コミュ障すぎて会話するだけでMPが尽きる最強ヒーラー〜追放されたけど、うるさい陽キャ剣士と組んで旅に出ます〜

第134話 私たちの答え

「君たちもこの国の民（たみ）となり、ここで暮らさないか？」

　マーリンの声が、静かな部屋（へや）に響（ひび）く。

　杖（つえ）を手に、彼（かれ）は優（やさ）しく微笑（ほほえ）んでいる。

　その姿は、かつて私（わたし）に魔法（まほう）を教えてくれた時と全く変わらない。

　時が止まったような、永遠を感じさせる笑顔（えがお）だ。

　私（わたし）とシャルは言葉を失い、ただその場に立（た）ち尽（つ）くしていた。

　高層建築の最上階にある部屋（へや）からは、アヴァロンの全景が見渡（みわた）せる。

　窓の外では空飛ぶ車が行（ゆ）き交（か）い、きらびやかな未来都市の姿が広がっている。

　建物の隙間（すきま）を縫（ぬ）うように、光の帯が無数に走る。

　地上では人々が行（ゆ）き交（か）い、その表情は一様に穏（おだ）やかだ。まるで絵に描（か）いたような、理想的な光景。

「このアヴァロンには、君たちの能力を活（い）かせる場所が山ほどある」

　マーリンは立ち上がり、窓の外を指さす。

　遠くには巨大（きょだい）な医療（いりょう）施設（しせつ）らしき建物が見える。純白の外壁（がいへき）が、夕陽（ゆうひ）に照らされて輝（かがや）いている。

「例えばミュウ。あの医療（いりょう）施設（しせつ）なら、君の癒（い）やしの力を存分に活（い）かせる。

　この世界の医療（いりょう）は進んでいるとは言え、君の力には遠く及（およ）ばない」

　彼（かれ）の言葉に、私（わたし）は思わずその建物に見入ってしまう。

　いわゆる医者、か……。そういう医療（いりょう）施設（しせつ）なら、確かにより多くの人を助けられるかもしれない。

「それにシャル。君の持つ『人々の心を開く力』もまた、この街にとって貴重なものだ。

　テクノロジーが発達しすぎた社会では、どうしても人と人との繋（つな）がりが希薄（きはく）になる。そんな中で、君の明るさは大きな意味を持つ」

　シャルの方を向いたマーリンの目は、本心からの称賛（しょうさん）を湛（たた）えている。

　彼（かれ）の褒（ほ）め言葉（ことば）に、シャルが少し考（かんが）え込（こ）んでいる。

「二人（ふたり）とも、きっとここでなら望む生活が送れる。

　安定した収入も、快適な住居も用意しよう。それに……」

　マーリンは一瞬（いっしゅん）言葉を切り、穏（おだ）やかな表情でこちらを見つめる。

　その目には、慈愛（じあい）と確信が混ざったような色が浮（う）かんでいた。

「何より、ここには『未来』がある」

　その言葉に、私（わたし）たちは息を呑（の）む。……未来。

　今や未来の世界には未来がない。漂白（ひょうはく）砲（ほう）によって、すべてが白く染め上げられてしまった。生き残っているのはアランシアの民（たみ）だけだ。

　ある意味では世界中でここアヴァロンだけが、輝（かがや）かしい未来を持っている。

　それは100日で巻（ま）き戻（もど）されるとしても、確かにここにある。

「考えてみてほしい。今の君たちに、帰る場所はあるだろうか？」

　マーリンの問いかけに、私（わたし）は言葉を失う。

　未来に……私（わたし）たちの世界に戻（もど）ったところで、何も始められない。世界にはもう何もない。

　一方でここアヴァロンには、すべてが揃（そろ）っている。

　理想的な環境（かんきょう）、私（わたし）たちの力を活（い）かせる場所、そして何より……未来が。

「もちろん、すぐに返事を求めているわけじゃない。

　ゆっくり考えてほしい。ただ――」

　マーリンは机の上に置かれた砂時計（すなどけい）を見つめる。

　その中では、金色の砂が静かに流れ続けている。

「次のループが始まるまでに決めてもらえると助かる。

　君たちにはアヴァロンの一員として、新しいループを始めてほしいんだ」

　太陽が高く登る。高い塔（とう）の狭間（はざま）に緑が茂（しげ）り、光を受けて輝（かがや）いている。

　その美しい光景を前に、私（わたし）たちは答えを求められている。

　理想郷で生きるか、滅（ほろ）びた世界に戻（もど）るか――。

　シャルと目が合う。彼女（かのじょ）の瞳（ひとみ）には、私（わたし）と同じような迷いの色が浮（う）かんでいた。

　静寂（せいじゃく）が部屋（へや）を満たす。

　窓の外では相変わらず未来都市の喧噪（けんそう）が続いているというのに、この部屋（へや）だけが別世界のように感じられた。

「ねぇ、ミュウちゃん」

　シャルの声は、いつもより小さい。

　彼女（かのじょ）は窓際（まどぎわ）に立ち、外の景色（けしき）を見つめている。朝の光が、彼女（かのじょ）の赤い髪（かみ）を優（やさ）しく染めていた。

「あのさ……ここって、すごく住みやすそうだよね」

　その言葉に、私（わたし）も窓際（まどぎわ）に歩み寄る。

　通りを行（ゆ）き交（か）う人々は、みな穏（おだ）やかな表情を浮（う）かべている。

　争いも、苦しみも、そこにはないかのようだった。

「みんな幸せそう。戦うこともないし、誰（だれ）も傷つかない」

　シャルの言葉には、複雑な感情が込（こ）められていた。

　これまでの旅路で、私（わたし）たちは多くの戦いを経験してきた。時には命の危険もあった。

　そんな日々から解放されることは、確かに魅力的（みりょくてき）かもしれない……。

（でも……）

　胸の奥（おく）に、どこか引っかかるものがある。

　私（わたし）は首から下げているネックレスを見つめる。感情によって色が変わるこの石は、今、曇（くも）ったような灰色を帯びていた。

「あ、ミュウちゃんのネックレス、なんか暗いね」

　シャルが気づいて、私（わたし）の胸元（むなもと）を覗（のぞ）き込（こ）む。

　その仕草は、これまでと変わらない。でも、その声には迷いが混じっている。

「……」

　私（わたし）は黙（だま）ったまま、ネックレスを握（にぎ）りしめる。

　その感触（かんしょく）が、これまでの旅路を思い出させる。

　シャロウナハトの村で、初めて人々に感謝された日。

　ノルディアスで、冒険者（ぼうけんしゃ）のみんなと力を合わせて事件を解決した時。

　グレイシャル帝国（ていこく）で、ヴェグナトールの心を癒（い）やした瞬間（しゅんかん）。

　東方大陸で、リンと共に戦った日々。

　魔界（まかい）で、四天王たちと激しい戦いを繰（く）り広（ひろ）げた時間……。

　そのどれもが、この100日のループの中では意味を失ってしまう。

　誰（だれ）かと出会い、別れ、成長を重ねた日々は、この優しい世界では全（すべ）て無に帰してしまう。

「あのさ、ミュウちゃん」

　シャルが再び声をかける。

　私（わたし）が顔を上げると、彼女（かのじょ）は真剣（しんけん）な表情で私（わたし）を見つめていた。

「あたし、ここでの暮らしも悪くないと思うんだ。でも……なんていうか……」

　彼女（かのじょ）は言葉を探すように、空を見上げる。

「あたしたちが出会ってからずっと、色んなところを旅してきたよね。

　時には辛（つら）いこともあったけど、でも、その分だけ意味のある毎日だった」

　シャルの言葉が、私（わたし）の胸に響（ひび）く。

　確かに、私（わたし）たちの旅路は決して楽なものではなかった。

　でも、だからこそ意味があったんじゃないだろうか。

「ミュウちゃんだってそう思うでしょ？　話すのは大変かもしれないけど、それも含（ふく）めてミュウちゃんなんだし」

　シャルの言葉に、私（わたし）は小さく頷（うなず）く。

　ネックレスの色が、少しずつ温かな色に変わっていくのを感じる。

　そうだ。私（わたし）は確かにコミュ障だ。

　でも、それは「治すべき問題」なんかじゃない。

　それは、ただの私（わたし）なのだ。

　そうして生きてきたし、これからも……そうやって生きていく。

　その生きづらさこそが、生きるということなんじゃないだろうか。

「ねえ、マーリン」

　朝の光が窓を輝（かがや）かせる。未来都市の高層ビル群が、その光を反射して七色に煌（きら）めいていた。

　シャルが突然（とつぜん）、マーリンに話しかけた。彼女（かのじょ）の声には、もう迷いはなかった。

「一つ聞きたいんだけど。私（わたし）たちが幸せになれる代わりに、未来の世界は永遠に消えたままなわけ？」

　マーリンは一瞬（いっしゅん）だけ目を見開いたが、すぐに穏（おだ）やかな表情に戻（もど）った。

　その仕草は、まるで予想していた質問を投げかけられたかのようだった。

　彼（かれ）は窓際（まどぎわ）から振（ふ）り返（かえ）り、静かに頷（うなず）く。その姿は、光に照らされて神々しくさえ見えた。

　白いローブが朝の光を受けて、まるでステンドグラスのように輝（かがや）いている。

「その通りだ。この国の100日のループを維持（いじ）するために、未来の全（すべ）てを漂白（ひょうはく）し、エネルギーに変換（へんかん）したからね」

　その言葉に、私（わたし）の胸が締（し）め付（つ）けられる。未来を白く塗（ぬ）り潰（つぶ）すことで、この理想郷は存在している。

　それは、あまりにも残酷（ざんこく）な事実だった。

「だが、それも全（すべ）ては理想郷を作るため。この街なら、誰（だれ）もが幸せに暮らせる。それは確かだ」

　マーリンの声は優（やさ）しく、まるで子守唄（こもりうた）のよう。彼（かれ）の声には、確信と慈愛（じあい）が混ざっていた。

　しかし、その言葉の意味は容赦（ようしゃ）なく、私（わたし）たちの心を抉（えぐ）っていく。

「あんたが選んだ人間だけ、でしょ」

「そうだよ。しかしそれが最善の選択（せんたく）だと、私（わたし）は判断した」

　マーリンの言葉は、冷たく部屋（へや）の隅（すみ）に響（ひび）く。

「君たちの世界に、果たして本当に生きるべき人間はいたかい？　ほとんどは生きる価値のない、ただの重石のような存在だ。ミュウ、君の両親のように」

　心の中の古い傷が痛む。記憶（きおく）の中の暴力。冷たい視線。無関心な背中。

　……確かに、そうなのかもしれない。記憶（きおく）はもう薄（うす）いけど、ろくな親じゃなかったことは確かだ。

　私（わたし）は立ち上がり、窓際（まどぎわ）に歩み寄る。足音が静かに響（ひび）く。

　朝日に照らされた街並みが、理想そのもののように輝（かがや）いていた。

　美しい街並みに、美しい人々。でも、それは他（ほか）の世界の光を奪（うば）って作られたもの。

　この完璧（かんぺき）な世界は、無数の可能性を否定することで成り立っている。

　私（わたし）は深く息を吐（は）き、ゆっくりと振（ふ）り返（かえ）る。杖（つえ）を強く握（にぎ）りしめる。

　今なら、言える。言わなければならない。

「私（わたし）たちは……」

　声が震（ふる）える。喉（のど）が痛い。でも、続けなければ。

　これまでの旅路で出会った全（すべ）ての人々の顔が、脳裏（のうり）をよぎる。

「――行かない！」

　出したことがないほど大きな声。その声は、部屋（へや）中に響（ひび）き渡（わた）った。

　窓ガラスが、かすかに振動（しんどう）する。

　ネックレスが、まるで私（わたし）の決意を映すように、明るい光を放つ。

　その輝（かがや）きは、部屋（へや）の空気さえも変えていくようだった。

「私（わたし）は……シャルと出会って、色んな人と出会って……私（わたし）は、私（わたし）のままでいいんだって、わかった」

　言葉を紡（つむ）ぐたび、MPが削（けず）られていく。体の芯（しん）から力が抜（ぬ）けていくのを感じる。

　でも、今はそれも大切な証（あかし）だった。

「たとえ痛いだけでも、意味がなくても。人との出会いには価値がある。

　それをなくして、理想郷に引きこもるなんて……私（わたし）はしたくない！」

「そうだよ！」

　シャルが私（わたし）の背中を強く叩（たた）く。彼女（かのじょ）の手には力が込（こ）められていた。

　その力は痛いくらいだったけど、温かかった。彼女（かのじょ）の体温が、背中から伝わってくる。

「あたしたちは、過去に戻（もど）るなんてしない。だって、これまでの全部が大切だから」

　マーリンは黙（だま）って私（わたし）たちを見つめていた。彼（かれ）の瞳（ひとみ）には複雑な感情が浮（う）かんでいる。

　その目には、悲しみと、何かが混ざっているように見えた。

「そうか……」

　彼（かれ）は深いため息をつく。その表情には、諦（あきら）めと共に、何か別の感情も浮（う）かんでいた。

　まるで、この結末を予測していたかのように。

　その時だった。

　突如（とつじょ）、轟音（ごうおん）が街全体を揺（ゆ）るがした。建物が軋（きし）むような音が響（ひび）く。

「な、なに！？」

　シャルが窓際（まどぎわ）に駆（か）け寄（よ）る。高層ビルが不気味に揺（ゆ）れている。

　その視線の先で、街の一角が不気味な光に包まれていた。

　光は渦（うず）を巻き、まるで何かを飲（の）み込（こ）もうとするかのように広がっていく。

　その光は、どこか見覚えがある。漂白（ひょうはく）砲（ほう）を思わせる、白い光。

　アヴァロンの空に、亀裂（きれつ）が走ったように見えた。

　その亀裂（きれつ）から、さらに強い光が漏（も）れ出している。

「……始まったか。少し早いな、今回は」

　マーリンの呟（つぶや）きは、不吉（ふきつ）な予感を孕（はら）んでいた。彼（かれ）の表情が、一瞬（いっしゅん）だけ歪（ゆが）む。

　でも、もう迷いはない。

　私（わたし）とシャルは、お互（たが）いを見つめ合い、小さく頷（うなず）き合（あ）う。

　たとえMPが尽（つ）きようと、たとえ戦わなければならないとしても、私（わたし）たちは選んだ道を行く。

　人との出会いを、その全（すべ）てを大切にする道を。

　それが、私（わたし）たちの答えだった。