35 生き残れ

想像していたよりも状況は悪いらしく、避難所にいる国民達の半分が避難するよりも早く魔獣の大群は押し寄せてきた。


 いくつもの砲弾が飛び、魔法が放たれ、罠が発動した。


 確実に魔獣の数は減っている、減っているのに、その数が変わった気がしないのは総数に対して微々たるものだからだろう。


 国軍と凶暴化した魔獣達の戦いが始まった。


 軍人達は必ず一人で動くことはなく、複数人で行動して魔獣からの不意の攻撃を対策する。


 怪我した者は後ろに下がり、手当を受けて、欠員が出た班は別の班と合流して場をしのぐ。


 数の暴力によって苦戦を強いられているのはラジヴィウ親子も同じであった。


 幸いとして、三人とも怪我はしていないものの表情は苦いものとなっている。


 鎧が血に染まり、武器が血に染まり、地面はどちらのものともわからぬ血に染まっていた。


 双方、屍が積み上がっていく。


 戦っている相手が人ならば、どれほどよかったことだろうか。


 凶暴化しているから理性がない、理性がないから本能がむき出しとなる。


 その本能だって、凶暴化の影響で恐怖も痛みも気にしなくなっているのだから、意味のない代物にも等しくなっている。


 まさしく厄災、まさしく災害。


 痛みを恐れぬ愚かさ、死を恐れぬ狂気、これらは魔獣を何があっても敵を屠る兵器へと変容させた。


「全く、仕込みをした連中はとんでもない代物を作ったな。これならばドラゴン一体を相手にしている方が楽だ」


「背中に大剣を背負って、そんなこというの父様くらいだ!確かに、一体倒せば終わりって状況とは訳が違うけど……」


「終わりが見えてこないわね……」


 伝令係の情報からすると避難は進んでいるのだろうが、こちらはジリジリと削られて行っている。


 戦線が崩壊するのも時間の問題であるが、避難完了まで持つかは少々微妙なところである。


 押されていく、魔獣達が血肉を求めて進んでいく。


 報告、半数の者が避難所より脱出。


 報告、内地の結界が完成。


 報告、最初に避難所を出た者達が結界内部に到着。


 報告、死傷者多数。


 報告、全員が避難所を脱出。


 報告、魔獣の放った炎魔法があちこちに引火し、魔導師が消火活動に当たっている。


 報告、報告、報告、報告……。


 あと少し、あと少しだ。


 軍人達が己を鼓舞しては、目の前の獣を屠っていく。


 だが、長時間にわたる多勢に無勢での戦闘は軍人達を心身ともに疲弊させていた。


 一度高まったはずの士気が、疲弊してきたことによって段々と低下していく。


「ぐあ!!」


「うぎゃっ!」


「がはっ!!」


 複数の悲鳴がオリーの耳に入った。


 悲鳴が聞こえた方向を見た瞬間、前進の血の気が引いた。


 ちょうど負傷者達が下がったところだったのだろう。


 たまたま、偶然、魔獣の攻撃が集中してしまい、負傷者が出て一カ所だけ守りが手薄になってしまった。


 そこを、防衛戦線を食い破られてしまった。


 このまま内側に入り込まれれば奥にある救護テントにいる負傷者と救護班達が狙われることになるし、グランも必然と危険にさらされる。


 穴を、埋めなければいけない。


 誰もがそう思ったし、行動しようとしたが目の前のことで手一杯で、その場から離れることができなかった。


 魔獣が牙をむき、血のにおいを漂わせる負傷者達に狙いを済ませる。


「“アイス・ボウ”!!」


 力強い、聞き慣れた声が戦場に響いたと同時に突如として地面から生えた氷のとげが防衛戦線の内側に侵入しようとした魔獣を串刺しにした。


「“ボルトスピア”」


 冷静にいようとしているのか、平坦な声が聞こえたかと思えば無数の雷の槍が魔獣に降りかかった。


「進め!アニエス王国を喰い荒さんとする害獣どもを一匹たりとも中に入れるな!」


 続いて凜とした勇ましい声の後、雄叫びが聞こえた。


「来た!」


 国一番の魔導師と、その弟子だ。


 アニエス王国で最強とうたわれる騎士団だ。


「ドラン騎士団が、ラジェが、ハウが戻ってきたぞ!」


 戦場に響き渡るグランの声に、うずくまっていた者が顔を上げる。


 到着した者達はボロボロであるが、武器を持ち次から次に魔獣を葬っていく。


「治療部隊は救護テントへ、諜報部隊は負傷者を運べ!偵察部隊、戦闘部隊は負傷者が抜けた穴を埋めろ!」


 シェナが指示を飛ばす、魔獣達の背後からやってきた面々は素早く動くとテントへ向かい、負傷者を見つけて運び、防衛戦線にできそうな穴を埋める。


 士気が、徐々に戻ってきた。


「シェナ!!!」


 ドラゴノフが喜色をはらんだ大きな声でシェナを呼んだかと思えば、背負っていた大剣をシェナ目がけて投げた。


 シェナは、その体躯に見合わない大剣を易々と受け止めると鞘から引き抜いた。


 この大剣はドラゴノフが昔、戦争にて手柄を立てたシェナに褒美として、シェナのために武器職人に依頼し、授けた大剣、シェナの手に一番なじむ武器であった。


「ドラン騎士団団長、クルシェナ・ドラベルフ。ただいま帰還しました」


 鋼の塊であるそれは重いはずなのに、それを一ミリたりとも感じさせない動きで魔獣を切り捨てていく。


 ラジェ、ハウ、ドラン騎士団が帰ってきたことで崩されそうになっていた防衛戦線は持ち直し、それどころか段々と魔獣達をトゥウィシュテの森へと押し返していた。


 ドラン騎士団の治療班がやってきたことにより負傷の回復スピードは上がり、諜報部隊が負傷者を回収することで死人が減り、戦える者の数が増えたことで戦場は安定していく。


 そこからは時間の問題だった。


 やがて、避難が完了したことが知らされると負傷者は動ける者が運び、遅れて到着した面々は元々いた者達に引き連れられ、防衛結界の中へと入った。


 王宮、国軍、一般、立場問わず集まった魔導師達が魔法を使い凶暴化した魔獣を一カ所に集めると重たい魔法の一撃によって一網打尽にした。


 波のような大群となって押し寄せてきた、凶暴化した魔獣は全滅した。


 この状態では凶暴化していない、通常の魔獣達だって森からは出てこれないだろう。


 邪教は姿を見せていない。


 “それ”の姿も見えない。


 凶暴化した魔獣の第二波がやってくる様子もない。


 つまり、これ以上の脅威はやってこないと言うことだ。


 歓声が上がる。


 今度こそ、脅威は去ったのだと怯えていた国民達は喜んだ。


 軍人達も喜んだが長時間にわたる戦闘の疲れや、心労がたたって数名が倒れたり、動けなくなってしまった。


「はぁ……。ほんと、びっくりした」


 大剣をしまったシェナは天を仰ぎ見た。


 見事な青空、快晴である。


 まるでさっきまでの、一連の終わりの始まりなんてなかったかのような、いつも通りの切れな青空だった。


「いい天気……」


 あんまりにも、いつも通りなものだから呆れさえも覚えてしまうが、これは日常に戻ってきたという証なのだろう。


「シェナ!!」


「オリー!?」


 大粒の涙をこぼして、今にもシェナに抱きつかんと走ってきているオリーを見てシェナは目を見開く。


 いくら緊急事態だったとはいえ、王太子妃が戦場に出ているとは微塵も思っていなかったのだ。


 のちにグランもこの場に来ていると言うことを知ったシェナは頭を抱え、絞り出すかのような声で「おとなしくしてろよ、王族……」と呟いていた。


 閑話休題、話を戻して、シェナの生還に涙をこぼしながら抱きつこうとしてくるオリーをあっさりと避けてしまった。


「何で避けるのよ!」


 てっきり抱きしめ、抱きしめ返されるものだと思っていたオリーが不満の声を上げる。


 “パンドラ”の封印が完全に解除されることはなかったものの、“意図的に引き出そうとしなければ漏れない”と封印が完璧でない状態であった。


 シェナが意図して引き出そうとしない限り出てこないのだろうが、万が一を想像してしまいオリーから逃げた。


「ご、ごめ……。その、色々あって今はちょっと、ね?やめよ?」


「何でそんなにビビってるのよ?」


「い、いや。怪我じゃすまなくなっちゃうかもしれないから……」


「シェナが私に怪我をさせるわけないじゃない。大人しく抱きしめられなさい」


「え、えぇ……」


 言い切ったオリーに嬉しさ半分と困惑が半分あったシェナだったが、オリーの無言の圧力に屈し、今度は避けることもなく大人しく抱きつかれることになった。


 だが、シェナは抱きしめ返すのを戸惑い、両手は行き場を失わせていた。


「よかった……。あなたが行方不明になったってきいたとき、肝が冷えたのよ」


 オリーの震える小さな声は、シェナの戸惑いを振り払うのに十分なものだった。


 シェナはオリーが顔を埋めている肩の部分が濡れているのに触れることなく、無言でオリーを抱きしめ返した。

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