帰路にて

小狸

短編

 職場から最寄りのバス停までは、やや距離がある。


 徒歩で5分ほどのところに一つと、もう一つは15分ほどのところにある。


 私が普段乗るのは、後者の方である。


 5分の所は、坂道を降りてすぐなのに対し、15分の所は、脇道に逸れ、川と神社と公園と、狭い道を抜けた先にある。


 別に健康意識に目覚めたとかそういうことではなく、ただ何となく、職場の人と職場以外で顔を合わせるのが嫌なのである。


 職場が苦手というわけではない。どちらかというとホワイト寄りであり、同期や先輩方、上司、後輩共々、良い人ばかりである。就業時間が終わった後で彼らと飲み会をすることは楽しいし、色々な話が聞けて勉強になったりもする。機会があれば積極的に参加もしている。


 ただ――何となく。


 帰路だけは。


 私だけのものでありたいと思うのである。


 わざわざ15分ほど離れたバス停に行く動機としては、それは少し弱いかもしれない。


 ならばこの理由を付け加えよう。


 その帰路の途中で、いつも1匹の、猫と出会う。


 とても黒く、尻尾が綺麗な形に柔軟に湾曲している、首輪の付いていない猫である。


 その猫は、いつも寂れた公園のブロック塀の上で、すやすやと眠っている。


 起きているところは、ほとんど見たことがない。


 一度、誰も見ていないことを確認した上で「にゃー」などと声をかけてみたけれど、反応はなかった。


 ただ恥ずかしい思いをしただけであった。


 身体が綺麗だから、近くの家の人が世話でもしているのだろうか。


 しかし、首輪が付いていない。


 野生の猫、なのだろうか。


 実家がそこまで裕福ではなかったのと、同居している祖母が毛嫌いしていたこともあって、私の家では動物を飼ったことがなかった。


 そのため、動物との接し方というのが、私にはいまいち掴みきれていない。動物が好きかと問われると、微妙である。動画や写真で見るのは好きだが、毎日飼ったり世話をする、家族として迎え入れるとなると、それなりに覚悟が必要そうだ、と、部外者のようにそう思う。


 だから分からない。


 分からない。


 分からないけれど、なぜか私は、その猫に惹かれていた。


 流石にお休みのところを無理矢理起きていただくわけにはいくまい。


 大概、仕事が終わって後片付けをして、その場所を通る時間には、陽は傾き始めている。


 ある夏の日。


 黒い猫の表面のつやに夕日が映えていたことがある。


 美しいと思った。


 写真を撮ってインスタのストーリーにあげようか。


 ポケットからスマホを取り出そうとして――しかし。


 止めた。


 何となく、そうするのははばかられた。


 この景色は。


 私と、この猫だけのものだと。


 そう思いたかったから。




(「帰路にて」――了)

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帰路にて 小狸 @segen_gen

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