27 甘えん坊

「いい国」。


 僕がベニに「この国はいい国だね」と言ったやつだ。特に深い考えがあった訳じゃなく、ただ本当に感じたまま口をにしただけの言葉。


 なのにどうしてエンジはそれを覚えていた上に、僕に尋ねてくるほど気にしてるのか。王宮に出勤する王宮関係者だから、他国の人間から見た感想が気になるのかな。


 僕は顔を仰け反らせたまま、エンジは僕を上から覗き込んだまま、無言で見つめ合う。


 エンジの表情はいつになく真剣で、だからこれがエンジにとって何かしら重要な質問であることが感じられた。


「ええと……僕はまだこの国に来て日が浅いし、だから凄く感覚的なんですがいいですか?」

「ああ。アーネスの率直な意見を聞かせてほしい」

「分かりました――考えてみたら僕、祖国にいた時に心から笑ったことってなかったんですよね」


 エンジが青い瞳を大きく瞠った。


「笑ったことがない……だと? だがアーネスは最初に会った頃から」

「ウキョウとサキョウと旅を始めたばかりの頃は、まだちゃんと笑えていませんでした。最初に笑えたのは……最初の関所で勝利した時、だったと思います」


 あの頃の僕は、後ろから誰か追いかけてきているんじゃないかという恐怖と、目の前の自分の拳のみで戦うことに対する本能的な恐怖に挟まれて、ずっと怯えていた。


 そんな中、双子に励まされて、特訓を重ねて、初勝負に挑んだ。内心、逃げ出したくなるくらい怖かった。だけど、お祖父様に早く無事を伝えたいからと先に進むことを決めたのは自分だ。


 心臓を吐き出すんじゃないかというほどの緊張感の中、相手の攻撃をかい潜って決まったカウンター。


 気の良い関所のおじさんは「坊主凄えな!」と僕に殴られた場所を擦りながら、笑顔で健闘を称えてくれた。振り返るとふたつの笑顔が僕を出迎えてくれて――。


 正の感情が爆発したのは、これがユリアーネの人生では初めてのことだった。


 笑顔で叫んで、双子に抱きついて。大喜びする僕を見て、周りの人たちも笑顔になっていた。あの時、「ああ、ここはもう僕がいた国じゃないんだ」と強烈に思ったんだ。


「怖かった後の勝利だったこともあって、本当に嬉しくて。周りの人たちも温かい笑顔で祝ってくれて、もっと嬉しくなりました」


 僕の初勝負の話を説明すると、エンジは言葉を詰まらせたように躊躇いがちに尋ねる。


「……何故、それまでは笑えなかったんだ……?」

「えーと、それなんですけど」


 エンジには言えないことも沢山ある。だけど、少しでも僕について知ってもらいたかった。エンジは未だにちっとも掴めない人ではあるけど、きっと大事な部分は理解してくれると思えたから。


「お祖父様をご存知なエンジは察してると思いますが、僕も貴族です。除籍されたかを確認する前に国を飛び出してしまったので、お父様が僕の身分をどう処理したのかまでは分からないんですが」


 お祖父様は双子にご隠居様と呼ばれている通り、騎士団を辞する際に侯爵位を娘夫婦に譲って今は隠居の身だ。


 これは僕が生まれるよりもずっと前の出来事で、隠居当時、お祖父様はまだ四十五歳。「身体が元気な内にこれまでできなかったことをやりたい」と、ひとり娘のお母様がベタ惚れしたお父様との念願の結婚を機に、侯爵位をお父様に譲った。


 なお、お祖父様は一代貴族である男爵位を賜っているから、今も爵位持ちであることに代わりはない。


 ちなみに、ヘルム王国では通常爵位の生前譲渡は認められてない。だけどお祖父様の長年騎士団を導いた功績から、親友でもあった前国王、つまりアントン殿下の祖父が特例で認めてくれたんだそうだ。


 娘を溺愛していたお祖父様は、娘が結婚して自分の屋敷でお婿さんとイチャイチャするところを見たくなかったのかもしれない。「世界を見てくる」と、あちこちの国にぶらりと出かけては半年、ヘタをすると一年以上帰ってこなくなった。


 多分、ゴウワン王国で知り合いができたのもこの頃の話なんじゃないかな。お祖父様に再会したら、是非詳しく聞いてみたい。


 とにかく、お祖父様は元侯爵だ。だから孫の僕も侯爵家の人間であることは、ある程度お祖父様を知っている人なら推測できることなんだよね。


「育ちがいいんだろうなとは思っていたな。ゴウワン王国にはそもそも爵位の概念がないからイマイチぴんと来てはいないがな」


 ふ、と力を抜いた小さな笑みを浮かべると、エンジは僕の横に移動して胡座を掻く。膝の上に片肘を突くと、先を促すように顎をしゃくった。


「それで?」


 はう……存在全てが格好いい! 胡座って漢の座り方の代表みたいだよね。


 ということで、僕もエンジに倣って早速立膝から胡座に変えてみる。ほら、理想の漢像に近付く為には、仕草とかも参考にしないとだからさ。


 なのに悲しいことに、こんな座り方をしたことなかったからか、全然腿が地面に付かない。くう、キッツ!


 バランスがうまく取れなくて、起き上がりこぼしみたいにグラグラ左右に揺れていると、エンジがおかしそうに頬を緩ませた。


「身体が固すぎるぞ。稽古に柔軟も足すか」

「ふわい……」


 恥ずかしい、情けない。赤面している自覚を持ちながら諦めて膝を抱えて座り直すと、再び語り始めた。


「ヘルム王国では、貴族は平民のように大きな口を開けて笑ってはいけないとされています。大きな感情の乱れを他人に見せることも、制御できない未熟者と判断されるんです」

「そりゃ随分と面倒臭いな」


 エンジが、表情豊かに顔を歪めた。ふは、可愛い。


「だから、悲しいことがあっても辛いことがあっても、基本この表情です」


 そう言うと、長年顔に貼り付けてきたアルカイックスマイルをエンジにしてみせた。エンジの眉間に皺が寄り、「なんだその顔」と言われる。あは、僕もそう思う。


「……誤解されても、罵倒されても、見向きされなくても――僕はずっとこの笑顔で耐えてきました。他に方法を知らなかったから」

「……そうか」


 エンジが短く返してきた。背景も分からない状態で言われても、何と言っていいものやらなんだろうな。


「僕、ヘルム王国の町を歩いたことが一度もないんです」

「……は?」


 エンジがまた素直に目を見開いて僕を見るもんだから、おかしくて「ふは」とニヤけてしまう。


「なので正直ヘルム王国の平民が実際どうなのかは知らないんですが、だからこそ余計にこの国に入った瞬間、驚きました。人が当たり前のように笑っていることに」

「……笑っていること? それだけに?」

「はい。僕にとってはとても大きなことで……僕の周りにいた人たちに比べたら、みんな活き活きとしているように見えました。だから僕が言った『いい国』は……作っていない笑顔が沢山見られる国、かな。国民が笑顔だから、王様もきっといい人なんだろうなって思ってます」


 結論を言い終えて、僕は満足していた。僕はまだゴウワン王国のことを大して知らない。だけど大体の人は性格がさっぱりしていて、勝負の後は後腐れがない。能面のような貴族の世界で暮らしていた僕の目には、ご飯やお酒を笑顔で楽しんでいる光景は眩しすぎるくらい鮮やかに映った。


 だから、この国の代表にヘルム王国の陛下のような冷たい顔をした人間は絶対合わないんだ。拳で勝ち残っただけあって、筋肉隆々であることは間違いなさそうだし。きっと最高の漢だと思うんだよね、うんうん。


「そうか……それがアーネスの言う『いい国』か」

「はい! すみません、こんな感覚的な内容しか伝えられなくて」


 上目遣いで謝ると、エンジは笑顔に変わり大きな手で僕の頭をスポッと鷲掴みにした。僕の頭ってそんなに掴みやすい?


「いやいい。十分だ。参考になった」

「ならよかったです」


 こんなので何の参考になったのかはさっぱりだけど、先ほどまで曇りがちだったエンジの表情が晴れたから、まあよしとしよう。


 ここでようやく、昨夜の件についてまだ謝ってなかったことを思い出す。


「あ、そうだ、ベニ!」

「グルル」


 ベニは僕の呼びかけに素直に反応すると、僕とエンジの間に滑り込み、僕の頬をぺろりと舐める。


 ベニの首に片腕を回して確保。ベニと一緒にペコリと頭を下げた。


「昨日の夜はごめんなさい! ベニが僕のベッドの上にいたんです。二人じゃ狭くて寝られないって言ったら、ベニが尻尾で僕を持ち上げてエンジの部屋に連れて行っちゃって……! ほら、ベニも謝る!」

「フンッ」


 鼻息を荒げてそっぽを向くベニ。うわあ、反省感ゼロ!


 すると何故か、急に目線に落ち着きがなくなったエンジが、ボソボソ言い始める。


「あの、ベニの行動なんだが……その、アーネスが気に入られたのは多分俺が原因らしくてな……?」

「原因? どういうことです?」


 エンジが原因でベニに気に入られる? よく分からない。首を傾げて問い返した。


「だから……ベニはその、しつこいくらい構ってきただろ……?」

「ええ……まあでも、ベニの連れ去り癖にはびっくりしましたけど、滅茶苦茶甘えん坊で可愛いかったですよ。だから怒るに怒れなくて」


 笑顔で返したのに、エンジがショックを受けたような顔になってしまう。ん?


「は? 甘えん坊?」

「エンジ? どうしたんです?」

「嘘だろ……参った、俺にも自分がよく、その……あああっ、くそっ!」


 エンジは突然顔を両手で覆うと、フイッと反対側に顔を背けてしまったじゃないか。ええっ? なに、なんで!? そして既視感! ベニと同じ行動!


「あのっ、エンジ……!?」


 だけど、エンジは振り返ってくれなかった。


「甘えん坊……嘘だろ……」と小声で呟いているのが聞こえてくる。耳と首がピンク色に染まっているのが見えた。……全然意味が分からないんだけど。


 どうしよう? と腕を回したままのベニに助けを求めるつもりで見ると、ベニは「知るか」とばかりに大きな欠伸をしたのだった。

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