第16話 目指す形

 シュクレサーガの店内。

 コチコチと時計の針の音だけが聞こえている。


 シェリアータとミレーヌは背筋をピンと伸ばしてソファに腰かけ、そわそわとその時を待ちわびていた。


 耐えかねたミレーヌが口を開いた。


「そ、そろそろかね、シェリ様」


「そろそろ、だと思うのですけれど」


 シェリアータの声は少し掠れている。


「緊張で、手汗が」


「わかります。 喉もカラカラです」


 お互いをいたわり合っていると、奥に続くドアが開いた。


「お待たせしました」


 イルエラが姿を現す。


「き、きた……」


「来ましたね……」


 立ち上がったシェリアータとミレーヌはお互いの手を握りあわせ、ごくりと唾を飲み込んだ。


 開いたドアから、銀の光が差した。


 すらりとした立ち姿。

 滑らかな長い銀髪は虹のような光彩をまとう。

 長い睫毛がふさふさとさしかかり、頬に入った紋様もんように影を落としている。その睫毛が持ち上がると、アメジストの瞳がきらめいた。

 

「あ、あの……変じゃない?」


 尖った耳に金の耳飾り。

 肩とお腹を露出した、ぴったりした衣装。

 金の腕輪とシフォンの膨らみが腕を覆う。

 膝下までのサルエルパンツにグラディエーターサンダル。


 あの絵から出てきたような姿で、シュクレが立っていた。



「「ファーーーー!!!」」



 シェリアータとミレーヌの心の天使、インナーエンジェルが弾けた。


 世界を寿ことほぐエンジェルたちが手を取り合い、輪を描き、クルクル回って涙を流す。


 降り注ぐ光は、天上の世界へのいざない。小さな羽をはばたかせ、空へ……


 いや、昇ってる場合じゃない。


 シェリアータは意識を戻し、傍らのミレーヌを揺さぶった。ミレーヌが止めていた呼吸を再開する。


「うっかり昇天しかけました」


 そのままへなへなとソファへ腰を下ろす。

 わかる。シェリアータも旅立つ寸前だった。


「なんですか!? このびっくりクオリティ!」


 シェリアータはイルエラに詰め寄った。


「お母様、コスプレイヤーの記憶でも??」


「コス……記憶?」


 あまりの技術にイルエラの転生を疑ったが、そういうわけではないらしい。


「娘は昔から裁縫が上手くてね。やってくれると思ってたよ!」


 ミレーヌは自慢気だが、上手いどころの話ではない。

 ウィッグやメイクまで完璧だ。


「しかしなんといっても……素体が素晴らしい!」


 ミレーヌは両手を伸ばして崇めるポーズを取った。


「思い描いたシュクレが、極彩色ごくさいしきの立体に!」


「お兄様の美しさを表現しきっている!」


 シェリアータも同じポーズを取る。


「お兄様……シェリアータは幸せです!」


「シェリが喜んでくれるなら良かったよ」


 イルエラは二人の奇行に若干おろおろしているが、レノフォードは嬉しそうだ。


「で?」


 シェリアータはイルエラに期待をたたえた眼光を向けた。


「もう一人は?」


「ちょっと手間がかかっているので、 もう少しだけ待ってくださいね」


 イルエラは再びドアの向こうに消えた。


 シェリアータはソファに腰を下ろし、一枚の絵を持ち上げた。


「これ……どうなるんでしょうね」


 そこに描かれているのは、新たな妖精だ。

 穀物の妖精ファリヌ。

 シュクレより男性寄りの外見で、長身。アシンメトリーの前髪、鋭い眼差し。


「ミレーヌ様にデザインを描き下ろしていただけるなんて」


「いや、私が孫の晴れ姿を見たかったんだよ!」


 これは、ロシュオルへの当て描きとしてミレーヌが描いた妖精だ。

 シュクレのクオリティを見ると、否が応でも再現への期待が高まる。


「着替えたぞ」


 何の前触れもなく、ドアが開いて褐色の影が立った。


「「ファーーーー!!!」」


 絵を挟んで向き合っていたシェリアータとミレーヌは、横向きにソファに倒れ込んだ。


 衝撃でインナーエンジェルが飛び出す。


 雄叫びを上げ、拳を突き上げるエンジェル。

 目からビームが発射され、周囲が虹色に染まる。そのままジャンプして空へ……


 待て、戻ってこい。


 シェリアータとミレーヌは、ぶはっと息を吹き返した。


「もうちょっと勿体ぶって出てきておくれ! 心臓が止まる!!」


「ご、ごめん」


 祖母の剣幕にロシュオルはひるんでいる。


 ファリヌの装いは、淡い色のシュクレに対し、濃い色でまとまっている。

 衣装は似たデザインだが、ダークな印象が強い。

 小麦モチーフの腕輪に肘まで覆う濃紺の指なし手袋。アクセサリーは銀が基調だ。

 そして、塗料で肌を褐色に染めていた。


「褐色肌ってちょっと、何ですかどうしたんですか天才ですか!!」


 これ、見たことがある。ダークエルフだ。

 やっぱりイルエラ、前世の記憶があるのでは?


 レノフォードのシュクレと並ぶと、対比でお互いが引き立つようだ。

 シェリアータのテンションが限界を突破する。


「あ」


「シェリ様! しっかり!!」


 倒れ伏したシェリアータを、ミレーヌが揺さぶる。シェリアータはよろよろと身を起こした。


「大丈夫です……」


 ミレーヌの肩に掴まり、立ち上がる。


「墓に入ってる場合じゃありません……推しの供給はまだこれからです!」


 シェリアータは拳を突き上げた。



***



「それで……これで何をすればいいんだ? ダンスをすればいいのか?」


 数刻後、シェリアータたちはようやく気持ちを落ち着け、これからについて相談していた。


「そうね。でもダンスだけで人の心を掴むのは、短期間の訓練では難しい。そこで、妖精伝説よ」


 シェリアータは入手していたエルフサーガ関連の書籍を数冊、テーブルの上に置いた。


「隣国で長年人の心を掴んできた伝説は文献も豊富で、心を掴んだときの沼が深い」


 目指す形は定まっている。


「私がやりたいのは、歌って踊って物語を表現するミュージカル!」


「ミュージカル……?」


 一同は顔を見合わせる。


 オペラや演劇は盛んだが、ミュージカルはこの世界では馴染みのない分野だった。


「オペラをもっと演劇寄りにしたものよ。ダンスも入るの」


 オペラは全編歌なので、ストーリーが理解しにくい。しかし、演劇だけでは弱い。


「心を掴む上で、歌の力は絶大よ。そこに物語を乗せて……」


 シェリアータが説明していると、ロシュオルがいぶかしげに尋ねた。


「歌うのか?俺たちが」


「……」


 あれ?


「あの、そういえば」


 シェリアータは、レノフォードとロシュオルの顔を交互に見比べる。


「二人とも、歌の経験は?」


「ない」


「シェリに子守唄を歌ったことなら」


「……」


 どうしよう。


「試しに、歌ってみてくれる?」



***



 二人は皆の前に立ち、並んで歌っていた。


 下手ではない。下手ではないが、


「普通……」


「普通だね……」


 聴き苦しいことはないが、特筆することもない。


「あー、なんで気づかなかったんだろう。楽曲まで準備してたのに!」


 とんだ片手落ちだ。

 歌の力は絶大だが、それは技術が前提だ!


 これから特訓するにしても、シェリアータには知識がない。


「声楽家の知り合いはいませんか?」


「いえ、特には……」


 イルエラにも心当たりはないようだ。


 知っているとすれば、アートデュエルに出ていた男爵家の声楽家だが……ライバルに指南してくれるわけがないし、重低音の歌を伝授されても困る。


 シェリアータは、頭を抱えた。



***



 ひとまず解散することになり、レノフォードとロシュオルは妖精の扮装を解いた。


 いつものように菓子を数点買い、表に出たシェリアータは見送りに出たロシュオルを振り向いた。


「歌に明るい人材を探してみるわ。 訓練できる人か、歌えるメンバーか」


「ああ。何もできなくてすまない」


「いえ、これはパトロンである私の役目よ」


 ロシュオルの後ろにいたイルエラが、思い出したように手をあごに添えた。


「そういえば、庶民オペラで人気の歌姫が引退したのですが」


「ああ、知っているわ。 リュシー姫でしょう?」


 嘆いていた父の姿を思い出す。


「最近町に出没するハニーブロンドの少年が、歌姫に似ているらしいのです」


「え?」


 歌姫に似ている少年とは……相当の美少年なのではないか?


「それで、リュシー姫は男だったのではないかという噂が……」


 その時、軍隊の来襲かと思うような地鳴りが近づいてきた。


「「「キンニク! フッフー!」」」


「「「ムキムキ! フッフー!」」」


 規則正しく野太い掛け声が聞こえてくる。


 砂煙すなけむりの向こうから、男たちの集団が現れた。

 先頭を走っているのは、マソパリスターのフッキンとケブカイだ。


「「「キンニク!フッフー!」」」


「「「ムキムキ!フッフー!」」」


 今日も圧が強い!

 しかもなんか、人数が多い!


「な、なにあれ」


 シェリアータの横からイルエラが道の先を眺めた。


「ああ、マソパジムの皆さんですね」


「マソパジム……」


 シェリアータの記憶に、いつか見たチラシがよぎる。父が兄に勧めようとしていた、筋肉と重量を鍛えるジム。

 今思い出せば、講師の絵姿はフッキンとケブカイだった。


「あれか……!」


「「「キンニク!フッフー!」」」


「「「ムキムキ!フッフー!」」」


 砂塵さじんが迫り、地響きを立てて横切ってゆく。


 フッキンとケブカイに十数名の男たちが続く。

 年齢体型は様々だが、筋肉と重量に向ける情熱を感じる顔、顔、顔……


「待って!?」


 シェリアータは過ぎた顔を追って振り向いた。

 ムキムキゴツゴツした中に、不自然なほど目立つハニーブロンドが見えた。


 顔は一瞬しか見ていないが、


「美少年がいた!!」


 シェリアータは隣にいたロシュオルの腕をぺちぺちと叩いた。


「ロシュ! あの子を追いかけて!!」


「わかった」


 ロシュオルは弾けるように駆け出した。

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