第32話 妖精の恵み

 ウフの掛け声と同時に、シェリアータが立ち上がった。


「皆様、妖精の恵みを受ける作法をお知らせいたします!」


 ミレーヌとイルエラが座席を巡り、応援札を配ってゆく。

 パフォーマンス中の応援グッズ等の配布は、参加者が持ち帰らない一時的なものに限り許されている。今回は事前確認し、許可取得済みだ。


「お配りした札に、応援や要求の短いメッセージを書いて掲げることができます。こちらが見本です」


 フランロゼ伯爵、モエスキー伯爵、ドルオタ伯爵の三人が並んだ。

 会場がどよめく。


 赤髪ロングヘアのモエスキー伯爵令嬢と、青髪ツインテールのドルオタ伯爵令嬢は並んで目を剥いた。


「お父様???」

「何をしてらっしゃるの??」


『ウフ様 がんばれ』

『こっち見て笑って』

『祝福をください』


 にこやかに応援札メッセージを掲げる父たちに、理解がついて行かない。


「殿方も観覧は自由ですが……」

「伯爵様方の後ろ楯があるということ?」


 会場がざわめく中、リチェラー公爵夫人は傍らのリチェラー公爵をうかがうように見た。公爵は視線を返し、重々しくうなずく。


「わしがやっていたことを、直接確認してくれ」


 伯爵たちが恥を捨てて参加したのは、これが公爵の釈明イベントでもあるからだ。


 けして、ただ推しを応援したいからではない。

 多分。


「札は皆様の視界の邪魔にならないよう、頭より下に」


 シェリアータの説明に合わせ、伯爵たちが模範的な掲げ方を披露する。


「メッセージが妖精に届けば、特別なリアクションがご覧になれます」


 貴婦人たちは戸惑って顔を見合わせているが、伯爵たちに率先されては迂闊な揶揄もできない。


「妖精に触れてはなりませんが、声かけは自由です。どうぞお楽しみください!」


 会場の動揺に被せるように、アップテンポな曲が流れ始めた。


 手のひらで顔を隠しながら踊る三人が、前方へ集まってゆく。

 交差した場所で、一人ずつ顔をのぞかせては入れ替わる。

 目まぐるしい動きは激しくなり、弾けた。


 同じ動きを方向を変え、時間差で繰り返す。

 手が直線的に伸び、膝が連動する。

 やがて三人の動きが揃い、つま先でターンした。


 ウフが踊りながら歌い出し、シュクレとファリヌも加わる。

 激しく動いているのに、歌声が乱れない。


「ウフ様ー!」


 モエスキー伯爵が『こっち見て笑って』の札を掲げつつ声を掛けると、ウフは歌いながらモエスキー伯爵を指差し、とびきりの笑顔で手を振った。


 ドルオタ伯爵は『祝福をください』の札を掲げる。

 ウフは手を振り、唇に手を当てて投げキスを飛ばした。


 ウオォ!と伯爵たちの歓声が上がる。


 三人は歌いながらバラけ、会場を巡り始めた。



***



 モエスキー伯爵令嬢は、呆然と呟いた。


「あんな楽しそうなお父様、初めて」


 ドルオタ伯爵令嬢は、ペンを手に取った。


 父を理解するためにやってみよう。

 それに、あの見下した発言をしていた妖精がどう要求に従うのか見てみたい。


「何を書けばいいかわからないけど……こういうことかしら?」


『腕を上げて』


 やってきたシュクレは札のメッセージに気づき、ドルオタ伯爵令嬢を指差した。


 髪をかきあげながら両腕を上げると、体毛のない滑らかな脇を見せつけるように挑発的な目線で見下ろす。


「ヒャア!?」


 ドルオタ伯爵令嬢は悲鳴を上げた。


 何これ??

 こんなものは浴びたことがない。


 衝撃で固まったドルオタ伯爵令嬢を庇うように、モエスキー伯爵令嬢が抵抗した。


「人間を見下していたのに、 言いなりになるっておかしくない?」


 シュクレは無表情にモエスキー伯爵令嬢を見下ろした。


「勘違いするな、人の子よ」


 自身の肩にかかった髪を払う。

 広がる銀髪に光が映えた。


「これは、神の力の調和を呼ぶための恵み」


 アメジストの瞳に柔らかな色が宿り、うっすらと白い歯を見せて微笑んだ。


「ただ素直に受け取るが良い」


 意外なタイミングで優しい笑顔をくらい、混乱する。


 自分勝手で、気まぐれで。

 ……これが『妖精の恵み』?



***



 少しずつ、応援札を使う貴婦人が出てきている。


 オスワイルド男爵夫人も、逡巡しながらペンを手に取った。


「審査するには、やってみなければ公平さを欠きますわよね」


『何か芸を見せて』


 書いてみたものの、掲げようかどうしようか手元でもぞもぞしていると、ファリヌがやってきてメッセージを指差した。


「あ……」


 ファリヌは緊張する男爵夫人から少し離れて体を屈め、後ろ向きに回転する。


「ファッ!?」


 逆さに跳ね上がった足に驚く間もなく、体をひねったファリヌは逆方向に回転する。


 着地して側に立ったファリヌを見上げ、男爵夫人は呆気に取られた。


 細い、細いと思っていたが、間近で見ると筋肉が細かく分かれくっきり盛り上がっている。

 太くなくても鍛え具合はバチバチだ。


「すごい……」


「ありがとう」


 ここまでダークな雰囲気を醸していただけに、嬉しそうな笑顔が可愛く見える。


 オスワイルド男爵夫人の胸は高鳴った。



***



 リチェラー公爵夫人は、会場を見回した。


 歌とダンスがベースにあるので何もしなくても盛り下がることはないが、札を出せばもっと特別なことが起こる期待感がある。


 エンターテイメントとしては、よくできたシステムだ。


「あなたがやっていたのは、こういうこと?」


「ああ、そうだ」


「軽薄で、男らしくありませんわね」


 リチェラー公爵は、ふむ、とうなずいた。


「男らしいとは何だ? 励むものを応援することは、男らしくないのか?」


 改めて聞かれると、夫人も言葉に詰まる。


 普段はしかめ面をしている伯爵たちが、楽しそうに盛り上げている。


 それが男に許されないか、倫理や人格や能力を疑うのかと言われると……何か違う気がする。


「しかし、わしも思っていたのだ。軽薄で男の魅力を欠くのではないかと。だから隠してしまった」


 リチェラー公爵は神妙な顔で夫人の手を取った。


「わしは、男として間違えた。それは芸術に興じていたことではない。偽りを言ってそなたを心配させたことだ。悪かった」


「あなた……」


「わしが一番大切なのは、今目の前にいる……」


 その時、二人の側をウフが通りかかった。


「愛し合う二人に祝福を!」


「ウフ様~!!」


 リチェラー公爵の目が輝き、公爵夫人の顔が引き攣る。


 タイミングのまずさに気づいたウフが、慌ててフォローに入った。


「応援ありがとう、でも、一番大事なのは~?」


 リチェラー公爵はハッと我に返り、夫人の手を握り直した。


「そなたじゃ!」


「まあ……」


 危なかったが、リチェラー夫妻の危機は脱したようだ。



***



「さあ、この高揚をひとつにして、全員でお菓子を作ろう! 僕に合わせて!」


 ウフが観客を誘い、手拍子を煽る。


「ハイ! ハイ! ハイ! ハイ!」


 歌の最後のフレーズに入り、三人がステージに集った。


 力一杯歌い上げるウフを中心に、シュクレとファリヌがダンスで渦を表現する。


 やがて二人はウフの前にうずくまった。


 ウフのロングトーンが途切れると同時に、クラッカー音と花吹雪が舞う。


「人の子たちー! ありがとう!」


 ウフはパウンドケーキがぎっしり詰まった箱を差し出した。


「本日の調和で生まれたのはこちらのお菓子」


 シュクレが左から手を添え、


「ふわりほろりとした食感のパウンドケーキ」


 ファリヌが右から手を添える。


「オレンジピールが隠し味だよ。洋酒の香りに用心してね☆」


 ウフがひとつ取って口に入れる。


「ん~っ、おいしい!」


 お菓子は見るからにほろほろだ。



 モエスキー伯爵令嬢は目をこらした。


「あのお菓子、知ってる!」


 ドルオタ伯爵令嬢もハッとする。


「そういえば……」


「まあ、どちらで手に入りますの?」


 シュクレサーガの宣伝効果も上々のようだ。



「人の子たち、楽しかったよ。また一緒にお菓子を作ろうねー!」


 妖精たちは手を振って退場した。



 シェリアータはガッツポーズした。


「良かった……最後までできた!」


 伯爵たちを巻き込んだ効果もあるだろうが、退屈札は一枚も上がらなかった。



 ふっと傍らに影が差した。


 シェリアータが目を上げると、ルディアが立っていた。


「ルディア様?」


「シェリアータ嬢、話があります」


 どうしたのだろう。アートデュエルはまだ終わっていない。


 審査員としての参加はエントリーごとの棄権も可能だが、ルディアが棄権するなどよほどのことだ。


 ルディアの顔色は青ざめている。

 その、よほどのことがあったのだろう。

 シェリアータは気圧されるようにうなずいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る