第21話

 どうして私は、風菜とキスしているんだろう。

 全てはあの日風菜が私にキスをしてからおかしくなったのだ。あの日以来私は、自分からキスをしてしまったり彼女のキスを受け入れてしまったり、これまでの私なら絶対しなかったことをするようになってしまった。


 じゃあそんな自分が嫌なのかといえば、そんなこともなくて。

 心臓は、何か温かい感情によって突き動かされている。この胸に満ちる感情の正体を、私はまだ知らない。ただ、それに名前をつけてしまったら、本当に取り返しのつかないことになってしまいそうで怖かった。


 彼女の熱は嘘じゃない。

 舌先から伝わってくる柔らかさも、口から漏れる吐息の音も、全部現実だ。


 心臓が跳ねる。風菜のことがもっと欲しくて、彼女をもっと感じたくて、舌を強く絡ませてしまう。こんなの私らしくないのに。


「ふうな」

「……りんね」


 一度唇を離して、互いを見つめ合う。彼女の瞳は潤んでいた。

 その瞳に悲しみの色は、ない。


 それなら彼女の瞳に湛えられた涙の正体は、一体。

 わからない、けど。


「もう一回、いいですか?」

「聞くの、減点だよ。わかってるくせに」

「わかんないですよ、何も」


 軽く、彼女の唇を吸ってみる。くすぐったそうに身じろぎする彼女に密着して、舌をまた差し入れた。


 溶けてしまいそうだった。

 風菜は私の背中に腕を回して、ぎゅっと抱きしめてくる。その感触がまた、私をおかしくさせる。私は今、どんな気持ちなんだろう。全身が熱くて、どうしてか泣きそうで、でも心地いい。


 風菜はどんな気持ち?

 問いたいけれど、問えない。


 胸の内で色んな感情が渦巻いていて、吐き出さないと壊れてしまいそうな気がするのに、何も言えなかった。言えないから、言葉の代わりにキスをする。何度も顔の角度を変えて、吸ったり、噛んだりして。


 どうしてこんなに自然にキスができるんだろう、と思う。

 気づけば部屋は、私たちの荒い呼吸で満たされていた。


「風菜。……嫌い、です」

「どうしてふうなのこと、そんな嫌い嫌いって言うの?」

「それは……」


 嫌いなところがあるのは間違いない。

 だけど同時に、好きなところもたくさんあって。


 こうしてわざわざ口に出して嫌いなんて言うのは、そうしないと心の形が保てないからで。


「試しに好きって言ってみてよ」

「なんでですか」

「いいから。絶対そっちの方が楽しいもん。それに、りんねも本当はふうなのこと、好きでしょ?」


 そうだけど。

 好きか嫌いかで言ったら、好きに分類されるとは思うけど。

 でも、そんなの。


「すき、です」

「うん」

「風菜のこと、すき。ちょっとムカつくとこも、可愛いとこも、私をいつも困らせてくるところも、全部。……すき、なんです」

「知ってる」


 違う。

 違うのに。こんなの私じゃないのに。


 嘘だ。好きなんて、全部真っ赤な嘘。本当は風菜のことなんて好きじゃなくて大っ嫌いで、風菜なんて友達じゃなくても私は生きていける。風菜が将来本気になれることを見つけて、私から離れていって、人に囲まれるようになって。それで十年後とかに、あの頃はずっと一緒にいたね、なんて懐かしく思い返す日が来ても、私は。


 別に、構わないのだ。

 最初からそうなることを想定して、風菜と一緒にいるのだから。


 風菜はすごい子だって、本当は私と一緒にいるのがおかしいくらいだって、幼い頃からずっとわかっていた。いつか風菜が飛び立つところを隣で見ることができたら、それでよかった。


 でも、それはどうしてなのかと問われたら。

 私は——。


「風菜のばか」

「なんで」

「ばか。ばかばかばか。ばか風菜。嫌い。大っ嫌いです……」


 何も違くない。

 本当は、わかっている。いつも風菜が輝いて見えて仕方がないのは。彼女がつまらなそうな顔をしていると、悲しくなってしまうのは。彼女のことを、隣で見つめるのが好きなのは。


 全部全部、全部。

 風菜が好きだからに、決まっているのに。


 もう抑えておけないのも、本当はわかっていた。だって私はずっと前から彼女のことが好きなのだから。でもそれを認めてしまったら、風菜が飛び立ってしまった時に耐えられなくなる。


 彼女がもし私じゃなくて他の友達と一緒にいる方が楽しいって気づいて、私の隣からいなくなってしまったら。それが怖いから、私はこの気持ちに蓋をしてきたのだ。


 それなのに、最近の風菜は私に好きって言わせてくるから。

 そういうところ、嫌いだ。


 私の気持ちに気づいています、みたいな顔してるのに全然気づいてない。わかってない。だから無邪気に、私が隠していた感情を引き出そうとする。

 全部風菜のせいだ。風菜が悪いのだ。


「なんでいつもいつも、あなたはそうなんですか。私を困らせないでください」

「……りんね、泣いてる?」

「泣いてません! これは、私の有り余るエネルギーが目から漏れ出してるだけです!」

「斬新な言い訳だ」


 彼女はくすくす笑う。

 私は手の甲で目元を拭った。


 こんな時に泣いてしまうほど、私は弱くないはずなのに。なんで泣いているんだろう、と思う。別に悲しいことなんて何もない。

 ただ、気づきたくなかった感情に気づかされて、困っているだけで。


「りんね。泣かないで」


 彼女はゆっくりと起き上がって、指で涙を拭ってくる。

 笑ってしまいそうになるくらい、かっこつけた所作。

 でも、全然笑えなかった。


「だったら本気で慰めてくださいよ。私のために、本気になってください」

「本気になったら、りんねはいなくなっちゃうでしょ?」

「いなくなるのは風菜じゃないですか」

「なんで? ふうなはずっとりんねと一緒にいるよ」

「嘘つき。嘘つく子は嫌いです」

「なんか今日のりんね、昔のりんねみたいだね」


 彼女はそう言って、私にキスをしてくる。

 唇だけじゃなくて、頬、おでこ、髪、鼻先と、色んなところに。ただ触れられているだけなのに体が跳ねる。彼女は私の様子を見て、楽しそうに笑う。


 本気になれることを見つけて、もっと楽しく生きてほしい。

 でも、それで彼女が私から離れていってしまうのは悲しい。

 私の心はめちゃくちゃだ。


「わがままで、泣き虫。忘れてたけど、りんねってそういう子だったね」

「違います。いつだって私は品行方正な優等生でした」

「りんねが優等生だったことなんて一度もないじゃん」

「うるさいです。嫌いです。絶交です」

「ほんとに子供みたいになってるし。ふうな思うんだけど、りんねって余裕を失うとすぐそうなるよねー」


 そう言いながら、彼女は私の服に触れてくる。


「ね、りんね。……脱がせていい?」

「……え。な、なんでですか」

「見たくなっちゃったから。……だめ?」

「……だめ、です」

「どうして? 前は見せてくれたのに」

「今見られたら、変になっちゃいますから」

「ふーん……えいっ!」


 彼女はぐっと服の裾を掴んで、一気に持ち上げた。自然とばんざいする形になって、服が脱がされる。素肌に空気が触れると、ちょっと肌寒いようにも感じるけれど。それ以上に、体が熱かった。


「変態。最低。嫌いです」

「りんね。可愛いよ」

「遺言はそれだけですか?」

「私、これから死んじゃうの?」

「私が引導を渡しますから」

「じゃあその前に、りんねに触っちゃお」

「……っ」


 彼女はするりと手を滑らせて、下着をずらしてくる。そのまま彼女の手のひらが、私の肌に触れた。


「やっぱりんねって、ちっちゃいね。可愛くて好きだよ」

「……成長できなかったの、風菜のせいですから。風菜が私をいっつも困らせるから、寝不足で大きくなれなかったんです」

「ふうなのこと、ずっと考えててくれたんだ」

「……む」


 その通りではあるけど。

 私は目を逸らした。でも、目を逸らしたところで感触が変わるわけでもなく。胸に触れる彼女の熱が、鮮明に感じられる。


「じゃあ、おっきくしてあげよっか」

「とんでもないセクハラ発言やめてください」

「ふうなのも触っていいから」

「触りたくないです」

「えー。りんねのより柔らかいのに」

「だからなんですか、もー」


 いつもとは違うことをされているのに、少しずつ流れる空気がいつも通りに戻ってきている気がする。だからって、安堵はできないけど。


 彼女は私の耳に唇を寄せてきた。

 びくりと、体が跳ねる。


「りんね、可愛いよ。……好き」


 甘い声で、彼女は囁く。

 私はもう顔を上げていられなかった。


 ばか風菜。最低風菜。

 私の気持ちも知らないで、そんな簡単に好きって言わないでよ。

 ほんと、嫌い。

 ……好きだけど。

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