第4話

 おびえて縮こまるラティミーナの頭の上から、艶のある声が掛けられる。


「そうかしこまらずともよい。おもてを上げよ」

「は、はい」


 素早く顔を上げて、次の言葉を待つ。

 魔王はラティミーナを見ていなかった。魔法でできた空間をぐるりと見回してから、ぱちん、と指を打ち鳴らす。

 

 何もない空間に軽やかな音が響いた瞬間、魔法の煙が炸裂した。


 煙が晴れたそこには、王族が使うような立派なひとり掛けの椅子が出現していた。

 魔王が慣れた様子でコートの裾を払い、優雅な仕草で腰を下ろし、長い足を組む。

 腕も組み、そこまでしてようやくラティミーナに視線を返してきた。


 いよいよ断罪される――死の恐怖に震えが止まらなくなる。


「緊張しているようだな、ラティミーナ・マクリルア伯爵令嬢」

「えっ……!?」


 衝撃的な呼びかけに、ラティミーナはびくりと身を弾ませた。


「わたくしの名をご存じなのですか!?」

「ああ」


 ラティミーナが目を丸くしていると、魔王ウィゾアルヴァールドがにっこりと笑った。

 恐ろしいと言われている魔族とは思えないほどの、飾りけのない笑顔。

 ラティミーナは、これから断罪されるかも知れないことも忘れて、その温かな表情に見入ってしまった。


 柔和な表情が、ふと何かに気づいた顔つきに変わる。


「ああ、いつまでも地べたに座り込ませてしまってすまぬな、ラティミーナ嬢。席を用意しよう」


 と言って、再び魔王が指を打ち鳴らす。

 すると、少し離れた場所にテーブルセットが出現した。

 王城の庭にあるような豪華な円卓、そして向かい合わせに置かれた二脚の椅子。テーブルの上にはアフタヌーンティースタンドがあり、それぞれの段にはティーフードが綺麗に並べられている。そのそばには、上品なティーカップとティーポットが置かれていた。


 魔王がゆっくりとラティミーナに歩みより、手を差しだしてくる。

 ラティミーナは混乱したままその手を取ると、支えてくれる力強さ、そして魔王の手の熱さに心臓が高鳴る中、そろそろと立ち上がった。


 戸惑うラティミーナをテーブルまで導いた魔王が、椅子を引く。

 ラティミーナは、恐れ多さに肩を縮こまらせつつ腰を下ろした。



 魔王ウィゾアルヴァールドが向かい側に腰かけた直後、ティーポットがひとりでに浮き上がった。ラティミーナと魔王、それぞれのティーカップに紅茶を注いでいく。

 その様子はおとぎ話に出てくるワンシーンのようだった。ラティミーナは、健気に頑張っている風にも見える茶器の動きについ見とれてしまった。


「召し上がれ」


 魔王が手のひらを上にして、うながす合図を送ってくる。

 ラティミーナは身に余る厚遇に恐縮しつつ、小声で『いただきます』と告げるとカップに口を付けた。


「……!」


 魔王に出された紅茶を口に含んだ瞬間、ラティミーナは声が出そうになってしまった。ぐっと唇を引き締めてこらえる。その紅茶は王城で出される茶とは比べものにならないくらいおいしかった。ふわりと広がる優しい味に、こわばっていた心が解きほぐされていく。


「おいしい……! とてもおいしいです、魔王ウィゾアルヴァールド様」

「ならばよかった。これは我の気に入りの茶なのだ。そなたのお気に召して何よりだ」


 と言って目を細める。

 ほっとしたような、穏やかな微笑み。ラティミーナがその優しい表情に見入っていると、魔王が茶を口にしはじめた。

 満足げな顔をして軽くうなずき、カップをソーサーに戻してから視線を投げかけてくる。


「ときにラティミーナ嬢。我を呼ぶ際に『魔王』と付けずともよい。名も長くて呼びづらかろう。我のことは気軽に『ウィズ』とでも呼ぶがよい」

「――!?」


 衝撃的な発言に、ラティミーナはふたくち目の茶を吹きだしそうになってしまった。とっさに口を押えて息を止める。

 何度かせきこみ、胸を押さえて必死に呼吸を整えてから、テーブルの向かいに視線を返した。


「恐れ多いことでございます、ウィゾアルヴァールド様! どうかこのまま『ウィゾアルヴァールド様』とお呼びすることをお許しくださいませ!」

「そうか? ふむ、愛称で呼んでもらうのは、あきらめることにしよう」

「……!?」


 まるで次の機会があるかのような口ぶり。

 ラティミーナの頭の中には、なぜ、どうして、という単語が渦巻いていた。


(ウィゾアルヴァールド様は、どうして私なんかをもてなしてくださるのかしら)


 何から尋ねればいいか判断がつかず、助けを求めるようにティーカップに手を添える。改めて茶の香りを嗅いだ途端、混乱した思考は和らいでいった。



 王城でも出された覚えのない、初めて味わう茶は、思わず夢中になってしまうほどにおいしかった。すっかり空になったカップをそっとソーサーに置いた途端、そわそわとポットが動きだし、二杯目を注いでくれる。小動物のような挙動に、ラティミーナは今までに感じたことのない温かさを心に感じつつ、その動きを見守った。


 かぐわしい茶の香りを楽しんでいると、ふと、ティースタンドの向こうに動きが見えた。

 魔王はゆっくりと首を振って、何もない魔法牢の中を見回していた。その顔は、どこか不満げにしかめられていた。


 いつの間にかゆるんでしまっていたラティミーナの心に緊張感が走る。


(なにか、無礼なことをしてしまったかしら。魔界には人間界とは違ったマナーがあるのかも知れない)


 そう思い至ったラティミーナが背筋を伸ばし、まずは詫びようと口を開きかけた矢先。

 魔王が小さく肩をすくめて困った風な笑みを浮かべた。


「ここは実に殺風景だな。このままではせっかくの茶もまずくなる。ラティミーナ嬢、そなたの一番好きな花は?」

「一番好きな花、でございますか……?」

「ああ。我に教えてはもらえぬだろうか」


 ラティミーナは、誰かから好きな花を問われたことなど今まで一度もなかった。

 誰よりも先に尋ねてくるべき婚約者は、ラティミーナの嗜好にまったく興味を示さなかった。両親との会話では、家で気がゆるみがちなせいか、つい心が弾んでしまい、すぐに体調を崩させてしまって会話が中断しがちだった。

 メイドはラティミーナがいつ放つかも知れない魔力におびえつつ仕事をしているせいで、常に表情が硬く、目も合わせてこなかった。

 そしてそれは、学園内でも同様だった。誰からも距離を取られていたラティミーナに、友人と呼べる人はひとりもいない。


 改めて、質問について思いめぐらせる。花自体はどの花であっても好きだった。

 しかし今、尋ねられているのはな花である。


「……。チューリップ、です」


 そう口にした途端、遠い昔の記憶がよみがえった。

 王子にまだ嫌われていなかった幼いころのこと。王家の別荘に招かれた際、その近場にあったチューリップ畑を王子と手をつないで散策したことがあった。


「ふむ。チューリップか。では」


 手をすっと顔の横に構えた魔王が、指を打ち鳴らす。


 軽快な音が鳴った、次の瞬間。


 辺り一面にチューリップ畑が出現した。

 赤や白、黄色のみならず、ピンクやオレンジ、紫、そして色の混ざった品種までが、鮮やかな色の列を地面いっぱいに描きだす。それどころか、今いるここが魔法牢の中だとは信じられないほどの、澄み渡った空が頭上に広がった。


「綺麗……!」


 ラティミーナは、突如として目の前に現れた美しい光景に、両手を合わせて感激の声を上げた。

 わざわざ好きな花を尋ねてくれて、それを魔法で出現させてくれて――魔王の心遣いに胸が熱くなる。


 涙のにじむ感覚を覚えた、その瞬間。

 普段は決して自分の体に起きないその現象に、完全に忘れ去ってしまっていたある重大なことを思いだした。


(いけない、私、今、心が揺れてしまっている……!)


 魔界の王に、無礼を働いてしまっていた――。椅子から素早く立ち上がったラティミーナは、小走りでテーブルから距離を取ると、魔王に向かってめいっぱい頭を下げた。


「申し訳ございません、魔王ウィゾアルヴァールド様! わたくしの不快な魔力を浴びせ続けてしまったこと、お詫び申し上げます……!」


 衝撃的な出来事が立て続けに起こったせいで、ラティミーナは自身の魔力を制御するのをすっかり忘れていたのだった。

 チューリップ畑の中で頭を下げたまま深呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻す。

 冷静になった途端、魔王に助け起こされたときの記憶がよみがえった。差し伸べられた手を借りてしまっていた――。


「恐れ多くも魔王ウィゾアルヴァールド様のお手にも触れてしまいました。さぞやお気を悪くされたことかと存じます……!」

「不快? 何を言うか。そなたの魔力の波動は実に心地よい」

「…………え?」

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