第32話
風菜と両思いだとわかってから、一日。
私は人生一番の窮地に立たされていた。風菜とはもうあまり関わらないと思っていたから、今年は誕生日プレゼントを用意していないのだ。
そう。今日は風菜の誕生日。
毎年リボンを送っているけれど、今年はそれよりも素敵なものをプレゼントすると言ってしまっている。しかし、これから買いに行くことはできない。なぜなら、今日は朝から彼女とデートする予定があるからだ。
デート中に一度彼女から離れて買いに行くということは、できなくはないけれど。
そうするとデートに集中できなくなってしまいそうだから、困る。
うんうんと頭を悩ませていると、家のチャイムが鳴った。どうやらいつの間にか、デートの時間になってしまっていたらしい。
慌てて玄関から飛び出すと、そこにはいつも以上に可愛い風菜の姿があった。
「おはようございます、風菜」
「おはよう、りんね」
「今日はいつもよりもっと可愛いですね」
「あはは、ありがと。りんねも可愛いよ」
昔から互いを褒め合うこと自体はしてきたはずだけど。今日の私たちの言葉には、妙な照れが入ってしまっている。それも仕方のないことだとは思うけど。
「えっと……行きます?」
「う、うん」
私は彼女の手を握って歩き出した。夏だからというのもありそうだけど、彼女の手はひどく汗をかいていた。多分私の手も、同じだと思う。
両思いだとわかってから、初めてのデート。
今日はプランも考えていないし、エスコートができるかもわからない。だけどこの前のデートより楽しくなりそうだという予感があった。
「そういえば、風菜」
「どうしたの?」
「私と付き合ってください」
「うん。……うん!?」
彼女はぎくりと体をこわばらせる。その過剰すぎる反応に、私は笑った。
「な、なんでいきなり!?」
「だって、ほら。好きだとは散々言いましたけど、ちゃんと恋人になろうねって約束はしてなかったじゃないですか。関係をはっきりさせるのは大事だと思いまして」
「それはそうだけど! せっかくならもっと違う時に言ってよ。全然雰囲気とかないじゃん」
「私たちには、それくらいがちょうどよくないですか?」
「……やだ。ちゃんとやり直して!」
「えぇー……」
私たちが両思いなのはもう確認済みなのだし、こういうのはサラッと流してしまってもいいと思うのだが。関係をはっきりさせるのは大事だけど、もっと大事なのはこれからのことで。
でも、風菜が望むのなら仕方がない。
「わかりました。じゃあ、折を見てやり直しますね」
「うん、よろしい。今日はふうなの誕生日だから、ふうなのことうーんと楽しませて、喜ばせてね!」
「はいはい」
ようやく風菜も、いつもの調子を取り戻してきたらしい。
私たちはそのまま電車に乗って、席に座った。今日は世間的には平日だからか、電車は空いている。
「どこ行く?」
「んー……風菜は行きたいところあります?」
「えー、ふうなに聞いちゃう? そこはりんねが察して動いてくれないと」
「……むぅ。じゃあ、そうですね。この前いけなかったカフェでも行きます?」
「あ、いいね。あそこのカフェ、なんか良さそうな雰囲気だったもんねー」
「頑張って探しましたし、きっと風菜が好きなところだと思いますよ」
「じゃあ決定ね!」
風菜はにこりと笑う。その笑みはひどく子供っぽかったけれど、誕生日くらいは子供になってもいいものなのだろう。
体も心も、私たちはかつてとは比べ物にならないくらい成長した。
だけど変わらないところもあって、そういうところを見ると懐かしさと共に愛おしさが胸に去来する。風菜が隣にいてくれるなら、どんな変化も嬉しい。だけど変化しないことも、同時に嬉しく思うのだ。それはなんだか、不思議な感覚だけど。
私たちはそのまま、この前と同じ駅で降りて、同じカフェに向かう。
今日は時間と曜日が良かったのか、待たずにすぐに入ることができた。
白を基調にした落ち着いた店内は、風菜の好みに合っているらしい。彼女は目を輝かせて、店内の様子を眺めていた。
ここは食事系のメニューよりもスイーツ系のメニューが充実していて、その中でもパンケーキは人気の商品らしい。私たちはそれぞれパンケーキとフルーツサンドを頼むことにした。
「可愛いー! ふわふわのパンケーキって、見てるだけでテンション上がるよねー」
「それはよかった。調べた甲斐がありました」
「りんねはサンドイッチでよかったの?」
「はい。フルーツサンドって普段食べる機会があんまりないですし。この機会に食べておこうかと思いまして」
「ふーん……一つちょーだい」
「一口じゃなくてですか!? ……いいですけど」
今日の主役は風菜だから、少しくらいのわがままなら許容範囲である。
……あんまりいつもと変わらない気がするけど。
私は三つあるうちの一つを彼女のお皿に置いてあげた。彼女はしばらく写真を撮っていたけれど、パンケーキの上に乗ったクリームが溶け始めたのを見て、慌てて食べ始める。
なんだかなぁ。
私はくすりと笑いながら、サンドイッチを撮るふりをして彼女の写真を撮った。
慌てた彼女の顔。パンケーキを食べて嬉しそうにする顔。そのどれもが愛おしくて、見ているだけで胸が温かくなる。
ここ最近は本当に激動すぎて、心休まる時間があまりなかったけれど。
こうして彼女の笑顔を見ていると、心が静かになる。そして、ただ幸せだなぁと思うのだ。風菜と両思いになって、穏やかにデートをできる日が来るなんて思っていなかったはずだけど。想像していなかったはずの未来を、私は当然のものとして享受している。もしかしたら心のどこかでこんな日が来るって信じていたのかもしれない。
私は紙ナプキンを手に取って、彼女の口許を拭った。
「もー。もっと小さく切って食べてください。口の周りベタベタじゃないですか」
「ごめんごめん、つい。大口開けて食べても許されるのって、りんねの前くらいだし」
「そーですか」
嬉しいっちゃ嬉しいけど、複雑っちゃ複雑。
私、ちゃんと恋愛対象として見られてるんだよね?
いや、キスしてくるくらいだし、それは間違いないと思うんだけど。もうちょっとこう、恥じらい的なものはないのかなって思う。
……今更そんなの感じる仲じゃないか。
これまで一緒にいた時間が長いから、恋人としての関係を築き上げていくのは大変そうだ。そして、今日一番の課題はどのタイミングで告白し直すかってことである。やっぱり夜、かなぁ。
この時期はイルミネーションとかないし、雰囲気作るの大変そうだけど。
「はい、あーん」
私の悩みも知らずに、彼女は無邪気にパンケーキを一口差し出してくる。
フォークに刺さったパンケーキは、とても大きい。大口開けて食べることなんてないから、ちょっと困るんだけど。
私は仕方なく、小さくパンケーキを齧った。
「あー! せっかく一口サイズにしたのに、そういう食べ方する!?」
「私には大きすぎますから。もっとちっちゃくしてください」
「りんねと同じくらい?」
「私そんな小さくはないですけど!?」
私はため息をついた。
彼女は私を見て、くすくす笑っている。調子が出てきたのは結構だけど、なんかちょっともやもやする。
そういえば私、風菜にからかわれるのは別に好きでもなかったな。
私は仕方なく、残りのパンケーキを一口で食べた。
やっぱりちょっと、大きすぎる。口の周りが絶対クリームまみれになっていると思うけど、これでよかったのだろうか。
「……ふふ。りんね、可愛い」
そう言って、彼女は私の口許を紙ナプキンで拭ってくる。
普段はこんなことされないから、胸が妙にドキドキする。せっかく穏やかにデートできていたのに。でも、両思いになってから初めてのデートでドキドキしないというのも、逆に不健全なのかもしれない。
ああ、でも。
やっぱりちょっと、恥ずかしい。
……風菜のばか。
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