氷河湧山の勤務記録

負け犬アベンジャー

深夜テロラーメン

その1

 交番勤務は一務二休制、丸一日働いて二日休む形式をとっている。


 朝の勤務開始から朝昼晩、深夜を超えてまた朝を迎えてようやく終わりとなる。当然その間、事件が起これば急行しなければならず、一瞬でも気を抜くことが許されない。


 だがそれでも、深夜に入れば街は寝静まり、幾分退屈な時間を迎える。その間に短い仮眠も取れるのだが、しかし最近のように事件が多発していればそうもいかなかった。


「お待たせしました先輩」


 ようやくトイレから出てきた後輩、その顔には警察官としての、それ以前に大人としての緊張感のようなものが感じられなかった。


 まるで子供がコスプレしてるかのような違和感、去年まで学生だったのだから当然ではあるが、それでも緩み切った腹にプリプリの唇、髭のない頬を見れば、もう少しなんとかしてくれと思わなくもない。


 これがジェネレーションギャップというのだろう。年齢差が親子ほどもあるとなれば、理解できないのが普通だろう。


「それじゃあ行きましょうか」


 眠い時間帯にも関わらず元気な声をあげて颯爽と夜の起眞市、その中央区へ、深夜のパトロールへと出発した。


「しっかしなんなんでしょうね」


 人の気配が全くしない繁華街、後輩の声だけが響く。


「今朝の被害者、事件があったのかもわかりませんが、身元がわかったみたいですよ」


「捜査状況を外で軽々しく口にするな」


「大丈夫ですよ。こんな真夜中、誰も聞いてませんって」


 キツめに言ったつもりだったが、後輩は笑顔のまま喋り続ける。


「被害者の名前は、えっとなんだっけ? 帰ったらメモありますんで、それで仕事はお弁当屋、大通りにある個人商店のあそこのパートでした。最後に目撃されたのもそこで、賄いとして残り物のお惣菜やらご飯やらをたらふく食べた後、お持ち帰りもしてたらしいです」


「……病歴は?」


「肥満からくる痛風、それと糖尿病予備軍と、健康診断では出てたそうです。他の被害者八人と大体一緒ですね」


「そうか」


「謎の衰弱事件、深夜から朝にかけて、路上に人が倒れている。みな極度の栄養失調に陥っていて、体重も最後に目撃された時に比べると半分以下になっている人もいるとか。それも一日で、着ている服さえもブカブカな有様、薬物反応なし。不可解。先輩は、どう思います?」


「さぁな。そういうのを調べたり考えたりするのは上の仕事だ。俺ら制服組じゃあない」


「またまたぁ。先輩が只者じゃないって聞いてますよ?」


 やたらと馴れ馴れしく、けれども強めに後輩、肘でついてくる。


氷河こおりがわ湧山ゆうざん巡査、今でこそ交番勤務だけれども元は特殊部隊出身で専門は爆弾処理、理工学部の大学出てて、剣道と射撃の名手、それが捜査課を経て交番勤務に、めちゃくちゃな経歴なのはめちゃくちゃが許されるほど優秀だから」


 少し、驚く。


 警察署内で色々陰口言われてるだろうとは思っていたが、入ったばかりの新人にも伝わるほどで、それも優秀とわざわざ付け加えていることに、喜びよりも先に不信感が湧く。


「右頬の火傷の跡がチャームポイント、管轄内随一のハッピートリガーで、曰く『起眞市で一番怒らせてはいけないお巡りさん』とか。掲示板にも、衰弱事件の次の次の次の次くらいに書き込み多い専用スレあるぐらいに有名人ですよ」


「……掲示板?」


「あーーーえっと、ネット、わかります? インターネット、その中で不特定多数が」


「SNSぐらいは知ってる。それより、今話してた俺のことは?」


「スレの頭のテンプレですね」


「……ひょっとして、さっきまで話してた事件のあらましも、その掲示板からか?」


「もちろん。あ、気になるなら後でアドレス教えますよ」


 ……言葉が、出ない。


 ジェネレーションギャップとだけでは言い表せない隔絶、あろうことかそんな不明瞭な戯言を仕事の場で話すとは、警察学校で何を習ってきたのか、色々と吐き出したくなる。


 だが、ここは堪える。


 後輩、新人の教育が今の仕事の半分だと理解している。そして失敗した場合、これまでこいつが宣ってきためちゃくちゃとやらが台無しになる。


 だから怒鳴らない。叱らない。昨今のパワハラ抜きにしても、隙を見せたらそれでクビになる。


 それだけは勘弁だ。


 息を吸い、吐き出して、落ち着き取り戻し、ポケットからミント菓子を取り出す。


「へぇ。先輩ってそんなの食べるんですね」


「タバコの代わりだ。今日日どこに行っても禁煙ばかりだからな。時に齧るようにしている」


 わざわざ伝わるよう語彙を強めたつもりだったが、後輩の返事は無言で差し出された右手の手のひらだった。


 その上に、カラリと二つぶ転がり置くと、躊躇なく後輩はパクリと口の中へと放り込んだ。


 ゲホォ!


 後輩、咽せる。


「これな、辛いっすね!」


 やや涙目になってる後輩見て浮かぶ良くない感情を口に放り込んだミント菓子もろとも噛み砕き、飲み込む。


 喉を通り、胃に落ちる清涼感、逆流する呼吸が爽やかとなる。


 それを楽しく間もなく、正面に、不審人物が現れた。


「先輩?」


 流石の後輩も声に緊張が表れる。


 場所は咲森区に程近い、大通りから外れた裏側、そこに切り開かれるように作られた公園、その入り口近くで、灯の乏しい中を手足を引き摺るように歩く一人の女性、乱れた髪、ボロボロの服、裸足、事件性が大いに窺い知れた。


「あの、大丈夫ですか?」


 過度に刺激しないようにとの声かけ、けれど聞こえてるはずの女性は俺を無視してフラフラと公園の中へと入っていってしまう。


「ひょっとして、事件?」


 ヘラリと笑う後輩を一瞥しつつその後を追って公園へ、一歩踏み入れた瞬間、温かい風が俺の頬を撫でた。


 そして俺はラーメンを食べた。

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