これは「失楽」の物語 1
時計の針は止まらない。
戻ることもない。
私たちはただ、与えられた今を力の限り走り抜けるしかない。
この物語が、どのような結末を迎えようとも。
第一章 これは「失楽」の物語
~This is the story of a lost paradise~
深い闇の中に、私は一人、立ち尽くしていた。私は何のために生きているのか、そんなことを考えながら。
私が生きていたせいで、多くの世界が失われた。
私を守ろうとして、大切な人が死んだ。
これは、私の罪。
罪は、償わなければならない。
私はゆっくりと、おぼつかない足を前へと動かし始める。
「クロエちゃん!」
「随分とうなされてたよ…?大丈夫?」
夢、だったらしい。また同じ夢を見た。
大切な人を殺した罪悪感、自分には何もできなかったという無力感。
それらに苛まれて自分を責める。しかし前には進まなければならない。そんな夢。
私はゆっくりと起き上がり、枕元の時計を確認する。
「…あ。」
声のようなものが喉から零れた。時計の針は十二時ちょうどを示している。
「もうお昼?」
「そうだよ。本当はもっと早く起こせばよかったんだろうけど…。」
寝ている私をわざわざ起こすのは悪い、と…。
私は起き上がり、少女の手を取る。
「別に気を使わなくていい。ここでは、私とあなたは一緒だもの。私はできるだけ、あなたと対等でいたい。」
私がそう言うと、少女の青い目が輝いた。…ような気がした。
私の手が強く握られる。
「じゃあ、そうする!クロエちゃんも何かあったら言うんだよ?」
「もちろん。お互い、ね。」
部屋から出ていく少女を見送り、私は寝巻から着替える。
どんな色よりも暗く、黒い髪と、妖しく輝く赤い瞳。
私の名前はクロエ。
どこからきたのか、何者なのか。私は私に関する全てを忘れてしまっている。どうやら記憶喪失という物らしい。
しかし誰かを失った時の悲しみと苦しみは、全てを失った今も私の心を締め付けている。
私がそうなる程大切な、誰か。
今の私には、そんな誰かのことも思い出せない。
私が、この世界で生きていく理由はなにか。
私自身には生きていく理由も、価値もない。
私はただ探している。
私に生きていく理由を与えてくれた、初めての人。
その人のことを、私は探し続けている。
私が今、居るこの場所は全ての世界のはるか上空。天空の、神の園。
ここには、自分の住むべき世界を。そして全てを失った少女が集まる。
そして少女たちは願う。いつか自分たちの世界を取り戻すことを。
ここは世界を司る神の園。人間達はこの場所のことをこう呼ぶらしい。
死後の楽園、と。
着替えを終えた私は部屋を出て、見慣れた廊下を少し歩くと食堂に着く。
食堂では私を起こそうとしてくれた少女が一人、山盛りのご飯をおいしそうに食べている。
彼女の名前はマシロ。白銀の髪と青い瞳を持つ、見た目は清楚な女の子といった感じ。ご飯をよく食べいつも元気で、私とは正反対な少女だ。
「おはよう。マシロ。」
私は食堂に入ってマシロに声を掛ける。マシロはもぐもぐしていた口を止めて、中の物を飲み込むような動作をする。
「おはよう!クロエちゃん。その、具合はどう?元気?」
起きた時の私の状態を案じているのだろう。悪夢…のような物は見たけど、私の状態にはさほど影響はない。悪夢を見た時の、嫌な感覚こそ残っているけど夢の中身は綺麗に忘れてしまっている。なので私としては若干寝不足なだけ。
「大丈夫。ゆっくり寝たはずなのに疲れが残っているみたいな。それだけだから。」
「ふーん?あ、でもそんなことあるかも!私もね?最近不思議な夢を見るんだ!」
「そう。どんな夢?」
「女の人がいてね?その人がひたすら謝ってくるの。ごめんね、マシロ。ごめんね…って。ちょっと不気味じゃない?」
女の人、ねえ。
「マシロはその人のこと知ってるの?」
「んーん、全然。とは言っても私はここに来る前のこと何にも覚えてないから会ってるのかもだけど。でもさ、何に対して謝られてるかさっぱりなの。私に何をして誤っているのか教えてくれてもいいのに、ひたすらごめんって。どう思う?」
マシロがお茶碗を置いてずいっと顔を近づけてくる。
…ひたすら謝られる、か。
「どう思うって、ちょっと怖いかもって感想しか出てこないんだけど。」
「ね!怖いよね。」
「夢の内容をそこまで細かく覚えてるあなたのことが怖いって話。」
「私?!私は怖くないよ!こんなにかわいい女の子、世界を探しても私くらいでしょ!」
「そもそも人間の女の子がこの世界には七人しかいないんだけどね。」
「じゃあ七人の中で一番…いや、クロエちゃんもかわいいし…。」
どうやら彼女の中で天界に住む人間中一番かわいいのは誰か選手権が開かれてしまったらしい。私はそっとため息を吐き、お昼ご飯を取りに厨房へ向かう。
厨房にはたくさん料理が並んでいた。料理の傍らには私たちの使う食器が七人分おかれている。
七人分。この世界で食事が必要なのは人間のみで、この世界の人間は七人。偉い人の話では世界の命運が少女七人にかかっているらしい。なんとまあ深刻な事態なのだろうか。
私は自分の食べる量をお皿に盛りつけると、食堂に戻る。まだぶつぶつ考えているマシロの目の前に座り、一言。
「いただきます。」
そして、マシロを眺めながらゆっくりと食事を進めていく。(私が半分ほど食べ終わるころにはマシロが私のことに気が付き、急いで食事を始めた。)
「ごちそうさまでした。」
手を合わせる。ほぼ同時に食べ終わったマシロも手を合わせて、ごちそうさまの一言。私が食べるのが遅いのもそうかもしれないけど、山盛りご飯を食べ終わるのが私と同時とは。胃袋どうなっているのだろうか。
「あ、そうだ。クロエちゃん。ウリエル様が呼んでたよ。食事が終わったら図書館に来るようにって。」
食器を持っていこうと立ち上がったマシロから、衝撃の一言。
「…早く言ってよ!」
ウリエル様とは私たちが住むこの建物を護る管理者。
つまりこの世界の真の住人にして、七人の大天使の内の一人。そんな人が私に用事があると。
「早く言うとクロエちゃんさっさと食べちゃうでしょ?エリ様がご飯をゆっくり食べてからって言ってたんだよ~。」
マシロが私の分の食器も集めながら言う。
「ま、行ってきな?クロエちゃんの食器は私が片付けとくからさ。」
マシロはウインクすると厨房の中へ消えてしまう。
私は急いで立ち上がって、図書館へ向かう。食堂から出て左に曲がり、しばらく歩くと大広間。ここから玄関やら食堂やら、この建物のいろいろな場所へ行ける。だけど、この建物のメインはそこではない。
私は中央棟のへの扉を開き、螺旋階段を上がっていく。頂上にあるでっかい扉に手を掛けると扉は少しずつ、音を立てて開き始める。
「おはよう、寝坊助少女よ。よく寝られたかい?」
頭の上に白く輝くわっかをかがげた、眼鏡とだぼっとした白装束が印象的な女性。
彼女がこの建物。行き場を失くした私たち人間が住むこの場所、天界大図書館の主。名を大天使、ウリエル。
「はい、とても。」
「あーあー。そんなにかしこまらなくてもいいよ。私は敬語が嫌いなんだ。使うなとは言わないけどさ。」
ウリエル様は手元の本を閉じて、私の目の前に立つ。
「ご機嫌いかがかな?その後の報告を聞くと、キミはいつも何かにうなされているらしいじゃないか。目の下のクマも天界に来た時と比べると濃いように感じるが。何かお薬でも渡せたらいいんだろうが、残念ながら人間用の物を調合できる天使が不在でね。キミ自身に頑張ってもらうしかないが、今キミに倒れられたら非常に困る…。」
言いながらウリエル様は私の顔をべたべた触る。
「要件は、なんですか?」
「ああそうだ。キミを呼ぶよう、マシロに頼んでいたんだったね。いやなに。そろそろキミにも働いてもらおうと思ってね。働くとは言っても、それがキミの世界を救うことにつながる。まずは状況の説明だ。この世界に慣れ、定着したキミに話そう。何が起こっているのか。キミの使命とは何なのか。」
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