暗号名ポセイドン

猫舌サツキ

第1話 ぐーてんもるげん。

 海物(かいぶつ)とは、海に潜む化け物だ。人間を襲うこともしばしば。彼らを調査・殲滅するために私【フェルディナント・アドルノ】が開発した完全自立型ロボットこそ、【ハンナ・エンデル】である。


 デザインは、日本の文化の萌えを意識した。メイドの黒衣装で重火器を振り回す姿は、実に「じゃぱにーずクール」だ。動力は電力。現在は試作段階の人工知能を搭載していて、会話も人間のそれと大差ないだろう。装甲は航空機による爆撃にも耐えうるし、その上を覆う人工皮膚は、人間に酷似する性質と質感を有する。


そんな最強の萌えロボットを、私は長い年月を経て完成させた。



✳ ✳ ✳ ✳



 ここは、ドイツ連邦共和国における海物調査機関【シーライン】の施設の一角だ。ハンナは、この充電室の巨大なカプセル内で、活動のための電力供給を受けている。


「ぐーてんもるげん、ハンナ。」


 私がカプセルを開いて、目覚めの挨拶をすると、彼女は眼を開いた。手首の辺りにあるメーターを見てみると、89%の表示。一晩寝てもらうだけで、これだけの充電が可能なのだ。三日は、充電無しで動き続けられるだろう。


「・・・ぐーてんもるげん、マイスター。今日はどんな任務?」


 カプセルから立ち上がり、寝癖を櫛で直すハンナ。その短く整った純白の髪は、艶やかで美しい。研究レポートと報告書の提出の仕事に追われて、ろくにシャワーも浴びられない私とは、まるで真逆の美しさだ。


 ハンナは、私の白衣の袖を手で引いた。


「これを読んでおいてほしい。今日の任務の概要だ。」


 私は、シーラインの本部から受けとった書類を、ハンナに手渡した。


 最近、バルト海での海物の活動が目立っており、特にデンマーク領のフュン島での人的被害が多数、寄せられている。海への連れ去りが大多数。そこで、シーラインとドイツ連邦海軍、デンマーク海軍で海物の掃討を行う、ということになったらしい。


 海物どもは、どうやら潜水艦を使って、船舶への攻撃や人々の連れ去りを行っている。明日の午前1時頃に、掃討作戦は決行される。ドイツ・デンマーク軍によって一時的な海域の封鎖を行い、ハンナが海物の掃討にあたる。私は、連邦海軍の艦艇から作戦を見学させてもらえるらしい。


「潜水艦【Uボート】って?」


「旧ドイツ海軍が保有していた潜水艦だ。」


「なるほど。私、理解した。」


 ハンナは、海物たちが搭乗する潜水艦の名称について私に尋ねた。・・・よかった、歴史の知識をある程度学んでおいて。これで、ハンナはまた一つ学んで、賢くなったのだ。


 海物たちは、一言に化け物といっても、その能力や性質は多種多様。伝説の生き物とされていたマーメイド(人魚)も海物の一種であるし、近年発見されたクラーケンも海物の一種に分類される。さらに、二度の世界大戦で沈んだ艦船の乗組員たちが海物化して現れることも、稀にある。


「では今回、私が戦うのは、我が祖国の先人たち?」


「・・・そうだ。先の大戦を戦った者たちが、哀れにも海物化してしまった。」


 私は、充電室内の机で鞄の中の資料を整理しながら、こちらに空色の瞳を向けたハンナに反応を示しておいた。


「作戦までは時間がある。あと17時間、何をすればいい?」


「じゃあ、私の書類の整理を手伝ってくれないか?」


「了解、マイスター。でも、それはすぐに終わる。その後は?」


「うーん・・・カフェにでも行ってみれば?少しは私たち以外の人間と触れ合うのも、良い経験になるだろう。」


「了解、マイスター。」


 ハンナは、私の隣へ寄って、書類の束を胸に抱えた。空色の瞳の中に埋め込まれている識別装置を使って、手早く書類を種類分けしてくれた。・・・私は物の管理が苦手で、とりあえず書類を一緒くたに詰め込んでしまう癖がある。


「人間って大変ね。これくらいの書類を分けるだけでも、時間がかかるなんて。」


「あぁ・・・そうだな。」


 私は、深いため息をついた。充電室内の通気ファンや冷却装置の鈍い音をかき分けて、それはさらに響いて聞こえた。高性能なロボットである彼女にとって、人間の苦労は知りえないのだろうなぁ。私はこれを全て読み込んで、あるいは書き込んで、上に送り返さねばならないのだ。


・・・気が遠くなる。時間があれば、ハンナに専門知識を伝授して、より高度な書類作成の機能を搭載させよう。このままでは、私が倒れる。


「では、カフェに行ってきます。マイスターも、一緒にどう?」


 彼女からの誘いは、大変嬉しい。けれど、それ以上に仕事と疲れが溜まっている。


「いや、一人で行ってきなさい。私は、私の仕事を終わらせる。」


「手伝えることは?」


「今は、ない。書類の種類分け、ありがとう。助かったよ。」


 私を何度か振り返りながら、ハンナは白髪を揺らして充電室を後にした。


 こういうハンナの自由な行動は、政府も軍も嫌うだろう。なぜなら、彼女は機密の塊に等しい。人工皮膚なんて、個人で完成させたのは、恐らく世界で私だけ。また、彼女単体で、戦車何百両分という戦力に匹敵する。彼女の力と、ドイツ科学の結晶・・・ではなく、私の頭脳とを隠したがっている。


「まあ、見た目は人間と変わらないし、連れ去ろうにも相手が悪いだろう。」


 しかし、彼女の所有権は私にあるから、政府や軍に正直に従ってばかりでなくとも良い。ハンナという人型ロボットの作成も、海物調査・殲滅への協力も、私の趣味の範疇を出ない。



 彼女の自由のために、今は仕事をこなしてやろうではないか。コーヒー片手に、私のペンは走り出した。

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