第28話 未熟な魔法薬師

 心の中で、【自分が死ぬべきだった】という思いが膨れ上がっていく。自分が二度と現実世界に戻ってこられないことの、どこに問題があるというのだろう――。自分の作った魔法薬で死ぬ魔法薬師がいたところで誰も困りはしない。


 これまでルエリアは、苦しみにさいなまれる度に、『つらさから逃れるために死を選んではいけない』と自分に言い聞かせてきた。そうすればきっと、お母さんもお父さんも悲しむだろうから――。

 その決意が今まさに揺らいでいる。記憶の中で勇者を殺した罪により罰されるのであれば、喜んで首を差し出すだろう。


 泣きじゃくりながら、ぐしゃぐしゃになった頭の中でたったひとつの願いを唱え続ける。すると、ヘレナロニカの声が聞こえてきた。


「ルエリア。もしかして、君がギルヴェクスの記憶の世界から脱出するために取った手段は……記憶の世界の主を殺すことなのではないか?」

「……。はい、おっしゃる通りです……」


 王女殿下の冷静な問いかけに、ルエリアはほんの少しだけ正気を取り戻した。

 のろのろと目の上から手を外し、シーツに手を沈めてゆっくりと起き上がる。

 ヘレナロニカとヘレディガー、そしてゼルウィドが、眉根を寄せた哀れみの眼差しを向けてくる。同情される資格もないというのに――。


 ルエリアは、濡れた目元を指先で払い、深呼吸を繰り返した。高ぶっていた感情が鎮まりゆけば、希代の英雄に魔法薬を使った魔法薬師としての責任を思い出す。


(ちゃんと説明、しなきゃ)


 背筋を伸ばし、ベッドの傍らでルエリアを見守ってくる一同を見渡す。


「何が起きたか……私が何を起こしたか、ご説明いたします。記憶の世界に置き去りにされた同行者は、お察しの通り……記憶の世界の主を殺すという方法でしか、現実世界に帰ってこられません。なぜなら、同行者は記憶の世界の主と繋がっているからこそその世界に出入りできるのであって、繋がりが解かれた場合、世界を創り上げている本人を消すことによって世界を崩壊させるしかないからです。囚われた状態で何も事を起こさなければ、精神が世界に閉じ込められたまま現実世界の体は衰弱していきます。これについては幾人も同様の試験をおこない、その作用が実証されています。それ以外に……記憶の世界の中で自ら命を絶った場合、二度と目覚めず即座に死亡する、と言われています。これまで一件だけ死亡事故が起こったことがあり、他の魔法薬師が見守る中で突然死した魔法薬師は生前、自死をほのめかしていました。そのことから、恐らく記憶の世界で自ら命を絶ち、身をもって実験したのだろうと推測されています」


 しん、と静まり返る。


 心に伸しかかる、重い沈黙。


 ルエリアがそれ以上何も言えずにいると、ゼルウィドが一歩踏み出してきた。

 少年医師の目付きは、鋭く怒りに満ちている。


「ルエリアさん。それらについて事前説明がなされなかったことに抗議します。あなたは万が一のことが起こるはずはないとご自身の準備を過信し、もし事故が起きたとしても害が及ぶのは自分だけだからと、その危険性について被術者や監視者への充分な説明を怠った。ギルヴェクス様が快癒された際、施術者が犠牲になったとして、ギルヴェクス様が心からお喜びになると思うのですか?」

「ご指摘、ごもっともです。私が浅はかでした。勇者ギルヴェクス・マグナセニア様に、そしてみなさまに心よりお詫び申し上げます」


 頭を下げた拍子に涙がこぼれた。泣いたところで取り返しのつかないことをしてしまった。


(私の命を差し出したって、ギルヴェクス様が元気を取り戻せるわけじゃない。本当に、その通りだ。自分が犠牲になるかも知れないことについて、もっと深く考えるべきだった。事故を起こしてしまった以上、私はもう、ここにいさせてもらう資格はない)


 一刻も早く、ここから立ち去らないと――しかし体が動かない。

 ずっと頭を下げ続けていると、突然ぽん、と肩を叩かれた。

 顔を上げて振り返る。すると、ギルヴェクスの切なげな眼差しと目が合った。


「ルエリア、君を苦しめてしまって本当にすまない。魔法が暴発して……ロープを切ってしまったんだ。僕が弱いばかりに、君を追い詰めてしまった」


 ルエリアは、ロープを切断される可能性として、物理的な力に加えて各属性の魔法で切られることを考慮した上で、ロープの補強をしていた。被術者が勇者以外であれば、今回のような事故は起こらなかっただろう。

 しかし今回の被術者は、世界で一番魔力を持つ勇者だ。他の人とは比較にならないほどの膨大な魔力を持つ人が、自身を制御できずに発動してしまった魔法であれば、この世で切れないものなどないだろう。

 一度は暴発した魔法の威力を痛感させられた経験があるにもかかわらず、そこまで考えが及ばなかった――。ルエリアは、そんな自分に悔しさを覚えずにはいられなかった。


「こちらこそ、申し訳ございませんでした。ロープの補強が足りていなかったのは、私の見積もりが甘かったせいです」

「悪いのはこちらだ。本当に申し訳ない。今度こそ自分と向き合う。もう逃げない。だからルエリア、戻ってきたばかりで申し訳ないが、もう一度……」

「待てギルヴェクス! 彼女が落ち着いてからでなければ!」

「そうですギルヴェクス様! ルエリア様は、号泣するほどのことをなさった上で戻ってこられたのですよ!?」

「……行きます」


 ルエリアは、ヘレナロニカとヘレディガーの制止の声に、自分の声を被せた。


(せっかくギルヴェクス様がもう一度行く気になったんだから、私がためらって邪魔しちゃダメ)


 胸の内で強くそう言い聞かせると、心配そうに眉根を寄せるふたりを見て、口元を微笑ませてみせた。

 そのままギルヴェクスに振り返り、濃い空色の目をまっすぐに見つめる。


「すぐに行けます。ギルヴェクス様、参りましょう」

「急かしておいて勝手を言うが……、本当に、いいのか?」

「はい。お騒がせしてすみませんでした。もう、大丈夫です」


 用意しておいた中和剤の小瓶をギルヴェクスに手渡し、ルエリア自身も中の液体を一気にあおる。

 意識的に深呼吸を繰り返しつつ、それが効くまで数分待ってから、ルエリアは表情を引き締めてゼルウィドを見た。


「ゼルウィド様、お願いします」

「……わかりました」


 一度目のときと同じように、心拍数を測ってもらう。ルエリアがまだ完全には落ち着けていないことを察したのか、ゼルウィドはギルヴェクスの方から測定を始めた。自分の順番を待つ間、ルエリアは目を閉じて全身で深呼吸を繰り返すと、心を無にして平常心を取り戻した。


 魔法薬は、三回分用意してある。そのうちの二本目を空けて、再びふたりで記憶の世界へと旅立った。

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