第34話

『髪を結ぶ券』


 そう書いてある紙を見て、彼女は不思議そうな顔をする。


「この券を見せてくれたら、私の髪を結ぶのも私が風菜の髪を結ぶのも、思いのままです。……ど、どうですか」


 今私が差し出せる、風菜が一番喜ぶプレゼントはこれだと思ったのだが。


 果たして風菜は、喜んでくれるだろうか。

 彼女は紙を受け取ると、くすくす笑った。


「子供みたいなプレゼントだね」

「……む。やっぱりダメですか?」

「ううん、嬉しい。じゃあ、りんね。この券を見せるためにも……毎朝ちゃんとふうなの家に来てね」

「……はい」


 彼女はそう言ってから、私のリボンを解いてくる。そして、早速券を見せてきた。


「りんねの髪、ふうなにやらせてね」


 私は何も言わず、彼女に少しだけ近づいた。彼女は優しい手つきで、私の髪にリボンを結び直す。やっぱり彼女の方が器用だからか、なんとなく自分でやるより綺麗にまとまっている気がする。わかんないけど。


「ずっと、喧嘩したままだったから。何もプレゼントもらえないかと思った」

「……ちゃんとしたものは、用意できなかったです。こんな子供騙しのプレゼントしか」

「それでも嬉しいよ。今日一日何をプレゼントするか、ずっと考えてくれてたでしょ?」

「バレてましたか」

「りんねのことだもん。わかるよ」


 そう言われると、ちょっと恥ずかしい。

 私が思わず目を逸らした時、唇に彼女を感じた。視線を戻すと、風菜の髪が揺れているのが目に入る。私は力を抜いて、彼女のキスを受け入れた。ファーストキスからまだ数ヶ月しか経っていないのに、いつの間にかキスをするのが当たり前のように感じるようになっている。


 それってどうなんだろうって、ちょっと思うけど。

 キスは悪いことじゃないし、いいのかな。


「好きだよ、りんね」

「私もです」

「今日は泊まっていきなよ。誕生日が終わるまで、りんねと一緒にいたい」

「……そう、ですね。お母さんには連絡しておきます」

「うん」


 私たちはそれ以上何も言わずに、また手を繋いで歩き始めた。繋がった影を見るのは、これで何度目だろう。幼い頃から手を繋いで一緒に歩くことが多かったから、手を繋ぐことには慣れている。


 そのはずなのに、妙にドキドキするのは。

 やっぱり私たちの関係が変わったからなのだろう。


 私はきゅっと彼女の手を強く握った。絡んだ指同士から、彼女の熱を感じる。私の熱も彼女に伝わっているのだろう。


 まだまだ私は、彼女のことをよくわかっていない。フィルター越しに風菜を見ても、わかることはほんのわずかだ。それでも私は風菜のことが好きで、風菜も私のことを好きだと言ってくれている。それならよくわからないままでもいいのかな、と少し思う。


 この先もっと彼女のことを、ちゃんと知ることができたら、もっと幸せだろうけど。

 私たちはそのまま、二人で一緒に家に帰った。





 お風呂から上がると、一日の終わりを強く感じる。私は風菜の部屋に戻って、ベッドに腰をかけた。隣には、風菜の姿がある。風菜は私より先にお風呂に入っていたけれど、まだその体はほかほかだった。


 そっと手を握ってみると、いつもと違った温度を感じた。

 ふわりと、シャンプーの匂いがする。お風呂上がりなんだなぁって、当たり前の感想が頭に浮かぶ。同じシャンプーに、同じボディソープ。それがなんだか特別な気がして、ドキドキしてしまう。


 この前一緒にお風呂に入った時は、そんなことを気にする余裕もなかった。


「今日は楽しかったね」


 風菜が言う。


「はい、とっても」

「……これ、また使ってもいい?」


 風菜は繋いでいない方の手に、さっきプレゼントした券を持っていた。一瞬目を丸くするけれど、私はすぐに微笑んだ。


「いいですよ。私がリボン、結びます?」

「まずふうながりんねの髪結ぶから。その後に、ふうなのもやって」

「わかりました」


 手を離すと、彼女は机から二つのリボンを手に取る。それは、この前私がプレゼントしたリボンのついたヘアゴムだった。


 彼女は私の隣に戻ってきて、指で髪を梳かしてくる。ついこの間まで彼女に毎朝髪を整えてもらっていたけれど、その時とはまた違った感触だった。優しさと、愛おしさが指先から伝わってくるような。


 ……私、ちょっと浮かれすぎかな。

 でも、自分の気持ちが彼女に受け取ってもらえて、彼女の気持ちも受け取ることができたのだ。少しくらい浮かれても、仕方ないと思う。


「……できた」


 彼女はそう言って、笑う。

 ふわふわしたその笑みに、鼓動が高鳴っていく。私はゆっくりと立ち上がって、姿見で髪型を確認した。

 いつものおさげとは違う、頭の右側でまとめられた髪。


「珍しいね、こういう髪型」

「うん。……次は、ふうなの番」


 彼女は私にリボンを渡してくる。

 リボンは、一つしかない。いつものように彼女をツインテールにすることはできないし、一つのリボンでできることといえば。


 私はちらと彼女の様子を窺った。彼女はどこか期待したように、私を見つめている。意図はわかるけど、理由まではわからない。でも、いいか。今日は風菜の誕生日なのだ。彼女が望むことは、なんでもしてあげたい。


 そっと彼女の髪を指で梳かして、頭の左側にある髪を手に取る。

 そのまま髪をまとめると、彼女は満足そうに笑った。


「ありがと、りんね」


 単に髪を結んだことに対するお礼なのか、意図を汲んだことに対するお礼なのか。


 わからないけれど、私も笑った。

 風菜は私の左側に移動してきて、肩を抱いてくる。肩と肩がくっつくと、その柔らかさに顔が熱くなる。よく知る感触なのに、全然知らないような、不思議な感じ。感情というものは、時に感触すらも変えてしまうものらしい。


「二人合わせてツインテールだねー」

「……ふふ。なんですかそれ」

「なんか、よくない? 一心同体みたいで」

「髪型で一心同体みたいーってなりますかね?」

「なるの! りんね、趣とか感じない人?」

「趣……?」

「そういうりんねには、ふうながお仕置きしてあげないとね」


 そう言って、彼女は私の首筋に顔を埋めてくる。くすぐったさにみじろぎしていると、彼女は首に舌を這わせてきた。まさかそんなことをされるとは思わず、逃げるようにベッドに横になる。


 彼女は私を追いかけて、後ろから抱きしめてきた。

 その指先が服の裾から入り込んできて、ゆっくりと上にやってくる。服が捲れて空気に触れると、少し体が震えた。彼女はそのまま、私の胸に触れてきた。


「もー。この前も思いましたけど、あんまり気軽に胸に触んないでください」

「触り心地いいし。すべすべ」

「ちょ……あはは! くすぐったいです、変態!」

「んー……」


 もぞもぞと、彼女は私の胸を触り続ける。

 なんだかなぁ。もうちょっと雰囲気が良ければ、そういうことになったのかもしれないけれど。これはなんというか、ただ甘えられているだけな気がする。風菜は時々こうやって子猫みたいになるからなぁ。


 嫌じゃないけど、くすぐったいから困る。

 ほんと、なんだかなぁ。

 いいけど。


 誕生日くらい……いや、誕生日じゃなくても。時々こうやって甘えられるのは、楽しいかもだし。


「ふうなのも、触って」

「えー……私、そういうのあんまり興味ないんですけど」

「だめ。ちゃんと興味持ってくれないと、将来困るじゃん」

「将来……そ、そうですね」


 彼女は私の服から手を引き抜く。

 私はくるりと体の向きを変えて、彼女と見つめ合った。正直、ちょっと恥ずかしいけれど。


「じゃあ、その。……触りますね?」

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