2 「はい、喜んでえええっ!」

「はあっ!?」


 日頃声を荒げなど絶対しない僕の「よいしょおおっ!」という奇声に、アントン殿下が滅茶苦茶驚く。


 だけど今の僕には浮気殿下を構ってる余裕なんて一切ないから!


 とりあえず僕は死にたくない! というか、小説に書かれていたようなあくどい犯罪を犯した記憶も一切ないんだけど!? どう考えても冤罪か捏造じゃないか! 無実の罪で首切りなんて勘弁してほしいんだけど!


 確かに、王太子の婚約者としての立場から、パトリシアにはあれこれ注意はした。でも、階段から落ちたのだって彼女が突然言いがかりをつけてきてあまりの理不尽さに固まっていたら目の前で足首を捻って落ちていっただけだし、あれやこれやあったのもどれも僕は関わっていない。


 単に、彼女が幸運の指輪を付けてもなお、不運だっただけの話だ。


 それを全部僕に無理やり紐付けてあることないことを周囲に言いふらしたのも、彼女と彼女の取り巻きの仕業だ。それを信じた殿下は益々僕を嫌って……。


「……はあ」


 思わず溜息が出た。

 

 損な役回りだと思う。でも、可愛げのないキツイ顔立ちをしていることもあって、みんな「あの氷の令嬢ならするよね」と言っていたのを僕は知っているから――。


 今度は俯いて黙り込んでしまった僕に、殿下がコホン、と咳払いをしてから再度切り出してきた。


「だ、だからな、今この時を以て、お前と婚約破棄――」

「――はい、喜んでえええっ!」


 半ばやけくそ気味に力一杯返すと、殿下がこれ以上はないってくらい大きく目を見開いた。ははっ、驚いてやんの! 僕が泣いて縋るとでも思ってたのか? ザマーミロ!


 ちなみにこのセリフはネットから借用した。僕は入院ばっかりしてたからバイト経験はない。だけど居酒屋に行くと店員さんはこういう返事をすると聞いて、一度でいいから生のものを聞いてみたいと思ってたんだよね。


 結局、退院する前に心不全を起こして死んじゃったけど。享年は十八歳。今の僕の年齢と一緒なのも、何かの符丁だったりして?


「は?」


 殿下が目ん玉が落ちそうなほど目を見開く。よく分かってないのかな? ならばとはっきり分かりやすく言い直すことにした。


「私もそれがいいと思います!」


 ついでに右手もピンと挙げておく。おお、健康体! 針痕もないし何も刺さってない綺麗な腕だよ! ほっそいけど!


 すると何故か、殿下が動揺し始めた。


「え、は? ユリアーネは私に嫉妬して騒ぎを起こしていたのではなかったのか!?」


 今更何を言ってんだこの男? 嫉妬されるようなことをした自覚を持ってる奴のセリフだよねそれ? うっわー、ないわー。


 殿下にくっつきっ放しのパトリシアも、予想外の流れだったのか固まってしまっている。口が醜く歪んでいるのを見て、ちょっとだけスカッとした。


 とりあえず、殿下に未練タラタラだと思われるのは癪だ。僕は胸の前で両手を大きく「ないない」と振った。


「あ、大丈夫です! そういうの間に合ってますんで!」

「は……?」


 ぺこん、と大きく頭を下げる。あ、今胸に詰めてるパッドがズレたかも。やっば、これバレたら国王にめっちゃ怒られるやつ!


 ズレた胸パッドを両腕で隠しつつ、足だけでカーテシーをした。


「陛下と我が父には、殿下の方からご説明をお願いしますね! それではごきげんよう!」

「あ、おい待て――」

「失礼致します! ご達者でーっ!」


 物凄い勢いで踵を返すと、ドレスをたくし上げて走り始める。――いま僕、走ってる! ヒョロヒョロだからすぐに息が上がってるけど、走ってるよ! 走ったのなんてどれくらいぶり!? ていうか前世含め人生初じゃない!? ひゃっはー!


 感動しながら、僕は走りまくった。令嬢にあるまじき姿なのは分かっている。だけど、陛下やお父様にこのことが伝わる前に逃げないと、連れ戻されるのは目に見えていた。


 逃げるなら今この時を除いてない。三十六計逃げるに如かずってやつだ! いけ! 走れ僕!


「ハア……、ハア……!」


 ホールを駆け戻りながら、僕はこの小説に続編があったことを思い出していた。


 実は僕は日々、この国の最重要機密である『魔力の壺』に魔力を注いでいた。でもこのことを知っているのは、国王陛下と王妃だけだ。


 第一巻で悪役令嬢を断罪して王太子とくっつきハッピーエンドで終わった『不運令嬢が王太子に見初められるなんて聞いてない〜幸福の指輪と真実の愛』の第二巻のタイトルは、『続・不運令嬢が王太子に見初められるなんて聞いてない~魔窟と大精霊の謎』。


 取って付けたようなタイトルなので、元々構想になかった続編を捻り出して刊行した感が滲み出ている。


 内容はこうだ。


 数々の悪事が明らかにされ断罪された侯爵令嬢だったが、実は大量の魔力保有者で、国家機密である王宮地下にある結界を作り出す『魔力の壺』に魔力を注いでいた。なんとこの国は、元々は地下に魔窟が眠る危ない土地に建国していたのだ。


 強力な魔力タンクがいなくなったことで、魔窟を上から抑え込んでいた結界の効果が薄れてしまう。次第に国土には魔物が湧くようになり、大騒ぎに。不運令嬢と王太子は、真実の愛で長年眠りについている大精霊を目覚めさせ、魔窟を抑え込もうとするが――、というあらすじだ。


 まあお約束なので、大精霊はちゃんと目覚める。ついでに不運令嬢は気に入られ、過分な加護を与えられて国は安泰めでたしめでたし、で終わる。


 大分他力本願な問題解決方法だったけど、テーマが王太子との不屈の愛なのでこれでいいと妹が言っていた。イケメン大精霊が隙あらば不運令嬢を誘惑しようとする辺りも売りのひとつなんだとか。


 余談として、一作目のコテコテな異世界恋愛から唐突な異世界ファンタジーへの変貌に、読者からの戸惑いの声が出版社に多数届けられた、とこれまた妹から聞いている。名前を思い出せない妹は、そういややけに裏事情に詳しかった。まさか作者本人じゃないよね? 帯に「話題のJK作家・待望の続編!」てあったけど。


 なお、僕という存在が魔窟を抑えていたのに何故陛下は断罪を阻止しなかったのかという疑問は残るものの、その辺の不都合は一切触れられることなく第二巻で完結した。ある意味潔い。


 第二巻で新たに出てくる設定は、そもそも僕と殿下が婚約したのも僕の魔力量がとても多かったから、というものだった。後付け感が半端ない。その流れで、王妃様も魔力量が多かった。だけど殿下を産んでからは徐々に魔力量が減ってしまい、急いで探して見つけたのがまだ赤ん坊だった僕という追加設定だ。


 実際の僕は女じゃなく男で、強制的に外界から遮断された上で女として育てられたので、どこから狂ったのかといえばきっと僕が死のショックか何かで小説の中に転生してしまった辺りから何かが狂っていたんだろう。知らんけど。


 とりあえず、正規の流れ通り僕の首と胴体が切り離された状態ならともかく、現在僕の首は繋がったままだ。よって、殿下の所業が国王夫妻の耳に伝わり次第、彼らが僕を確保しに向かうことは想像に難くなかった。


「断罪を免れたにしても、幸せNTRカップルを横目で眺めながら魔力を搾取されるだけの人生なんてないない!」


 だから僕は走った。ブフタール侯爵家の馬車が待機している場所まで、懸命に。


「はあ……っ! ああ、ううう……っ」


 だから泣くなよ、ユリアーネ。


 どんなに冷たい態度を取られても、殿下はいつか再び自分の方を向いてくれると期待していた、馬鹿なユリアーネ。お前が愛していた殿下は、元々お前のものじゃなかったのに。


 それを知らずに毎日身を削って努力していたなんて、憐れとしか言いようがない。


「――ユリアーネ様!? どうされましたか!」


 馬車の前で御者と談話していた侍女のフィアが、驚きながらも僕を迎える。勢いよく、フィアに抱きついた。


「フィア……! お祖父様のお屋敷へお願い! お父様に知られる前に、早く!」

「へ……? わ、分かりました!」


 お父様は、長いものには巻かれるタイプの人間だ。陛下が僕を寄越せと言えば、息子の気持ちよりもそちらを優先する。なんせ陛下に言われるがままに僕を女として育てた親だ。


 だけどお祖父様は違う。元騎士団長でもあるお祖父様は正義感に満ち溢れている上に、僕のことを愛してくれている。だから僕は、僕に激甘のお祖父様の所に向かうことにしたんだ。


 僕を道具としか思わない人たちなんかの為に、死にたくないし生きたくもない。ユリアーネが過ごしてきた十八年間が作られた箱庭の中だったと知る今、僕は逃げる。必ず逃げ切ってみせるんだ――!


 作られたストーリーの枠から抜け出して、自由を勝ち取る為に。

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