第20話

「……はぁ」

「今日何回目のため息ー? 落ち込みすぎだよ、りんね」

「……だって」


 地元に帰ってくる頃には夕方になり、私はすっかり疲労困憊になっていた。張り切って彼女をエスコートしようとしたのだが、今日は本当に失敗続きだった。


 風菜が好きそうな服屋さんに行ったら臨時休業だし、雑貨屋さんに行ったら人が多すぎて風菜に手を引かれる始末だし、休憩のために入ったカフェでは会計でまごついちゃったし。


 狙い澄ましたかのように電波が悪くなって決済がうまくいかなくなるのは、もはや呪われてるんじゃないかって感じだ。もしかして、お賽銭が少なすぎたから神様が怒ったのかな。

 百円じゃなくて、千円を入れるべきだったか。


「楽しかったよ、デート」

「お情けなんていらないです。殺してください」

「武士? ほんとに楽しかったのに」

「どこがですか! こんな失態……もう切腹ものですよ」

「りんねが隣にいれば、何したってどこにいたって楽しい」


 彼女は微笑みながら言う。

 どきっとした……なんてことはない。ないとも。


 ただちょっと、疲れているせいで鼓動が速くなっているだけで。彼女がちょっと微笑んだくらいでドキドキするほど、私は甘くないのだ。彼女の笑顔なんて、見慣れているのだから。


「じゃあ今度私と一緒にバンジージャンプしてくださいね」

「それ、りんねがダメなやつじゃん。高いところ、嫌いでしょ?」

「……お化け屋敷とか」

「それもふうなは大丈夫だよ?」

「……むぅ。だったらもう、私と一緒に地獄に堕ちてください!」


 やけである。

 無様な私を笑うがいい。どうせ私はこれまで一度もまともにデートしたことがない、恋愛のれの字もないような女ですとも。


 恋人が欲しいとは思わないけれど、将来のためにもっとデートに慣れておきたいな。

 いつか恋人ができた時に、今日みたいにわたわたするのは避けたいし。


「いいよ」

「はい?」

「りんねが地獄に堕ちるなら、ふうなも一緒に堕ちるよ。りんねも同じでしょ?」

「それはまあ、そうですけど……」


 りんねがふうなと一緒に地獄に堕ちてくれるか、確かめたい。

 昼に彼女はそんなことを言っていたけど。確かめる必要なんてないと思う。私は、もし彼女が地獄に堕ちるなら一緒に堕ちるつもりだ。最初から、ずっと。そんなことができるのはきっと私だけだろうし。


「りんねとなら、地獄だってきっと楽しいよ。だから、安心して?」

「それ、安心していいやつですか?」


 あんまり嬉しくないのだが。


「りんねが納得いかないなら……今からでもエスコート、してみる?」


 彼女は手を差し出してくる。

 茜色の光が、彼女の顔を照らす。夕焼けの色に染まった笑顔は、見ていると少し寂しくなる。だけどそんな顔も、嫌いじゃなかった。


 今更エスコートって言われても、何をすればいいのかわからないけど。

 私は彼女の手を握って、そっと引っ張っていった。


 もう彼女が好きそうなお店に行こうとするのはやめよう。どうせ、今日はどこも混んでいるだろうし。私はそのまま、自分の家に彼女を連れていった。


「りんね、大胆だね。初デートでいきなりお持ち帰りしちゃうんだ」

「人聞きの悪いこと言わないでください。エスコートですから」

「ふーん。なんのエスコートしてくれるの?」


 そんなの私にだってわからないけど。

 一番落ち着ける場所なら、ちゃんと彼女をエスコートできるんじゃないかって思ったのだ。私はそのまま家に入って、靴を脱いだ。どうやら両親は、お出かけしているらしい。


 二階に上がって、部屋の扉を開ける。

 いつも通りの、自分の部屋だ。木彫りの人形が棚に並べられていて、机には参考書がたくさん置かれている。


「りんねって、部屋は真面目だよね」

「はってなんですか、はって。部屋も私自身も、真面目です」

「……あはは」

「あははじゃないですが?」


 風菜のせいで不真面目扱いされているけれど、私は本来品行方正な優等生なのだ。そりゃまあ、中学の頃だって不本意ながらも不真面目な生徒として先生にマークされていたけども。それも全部、風菜のせいで。


 ……風菜を放っておけない、私のせいで。

 風菜がサボろうが何しようが、放っておけばいいのに。どうしても私は、彼女を放っておけない。目を離したらどこかに飛んでいってしまいそうで、不安なのだ。彼女を繋ぎ止めるものなんて、何もない。いつかどこかで本気になれることを見つけて、綿毛みたいにふわっとどこかに消えてしまいそうな、そんな予感がする。


 別にそれでいいといえば、いいのだ。私の知らない場所でも、風菜が本当の意味で幸せになれる場所を見つけて、そこで根を張って生きるならば、それで。


 私は彼女が本気になるまでの間だけ、友達でいられればいい。

 ずっと昔から、いつか離れ離れになるって思って生きてきた。


 だって風菜は本気を出したら私じゃ追いつけないくらいの高みに行ってしまって、自然と疎遠になるってわかっていたから。幼い頃は猪突猛進でお馬鹿な子供だったけれど、それだけはわかっていた。


 でも、いつか離れ離れになるとしても今が楽しければいいのだ。

 今私の隣で笑っている風菜が、嘘になるわけではないのだから。


「りんね。エスコート、して?」


 ぽふ、と音がする。

 風菜はベッドに仰向けになって、私をじっと見つめてくる。この状況で、エスコートって。


 心臓がうるさくなるのを感じる。

 疲れているせいなのか、夕方の寂しい光のせいなのか。私はなんだかセンチメンタルになっている気がする。いつも通りの元気で可愛くて品行方正で模範的な、最高の私でいられなくなっている。


 そっと、ベッドに腰をかけてみる。

 マットレスが沈んで、彼女が笑う。


 私は彼女の髪に触れた。そして、リボンをゆっくりと外していく。リボンの赤が、いつもより鮮烈に見える。私はそのまま、もう片方のリボンも外した。リボンを机に置くと、部屋の中はさっきよりもずっと静かになる。

 私たちの呼吸の音が、じわりと部屋の静寂に溶けて消えていく。


「来年は、本当のリボンをプレゼントするのもいいかもですね」

「ヘアゴムじゃなくてってこと? 毎朝結ぶの、ちょっとめんどくさそうだなー」

「それなら……」


 私は彼女の頬に触れた。

 いつもなら絶対に言わないことを、言いそうになっている気がする。


「私が毎朝風菜の家に行って、結んであげますよ」


 自分の声とは思えないくらい、穏やかで静かな声だった。

 なんで自分の言葉にドキドキしているんだろう、と思う。


 私の心臓は張り裂けそうなくらいにうるさくなっていて、もはや自分の呼吸の音すら聞こえなくなりそうだった。


 風菜。

 私を止めてください。このままじゃ、私。何か、取り返しのつかないことを——。


「嬉しい。じゃあふうなは、りんねに毎日お弁当作ってあげよっかな」

「それはめんどくさくないんですか?」

「自分のためだけにすることはめんどくさいけど、人のためにすることって楽しかったりするじゃん」

「確かに、そうですね。……でも、敬語はやめませんからね」

「ぶー。どうしたらタメ口になってくれるの?」

「……秘密です」


 あなたが本気を出してくれたら、なんて言えるわけもない。

 恥ずかしすぎるし。


 私は彼女の上に跨った。お尻が小さいだの、重いだの、いつも通りに言ってくれればいいのに。こういう時は何も言ってくれないのが、ずるいと思う。静寂は急かすみたいに私たちを包んでいる。


 私は呼吸が少しずつ荒くなるのを感じた。

 エスコートって言葉に惑わされている気がする。心のどこかには冷静な自分がいて、この状況を俯瞰しているはずなのに。冷静な自分を心の中から見つけ出すことすらできずに、私は彼女に顔を近づけた。


 本当に、どうかしているって思うけど。

 彼女の唇に、自分の唇をぴったりとくっつける。目を瞑っているからわからないけれど、何かを期待する視線が突き刺さっているような感じがした。


 ……別に、いいけど。今日は私がエスコートするって決めたし。

 私はそっと、彼女の唇に舌を差し込んだ。

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