婚約破棄された上に魔力が強すぎるからと封印された令嬢は魔界の王とお茶を飲む
阿佐夜つ希
第1話
一度でいいから、誰かと心を通わせてみたかった――。
ラティミーナ・マクリルア伯爵令嬢は、王城の広間の片隅でひとり佇んでいた。
五年間過ごした王立学園の卒業記念パーティーであっても、気さくに話せる相手は誰もいない。
遠巻きに見てくる令嬢たちの、ひそひそ話が聞こえてくる。
「ラティミーナ様の、あの赤い目でにらまれると、化け物に見つめられているようで背筋が凍りますわ」
「あれで王子殿下の婚約者だなんて、信じられませんわよね」
「相変わらず見事な白髪ですこと」
口々に好き放題言ってから、扇子の陰で高笑いしはじめる。
ラティミーナの腰まである長さの髪の色は、実際には白金色だ。髪色は母譲りであっても、目の色に関しては両親のどちらからも受け継いでいない。母方の数代前にもいたはずだと母は話してくれたものの、それで心が救われるわけではなかった。
ラティミーナは幼いころ、婚約者である王子から頬を染めて見とれられることが何度もあった。つまり、面食いの王子のお眼鏡にかなう程度の見た目ではあるようだった。
しかし、ただでさえ人々から避けられる特徴を持つ令嬢と交流を持とうとする物好きは、五年間の学園生活でひとりも現れなかった。
五歳のころから見てきた豪奢なシャンデリアも、今日で見納めとなる。ラティミーナはきらびやかな灯りを見上げると、静かに息を吐きだした。
このパーティーで、ラティミーナの婚約者であるディネアック・ルシタジュフ第一王子から重大な発表があると、以前から噂されていた。人々は会話に花を咲かせながらも、ときおり王子の方をちらちらと見ては、事態が動きだす瞬間を今かと待ち構えていた。
重大発表とは――王子の
ラティミーナは、まだ自身の婚約者であるはずのディネアック王子を見た。輝く金色の髪、淡い空色の瞳。
その瞳をうっとりと見上げて、恋人の距離で王子に寄り添うのは、モシェニネ・テオリューク男爵令嬢。流行がふんだんに取り入れられた派手なドレスは、大富豪である父親にねだって売れっ子の針子に作らせたものらしい。彼女はラティミーナが何の興味を示さなくても、自慢話をぺらぺらと浴びせてくるのだ。
本来なら一国の王子と並びたてるはずもない男爵令嬢と婚約するにあたり、まずラティミーナとの婚約破棄がおこなわれる。そのことは、ラティミーナはすでに知っていた。
なぜなら、ラティミーナの方から何も尋ねてもいないのに、ずかずかと近寄ってきたモシェニネが自慢してきたからである――『ディネアック様は、卒業パーティーであんたを捨てるおつもりだから、覚悟しておきなさい』と。
学園で過ごした日々を語らう声が、若干の落ち着きを見せはじめたころ。
ディネアック王子が広間の中央に歩み出た。ついにこのときが来たかと、人々が目を爛々とさせて王子を見る。
視線の集まる王子の表情は、ラティミーナがこれまでに見たことがないほどに晴れやかだった。
王子の隣には、男爵令嬢モシェニネが付き従っている。その顔は上機嫌な笑みを浮かべていて、いよいよ自分が正式に王子の伴侶として認められるという期待感に満ちあふれていた。
ディネアック王子が、無言でラティミーナに鋭い視線を突き刺して、かすかにあごを上げて合図を送ってくる。正面に来いということらしい。
壁際に立っていたラティミーナに、人々が一斉に振り返る。無数の好奇の視線を浴びたラティミーナは、体の前で両手を重ね合わせて静かに息を吸い込むと、そっと吐きだした。『心を乱してはならぬ』と今まで執拗に訓練させられてきたせいで、反射的にその行動が出てしまうのだ。
(ついに、このときが来たのね)
つらく苦しい妃教育と、感情を抑える訓練から解放される――。
喜びに沸き立つ心を、再び深呼吸で落ち着かせる。負の感情だけでなく明るい感情もまた
ディネアック・ルシタジュフ第一王子との婚約は、ラティミーナの父であるマクリルア伯爵は望んではいなかった。王国の将来を左右するその重大な取り決めは、生まれつき強大な魔力を持つラティミーナを王家に取り込むための王命だった。
ラティミーナの十一か月後に生まれたディネアック王子は、生まれた瞬間からラティミーナとの婚約が決定していた。そのせいで王子は『自分で相手を選ばせてもらえなかった』という不満を常にいだいていたらしい。
その結果、王立学園内で見初めた相手――モシェニネ・テオリューク男爵令嬢――を何としても我が妃にする、自身の愛を貫き通すのだなどと、周囲のいさめる声を無視し続けてきたのだった。
ひそひそ話があちらこちらから聞こえてくる中、ラティミーナは広間の中央で足を止めると、ディネアック王子と向かい合った。
王子の陰で、モシェニネが口の端を吊り上げる。王子の見えない位置でしか見せない悪意に満ちた表情。ラティミーナは見飽きたその顔から即座に視線を外すと、まっすぐに王子を見た。
ディネアック王子が、淡い空色の瞳を輝かせながら、誇らしげな声を広間に響かせる。
「ラティミーナ・マクリルア。貴様との婚約を破棄させてもらう!」
『謹んでお受けいたします』――ラティミーナがそう答えようと、ドレスの裾を持ち上げて息を吸った次の瞬間。
耳を疑うような宣告が下された。
「もはや貴様は用済みだ。よって貴様に【封印刑】を科す!」
「なんですって……!?」
予想だにしなかった刑の言い渡しに、ラティミーナは目を見開いた。
心臓がひとつ、どくんと脈打つ。
いけない、動揺してしまった――。自身の心の揺らぎに気づくも後の祭り、広間のあちらこちらから悲鳴が上がる。
「く、苦しいっ……!」
「ああっ……!」
男女の悲痛な声に続けて、とある令息は青ざめた顔をしてその場に膝を突き、またとある令嬢は額に手を当てて卒倒する。その光景を目の当たりにした人々の間に、ざわめきが広がっていく。
過去に類を見ないほどの膨大な魔力を保持するラティミーナは、わずかに心が揺らぐだけで、魔力の波動を周囲に放ってしまうのだ。
代々魔力の強い王族や高位貴族であれば、ただ『魔力が漏れているな』程度の感覚しか覚えないという。しかし魔力量の少ない下位貴族や一般市民には、魔力中毒症に似た症状を生じさせてしまう。吐き気やめまい、貧血等々。
王子に隠れるようにして立つモシェニネ男爵令嬢が、顔をしかめて王子にしがみつく。
「うう……、ディネアック様、ラティミーナ様は、あのようにしていつも、魔力の少ない私に強烈で邪悪な魔力をぶつけてきて……。私をっ、苦しめて面白がって……はあっ、はあっ」
「ああ、モシェニネ、なんとかわいそうに。私に身を預けるがよい」
モシェニネが、わざとらしく足元をふらつかせながら平然とうそをつく。ラティミーナはこれまで、いくら彼女に挑発されようとも心を揺さぶられたことはなかった。
ラティミーナが感情を抑える訓練を受けさせられていたのは、たった今起こしてしまった現象が理由だった。
【魔力過多症】――国内で最も魔力量の多い王族をはるかにしのぐ、膨大な魔力を持つ特異体質。
その魔力量たるや、ラティミーナが産声を上げた瞬間に、ルシタジュフ王国の隅々にまで魔力の波動が行き渡ったと言われている。それどころか隣国から『何事か』と早馬が駆けつけるほどの事態だったという。
(ディネアック様は、私に『封印刑を科す』と、そうおっしゃったの? 百年前に禁じられた刑罰なのに……!)
ラティミーナは何度も呼吸を繰り返して、気持ちを落ち着かせようとした。
しかし思いもよらない宣告を突き付けられてしまった今や、早鐘を打つ心臓はますます騒がしくなっていく。
体をこわばらせて黙り込んだラティミーナに、王子が得意げな笑みを浮かべて、さらなる追い打ちをかける。
「やはりな。貴様はいまだ魔力の制御ができておらぬではないか」
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