26 いい国

 翌朝、いつもの通り朝日がそろそろ顔を覗かせる頃になってぱちりと目を覚ます。


 僕の体勢は、最後に覚醒した時と笑っちゃうくらい変わっていなかった。前からエンジが僕を抱き枕状態にしていて、ベニの尻尾が僕のお腹に回されているのも全く変わらない。ていうか暑い。人肌ってこんなに暑いものなんだ。知らなかった……。


 僕がエンジに隙間なく抱き竦められているからか、夜の間は僕に絡みつこうとしていたベニの四肢は見当たらず、代わりに僕の背骨の形に沿ってベニの背中がピッタリフィットしていた。身体中が汗だくなのは、間違いなくこのサンドイッチが理由だな。


 双子といいエンジ・ベニの主従といい、ゴウワン王国に来てからやたらとサンドイッチ状態になっている気がする……。


「よいしょ……と」


 僕の二の腕に回されたエンジの腕を掴んで、力を込める。幸い、昨日の朝とは違ってエンジの腕は簡単に退かすことができた。エンジの逞しい足が僕の太腿に絡みついているので、こちらもよいしょと持ち上げると動かせた。


「ベニ、起きたいからちょっと離して」


 ひと声かけてから、僕の腰に巻き付いているベニの尻尾を優しく剥がしていく。ベニは御主人様のエンジと違って寝起きはいいので、ひと晩中僕にくっついて満足したのか、あっさりと尻尾の拘束を解いてくれた。


 エンジを起こさないように静かに起き上がり、四つん這いでベッドの上を這いずっていく。ベッドの上から床を覗き込むと、僕の靴が揃えて並べられているのが見えた。……多分エンジがしてくれたんだろうな。ごめんなさい、ありがとう。でもやらかしたのはエンジのところのベニだけどね。


 ゆっくり足を下ろして、靴を履く。立ち上がって真っ直ぐ立つと、関節がパキパキと音を立てた。身体がガチガチだ。原因はどう考えても――。


 ちょっぴり恨みがましい気持ちでベッドを振り返ると、気持ちよさそうに伸びをしているベニと目が合った。


「ベニ。僕の身体、ガッチガチなんだけど」


 ちょっぴり責めるような声色で文句を言うと、ベニはぴょんとひと飛びして僕の横に一瞬で降り立つ。ごめんねとでも言うように僕の腿に頭や身体の側面を擦り付けてきた。……もう! 可愛いじゃないか!


 でも、ここで可愛さに負けてなあなあにしてしまうと、ベニの奇行を許したと思われる危険性がある。僕は心を鬼にして、人差し指をピンと立ててベニに伝えることにした。


「あのさベニ。もう次からああいうことはしちゃ駄目だよ? エンジが困っちゃうだろ?」

「グルル」


 やっぱり甘えて擦り付けまくるベニ。まさかこれ、誤魔化そうって作戦じゃないだろうな。くそう、負けないぞ――って、そんな甘えた上目遣いで見られたら……くうっ!


 結局は我慢し切れなくてフハッと小さな笑いを漏らすと、ベニの頭をポンと撫でた。


「まあいいや、後でエンジに一緒に謝ろうな? とりあえず――顔を洗って朝のお祈りをしてから考えようね」

「ガウ」


 本当に分かってるのかなあ。扉に向かう僕の隣にぴったりくっついてくるベニの姿を見て笑いを堪えつつ、静かに部屋の外に出る。人気のない廊下の空気はひんやりしていて、汗だくだった身体から汗が引いていくのが分かった。


 昨日と同じように洗面所で顔を洗ってスッキリする。同じルートで庭に出ると、太陽に向かって膝を突いた。


 ベニが、僕の横に姿勢良く座る。あは、真似してるのかな。可愛い。ベニにあの連れ去り癖さえなければなあ……。


 考えた途端に何故かエンジにぎゅうぎゅうに抱き締められている感触が蘇ってきてしまい、慌てて手を身体の前で組み、瞼を閉じた。


 ふー、と深呼吸を何度かして、心頭を滅却していく。


 頭頂に吹きかかる息遣いや、弾力のある胸襟の奥から聞こえてくるトクトクという心臓の音の記憶が、やけにリアルにフラッシュバックしてきた。


 思い出した途端、勝手に身体がカアアッと熱くなっていく。て、全然心頭滅却できないよ!


 原因は、明らかだ。まさかの二日連続、推しからの濃厚なファンサ。僕の脳内は、エンジの格好良すぎる筋肉の隆起や弾力で溢れ返っていた。だって憧れの理想の漢のムキムキボディに包まれたんだぞ? あーいい……最高だった……!


 瞼を閉じながら祈りの体勢に入ってるのに、口元がだらしなく緩んで涎が垂れそうになった。ジュル、と慌てて吸い込み口を真一文字に結ぶ。ヤバい。変態っぽい反応になってしまった。


「切り替えろ切り替えろ……!」


 口の中で繰り返していく。なのに今度は鼻腔を擽るのは、エンジが焚くお香の匂いだ。多分、一緒に寝たから僕の服やベニの毛にもついているんだろうな。……にしてもあれ、凄く漢っぽくていい匂いだよね……。


 再びエンジに包まれている気分になってきた。……あああ! だから雑念!


 祈りのポーズになれば、いつもならすぐに『魔力の壺』の映像が脳内に浮かび上がって祈りを開始できる。なのに今日は、やけに雑念が多くて全然うまくいかない。


 それもこれも、エンジの素晴らしい筋肉がいけないんだ……!


 再びヘラリと口元が緩んだことに気付いて、慌てて頭を横に振った。駄目だ。どこから見てもおかしい奴になってる気しかしない。


「ほら、集中集中……」


 意識的にエンジの感触を脳内から追い出しつつ、今度こそ『魔力の壺』の姿を強制的に思い浮かべたのだった。



 邪念を一度追い出してしまえば、後は普段通りの集中力で祈ることができた。


 一昨日目にした新聞で知った、祖国ヘルム王国で増加している魔物の脅威。魔物がいつ頃から跋扈し始めたかまでは書いてなかったけど、ヘルム王国とゴウワン王国の王都の間には、かなりの距離がある。


 つまり、あれは大分前の情報だって可能性だってあるんだ。


 だからきっと今頃、アントン殿下はパトリシアへの愛を初代国王の霊廟で叫んでいるんじゃないか。実は大精霊はもう目を覚ましていて、魔物の脅威は去っているんじゃないか。


「だからどうか、早く国民に再び平和を――」


 自分では気付かなかったけど、声に出していたらしい。


 シロツメクサの芝生を踏む柔らかい音が、背後から聞こえてくる。低くて深い聞き心地のいい声が、頭上から降ってきた。


「国民に平和? どうしてだ?」

「あ――」


 振り返ると、上から僕を覗き込んでいるのはやっぱりだけどエンジだった。長いえんじ色の髪が、風に靡いて舞う。


「エンジ……」


 毎回エンジの髪を見る度に目を奪われてしまうのは、なんでだろう。不思議に思いながら、顔を仰け反らせつつ、エンジの青い瞳を見上げた。


 今朝のエンジはにこやかじゃなくて、どこか物憂げな様子に見える。


「あの。おはようございます」


 微笑みかけても、エンジは考え込んでいるような顔つきのままだった。表情を変えないまま、訝しげな様子で尋ねる。


「アーネスの言う国とはヘルム王国のことか? 逃亡して来た国の平和を、何故こうも毎日祈る?」


 鋭い質問だ。どこまで話していいのやら、判断に迷う。


「……はい、ヘルム王国の民の平和を祈っています」

「何故だ」

「それは……先日新聞で祖国に魔物が現れていると読んだからです」


 ここでようやく、エンジが「ああ」と納得のいったような表情に変わった。


「アーネスの親類はまだ国に残っているんだったな」

「……はい」


 下手なことは言えない。事実ではあったので、素直に頷くに留めた。


 昇ってきている朝日を、エンジは眩しそうに目を細めて真っ直ぐに見つめる。


「……アーネス」

「はい」


 今度は何を聞かれるんだろう。まさか、ヘルム王国から追われているかもしれない身だってバレて――?


 ドキドキしながらエンジの次の言葉を待った。


「昨日言っていたな」

「――え?」

「教えてくれ。いい国とは何だ?」


 夏空の如き青い瞳が、僕を見つめた。

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