第17話 癒しのクッキー

 ルエリアが調理場を覗き込むと、料理人のテオドールはシンクの掃除をしているところだった。


「テオドールさん。少し調理場をお借りしてもいいですか?」

「いいよ。あ、また肥料を作るの?」

「いえ、今日はクッキーを焼かせてもらいたいなと思いまして」

「へえ、クッキーか。お菓子の類は……今のギルヴェクス様は、お召し上がりにならないかも知れないよ」

「ギルヴェクス様に食べていただけたらとてもうれしいですけど、みなさんにも食べていただきたいんです。ヘレディガーさんやマレーネさん、テオドールさんにも」

「私たちに? そりゃありがたいね。それじゃ、お手伝いするよ」

「わ、ありがとうございます!」


 ルエリアは早速、部屋から持ってきていたシンホリイムの小袋を台の上に置いた。


「これを入れて焼こうと思いまして」

「へえ、シンホリイムを入れるのか。試したことないな」

「これ、私の故郷のシンホリイムなんですよ」

「え。もしかして……君はライケーネ村出身なの?」

「はい。故郷のシンホリイムを広めたくて、魔法薬の材料として使ってるんですけど、お菓子に入れてもおいしいんですよ。こうしてお菓子にして食べていただいて、みなさんに興味を持ってもらえたらなと」

「なるほどね。ちなみにこのお屋敷で使う食材は王室の在庫からだから、もし今後シンホリイムを取り寄せるとしたら、そもそもライケーネ村産のものになるね」

「あら、そうだったんですね。以来ずっと、マヴァロンド王室から発注いただいていて、ありがたいことです」


 話している間にも、クッキーを焼く準備を進めていく。袖まくりをして手を洗い、シンホリイムをボウルに入れる。ルエリアの隣では、テオドールが本職の料理人らしくてきぱきと調理器具を並べていき、必要な材料もすべて卓上に揃えてくれた。


 ボウルに入れたバターに手をかざし、風魔法で掻き混ぜてクリーム状にしていく。

 そこへ塩や砂糖を投入し、さらに混ぜ合わせながら、隣で卵を割っているテオドールに話しかける。


「魔法薬を作るときっていろいろな属性の魔法を使うんですけど、魔法薬の修業中、魔力調整の練習をするために、しょっちゅうクッキーを焼いてたんですよ」

「へえ! 面白いね、魔法薬の練習のためにクッキーを焼く!?」

「そうなんですよ。練習のあとにクッキーっていうご褒美があるものだから、張り切って練習してました」

「そりゃ張り切らずにはいられないだろうね。だって頑張れば頑張るほど、ご褒美のクッキーがおいしくなっていくわけだろ?」

「そうなんですよ。だから魔力調整の練習に関しては、大変だなーって思ったことは一度もないんです」


 師匠と一緒にクッキーを焼いたこと、魔力調整の技術を身に着けたあとは師匠のために焼いてあげていたこと。クッキーにとても合う薬草がある一方で、とんでもなくまずくなる薬草もあること。修業時代のことを懐かしく思い出しながら、ルエリアはクッキー作りを進めていった。


 テオドールが溶いておいてくれた卵をボウルに流し込み、手をかざして材料を混ぜつつ別の話題を切り出す。


「テオドールさんって、ここで専属料理人をする前は何をしてたんですか?」

「王城で働いてたよ。十四年前からずっと」

「そんなに長くお城に勤められてたんですね。お年をうかがってもいいですか?」

「三十だよ」

「そしたら十六歳の頃からお城で働いてるってことですか!? すごいですね」

「はは、そうかな。まあそれはさておき、私が城に勤め出してから三年経った年に、ギルヴェクス様が王家に保護されたわけなんだけど。ギルヴェクス様ってさ、第一次大厄災の唯一の生き残りじゃない? だから王城に連れてこられたばかりの頃は、それはもう……今にも息絶えてしまわれるんじゃないかって心配になるくらい、ぼろぼろになっていたよ」


 第一次大厄災。魔界から人間界に降臨した直後の魔王が自らの力を見せつけるために、マヴァロンド王国の辺境の村を跡形もなく破壊し尽くした悲惨な出来事。それが起きたのは、ルエリアの故郷で大人たちが流行り病に倒れた次の年だ。そのためルエリアは、だいぶあとになってから、勇者の出身地が魔王に滅ぼされた話を耳にしたのだった。


「悲惨な目に遭った直後じゃ、何であればお召し上がりになれるかもわからなくてね。でも、食べなければ元気にはなれないから……。城じゅうの料理人で集まって、毎日夜遅くまで話し合ったんだ、『どうしたら、あの少年を食で支えてあげらえるのか』って」

「そうなんですね……」


 小麦粉とシンホリイムも加えて混ぜていく。生地がまとまるようになってきたところで両手をかざし、平たい四角形になったそれを氷魔法で包み込む。

 テオドールは使い終えた調理器具を洗いはじめつつ、昔語りを続けた。


「衰弱されていたギルヴェクス様は、固形物は厳しかったけど、液体であれば、少しだけでも飲んでくださることが多かった。だから毎日栄養たっぷりのスープをお出ししてたんだけど、今みたいにベッドから動き出せない状態が続いてね。そこで、魔法薬師のギジュット・ロヴァンゼンさんが招聘されたんだ」

「そのお話、先日ギルヴェクス様がお話ししてくださったんですよ」

「え!? ギルヴェクス様がお話しされてた!? そうなんだ、ご自身のことをお話しするくらいお元気になったんだ……!」


 テオドールが泡の付いた両手を握りしめて小さくガッツポーズする。自分のことのように喜ぶ様子を見て、ルエリアも釣られて笑顔になった。


「それと、ギジュット・ロヴァンゼンは私のお師匠様なんです」

「え、師匠? ってことはルエリアさんは、ギジュットさんのお弟子さんなのか!」

「はい、そうなんです! 師匠がギルヴェクス様の治療にあたったって話は聞いたことなかったから、ギルヴェクス様からお話を聞かせてもらえてうれしかったなあ……。勇者様と面識があったなんて、師匠、ひとことも言ってなかったんですよ」

「あの人って、王族の方々を相手にしてもひょうひょうとしてるじゃない? あの様子からして、わざわざ弟子に自分の功績を教えなさそうな気がするな」

「あー、確かにそうですね。ヴァジシーリ帝国以外のすべての国の王室から招かれたことがあるって聞いたの、私が独り立ちしてからですよ。『あの人ってそんなすごい人だったの!?』ってびっくりしましたもん」

「ははは。本当に、ギジュットさんはつかみどころがないよね。そのわりに腕は確かでさ。声を出せなくなってたギルヴェクス様に少しずつ歩み寄っていって、昼夜ずっと寄り添って……。一ヶ月経ったくらいかな、ギルヴェクス様はお話しできるようになるどころか、お庭にも出られるくらいに回復したんだ。もちろん、お食事の量も増えていった」

「そうだったんですね……! やっぱり師匠はすごいなあ」


 ルエリアの師匠である魔法薬師ギジュット・ロヴァンゼンは、『心の傷もまた、外傷と同じく治療が可能である』と提唱しはじめた偉大な魔法薬師だ。とはいえ提唱し出した当時は誰からも相手にされず、医師や他の魔法薬師から散々馬鹿にされていたという。そんな師匠の過去話もまた、ルエリアは人づてに聞いたものだった。


 氷魔法で冷やした生地を、棒状に成形していく。そしてまた氷魔法で冷やす間、ルエリアは様々な話をテオドールから聞かせてもらったのだった。


 冷やした棒状の生地をほどよい厚さに切り分けて、天板に並べていく。焼くところまで魔法を使おうとすると疲労度が格段に跳ね上がるため、いつもクッキーを焼くときはオーブンを使うのだ。


 クッキーとシンホリイムの甘く芳ばしい香りが、調理場にただよい出す。

 おいしそうな匂いにルエリアがわくわくしていると、ふとメイドのマレーネが調理場にひょっこり顔を出した。

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