第1話 悪役令嬢のドタバタ逃走劇

 わたしは走っている。

 普段着用のドレスをヒラヒラとたなびかせて、か細い脚で必死に石畳を蹴っている。

 正直走るのには邪魔だけど、今は縛る時間も惜しい。


 後ろをチラリと見ると、軍服を着た若い男が追いかけてきている。

 レンガ造りの街並みと合わさって、とても絵になっている。


 絶対に捕まってはいけない。

 捕まったら最後、わたしの人生は終わりだ。


 でも、相手は訓練を受けた軍人だ。足の速さで勝てるわけがない。

 グングンと距離を詰められてきている。



 だがしかし。

 地の利は我にあり。



 目の前には、露店外の入り口が見えている。

 もう夕日が沈んできているからか、一部の露店は店じまいを始めている。


 わたしの姿を見つけて、一人のおじさんが反応した。 

 


「お、またやっているのかい、お嬢ちゃん」

「まあねっ!」



 八百屋の店主だ。

 40代後半で、見るからに気前のよさそうな雰囲気が漂っている。



「ほら、餞別だ」

「ありがとう」



 わたしは投げられたリンゴを受け取って、シャキッと丸ごとかじった。

 蜜もしっかり詰まっていて、あまりのおいしさに「ん~~~~」とほっぺが落ちそうになる。



「相変わらず気持ちのいい食べっぷりだ。テーブルマナーってやつはどうしたんだ?」

「テーブルを使ってないんだから、テーブルマナーなんて適用されませーん」

「がははっ! 間違いねえ!」



 八百屋のおじさんは、いつも気持ちよく笑ってくれる。

 だから、ついつい冗談を言っちゃう。



「それじゃあ、ちょっくらやりますか」

「いつもごめん」

「なーに、こっちとしても、いい憂さ晴らしだよ」



 そう言うと、八百屋さんは追手が通る直前にリンゴの棚を傾けた。


 するとコロコロとリンゴが道路にまき散らされて、追手の足を止めた。



「ごめんよ。リンゴが転がっちまった」

「おい! いつも狙ってやっているだろっ!」

「踏んだら弁償してもらうからな。ウチのリンゴは、嫁さんの胸より大きい上物ばかりだからな。かなりいい値段だぞ。がははははははは!」

「奥さんに怒られろ!!!」



 コントみたいなやり取りを聞き流しながら、わたしは走り続ける。


 だけど、リンゴを華麗なステップで避けた追手は、どんどん距離を詰めてきている。



(やばい、このままじゃ……!)



 もうダメだ、と思った瞬間、男の子の姿が目に入った。



「あ、お姉ちゃん」

「お、いいところにっ!」



 彼の頭にはウサミミがついていて、ピコピコと動いている。

 とってもかわいい。



「また追いかけられてるの?」

「今日は本当にヤバイやつだから!」

「いつも同じこと言ってるじゃん。まあ、とりあえずこれで貸しひとつだからね」

「貸しは面倒だなぁ。あ。じゃあ、これで!」



 わたしは食べかけのリンゴを、少年に向けて放り投げた。



「やった! これはアネキに高く売れるぞっ!」



 なんで高く売れるの!?

 いや、そんな余計なことを考えている暇はない。


 追手はもう、かなり近くに迫っている。



「クソガキ、よろしく!」

「よしきた!」



 クソガキはショルダーバックから、一本の棒を取り出した。

 その瞬間、周囲の人間は全員顔をしかめて、鼻をつまんだ。


 先端には、とぐろを巻いた茶色物体がくっつけられていたのだ。

 しかも、かなりの悪臭を放っている。


 彼がその棒を追手に向けて突き出すと、追手はたまらず足を止めた。



「おい、小僧! そのウンコはなんだっ!?」

「これはボクのパパが最近完成させた『この世で最も臭いウンコ』さ!」

「やめろ、近づけるな! 吐き気がする」

「一度着いたら最後。死ぬまで臭いがとれないんだぜ!」

「やめろおおおおおおおおお!!!!」



 この男の子の父親は、うんこ研究者だ。

 一見アホっぽい研究だけど、ウンコの肥料利用や感染病対策・汚水の浄化方法まで研究していて、この国の発展に大きく貢献していたりする。


 わたしは敬意をこめて『ウンコ博士』と呼んでいる。

 ウンコ博士の息子だから、男の子は『クソガキ』と呼ばれることが多い。


 まあ、実際にかなりのクソガキなんだけど。


 わたしはうんこの臭いから逃げるように加速して、細い道に入った。


 ここを曲がれば、入り組んだ住宅街に入る。

 そうすれば、いくらでも追手を撒くことが出来る。


 そのはずだったのに――

 


「げっ!」



 いつもは通れる道が、工事で封鎖されていた。

 わたしはとっさに近くの教会に入るしかなかった。

 


「な、なにごとですか!?」

「すみません、お邪魔します!」

「またあなたですか!?」



 シスターさんは顔を真っ赤にして、わたしを怒鳴りつけた。


 協会の中央には、一本の立派な木が生えていて、幹には女性の裸体が浮かんでいる。

 この国特有の『土の聖女』と『土の大精霊』を信奉する宗教だ。



「シスターさん、失礼します!!!!」

「もう追いついたの!?」



 追手がシスターにお辞儀しているのを見て、慌てて教会の階段を登っていく。

 その先にあるのは鐘だけだ。

 でも、もう逃げ道はそこしかなかった。


 鐘のあるてっぺんまでたどり着くと、街並みが目に入った。


 夕日に染まった、中世ヨーロッパみたいな街。

 もう仕事を終えたのか、人々は家に帰り始めている。


 まあ、と言っても、純粋な人間だけじゃない。

 毛が生えていたり、耳やしっぽがついている人がたくさんいる。


 この国は獣人と人間が共生する国――ケモッフ王国。

 その首都である『シッポスイ』だ。


 獣人とは読んで字のごとく、人間みたいに話せて歩くことができるのに獣みたいな特徴を有している人たちのことだ。

 ケモミミと尻尾がついただけの人もいるけど、彼らは獣人と人間のハーフだ。

 この国では獣人と人間は平等に生活していて、恋愛も普通にできる。


 まるで、ケモナーのためにある国だ。


 その光景にうっとりとしていると、追手が息を上げながら追い付いてきた。


 

「なんでここまでして逃げるんですかっ!」



 詰め寄られて、わたしは思わずたじろいだ。

 彼はお城の衛兵だ。

 いつも、逃げるわたしを捕まえる役を押し付けられている。



「だって、これから起きることがわかっているから」

「意味の分からないことを言わないでください」



 衛兵は「は~~~」と深いため息をついた。



「今日はあなたの婚約者・・・の誕生日パーティーなんですよ。出席しないでどうするんですか」

「……絶対に悪いことがおきるし」

「いつもいつも子供みたいなことを言わないでください。あなたは公爵令嬢なんですよ?」

 


 衛兵に手を引っ張られて、わたしは抵抗した。



「今日は本当にダメなの」

「ダメです。お城に戻りましょう」



 衛兵の意思は固い。

 きっと、彼はどんな言葉でも揺るがないだろう。



 こうなったら実力行使だ。



 わたしは足にグッと力を入れた。


 すると、不思議な力が漲ってきて、足の裏から流れていく。

 まるで自分の足に根っこが生えたみたいに、地面と繋がる。


 地面からは遠いけど、わたしの魔力なら問題にもならない距離だ。


 あとは地面を操ってにげ――



「やめてくださいっ!!!!」

「――っ!」



 あまりもの気迫に、わたしは気圧されてしまった。


 顔を見るとメチャクチャ真剣な顔をして、思わず息を呑む。

 完全に、軍人の顔だ。


 わたしが怯えているのに気付いたのか、彼は表情を少し柔らかくした。 



「『魔法を勝手に使ったら、半年間おこづかいもおやつもなし』。お母様と約束していますよね?」

「うぐっ……」



 わたしは苦虫を苦虫を噛み潰したような顔をした。

 あの時のお母様は、本気の目をしていた。

 どんなに許しをこいても、絶対に実行するだろう。


 

「では、大人しくついてきてください」

「……はい」



 わたしは観念して、連れていかれることにした。

 すると、突然持ち上げられて「うわっ!」と素っ頓狂な声を上げてしまった。



「あの、この運び方はやめてくれない?」

「これが一番安全で、逃げられにくいですから」



 衛兵は有無を言わせない笑みを浮かべていた。

 あ、これは腹いせだな。


 わたしは米俵みたいに肩に担がれながら、お城に運ばれていった。


 せめてお姫様抱っこにしてよ!!!





◇◆◇◆◇◆





 お城に連れていかれたわたしは、豪華絢爛なドレスに着替えさせられて、パーティー会場に放り込まれた。


 場はとても華やかな雰囲気で、品のあるクラシックが流れている。


 テーブルにはおいしそうなご馳走がたくさん並んでいる。

 


「一緒に踊ってくれませんか?」

「喜んで」



 すぐ近くでは、美男が美女をダンスに誘っていた。 


 一応。わたしにも相手・・はいる。

 でも、今は会いたくない。

 というか、会ってはいけない。


 わたしは相手の姿を探すために、視線を動かした。

 すると、主役席・・・で色んな人に囲まれていた。


 あ、やばい。

 目があった。


 こっちに近づいてくる。

 しかもめっちゃ顔が怖い。お母様ほどじゃないけど怖い。 


 彼はわたしの目の前で止まり、鬼のような形相でにらみつけてくる。



「どうされたんですか? レン王子」



 一応、わたしはいた。

 だけど、彼が次に叫ぶ言葉はわかっている。



「ロコス・ロードデンドロン! お前との婚約を破棄させてもらう!!!!」



(ほら、こうなるんだから)



 わたしはうんざりしながらも、目の前の婚約者――その隣にいる少女に視線を移した。

 素朴な可愛らしくがあって、王子には少し似つかわしくない。 


 だけど、その中身は烏骨鶏うこっけい(骨や内臓まで真っ黒な鶏)が飛んで逃げすほどに、真っ黒だ。


 今も、わたしだけに見えるように口の端を釣り上げている。



『ざまあみろ、ロコス・ロードデンドロン。もうアナタの顔なんて見たくない』



 見るからに、そう顔に書かれている。

 毛穴を線で繋げたら、絶対に書いてあると思う。

 明日のおやつを……半分だけ賭けてもいい。


 ちなみに『ロコス・ロードデンドロン』は今の・・わたしのフルネーム。


 濁点が多くて、悪役みたいな名前でしょ?

 そりゃそうだよね。


 だって、今のわたしは乙女ゲーの悪役令嬢なんだから。

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