剣が少し震えた気がした。絶対笑っているな、あの女神。

 ユウェネスは警戒中で離れたところにいるし、プエッラは……


「あひゃひゃ。魔界の魔力ウマー」


 ダメだ。完全にキマッている。

 道端に生えていた草や実で作った即席ポーションを飲んで、一人ゲラゲラと笑っていた。近寄らないでおこう。

 結局のところ、次の見張り交代まで”魔王である俺”を消すことによって、耐え抜くしかなかったのだ。


 そんなこんなで魔界の旅は進んだ。

 地平線の先まで続く氷原の途中、ひどい吹雪の中後ろを歩いていたユウェネスが声をもらす。


「このような道、勇者様の導きが無ければ選ばなかった」

「あら。この程度で音を上げる男では無いはずよね? あと、勇者様ではなくてフォスと呼んでって言ったじゃない」

「ははは、聞こえていたか。信用しているよ、フォス」


 身分を隠して騎士団の、それも一般身分の隊に交じって訓練していたのだ。この程度、気合で何とかしてくれ。


「あなたは大丈夫?」


 横を歩いていたクレリクスに一応声をかける。


「問題ありません」


 彼女の周りだけ吹雪が弾かれている。常時発動型の防御魔法、聖なる防護壁ホーリーガード。胸の前で両手の指を組んでいる姿は、教会にある聖女像そのものだ。

 俺も似たようなのを使えるが、見た目が禍々まがまがしいからやめた。勇者らしくない。


「ただ、勇者様の背中にくっついている野郎が気に食わないだけです」

「フォス~、防御魔法を使ってくれよ~」


 俺はプエッラを背負っている。

 この魔力中毒者が歩けないと言い出したからだ。


「ただでさえ、あなたに魔力を吸われているの。このぐらい我慢しなさい」

「へーい。でもフォスの魔法、女神の道パス・オブ・フォーチュンはすごいね。僕も使えたらな~」

「そ、そうね。今度女神さまに話してみるわ……」


 そのような魔法など無い。俺のとった苦肉の策だ。女神からの贈り物だと。

 同族とはあまり戦いたくない。皆には悪いが、魔族ですら住みたくない地域を通ることにした。

 おかげで魔物と戦うことは増えたが、順調に魔王城へと近づいていた。


「魔族に一度も襲われないなんて、流石は勇者様です」


 ギクッ。流石に不自然すぎたか……

 確かに魔族が少ない地域とは言え、好戦的な魔族が襲ってきてもおかしくは無い。こちらには常にオーラを放つ聖女だっている。

 それに魔界に入ってから時々感じる視線はなんだろう?

 モヤモヤした気持ちで雪中を進む。

 吹雪が晴れ、太陽の光が覗き込む。魔界の天気は気分屋だ。

 俺は足を止める。

 目の前に大きな漆黒の羽を背負った長身の魔族が居た。


「好戦的な馬鹿が多いってもんで様子を見に来たが。お前か? 謎の勇者ってのは」


 燃えているような赤色の髪をかき上げ、整った顔立ちを見せる魔族。人間で言うと青年の部類に入るであろうその美男子は、雪山に寝間着ねまきという不格好な姿で面倒臭そうにこちらを見る。

 こいつがここに来るとは──最悪だ。


「まあいいや、あいつがこれ以上面倒ごとを抱えるのあれだし、消えてもらいますか」


 目の前の魔族が消える。

 すんでのところで反応したユウェネスが剣を構え、彼の爪を受け止めた。


「人間にしては上出来だ。王国皇太子さんよ」


 そう言って、魔族はユウェネスの腹部を蹴り飛ばした。

 岩山にめり込む。あのくらいなら大丈夫か。

 仲間が稼いだ時間でプエッラとクレリクスが詠唱を終えた。

 プエッラの手から鎖が伸びる。高速魔法が魔族の腕に絡みついた瞬間、プエッラが倒れた。

 これには少し心配になったが、後ろで『き、きもちー』ともだえる声がしたから問題ないだろう。魔族も引いているぞ。

 俺も戦う振りぐらいするか……

 聖剣を手に魔族へと踏み込む。クレリクスの魔法で加護が掛かった状態だ。

 上段から剣を振り下ろしただけで、地面に亀裂が走った。

 左足を下げ半身でかわした魔族が、驚いた顔をする。


「これは……情報が無かったとはいえ、100年前と違って厳しいかもな」


 魔族は顎に手を置き、真面目な顔で俺をじっと見つめる。

 そして、いきなり笑い始めた。腹を抱えての大爆笑だ。

 やっと気づいたか。


「そうか。お前だったのか!? はははは。いや、まじかー」

「自己紹介でもしましょうか?」

「いや、いい。ぶふっ、また会おうぜ」


 魔族は吹き出しながら背後に現れた闇へと消えていく。


「逃げたみたいですね」

「そうね、クレリクスはユウェネスを頼むわ」


 魔族の名はソキウス。一を聞いて百を察する男。魔王の腹心であり、俺の腐れ縁だ。

 流石に魔族随一の鑑識眼を持つソキウスには、俺の魂を隠すことが出来ない。

 ただ、の勇者とはなんだ? 俺であれば勇者の存在を確認したと同時に、綿密な調査を行うはずだ。

 であれば、俺は普通の勇者、手出しは無用となるはずだが……

 前世の俺はわざわざ勇者に刺客を送って、旅での成長などという魔王軍の利益にならないことはしない。最高戦力である魔王が相手をすれば済むことだ。もちろん、分不相応な実力の奴は序盤で追い返すのだが。

 どうしたんだ、今の”俺”は。

 ソキウスの言った好戦的な魔族にも出会っていないし、それにあいつは何かを警戒しながら戦っていた。

 置いてけぼりにされているような状況に、不安ばかりが加速する。


「うひょー、魔力の海を泳いでいるよー」


 それでも魔力酔いでおかしくなっているプエッラを見て、少し落ち着くのだった。


 そして人間の住む地域を出て一月程。目の前には魔王城がある。

 かなり迂回して来たはずだが、順調すぎるほどの旅路だった。

 明日の決戦に備え、最後の野営を行っていた。


「順調すぎて怖いですね」


 クレリクスが神妙な顔で言う。


「確かにそうだ。魔族もあれっきり会っていないしな」


 ユウェネスが警戒した顔で言う。


「僕は楽で良かったけどな~。でも魔界ともお別れだと考えると、もうちょっと何かあっても良かったけど」


 プエッラが酔った顔で言う。


「そ、そうね……相手は魔王、考えがあってのことでしょう。それとも、私の力を恐れてもう魔王城には居ないのかも」


 俺はおどけるように言う。

 想定外。ちょっと早すぎだ。

 もうちょっと苦戦しながら自然に辿り着くはずだったのに、この後一人で魔王城に突入するための言い訳が台無しじゃないか……

 俺は頭を悩ませていた。


「ありがとう。勇気づけてくれたんだね」


 違うユウェネス、そうじゃないんだ。

 俺の計画では、皆に程よく消耗してもらって『後は私に任せろ』的なことで一人ツッコんでいくはずだった。

 だが、現状は体力があり余った状態での決戦だ。隠れて行くにも気づかれてしまう。


「勇者様……そうね、魔族共も女神の加護に恐れおののいたのだわ」

「フォスが居れば怖いものなしだー」


 他二人の仲間も前向きになっている。

 無理しないで、と言える空気ではない。気力まで回復させてしまったようだ。

 くそっ、これはもうソキウスに頼るしかないか。今の魔王を信用することはできない。行動が俺と違いすぎる。

 無い頭で出来の良すぎる友人の思考を追ってみる。

 いつの間にか真面目に考え込んでしまったようだ。


「フォス。魔王を倒す作戦はあるかい?」


 心配そうなユウェネスに聞かれた俺は……


「大丈夫よ。私に任せて」


 良い返しが思いつかなくて、そう答えた。

 それは魔王を倒せるさ。

 ──だって自分ですもの。


 次の日、ついに魔王城に突入した。

 巨大な城門をくぐった先、噴水が点在する広場に見知った顔が立っている。


「遠路はるばる悪ぃけど、今日ここは開いてねぇんだ」


 流石は相棒、来てくれると信じていたぜ。

 ソキウスがローブを羽織って姿は珍しい。最終決戦だ。見た目も重視してくれたのだろう。


「あら? 定休日なんてありましたっけ?」

「毎日が定休日だよ。人間にとってはな」


 そう言ってソキウスが魔法を放つ。

 とっさに聖剣で仲間を守るが、俺の後方、城門と城壁の一部が消滅していた。

 おい、やりすぎだ。

 確かにアイコンタクトで『強く当たって後は流れで』と送ったけど……直すのに職人さんを呼ばなくちゃいけないんだぞ。

 後々の仕事が増えたことに俺は焦っていた。


「私の防御でもギリギリでした。ありがとうございます」

「良いのよ。あれは準備していた攻撃、次は対応できるわよね?」

「もちろんです。勇者様に遅れを取るわけにはいきません」


 他の仲間もやる気に満ちている。

 うん。君たちなら良い勝負できると思うよ。

 土煙の中、追撃してこないソキウスは当然手を抜いている。

 派手な攻撃で会話の時間をくれる。俺が望んだ状況を作ったことに、我が友の優秀さを再確認した。


「皆、ここは任せていい?」


 戦闘中に敵に背を向け、仲間に微笑みかける。


「フォス、君だけで魔王の相手をするというのかい!?」


 ユウェネスの反応は想定内だ。


「私の力の全てをぶつければ、魔王に勝算があるわ。それに、あなたたちを信頼しているの」


 しばらくの沈黙の後、三人が片膝をついた。最高位の敬意だ。

 それにしてもこの土煙、全然消えないんだが……


「いってらっしゃいませ、勇者様」

「ああ、ここは任せろ、フォス」

「フォス~、気楽にね~」


 話がひと段落した後、視界が開く。


「俺に魔力回復の時間を与えるとは、甘いな人間よ」


 フォローまで入れてくれた。すごい通り越して怖いぞ……

 俺は一人で魔王城に向かっていく。

 ソキウスは動かない。


「あら、止めないの?」


 通りすがりに言ってみる。


「魔王様が待っている。行け」


 演技くさい返答が聞こえた後、小さな声で『今度酒でも奢れよ、フォス』と耳打ちされた。

 内心馬鹿にしているだろうが、今回は許してやろう。

 そして俺は18年ぶりの我が家に帰った。

 魔王が居るのは、そっちか……


 ……


 そんなこんなで魔王と戦っていたのだが、自分を客観的に見るというのは意外と恥ずかしいものだな。

 魔王がセリフを吐くたびにムズムズする俺が居て、まるで幼少期の失敗を枕元で思い出しているような気分だ。


「いや、だからね? 世界の半分をー、とかでは無くて、共に世界をー、とかの方が友好的に聞こえるじゃん?」


 魔王の拳を聖剣でいなしながら、俺は魔王セリフ論を語っていた。

 相手の攻撃パターンや癖など、手に取るように分かっている。人間である分、俺の方が魔力で劣っているが、聖剣の力で差を埋めるのは容易だった。


「貴様! さっきから訳の分からぬことを!」

「いや、良いって。本心を当ててやるよ。今めっちゃ怖いでしょ」


 俺だから分かる。

 勇者と対峙するには、念には念のそのまた念をいれていた。それが目の前の相手は情報不足で、しかも自分の動きを予知しているかのようなのだ。

 俺だったらビビってるね。

 それでも気丈に振舞う魔王は流石だ。

 でも、このままではらちが明かない。

 この手段は使いたくなかったが、仕方が無い。


「お前、200年前に初めて勇者が現れた時、存在を聞いただけで気絶していただろ!」

「な、なんだと!?」


 俺の心にもダメージが入る。


「股間が濡れていることに気づいて、ソキウスに馬鹿にされたよな。今でも話のネタにいじられてるだろ」

「それをどこで……って。え?」


 やーっと気づいたか。

 そもそも俺が本気で倒そうとしていない時点で気づけって。


「ああ。お前は俺だ」


 魔王は一瞬固まり、額に第三の目を開眼させる。魔族の王は、配下の能力を借りることが出来る。今回はソキウスの鑑識眼を借りたのだろう。

 最初から使えるものは使えばいいものを……俺でも勝手に使うのは無しだな。使う時には、いつ、どこで、何の目的で、と事前に知らせていたからな。

 馬鹿正直さに我ながら呆れてしまった。


「そうか。そうだったのか! あの魔法は成功したのか!?」

「五分五分ってところだ」

「まあいい。俺を取り込め」

「流石は俺だ。話が早い」


 聖剣を置き、魔王の胸に手を当てる。

 さあ、戻ってこい。


「おかえり、俺」

「ただいま、俺」


 魔王が黒いもやとなって俺の手から吸収される。

 自分と自分が一つになる。18年間の記憶がごちゃごちゃなる不思議な感覚を味わったが、すぐに安定した。


「体を捨てるのは惜しいがな」


 地面に落ちているマントを見て、感傷かんしょうに浸る。

 300年以上連れ添った肉体だ。

 それでも勇者の体でいることを選んだ。

 人間界を内部から変えるのだ。

 俺の野望、魔族と人間、二つの境を無くすこと。

 そう、平和主義の世界征服を目指すために──


 さーて、仲間を回収して帰りますか。ソキウスに手紙でもしておけば、魔界のことは大丈夫でしょ。

 まずは王国内での地固じがためだ。

 魔王討伐という勲章を引っさげて、教会と貴族共を黙らせてやるとしますか。

 それよりエクテとの時間を増やさないと。でも魔王なき今、妹が勇者である必要は無くなったし……普通の姉妹としてね。

 何はともあれ、魔王と勇者が対立する物語はこれで終わりだ。


 次は、魔王と勇者が共にある未来を描こう。



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 勇者一行が居なくなった魔王城、その中でもひときわ大きな空間、通称”決戦の間”。魔王が勇者と戦う場所に選んだそこには、椅子が一つだけ置いてあった。

 人間が座るには大きく禍々しい玉座のそばから、何やら詩をうたう声が聞こえてくる。


 お姉さまお姉さま、あなたはなんて美しいの?

 私を撫でてくれたお姉さま。私に口づけしてくれたお姉さま。いつも私のことを思って、優しいお姉さま。

 あなたが”魔王を倒す”とおっしゃるのなら、私は勇者を辞めましょう。

 あなたが”普通になれ”とおっしゃるのなら、私は花屋を演じましょう。

 あなたは皆に笑顔を振りまきます。

 それでも私は知っています。愛を与えているのは私にだけだと。

 お姉さまお姉さま、私の全てはあなたのために。

 ──この世の全てはお姉さまのために。


 黒いドレスに身を包んだ乙女が、長い黒髪をたなびかせて踊っている。広い部屋の中、月光が彼女を照らす。

 しばらくして、ふらふらと後退し、玉座に腰掛けた。

 膝を組み満足げな表情を浮かべる。

 口角が上がり顔がゆがむ。


『お姉さまにこの世界を献上けんじょうする、というのも悪くないわね』


 愛が生んだ怪物が、魔界と人間界を裏から支配するのは、また別のお話。

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勇者に倒された魔王が、勇者に転生して魔王を倒す物語 Seabird(シエドリ) @sea_bird

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